思いつく限りの最上を最愛の君に(あげたかった)。

宇部 松清

第1話 アレク視点

「坊ちゃま、さすがにそれはどうかと」

「何だと?」


 執務室である。

 

 ルーベルトが眉を下げ、ふるふると首を横に振った。


「エリザには僕が考えうる限り最上のものを贈りたいんだ」

「それはわかりますが」


 デスク上の『ホワイトデー計画書』に視線を落としたルーベルトが、「さすがにこれは」と難色を示す。


「エリザ様の等身大クッキーというのは、いささか……」

「『最上』という言葉の響きだけで反射的にエリザを思い浮かべてしまったが、確かに、いくらクッキーであっても、エリザの形をしたものをオーブンに入れる、というのはまずかっただろうか」

「というか、そもそもウチにはその大きさのクッキーが入るオーブンがございませんし」

「そうか、そこからだったな……」


 ではまず、その大きさのものを焼けるオーブンを庭に作らせよう、とデスクの上にある電話の受話器を取り、各所に内線をかける。話が終わるのを待っていたルーベルトが、「そうではなく」と口を開いた。いまさら否定されても依頼してしまったが。


「坊ちゃま、落ち着いてくださいまし」

「僕はいつだって落ち着いている」

「坊ちゃま、よーくよーく考えてみてください」

「なんだ」

「仮に、そのクッキーが出来上がったとして」

「うん」

「それをお召し上がりになるのはどなたで?」

「それはもちろんエリ――、あっ」

「お気付きになられましたか」

「いま気付いた。ありがとうルーベルト。どうやら僕は冷静さを欠いていたらしい」


 エリザにエリザを食べさせてどうする。


 ルーベルトの言う通り、どうやら僕は冷静ではなかったらしい。


 フゥ――――、と細く息を吐き、心を落ち着けるために壁に飾られた『それ』を見る。先日、愛しのエリザから贈られた『チョコレート』だ。チョコレートというか、神のいたずらか、彼女の石の聖女としての加護が発動してしまい、それはそれは堅牢な物体に変貌した『元チョコレート』である。手のひらで温めても溶けることはなく、爪を立てても欠けることのないそれは、微かに甘い香りを放つ石だ。


 彼女は僕のために時間を割き、あの美しい白く柔らかな手をチョコレートで汚して、一生懸命頑張ってくれたはずだ。チョコレートと向き合っている間は、きっと僕のことをたくさん考えてくれただろう。そう考えると、それだけで胸がいっぱいになる。出来上がったものが食べられるか食べられないかは問題ではない。


 これをバレンタインにエリザから贈られた時、僕はあまりの幸福に危うく天に召されるところだった。だってそうだろう、最愛の人が僕のためにしてくれたことだ。もし仮に、無事、食べられるチョコレートが出来上がっていたとしても僕は防腐処理を施して飾っただろう。だから、結果としては同じことである。ただ、食べられるチョコレートだったなら、おそらくエリザは食べて欲しかっただろうし、そういう意味では好都合だったと言える。


「しかし坊ちゃま」

「どうしたルーベルト」

「ホワイトデーは3月14日では」

「そうだ。それがどうした」

「本日は2月16日でございます」

「その通りだ」

「いささか準備が早すぎるのでは」

「何を言うか。準備というのは、早すぎて困ることはない」

「確かに」

「それに、僕には他にも仕事がある。そう考えれば、時間などいくらあっても足りないし、昨日と一昨日は喜びを嚙みしめるだけで終わってしまったからな。ただでさえ2月は28日までしかないというのに。だから正直焦っている」

「左様でございましたか。失礼いたしました」

「良いんだ。遅れを取り戻すためにも、まずは方向性を定めなくては。力を貸してもらえるか、ルーベルト」

「坊ちゃまのためでしたら、このルーベルトいくらでも!」

「ありがとう、心強い」


 ルーベルトは幼い頃からずっと僕を支え続けてくれた、この屋敷で最も頼りになる男だ。彼が協力してくれるなら、きっと今回も上手くいくだろう。楽しみにしていてくれエリザ。クローバー家当主の威信にかけて、きっと君が喜ぶ最上のお返しをしてみせる。

 

 そう決意していると、ルーベルトが、「そうだ」と顔を上げた。


「坊ちゃま、こういうのはいかがでございましょう」

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