第3話 作家アーサー・ポーカー視点
もう何年も長いこと僕の作家生活を支えてくださっているパトロンの一人、アレクサンドル・クローバー伯爵が突然訪ねて来た。
伯爵との付き合いは、後に僕の看板シリーズとなる、『白薔薇令嬢の可憐なる推理』が発売された直後のことだ。もっと作品に幅を持たせてみてはと児童書の執筆を打診され、少し肩の力を抜いた文体のミステリがあってもいいかもしれないと物は試しにと書いてみた作品である。これが自分でも思った以上に当たった。子どもだって、冒険小説やお姫様の小説ばかりを好むわけではない。少し背伸びをし、大人に混じってミステリを読みたい者もいる。
どうやら伯爵もその一人だったらしい。
いや、伯爵が、というよりは彼の『一番大切な人』が、だ。
『どうかどうかもっと色んなお話を書いてください、僕の一番大切な人が大ファンです、僕も応援しています。』
何せ、こんな手紙を送って来たのだ。
きっと伯爵自身はそうでもなかったのだろう。彼の一番大切な人、というのが誰なのかはこの時はわからなかったけれど、新刊を出す度に届く手紙を読むうちに、だんだんわかって来た。大切な人というのは、伯爵のご両親やごきょうだい、親戚、使用人などではなく、彼の好きな女の子のことだろう、と。
同封されている、その年齢の子どもが贈るにしては目ん玉が飛び出るような額が記載された小切手をありがたく頂戴し、僕はその寄付金ももちろんだけれど、小さくも巨大すぎるファンからの励ましを得て、書き続けた。児童向けの『白薔薇令嬢の推理シリーズ』だけではなく、大人向けの本格ミステリ『黒薔薇令嬢の推理シリーズ』も大ヒットし、人気作家としての地位を確立出来たのは、ひとえに彼のお陰なのである。
その伯爵が、訪ねて来た。
手紙でしかやり取りをしたことがない相手だ。
結婚が発表された際の号外でそのご尊顔は拝見させていただいたが、噂にたがわぬ鉄仮面で、「もしやあまり結婚に乗り気じゃないのか?」と疑ったものである。てっきり、そのお相手こそが『一番大切な人』だったのでは、と思ったのだが、ちっとも嬉しそうに見えない。もしや僕の読みは外れたのだろうか。が、記事を読めば、確かにお相手は伯爵の『一番大切な人』で間違いないらしい。こちらが赤面するほどの熱愛ぶりで、この記事を書いた記者の筆力の高さに驚いた。君はいますぐ記者を辞めて恋愛小説を書いた方が良い。
さて、その伯爵はというと、まずは、突然の訪問を詫びて来た。まさかまさか彼のような身分の方から頭を下げられるなど夢にも思わず、危うく腰を抜かしかけたが、とどめに「先生」と呼ばれていよいよ僕の腰は終わった。その場にぐしゃりと崩れ、「どうかお願いですから、名前を呼び捨ててはもらえませんかぁぁ」と懇願したのが、最初の会話となったのである。
けれど伯爵は噂通りの真面目な御仁のようで、「尊敬する御方を呼び捨てには出来ません。どうかお許し願いたい」と断った上で、僕のことを『ポーカー先生』と呼んできた。こうなれば、断る方が不敬だ。僕はもう諦めた。それにしても、一体何の用で来たのだろう。
「実は、ポーカー先生に折り入ってお願いがございまして」
「は、はい。何でございましょうか」
ちら、と向かい合う彼の背後に立つ老人を見る。さすが伯爵のお付きの方だけあって、かなりの高齢のように見えるが、姿勢も正しく、品がある。そんな彼が持っている鞄の中が怖い。あの中には何が入っているんだ。よもや札束がぎっしり詰まっているのではあるまいか。それで何をお願いされるのだろう。これまでの支援を考えれば、殺人を依頼されたとしても受けなくてはならない気さえしてくる。いや、ペンを握ることしか出来ない非力な僕にそんなことを依頼はしないか。
何だろう、作家である僕にお願いするわけだから、もしや、彼の望み通りの話を書いてくれとか、そういうやつかな。うん、むしろそれだろうな。人を殺してくれ、ってよりはずっとあり得る話だ。でもなぁ、プレッシャーだなぁ。いまでも担当にせっつかれながらヒィヒィ書いているってのに。そっちに割く時間があるかなぁ。でも受けなきゃだよなぁ、これまでの寄付金を考えたら絶対に断れない。
「大人気作家であらせられるポーカー先生がお忙しい身であることは重々承知しております」
だよな。
うん、やっぱりそうだな。それだな。
いやもうこれは受けるしかない。
だって伯爵のお願いだもんな。
担当にはそう言って締め切りを待ってもらって。
そう考えて覚悟を決めていると、わずかにも表情を崩さない、静止画のような伯爵が、「ルーベルト」と後方で待機している老人を呼んだ。彼は「は」と短く返事をし、こちらにやって来て腰を落とした。手にしていた鞄をテーブルの上に置いて、かぱ、と開ける。
その中に入っていたのは――。
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