決着の後

 忍び寄っている気配に、殺気ではないがこちらに対する害意に、気が付いたのかと問われればそうでもない。ただ、それはずっとリミエラから発されていたにも拘らず、踵落としで吹き飛ばした後では別の場所から感じられていた。

 両手で握りしめた短刀を、首元に向けて勢いよく振りかざそうとしたところを空いていた右腕で掴んで止める。多分それが、操るための条件なのだろう。──さてはリラちゃんがざっくりいかれたのは、顔見知りだったから油断したな?とひなたは顔で手を覆った。


 多分感情の無い、冷たい視線だけで後ろを振り返って、短刀を突き刺そうとしていた人物の顔を見た。

 明弦冥。中学時代の知り合いの一人で航行も同じ四ツ蛇高校。四ツ蛇町に住んでいる魔術師の一人でもある。四ツ蛇家が魔術師の家系であるが故か、四ツ蛇町には結構な数魔術師が住んでいるのだ。ひなたも、Fmy冥も、その内の一人だった。

 彼女が握っていた短刀を乱雑に振り払って。破損したショッピングモールの床に、鉄のぶつかった音が響き渡る。


「……で、何でこんなことしたのか教えてくれる?」

「わ……わたしは……」

「わたしは、何?これでもそこそこ怒ってるんだけど、仮にも友達と殺し合いをさせられたの。というか空は?リウナちゃんは?」

「わた……わたし……わたしは……!」

「そう怖がらせてやるものではない。小動物に対する接し方が成っていないな」

「はー……もー、面倒だな。まだ出てくるの??」


 ひなたが冥を問い詰めている最中、暗闇の奥から声が響いた。神経を逆なでするような、それで居て人を誘惑する甘ったるい声だ。リズムを刻むようにカツカツと踵を鳴らすブーツの音も気に食わない。

 薄汚れた灰色であっても、太陽の光の下を歩ける当たり吸血鬼では無いらしい。成程、アレが黒幕という事らしい。全くもって何というか、最悪な事に見覚えのある顔だった。

 最も初対面ではあるのだろうが。金色の髪、高貴さを感じさせる顔立ちに、額に刻まれているのは王冠にも似た意匠か。この前の吸血鬼擬きは随分古めかしい、中世ヨーロッパにでも出てきそうな服装だったが、今回の相手は結構現代的な服装だ。似た物で言えば燕尾服が当てはまるだろうか。

 ……なんて、疲れてしまってまともに動きそうもない体で出来る数少ない観察をしてみるが、どう見たってあれが吸血鬼擬きの原型。つまりこの事件の黒幕とか真犯人とか、その辺りだろう。


 男の言う通りに小動物の様に、適当に冥の手を振り払った所で、黒いショートカットの髪を揺らしながらそそくさと金髪男の後ろに隠れてしまった。震えたままの手がゆっくりと短刀を握りなおした様子が視界の端に映ったが、再び襲い掛かってくる様子もない。

 成程、どういう関係かは知らないが少なくともどちらにも敵対しているなんてことは無いらしい。吹っ飛ばす対象が同じなのは助かると言えば助かるが、しかし同時に分からない事も増えた。


「私、その子に話があるんだけど。返して貰える?」

「そう虐めてやるな。之でも此奴は私のだ」

「……明弦の家って悪魔崇拝もやってたの?」


 思わず頭を抱えてしまいたくなるような情報だった。いや、実際両手でそれをしていないだけで、左手はポリポリと随分荒れてしまった蒼色の髪を掻いている。

 お前は面倒毎に首を突っ込む天才だ、と良治からもリミエラからも言われたことがあるが、半分くらいは誤解なのだ。ひなたが首を突っ込むまでも無く、問題ごとの方から首を突っ込んでくることも半分くらいはある。

 今回はそのもう半分だったらしい。召喚者、リミエラを確信犯的に襲っている、吸血鬼擬きたちと見た目が似ている。空の推論と五鐘神父が提示した可能性が正しいことを、最悪の形で証明してしまった。

 いや、事態はもっと悪いと言えるか。明弦の家は──なんて言ったが、そうではないハズだ。あの家はとっくに力を失っているらしい。まだ魔術師が生まれるのが奇跡だなんて誰かが言っていたが、そんな家によりにもよって本物の悪魔を召喚してしまえるだけの力が残されているわけがない。

