第20話 第五犠牲者(2)

 それまでも、それからも。

 幼馴染のダイソンにくっ付いている事で、どうにか彼女は強者の側にいられた。

 幾人も、何人も。『運の悪かった自分』のような被害者を見届けてきた。

 おっかなびっくり、用心深く。『食われる側』に回らないように。安心するために。

 だが――常に『食う側』だった、そんな強いダイソンも、このグループも。

 今もっと、もっと強い何かに、食われようとしている。


 これ以上の要求など、行動など無理だと、彼女の僅かに残った理性が告げていた。

 怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。


 アンディみたいに痛いのは怖い。

 ブルースみたいに惨いのは怖い。

 ケリーのように死ぬのは怖い。

 ダイソンのように苦しむのは怖い。

 彼女を今埋めるものは、それが全てなのだ。


「むり。むりいいいい、もうむりいいいいいいいい」


 完全に、狭い彼女の感情の丘はいっぱいいっぱいなのだ。

 その上にクチナと目を合わせ続けている。これ以上、何か行動する事など出来はしない。共に見張らねばならないちっぽけな少年の事すらも、最早彼女には頭の片隅にも無い。

 質問に考えて答えるなんて、もう。とても。


「お着替えが必要では。お立ちになれますか?」


 でも、は、そんな事を許してはくれないのだ。


「ひい、ひぎ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


 足は立たない。腰が抜けている。そんな答えも、今の彼女は口に出来ない。首を横に振ろうにも、それで目を逸らせばダイソンのようになってしまう恐怖がある。


「――あら、そういえばエーラさん、爪の色が私とお揃いですね。どちらのものをお使いですか? もしかしたら同じかも知れません」


 状況からは不釣り合いなほどに穏やかな話題。それが余計に怖かった。


「ぎ、ふぐっ、あぐう、ひ、ひぃいぃぃいい!」


 頼むから。見ないで。聞かないで。

 涙と涎と鼻水が、拭う事すら出来ないエーラの顔を汚し続ける。メイクが流れて、彼女の表情はまるで戯画のようにぐちゃぐちゃだ。


「あら、ら。困りましたね……」


 まるで夕飯の献立を考える程度の思案。それで、クチナの視線が外れた。


「ひっ、はあ、ひい、はあ、はっ! はあ…………!」


 どっ、とエーラは顔を伏せて荒く息を吐く。とてつもない緊張からの解放に、二度と顔を上げられぬと思えた。

 だが。声はさらに降ってくる。


「よろしいですか、エーラさん。次はお答えくださいね。でないと――」


 でないと、どうなる。エーラは恐怖に震えている。


(嫌だ、嫌だ、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。私は間違えてない。まだ一時間経ってない。目を逸らしたのはあっち。だから平気。平気。平気。平気……!)


 必死にエーラは自分に言い聞かせる。これ以上、目の前の存在から何も聞きたくなくて、必死に破れた喉を張る。


「ひああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 それでも、彼女に声は降ってくる。

 呪いの視線と一緒に。


「貴「あああああ」女「ああああああああああ」の一番「ああああああああああああああ」大「ああああああああああああああ」きな「ああああああああああああああああああああ」罪は、な「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」あに?」


 これまでの、エーラを心配するような問いからはかけ離れた質問。

 エーラの俯いた頭の中に思い浮かんだのは、姉の顔だ。


『本当にいいのか、エーラ? 他に探してもいいんだ。注文は金髪のインテリ女ってだけだ』

『……いい、よ。ホランド。アイツは私に、優しくなかったし。好きじゃないもの』

『しかしだな……』

『でも、ひとつだけ』

『?』

『お願いホランド、誰にも言わないで。ダイソンには特に。今回の標的は、偶然そうだったって事にしといて』

『……………………』

『そうすれば、彼は、ダイソンは、家族を失った私を、大事にしてくれる、から』



「…………っ!」


 いつかの幻聴に、エーラの叫びは止まっていた。目を閉じて耳を塞ぐ。

 しかし声は、手の平を貫いて来る。


「ねえ? エーラさん?」


 けれど。ふと。何故か。エーラには分かってしまった。

 きっと今のクチナは、再び、金色の瞳をしている。


「……っ!」


 何かまずい。このままでは致命的にまずい気がして、エーラは最後の勇気を振り絞って上を向いた。


(目を、逸らしちゃ駄目だ。先に逸らしたのはあっちだけど、一時間も経ってないけど、ダイソンみたいになっちゃう気がする)


 怖いけれど。もの凄く怖いけれど。皆みたいにならないように。勇気を出して、頭上の金色を見返そうとして――


 全てが一手遅かったと、目の前に広がる赤色を見て思い知った。


「あ、――――――――――――――――」


 見上げた先にクチナが見えない。代わりに赤い肉が見える。ぬらぬらと照り光って、隆起があって。奥からせり上がって、先端がちろちろと漂うのは、舌だろうか?


「ああああああああああああああああああああああああああああひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

。可哀想に」


 その向こうから響く声は、残酷な宣告だった。


「いいいいいいい――ゴボッ! ぎひっ、あぎゃあああああああああああああああおおおおおおおおおおおおおおああああああああああぁぁおああおああああああああああああああああああああああ――」


 破れた喉から血が出ても、エーラの口から叫びは止まなかった。そして何故か分かった。

 この赤い肉は、自分だけが見えているのだ。

 これは、口の中だ。自分は飲み込まれようとしている。



 そして一方。イグナスから見えるエーラは、クチナに向けて泣き叫び続けているように見えた。そしてそれが、見える通りのものでは無いとも、イグナスには伝わっていた。


「ひぃぃぃいいいいいいいぃいあいいああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


 ぷつん。と。


「え」


 思わず、彼は呟く。まるで現実から遮断されたかのように、響き続けた彼女の叫びは唐突に消え去った。

 彼女自身も、同じく。


「え、あ……あの人の、上はんぶんが、ない?」


 イグナスは己の目を疑う。見えない。エーラの上半身だけが消えていた。


 見えない何かに、頭から――


 少しの間、ばたばたと。もがくようなエーラの足だけが宙に浮いて、それもやがて、上半身と同じ運命を辿った。


「なに、が」


 イグナスが呟いても、もうエーラの声は聞こえない。

 その部屋には、虚空を見つめるクチナと、呆然とするイグナス。そして、全身の骨を砕かれ元の筋肉が見る影も無くひしゃげたダイソンの死体が横たわっているだけだ。

 クチナが、残念そうに嘆息した。


「哀れな人。誰にも言えなくなった秘密なんて、持っていても仕方ないのに」


 そうして――つまらなそうにベッドに腰掛ける彼女に、ぞわりと、イグナスは総毛立つ。


(こ……このひと……)


 喉が渇きを覚える。イグナスは確かに、クチナの力で誘拐犯達を打倒できればと思った。さらわれたらしき彼女としても、それが自然な行動だと思ったからだ。

 だが、違う。これは打倒だとか、そんなものでは無い。


(あの、二人で……)


 思えば、今夜のイグナスが初めから抱いていた恐怖。その根源は、クチナ自身にあったのではなかったか。


(たのしんで、いた……?)


 理解が追い付いた。

 クチナ=ホオズキは、降って湧いたような自身の状況を。自らを誘拐し、使用人を殺した者達を使って。

 自分という存在から生き残れるか、というゲームをしているのではないか。

 だから、彼女は自分から出ようとしない。相手を待っている。


「お、ねえ、ちゃん」


 思わず漏れた言葉に、イグナスは自分の失敗を悟る。

 くるりと身を回し。

 ひたりと視線を合わせる。

 一片の斟酌無く、クチナはイグナスの方へ振り返り見る。先に逸らせば死ぬ視線と共に。


「ぼ……ぼくが、まちがえたら……」


 ごくり、と乾いた喉に息を呑む。聞く事で明らかになるものを畏れて。


「ぼくも、ころす、の?」


 にこり――と、クチナは幼子を労わるような、これ以上無く優しい笑みを浮かべた。



 そして。イグナスの戦慄にはなんら関心を見せず、彼女の瞳は扉の方を向いた。

 ――彼女の瞳も、厚いコンクリートは見通せない。

 くすりと笑った。



「…………………………バケモノが」


 地下室の扉、その横の壁に耳を付けるようにして。

 ホランドとゴードンがそこにいる。


「ホランド――」


 ほんの僅かに批難の色が混じったゴードンの声に、ホランドは首を左右に振った。


「他にどうする。あいつらはもう手遅れだ」


 そう。彼等が地下に降りてきた時、既にダイソンは死んでおり、クチナと叫び続けるエーラが向き合っていた。

 それを扉のドアスコープからホランドは見た。その時点で、彼はすぐさま視線を外しゴードンにも倣うように仕向けた。


(そうだ。どうせ死ぬのが避けられんなら、情報を集める方を優先するべきだ)


 叫び声が唐突に途絶えた事から、エーラも死んだのはまず間違い無かった。

 ホランドは地下室の扉の鍵を確認し、そっとゴードンを押して壁から離れて階段まで戻る。声をひそめて問う。


「ダイソンの死因、聞いたか? ガキの質問も」


 この状況の有効性をゴードンも飲み込んだようだった。答える。


「…………ああ。よもや二人ともが一時間目を離したという事もまずあり得んだろう。エーラは『目隠しされても見ていた』と叫んでいた」

「そうだ。目隠しってのはダイソンも考えたもんだが……無駄だったって事だな。つまり『最後に見た奴が目を離して一時間』の他に。あの女と『目が合った状態から先に目を離す』と殺されるルールがある」


 ホランドは緊張しつつも壁越しに地下室へ視線を向ける。


「それと『エーラを消した』何かのルール」


 そして今、この状況は。

 最後に見ていたのも、目を合わせていたのも。今もなお、部屋に残っているイグナスだ。

 つまり現在、ホランド達は残り三人の誰も、クチナのルールに触れていない。

 ホランドとゴードンが頷き合う。


「あのガキを生贄に、放置するぞ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る