魔法使いの戦い・2

 大きく開かれた蛇水の咢は、ひなた一人くらいならば容易に呑み込めてしまう程に巨大で、アレが生物としての性質を持ち合わせていることを鑑みても、捕食されてしまえば命はないだろう。

 が、今のひなたの体は、彼らにとって喰らうに値しない、いや喰らう事の出来ない状態になっているはずだ。天に掲げた手のひらから、業火の一つでも出せれば良かったのだけれど、生憎そういうことは出来ないので、ひなたを飲み込もうとした蛇水がかたっぱしらから蒸発していくのを、ひなたは眺めているだけだった。


 魔力を熱量へと変換する単純な術式ですら、ひなたは体内でしか構築できない。そんな自分がどうやってこの魔法を使っているのか、やっぱり今一分からないのだが、取り合えず何となっている事に違いはない。


「シャワーはお終い?じゃあ、私のターンだね……!」

「……ッ!」


 たっぷり十秒ほど続いた真上からの攻撃を身動き一つせずに防ぎ切ったのなら、堂々たる笑顔を浮かべて、今度はこちらから攻撃を仕掛ける番だとはっきり宣言する。

 その瞬間、初めてに動揺が見えた気がした。貫いていた無表情が僅かに崩れて、其れが多分、リミエラを操っている人間の物だろう。この程度で動揺するなら多分悪魔なんかじゃない。

 其れだけ分かれば十分だ、後は吹き飛ばしてからでも考えられる──!


「とうっ!!」


 ひなたの攻撃から逃れるべく、動き出そうとしたリミエラよりも早く、両足を使った跳躍で跳ねたひなたが三階の当たりにまで跳ね上がる方が早かった。そのままひなたはリミエラの背中を勢いよく右手で殴りつけて、一階まで弾き落とす。

 凄まじい勢いで落下していくリミエラを即座に追いかけたいところだが、別にひなたは空を飛べるようになったわけではないので、一瞬だけ三階の通路に着地した後で、追いかけるように手すりの部分を蹴って加速しながら落下する。


 ひなたが着地するよりも素早く起き上がっていたリミエラの反撃を許さないように瞬間的に距離を詰めて、格闘技なんて一切習っていないハズのひなたが繰り出す、妙に鋭い蹴りと拳を、何の遠慮も無く叩き込んでいく。


「反撃が無いなら気絶するまで殴り倒すけど!?」

「…………■■!」

「まぁあるよね!!」


 防御もしない不自然さと、僅かに振るわれた右腕。それから視界の左側、一瞬だけ見えたWCの看板から嫌な予感はしていたが、案の定反撃が真横から飛んでくる。この空間内においても律義に流れたままだったらしい、水道から引っ張ってきたのであろう、先ほど喰らった攻撃よりも更に巨大な一匹の蛇水が、リミエラ諸共ひなたをかみ砕こうとその巨大な口を開く。

 一旦攻撃の手を止めて、ひなたは近くにあったベンチに手を伸ばして、地面に固定されているはずのそれを左手で引きはがして軽々と持ち上げる。

 武器みたいにして大ぶりに振り回したベンチを、左側から突っ込んできた巨大な蛇水の口元に突っ込んで、その攻撃を妨害する。


「くっそ、逃がすか……!」


 だがひなたに比べてベンチが圧倒的に脆かった。攻撃こそ妨害出来たが、そのままベンチを噛み砕いた蛇水はリミエラを波のように連れ去って、中央の噴水に向かって地を這って行く。

 その巨大さと質量故か宙に浮かぶことは出来なさそうだが、それでも十分なスピードでショッピングモールの一階を這い進んでいる。追いつくのは容易でも、足止めするのは容易ではない。

 殴る蹴るの連打で倒し切れなかったのが痛い、相手に準備させる時間を既に与えていたことは十分に理解していたが、それでも倒し切れると判断したのが甘かったか。

 ひなたが無意識に手加減したなんて事も無い。初めから防御に徹されていたかと舌打ちを。


「まぁでもそれは……今のままじゃ私に勝てないって言ってるような物だよね……!」


 操られているのか、自意識を封じられて人形のようにさせられているのかは分からないが、何方にしてもあの巨大な蛇水を以てしてもひなたに勝つことは出来ないと言う判断が、リミエラを噴水へと向かわせているのだ。

