母は強し
戦闘考察をしているうちに夜が明けて、今日は晴れて4歳の誕生日だ。
魔物を葬った後夜闇に紛れ、部屋に戻ったウイルヘルムは、別に何ら変わりなく、いつもと同じように徹夜の修行を切りの良いところで切り上げたウイルヘルム。
気功で鍛えた聴覚が、ドア越しに聞き慣れない足音を拾った。規則正しく、軽やかで、それでいてどこか余裕のある歩調。
(……貴族の女……いや、これは――)
ウイルヘルムは目を細めた。普段、屋敷で聞き慣れない音。慎重に気配を探るまでもなく、何かが違うと直感した。
次の瞬間、扉が開く。
現れたのは、細身で、どちらかといえば小柄な婦人だった。黒髪を肩のあたりでゆるく束ね、上品ではあるものの、格式張った貴族の奥方というよりは、どこか庶民的な空気を纏っている。肌は雪のように白いが、やや面長な顔立ちには愛嬌があり、切れ長の瞳が柔らかに微笑んでいた。
何より――その顔立ちは、この世界の標準とは少し違っていた。 西方の血を強く感じさせる顔立ち。ウイルヘルムの前世で言うなら、ソの国や日出ずる国の人間に近い。
ウイルヘルムは瞬時に理解する。この女こそ、自分の「母」、ナヲイコ・ヴァイスなのだと。
なぜなら――「夢」だと思った幼少期の記憶の中で、初めて見た顔だからだ。
「ウイルちゃん」
朗らかな声が部屋に満ちた。
「4歳の誕生日、おめでとう。……やっぱり、ちっとも私に似てないねぇ」
くすくすと笑いながら、母親はウイルヘルムのもとへ近づいてくる。小さな椅子に腰かけると、頬杖をつきながらじっくりと彼の顔を眺めた。
「でも、父ちゃんそっくりのイケメンで……うん、やっぱり好き!」
ウイルヘルムは冷静に彼女を見つめた。 (……此処ではこれが普通の母親の振る舞いか?)今のところ、威厳もなければ、格式ばった態度もない。むしろ、気さくで砕けた雰囲気が強い。
彼女の表情には、愛情がにじんでいるが、それだけではない。どこか、試すような……探るような視線。
(……気のせいか? いや――)
「さて」
母親は、いたずらっぽく笑った。
「ウイルちゃん。どこから転生してきたのか、ママに教えてくれない?」
――心臓が、一瞬だけ跳ねた。
ウイルヘルムは無意識に呼吸を整え、わずかに眉を寄せた。それは、完全に「鎌をかけている」言い方だった。確証があるわけではないが、わざと直球で尋ね、こちらの反応を探ろうとしている。
(……試されている……)
ウイルヘルムは、表情を変えずに母を見つめた。
「てんせーい? なにそれ?」
首をかしげ、無邪気な子供の演技をする。
母親は目を細めた。笑顔は崩れていないが、その瞳には確かな興味が宿っている。
(……さて、どう出る?)
ウイルヘルムは慎重に、次の一手を待った。
「んん〜その演技、85……いや、87点をあげても良いかな?」
母親はウイルヘルムの頬を人差し指でつつきながら、愉快そうに微笑んだ。まるで遊びの採点でもするかのように、軽やかな口調。
ウイルヘルムは表情を変えずに彼女を見つめる。母親の言葉が冗談なのか、それとも本気なのか――慎重に見極めようとしていた。
(……87点? 「演技」として点数をつけている以上、信じてはいない)
無邪気な笑顔を作ったまま、ウイルヘルムはわずかに考える。だが、その隙を逃さず、母親はふっと瞳を細めた。
「まあ、ベルタなら100点じゃなくても騙されるだろうけどねぇ」
指を顎に当て、少し首を傾げる。まるで「ウイルちゃんはどう思う?」とでも言いたげな態度だった。
「……ベルタ?」
ウイルヘルムが問い返すと、母親は満足げに頷いた。
「そう、あの生真面目なベルタのことよ。ユニーククラス【オースキーパー】の鑑識眼を持つ彼女でも、ウイルの【ステータス】を見抜くことはできないって彼女の報告にあったのよ」
さらりとした口調だったが、その言葉は確信に満ちていた。
ウイルヘルムは内心で舌を巻く。
(【オースキーパー】……約束を守る者、約束が守られているかどうかを見極めるための鑑識眼……?余に対して使っても効果がなかったか。)
「……だけどねぇ」
母親はくすくすと笑いながら、ウイルヘルムのほっぺたをぷに、と軽くつまんだ。
「ベルタは真面目すぎるからね。鑑識眼以外の方法であなたの擬態を見破るなんて、彼女にはできないわ」
「……つまり?」
ウイルヘルムが静かに尋ねると、母親はにっこりと微笑んだ。その笑顔は、まるで無邪気な子供のように明るく、それでいて底知れぬ深みがあった。
「つまり、ウイルちゃんが100点満点の演技をしない限り――私は騙されないってこと♪」
ウイルヘルムの背筋に、冷たいものが走る。
彼女の声音は軽やかだったが、そこにある確信には一片の揺らぎもない。この女は、疑っているわけではない。案の定すでに確信しているのだ。
(……ふむ、まことに厄介な相手)
ウイルヘルムは、わずかに目を細めた。
母親はそんな彼の様子を楽しむように、くすくすと笑った。まるで、獲物をじっくりと観察する猫のように――。
ウイルヘルムは肩をすくめ、深く息を吐いた。この母親に対して、下手に誤魔化すのは無駄だと悟ったからだ。
