私が好きなのは私じゃない私

Seabird(シエドリ)

私と私

私が好きなのは私

「ああ、なんて美しいの……」


 鏡に映るのは、頬を赤らめ正面を見つめる一人の乙女おとめ

 私が微笑ほほえむと、乙女も微笑む。


 私、成神なるかみ璃理りりは、自他共に認めるナルシストだ。


 目の前の乙女は、サラサラの黒髪を腰近くまで伸ばし、両サイドを顎のラインで切り揃えられていた。

 いわゆる姫カットというものだ。

 私は素の自分こそが最も美しいと信じ、髪型に対しても最低限しか手を加えていない。


 私は成神財閥のご令嬢であり、今まで辛苦しんくというものを味わったことがなかった。

 望むものは全て与えられ、ついには他者に興味がなくなった。

 そしていつからか、鏡の先、絶対に手に入らない存在に対して心が惹かれた。


「またね……」


 私は鏡に手を振って、自分の髪に整髪剤をかけた。

 両手でくしゃくしゃと長い髪をかき上げ、わざとボサボサにする。

 目元には暗めのアイシャドウを塗り、肌色は血色を悪く見せるように演出した。 


 再び鏡に映るのは、いかにも自分に自信がなさそうな少女。

 私は興味なさげに、部屋を出ていく。


 今日から私は、彼女になる──



 ------



「おはようございます……」


 教室に入り、私は身を縮めながら小さな声で挨拶をした。

 気配が薄かったのか、扉付近の生徒からも気づかれることはない。


 鞄の肩紐を両手で握り、誰に話しかけることもなく窓際最後列の席へ辿り着く。


 私は窓から外を見て、ぽけーっとした。


 ここは、聖ノーブル女学院。

 いわゆるお嬢様校というやつで、全国有数のお金持ちが集まっている。

 十五歳になった私は、当然のようにこの学院に入ることとなった。


 ただ、直前になってある事実が判明する。

 それは、成神璃理を狙う何者かがこの学院に居る、かもしれないということだ。


 急遽きゅうきょ、私には別の名前が与えられた。

 ──普見ふつみ可菜かな

 成神財閥のグループ企業、普見物産のご令嬢だ。

 この企業も、実際は学院への入学のために作られたものだという。


 他人事のように思っているのは、そもそも私は私以外に興味がないからだ。

 家族とはほとんど会わないし、彼らが何をしているのかすら分からない。

 結局は全て、私にとっては客観的な情報に過ぎないのだ。


 そんな私にも、思考が過加熱を起こすほどの出来事があった。

 それは、この学院入学に際してのもう一つの要素……


「おはよう、可菜」


 私に声をかけてくれた、”私”だ。


「あ、璃理さん。おは、おはようございます……」

「可菜は相変わらずね。そんなに緊張しなくてもいいのよ」


 輝く黒髪を優雅に揺らし、優しく微笑む乙女。

 鏡の向こう側の存在が今、目の前に居る。


「きょ、きょきょ、今日は、いい天気ですね……」


 何を言ってるんだ、私は。

 隣に座る璃理に、しどろもどろの質問をしてしまった。


「そうね」


 曇天どんてんなのに、笑いながら答えてくれる璃理。

 そう、彼女は私じゃない私だ。


 私の父は、敵を絶対に許さない。

 相手を見つけるため、私の影武者をこの学院に送り込んだ。

 いつ命を狙われるか分からないのに、堂々と凛々しく振舞う璃理は、完璧だった。


 瑠璃を初めて見た入学初日。

 私は目立たないようにする演技に少し心配があったが、隣の席に瑠璃が座ったことで、それは杞憂きゆうとなった。


 立てば芍薬きくやく座れば牡丹ぼたん歩く姿は百合の花。


 まるで鏡の世界から出てきた彼女に、私の心拍は自然と上がり、無事、オドオドとした気弱な女生徒が出来上がったというわけだ。


 璃理は、私が本物の璃理だと知らない。

 それは私に危険が及ばないようにするためだという。

 私も、璃理の本名すら聞かされていない。


「璃理さんって、しゅ、好きなものとかありますか?」


 意味のない質問だと分かっていても、つい聞いてしまった。


「私」


 即答された。

 流石は成神財閥の訓練された影武者だ。


「ふふ、じょうだんよ。そうね、読書とか好きよ」


 その後の返答まで私みたいだ。


「そうなんですね。私も本、読みます。よ、よろしければ……」