 一応、まだ金髪男が悪魔ではないと言う可能性も無いことは無いわけだが。


「……私は火々宮ひなた、そっちは?」

「ほう?軽率に名を明かすとは、余程自信があるようだな」

「そうでもしないと名乗らないでしょ。見当はついてないけどついてるから、さっさと名乗って」

「まぁ、良いだろう。その蛮勇に免じて名を明かそう」


 それが誰に対する礼儀なのかもきっと知らないままに。紳士のするような一礼を堂々として見せた後で、金髪の悪魔は、自らの名前を明かした。


「私の名はバエル。ソロモン72柱の序列一番に名を連ねる、悪魔だ」


 バエル。ソロモン72柱の序列一番。確かに目の前の金髪男はそう名乗った。

 控えめに言っても、最悪の名乗りだった。悪魔である事自体は予想していたし、ある程度の強力さも覚悟していた。だが流石に度合いを超えている。よりにもよってソロモン72柱の、それも序列一番目。

 どおりで恐らく眷属なのであろう吸血鬼擬きどもでさえ妙に強いはずだ。最後の一匹が振るった雷の力もそういう事なのだろう。バエル、若しくはバアルと言えば、バアル=ゼブル。旧く嵐と豊穣の神であり、キリスト教によって蠅の王に貶められた存在と同一の名を持つ悪魔。なんて、相手の正体そのものは、今はどうでも良いのだが。


「で、渡してくれるの?くれないの?」

「済まないが、それは難しい相談だな」

「そ、じゃあ私も帰るわ。リラちゃんは貰ってくけど」

「……っ」

「ほう?それが無意味であるとは考えないのか?」


 面倒なやり取りに思わず舌打ちを零す。一瞬だけ息をのんだ冥に金髪男が目線を送って、あからさまな挑発とも言えない言葉を。

 悪魔によって魂が引き抜かれているのなら元には戻らない。連れて帰っても無意味だと言いたいのだろうが、生憎とそれは一番最初に確認している。

 魂は消えていない、意識も戻りかけていた。悪魔の力の一端か何かは知らないが、他者を支配する魔術でしかないことに変わりはないのだろう。

 魔術による支配が、魔法使いに効果的とは考えづらい。というか効果的ではなかったからこそ、今ひなたの足元で眠っているリミエラは意識を取り戻しかけていたわけだが。呪いでも無ければ解除する手段など幾らでもある。


「そうかもね。でも体は変わってないし、葬儀をするには十分でしょ?」

「驚いたな、仲間意識があるとは」

「こんなでも友達だからね」


 聞いているのならば別に死んでない、なんて突っ込みが飛んできそうだが、空気を読んで黙っていてくれているらしい。冗談にしては少しキツいが、後で謝っておこう。

 腹の探り合いですらない、うわべだけ取り繕った会話は続けど、一向に襲ってくる気配は見えない。だが態々冥を回収しに来ただけというのも考えづらい。正直顔を出した瞬間に殺しに来ることくらいは覚悟していたのだが。

 右腕は痺れて動きそうにないが、血は流れていない。体力の限界も迫ってはいる物の、人一人を抱えて走り回るくらいは出来るだろう。其れで何とかなるとも思えないが、何もしないよりはマシだった。


「しかしまぁ、お前は強い。その上で厄介だ。此処で殺して、その女も持って帰った方が都合がいい」

「……でしょうね。というかおしゃべりに興じてくれてるのが意外なくらいなんだけど」

「人と話すのは嫌いでは無くてね。それに残念ながら、今の私にはそこまでの力が無い」


 自信の無力さを示すように、両手を挙げて見せる。悪魔なら態々だまし討ちをするような必要はない。油断を誘って再度此方を操る隙を伺っているのか?

 疑念に満ちた視線で金髪男を睨んで、さてどうした物かと考える。最も悪魔の言を信じるなどと馬鹿のする事なので、はいそうですかと受け入れることは出来ない。

 かといって、直ぐにでも襲ってこないという事は、力が無いと言うその発言そのものが嘘ではないことを示しているとも言えた。だとすれば何故、態々顔を出したのかが分からないが。

 得た情報を軽く纏めてみる。召喚された悪魔ではあるが力が無い。完全な召喚でもって顕現したわけではないのなら、その目的は──


「……成程、魔法使いの魂が必要なのか」

「頭が回るな。そうだとも、ついでに言えば君にはここから出る手段がない、違うか?」

「だーからってリラちゃん渡してそれじゃあさようならなんてなる訳ないでしょ」


 悪魔を顕現させるための手段には幾らでも方法があるが、今回の場合は五鐘神父の言う通り魂食いなのだろう、多分。そうなるとリミエラを操っていたのは独断なのだろうか。そんな事をする理由も分からないが。

