第5話 改稿作業を通じて感じたこと①
人生で初めて改稿作業というものを経験しました。今回は、そのことについて話をしたいと思います。
最初の打ち合わせの時、すなさとは編集担当さんに言われました。「物語としては出来上がっていますので、そんなに大幅な改稿は必要ないと思います(みたいな意味合いのこと)」
ふむ、そうなのか。そんなものなのか。改稿のなんたるかを分かっていなかったすなさとは、素直に頷いたのを覚えています。
が、これが甘かった。そもそも「何が出来上がっているのか」「何をもって大幅」というか、言葉の定義が一切なされていない。そんな状態で、己の感覚のみで改稿の作業量を見積もっていたすなさとは、やはり素人です。
正直、コテンパンに突っ込まれました。いや、これ軽い方なのか? 平均的な突っ込みがいかなるものかも分からないすなさとには、「編集担当さんの突っ込みが自分の予想をはるかに超えていた」ということしか分かりません。
ただ、結論から申し上げますと、改稿作業は面白いです!
何が面白いかというと、物語がどんどん再構築されていく感じがです。(ええと、再構築が必要なくらい不出来だったんかい! という突っ込みはさて置いておいてですね……)
前回のエッセイでもちょこっと書きましたが、すなさとの物語は4つの要素の組み合わせです。期待と予測、調和と不調和。
そして、最も突っ込まれやすいのは、期待不調和の部分です。だって、読み手の予測どころか期待を裏切るのですから。
突然ですが、人間の期待って何で出来ていると思います?
期待って言うからには欲望ですよね。「そうなりたい」とか「こうあってほしい」とか。なんなら、「こうあるべきだ」という強要じみたものもあるかもしれません。満たされると、当然ながら満足度が上がります。
物語で言えば、主人公に求める展開そのものが期待だと言えばいいでしょうか。そして、この期待を下支えしているのが、いわゆるステレオタイプな常識と思い込みだと私は思っています。
例えば、人の幸せを思い描いた時、いろいろな条件が皆さんの頭の中に浮かぶと思います。
なので、ハッピーエンドを目指すのであれば、「地位や名誉を手に入れる」「ハイスペックなイケメン(はたまた学年一の美少女)に愛される」などなど、誰もが思い浮かぶであろう幸せのシチュエーション(つまり、ステレオタイプな展開)が、万人に向けた物語であればあるほど必要となってくるのかもしれません。
でも、私はどうしてもここに引っかかりを感じてしまうのです。このステレオタイプの型に完璧に当てはまらくてもいいんじゃないか。物語の展開も登場人物も、うまくいかないことがあったり、少し残念だったり、もっと多様でいいんじゃないか。そう思ってしまうわけなのですよ。
で、抗ってみたら、突っ込みを受けました(大量汗)。
誤解がないように明言しておきます。強制的に設定や内容を変えろとか、そういう指示があるわけでは決してありません。編集担当さんは、私の作品を最大限に尊重してくれる存在とも言えます。あるのは、物語の流れとして矛盾点だったり、説明不足な箇所だったり、あくまでも指摘です。
冷静に考えると理由もなんとなく分かります。
基本的に「期待不調和」な部分は、期待を裏切っているわけですから、「なんでそうなるの?」と矛盾や不明瞭を感じてしまいやすいんですよね。
これが、調和している部分であれば、読み手が勝手に納得してくれるので多少の説明不足もスルーされます。「そうなって当然だ」という思い込みが読み手にすでにあるからです。いちいち説明がいらない。ステレオタイプ強し。
最初はそのことに気づかなくて戸惑いました。一応、受賞しているわけじゃないですか。なんらかの評価を得たと思うじゃないですか。
評価は得てました。でも、「まるっと完璧!」というわけでもありません。そりゃそうだ。完璧なら、もう一つ上の賞を受賞しています。(身の程を知りましょう)
つまり、すなさとの改稿作業は、身の程を知る作業でもありました。
さて、どうするか。改稿作業編、さらに続きます!
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