「転生前の話をするのは面倒ではあるが……まあ、よかろう。余は『ソの国』という国の生まれだった」
母の表情が微かに変わった。興味を引かれた、というよりも、何かを確かめるような眼差し。
「ソの国?」
「然り。広大な領土を持ち、中央集権の官僚制度を整えた国であり、何より人口が多い。城塞都市が多く、平和の時代もあったが、国勢が傾いてからは戦乱の絶えない土地だった……」ウイルヘルムはソの国について詳しく説明する。
「……まるで『
ウイルヘルムは母の言葉を聞いて、一瞬思考を巡らせる。この世界にも似たような国があるのか。
「大襄なぞ知らぬゆえなんとも言えぬな。余のいた世界でも、『ソの国』の北東には『キンの国』という異民族の強国があった。遊牧民を祖としながら、後に高度な官僚制を取り入れ、帝都の近くまで軍を進めたことがあるほどの力を持っていた……」ウイルヘルムは要を得た説明を続ける。
母は顎に指を当て、目を細める。
「ふーむ……こちらでは『大襄』や『
「そんなの知らん。それから『日出ずる国』。海を隔てた島国だ。武士と呼ばれる戦士階級が支配し、封建制度のもとで独自の文化を発展させていた…」ウイルヘルムは、母の言葉の端々に滲む「試すような意図」を感じつつも、余計なチャチャには乗らず、淡々と話を続けた。
その言葉を聞いた途端、母の口元が綻ぶ。
「ウイルの世界にも『ワコク』があったのね。」
今度はウイルヘルムが眉をひそめる番だった。
「ワコク?」
「私の生まれ故郷よ。ウイルの言う『日出ずる国』に、よく似ているわ。」
ワコク。ウイルヘルムにとっては聞き慣れない名前だったが、母の口調から察するに、少なくとも彼女にとっては馴染み深い場所なのだろう。
「そなた……母上は……ワコクのご出身なん……なのですね」
ウイルヘルムは考え込む。この世界と自分の知る世界。城塞都市が多く、人口が多い点では共通するが、明確な違いもある。
「一つ決定的に違うのは、『ソの国』の首都は、授業で聞いているここのミュンツフルトよりもはるかに豊かだった」
母は少し驚いたように目を瞬かせる。
「それほどに?」
「ああ。富の集積も違えば、中央集権の徹底ぶりも違う。都市の規模も、技術の発展も、すべてがこの世界より進んでいた。」
ミュンツフルトが貴族による支配を基盤とする分権的な都市国家であるのに対し、ウイルヘルムの前世の『ソの国』の首都は、より巨大で官僚制が張り巡らされた国家の心臓部だった。
「それに比べて、ここはどうやら地方分権の色が強いように見受ける」
ウイルヘルムの言葉に、母は微笑を深める。
「ふふっ、そういうところまで観察してるのね。さすがは私のウイルちゃん。」
からかうように言いながら、彼女は優雅に髪をかき上げる。
「……母上」
「ん?」
「母上は、余…僕の実の母親ですね?」
つい、そんな言葉が口をついて出た。母は驚くどころか、面白がるように目を細める。
「もちろんよ。……何か問題でも?」
(……ただ者ではない……)
ウイルヘルムは心の中で、改めてそう確信するのだった。
「ウフフフ」
母が心底楽しそうに笑う。その笑い声は、転生がどうこうという話をしているとは思えないほど弾んでいた。
「ねえ、どうして私があなたが転生者だと気づいたのか、分からないの?」
ウイルヘルムは押し黙る。そう言われると、確かに自分のどこでバレたのか分からない。いや、それを考える前に、まずバレるとは思っていなかったのが正直なところだ。
「……ベルタ…ですか?」
とりあえず、それっぽい答えを言ってみる。
「正解の半分ね」
母はクスクスと笑いながら指を一本立てる。
「原因は二つあるけれど、そもそも決定打はベルタの報告よ。『夢で魔族の技を学んだ』なんて、普通の人間が言うと思う?」
(……迂闊だった)
ウイルヘルムは心の中で舌打ちした。言われてみれば、そんな報告を受けたら疑うのが当然だろう。
「なるほど……つまり、余が転生者だとバレたもう一つの原因は……」
ウイルヘルムはそこで一旦言葉を切り、母の表情を窺う。彼女は興味深そうに目を細め、頬杖をついて話の続きを待っている。
「母上が以前に転生者に会ったことがあるから…ですね。」
その瞬間、パンパン! と軽快な拍手の音が響いた。
「正解!」
母は嬉しそうに頷く。どうやら、彼女にとってこの会話自体が何かの遊びになっているらしい。
「でも、詳しいことはまだ教えてあげないわ。……気になる?」
「……気にならないと言えば嘘になる…なります。」
「ウフフ、ならば正解は父ちゃんに聞いてみなさいな」
母はいたずらっぽく微笑む。その表情には、自分からは教えないという確固たる意志が感じられた。
ウイルヘルムは内心ため息をつく。まったく、肝心なところで肩透かしを食らわせるのが上手い母親だ。
(……父上に聞く、か)
しかし、銅像(半身像及び美尻ドアップを含む全身像の両方)でしか見たことない父親ごとグスタフ・ヴァイスか…目の前にいるナヲイコ・ヴァイス夫人の夫がどういった人物なのかなど想像も出来ないウイルヘルムにとって、新たな課題を与えられた気分だった。
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