 もっと言えば即時的かつ多量の水を必要としている。噴水は水が目に見えて触れられるところに流れているのもそうだが、常に湧き続けているというのも大きい。

 魔力や周囲の物体を弾丸である水に加工せずとも、すぐ傍から補充し続けられるのだから、最終的に持久戦で押し切ることが出来るという考えなのだろう。

 知らずのうちに、口元に笑みが浮かぶ。その考えは全く正しい、最も其れはあくまでも。


「私じゃなければだけどね!」


 通常の魔術師であれば、だ。そんな事も分かっていないようなら、やっぱりあれはリミエラ本人ではない。本当にが相手ならばもっと卑劣で、悪辣な手段を取る。少なくとも人の居ないショッピングモールで堂々と待ち構えたりはしないのだ。

 改めてひなたはそのことに納得して、蛇水を追いかけるように走り始める。否跳躍する。

 中央の吹き抜けを上手く利用して、通路のない隙間から何時ものように二階へと飛び上がって通路を駆ける。単に上から相手の様子を俯瞰できるというのもあるが、あの蛇水の中に入っているのなら上方向への視認が甘い事に対する期待でもあった。


 二階への跳躍が功を奏したか、単に持久力が不足していたか。何方にせよ蛇水は一度速度を落とし、口の中からリミエラが顔を出す。蛇の視界を通して周囲を確認できているわけでは無いらしい。そう言えばあれはの行使を前提にした能力だったか。

 兎も角、足を止めてくれたのは好都合だ。追いつくどころか足止めのしやすさという点においてもこれ以上の状況はない。

 そんなチャンスをひなたが見逃すはずもない、通路から身を乗り出すようにして軽く飛びあがり、仮面をつけたバイク乗りよろしく、蛇水の脳天に向けて落下の加速を乗せた跳び蹴りを放つ。


「意外と難しいんだな、あれって」


 外してしまった事への感想を口にしつつも、ぐしゃり、と骨と血肉を踏みつぶしたような感覚ではなく、ショッピングモールの硬い地面を勢い良く粉砕した振動が全身に伝わる。どうやら避けられたか外してしまったかしたようだが、僅かな動揺と驚愕がリミエラの動きを鈍らせた。

 そうと決まれば着地の衝撃など意にも介さず、ひなたは反射的に砕けた床を蹴って体を奔らせる。一瞬だけ固まったリミエラの隙を縫うように、蛇水との距離を詰めてから。巨大な蛇水の横っ面に、強烈な回し蹴りを叩き込んだ。


「おそーい!!」

「…………!」


 防御や回避すら許さない、絶対的な破壊の一撃が蛇水とリミエラを襲う。

 今度は生物の肉体のような、或いは形のない水を蹴り飛ばした感触が確かに伝わってくる。瞬時にリミエラを守るように閉じた咢事粉砕して、蛇水の巨体は吹いた風に飛ばされる木の葉のように、向かって左へと吹き飛んだ。

 ショーケースに飾られていた服やらバッグやらをガラス諸共巻き込んでは吹き飛んで、壁に叩きつけられた蛇水は力なく横たわる。ただの水に戻っていないという事はまだ生物で言う所の死には至っていないのだろうが、限界は近いはずだ。

 七つの蛇は潰した、巨大な蛇も万全に動くだけの力は残っていない。仮にまだ手を残していたとしても、ひなたに通用するようなものは無い筈だ。


「どう、降参するー?まぁしてもしなくても一回気絶はさせるけど」


 これでも一応平和主義者なので、徹底抗戦はせず一応降参する気があるかをひなたは呼び掛けて聞いてみる。まぁ無駄なことは分かっているが、自分が納得する事が大切なので、これも必要な工程だ。

 案の定帰る声はない。気絶させるよりも先に既に気絶してしまっているという可能性も考えたが、まぁ多分そんなことは無いだろう。あの一撃をもろに受けたのは蛇水の方だし、魔術師や魔法使いの強度は、人のそれに比べるべくもない。

 言葉の軽さに反して、警戒を微塵も解いてはいなかった。蛇水の方に視線を向けつつも、自分の近くからまだ何かが来ることに対して意識を割いている。吹き飛ばしたハズの蛇水に対して距離を保っているのもその表れか。

 とはいえ、殆ど勝負は着いたような物だった。自分で粉々に破壊した床や、蛇水が突っ込んだことで吹き飛んだガラスや商品、後は蛇水の出現によって破壊されたのであろう水道が、果たして元に戻るのだろうかなんて意味のない思考をする位には。