 簡単な推論は正解だったらしく、結局のところ会話は平行線だ。魔法使いを置いていくのならここから出してやるなんて、従う義理も理由も無い。そんな事をするくらいなら死ぬ、とまではいわないが、最大限暴れまわるくらいはしてやろう。


「害するだけの力はないと言ったはずだが」

「魔法使いの魂があれば出来るんでしょ?」


 図星だったらしく、金髪男は目を閉じて首を左右に振る。其れは否定を示す物というよりは、感嘆の意を示す物の様な気がした。或いは呆れか。

 いよいよ会話も決裂と見たか、冥を置いて一歩ずつひなたの方へと近づいてくる。僅かに震える足を気合でとどめて立ち上がり、拳を握る。戦えるか戦えないかは、実際のところ問題ではない。そうする事の方が、ずっと大事なのだ。

 10m程の距離が一歩ずつ狭まって来る。カツカツとブーツが音を立てて、廃墟と化したショッピングモールの中に響き渡った。

 感じ取った死の直感からか、妙に感覚が鋭くなる。世界が僅かにゆっくりと流れて、その風景をはっきりと認識できてしまう。


 9m。呼吸の音が嫌に鮮明だ。


 8m。近づいてくる毎に人のそれでは無い気配を明確に感じる。


 7m。歪に曲がった口元が薄汚れた太陽の光に照らされた。


 6m。右手が何かを呼び寄せるような動作をする。


 5m。ぶち抜いた天井から覗く太陽が、暗雲によって覆われる。


 4m。ゆっくりと持ち上げられた右手が、ひなたに向けて翳されて──



「其処までだ」「其処までです!」


 轟くべきよりも先に、悪魔の体に向けて投擲された深紅の槍を避けるために、悪魔が大きく飛び退いて。どうやら死を免れたらしいとひなたは他人事に考える。

 思わず声のした方へと勢いよく視線を向ければ、どうやってかこの空間に入り込んできたらしい、リウナと五鐘神父、それから空の姿を認識できた。


「先日とは逆の立場ですね、ひなた」

「リウナちゃんおそーい、って、言いたいところだけど。有難う、良く来れたね?」

「其処は彼に感謝を。魔女との対話の中で情報を引き出していたようでして」

「引き出したというか、勝手に喋ってくれただけでしたけどね……」


 リウナや五鐘神父に見たところ怪我は無いが、逆に空にだけは顔に細かい切り傷が有ったり、疲れたような表情を浮かべている。分断された後、彼の側にもいろいろあったのだろう。

 だが、無事ならばそれでいいし、こうして助けに来てくれたということは、彼方の問題も一応解決はしたのだろうとひなたは納得する。何があったかは聞いてみたいが、今はそのことについて意識を向けている場合ではない。


「……降参だ。流石に聖遺物そんなものを持ってこられては今の私に勝ち目はない。それに彼方も失敗に終わったようだ」


 リウナちゃんの鋭い視線に、怖い怖いとでも言いたげな表情を返して。その後一瞬だけ空を見やる視線が妙だったが、直ぐに消えてしまった。

 空を切った深紅の槍が再びリウナの手に握られ、その切っ先が悪魔に向けられる。普段持っている槍とは別の物だが、悪魔に対して効果的な物である事は間違いなさそうだ。あの悪魔も、明確に槍を避けている。

 彼らに取っては、正に討ち果たすべき仇敵その物だろう。戦意を隠そうともしないで槍を持ったまま一歩に歩と悪魔に近寄っていくリウナに悪魔は余裕そうな表情を返す。


「逃がすとでも?」

「直ぐにそうせざるを得なくなるさ」


 パチリ、と悪魔が指を鳴らすと遠くの方から廃墟と化した灰色のショッピングモールに色が戻っていく。それと同時に遠くから聞こえてくる騒がしさには覚えがあった。

 数秒と経たない内に廃墟であったはずのショッピングモールは現実世界のそれに戻り、いつの間にか悪魔と冥は、人ごみに紛れて姿を消していた。

 違和感に気が付いたのか騒ぎになる前にリウナは持っていた槍を仕舞い、五鐘神父もそれに倣って開いていた聖書を閉じる。

 どうやら難は逃れたらしいと息を吐いて、ひなたは寝転がったままのリミエラを背負う。人の眼がある中で出来る話は、そう多くはない。


「とりあえず、此処からは離れよっか」


 誰も彼もが疲れていたようだけれど、それでもひなたのその言葉に、全員が頷いた。

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