 カランコロンと予鈴が鳴る。

 あらかじめ録られた音ではない、何ともおしとやかな鐘の


「授業が終わったら聞かせてちょうだい」


 左目を閉じ、ウインクをして真剣な表情に戻る瑠璃。

 その姿はどこまでも”私”で、私の理想そのものだった。




 授業の内容は、正直言ってつまらなかった。

 というのも、成神財閥によって英才教育を施された私は、すでに高校の学習範囲を終えていた。

 しかし、目立つことは許されていない。

 私の父は、璃理を狙う者を排除し次第、普見可菜という存在を消し、私を璃理とするつもりだ。

 この学院では、各界のご令嬢と繋がりを持つことができる。

 どうせ彼のことだ、そのパイプをどうしても確保しておきたいのだろう。

 そのため、いつでも璃理と入れ替われるように、学院に通えというわけだ。


「本日はこれで終わりです。この後は……頑張りなさい」


 教師の女性が、私の隣に視線を向けながら言った。

 まだ午前の時間だが、今日の無駄がやっと終わるようだ。


 私は『今日こそは言うぞ』と心に決めていたことを瑠璃に伝えるため、横を向いた。


「あ、あの、瑠璃さん……」


 私の声は、教室の扉が乱雑に開く音でかき消される。


「瑠璃様! ぜひ私たちの活動に……」「ぜひ我々の……」「私の所にも……」


 廊下からなだれ込んできたのは、学院の上級生たちだ。


 瑠璃が人混みに埋もれてしまった。

 私は大きな溜め息をつき、うなだれながら鞄に教科書を入れる。

 仕方がない、今日はこの学院の一大イベントが始まる日だ。


 聖ノーブル女学院に入学して一週間、少し慣れてきた新入生に対して手厚い歓迎が行われる。

 それは、クラブ活動への勧誘だ。


 生徒はクラブ活動という名の社交界で、上級生や他クラスの生徒と繋がりを持つ。

 人気なところは推薦なしでは入れないと聞くが、璃理なら大丈夫だろう。

 そもそも彼女らは、璃理に近づきたいだけの生徒たちだ。


 私はうんざりして、璃理の背後を通りすぎる。


 ”私”がひとりひとりに笑顔で応対していた。


 その光景が、私は嫌いだった。




 教室から出て、学院敷地内にある寮に向かう。

 その道中には、つたにまみれた旧校舎があった。


 この学院は生徒の親の権力によって、住む寮が分けられている。

 主に警備の優先順位で、上から順に決めているのだ。

 もちろん私は最底辺。

 最も遠い位置にある、古い外見の建物が私の住居だ。


「君、面白いね」


 歩いている途中、誰かに声をかけられた。


 声の元をたどると、旧校舎の二階、一つだけ開いた窓に人の顔が見えた。


 私はちらりと相手を確認して、歩みを再開する。

 相手にしたらダメな奴だ。


「君だよ! 君!」


 上から大きな声が聞こえるが、無視を貫こう。


「あーもう! 君たち、出番だよ!」


 道の端、草むらから二つの人影が飛び出してきた。

 

 私は、いきなりのことに対応できず、両腕をつかまれてしまう。


「な、なんですか……」


 私の弱弱しい声が響いた。

 関りたくなかったが、こうなってしまってはやるしかない。


 二階から声をかけていた人が『とうっ!』という掛け声と共に、地面に飛び降りる。

 そして、大きな胸を揺らしながら綺麗に着地した。


「いった~!」


 と思ったら、脚を抱え、地面に転がり始めた。


「部長、流石にこの高さは厳しいっすよ。体重を考えてください」


 私の左側、褐色で短髪の女生徒が呆れながら言った。


「あはは! ゆっちー、バカみたーい!」


 私の右側、規則ギリギリを攻めるように制服を着崩す女生徒が、ゲラゲラ笑っている。

 よく見たら、髪の裏を紫色で染めているようだ。


「うるさいな、いけると思ったんだよ。ただ、良いことが分かった! 二階から飛び降りると、足がジーンと痺れる。これも貴重な経験だ!」


 私の目をしっかりと見つめながら近づいてくる人。

 私はその相手を認識したくない。

 奴は学院全体から恐れられた狂人……


「我は尊院そんいん夢莉ゆうり! 君の願いを何でも叶えてあげよう!」


 彼女の目には狂気、そして真実が映し出されている気がした。

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