 ──そう、


「なんか……いきなり吹っ飛んだけど大丈夫なのか?」

「うわ、っていうかここ滅茶苦茶壊れてる。さっきまでなかったよね……?」

「……はぁー」


 何の前触れも無く、という訳でもないが、気が付いた時には周囲に人が集まっていた。いや、集まっていたという言い方は少し変か、どちらかというと人が沢山いる場所に、ひなたたちが飛んできたと言う方が正しい。

 灰色でモノクロの視界は、何時の間にやら目に痛いほどに明るい元の視界へと戻っていた。人を隔離するための結界が解かれ、現実世界のショッピングモールに戻ってきたという事だろう。

 思わず、ため息が出る。呆れてしまうと言うかなんというか、これが出来るなら最初からやっておけばよかったものを。傲慢さとは違う気もするが、甘いのは間違いない。

 こんなことをしでかした張本人であろう人物、現実のショッピングモールに戻ってくると同時に消えたらしい蛇水の跡から立ち上がったリミエラは、恨みがましくひなたに視線を向けて。周囲で騒いでいる一般人の事など気にも留めずに、


「術者が焦った……もしくはこっちの方が……あ、待て!」


 黒いローブは光の下だと中々目立つが、ショッピングモールは此方の事情も知らずに今日も盛況だ。それどころか軽い騒ぎを生んで近くには人混みが出来ている。

 人の波をかき分けて、或いはそれを隠れ蓑に。走り出したを追って、ひなたも走り出すが、この衆人環視の中ではおいそれと超人的な力を発揮することは出来ない。ひなたはかなり人の命を重視する方だ、少なくとも暴れまわって誰かを殺すくらいなら、何もしないことを選ぶくらいには。

 つまりまぁ、この状況はそれを見透かされて逆手に取られていると言えないことも無いが、一般人を傷つけたりしないのは多分相手も同じだろう。

 直感交じりの確信ではあるが、そもそも一般人を盾に取りつつ戦うことが出来るなら最初からそうしておくべきだった。態々リミエラをぶつけてきたのは、ひなたの実力を少なからず知って居たが故だろうに。


 それをしてこなかったという事は、若干嫌な予感がしないことも無いが、兎も角この現状もすぐに終わるだろう。結界の中に入り込ませるのが一体どのような魔術か何かなのかは分からないが、即時的に行使できる物であることは既に露呈している。

 必死に逃げ回りつつ噴水を目指しているリミエラが噴水に辿り着けば多分、自信満々で再度あの空間に戻してくれる事だろう。

 見失ってからの数分間、人並みの速度で走りながら噴水を目指したが、先を越されたらしく人並みの中に黒いローブの影を見つけることは出来なかった。

 有利な状況を作り出した挙句、負けそうになったから逃げだしたと考えられないことも無いが、そうだとすれば厄介なので、そうではないことを祈るばかりだ。


「あはは、やっぱりね?」


 遠目に噴水が見えてきた辺りで、再び視界がモノクロに変わっていく。端から転じていくその異常は現実を浸食して別の場所に塗り替え、ひなたとリミエラの存在している位置を、現実の位相から変えてしまう。

 空間転移とは少し違う。予め張ってある結界に対して、特定の人間を強制的に入り込ませるような物か。となれば此処へひなたを飛ばした術者は、リミエラを操っている誰かしらとは別という可能性も有る。

 戦いに集中して考える暇も無かったが、空の事も心配だ。今起こっている事の整理や情報共有も済ませたい。となれば早めに決着を着けてしまわなければならないが。


「いいよ、水があれば勝てるなんて浅はかな考えを正してあげる」


 自信たっぷりの笑みを浮かべて、仁王立ちでそう挑発する。噴水の上に浮かんだリミエラは、相変わらず虚ろ気な瞳でこちらを見下ろすばかりだが。

 そう、結局噴水には辿り着かれてしまった。だがまぁ、苦戦を強いられるだけで勝てないとは言っていないのだ。

 それに、今は相手もほどほどに消耗しているはずだ。支配や操りがどの程度の負担を強いるのかは分からないが、少なくとも万全で、全力を出せるとは考えにくい。

 そうであるのならば勝算もつくなと思いつつ、乱れてきた呼吸を整える。体の重さと言い、消耗云々はひなた自身にも言える事なのだが、度合いで言えば、やはり向こうの方が上だろう。


 それでもやっぱり、水を得た魚ではないが、水の近くにいるリミエラは非常に厄介だ。多分、此処で決着がつくのだろうと言う淡い予感と共に、生み出されつつある無数の水で出来た蛇と竜に相対して、ひなたは静かに拳を握った。

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