魔女学園の二輪華

蒼井華音

第一章 編入と決闘

プロローグ 秘匿世界への侵入者

 ――魔法世界。


 そう聞いて皆が連想するのはどういったものだろう。

 隠されたホームから発車する汽車に乗せられてたどり着くもの?

 突如として現実世界のどこかに現れた謎の扉を抜けた先に存在しているもの?


 しかし、ここはそのどれにも当てはまらない。いや、あるいはそのどれでも当てはまるのかもしれない。


 なにせ、ここは“秘匿されし魔法世界”。その正確な道筋すらも誰ひとりとして知りえない、完全に閉鎖された世界。魔法を扱える稀有な存在である『魔女』。古に起こった魔女狩りにより世界を追われた者たちがつくり出した最後の理想郷である。

 そして、この世界に唯一存在する学園――ネブリーナ魔法学園には、魔女を志す若者たちが集い、日々ライバルたちと切磋琢磨し合っていた。


 そんな魔法学園高等部、中庭。夕日に染まる橙の空に目を細めながら、すっかり日課となっている放課後の見回りに精を出すひとりの生徒がいた。


「お疲れ様。今日も皆頑張っていて偉いね」

「く、クレリア先輩っ! せ、先輩こそ、いつも見回りお疲れ様、ですわっ!」

「ああ、ありがとう。その言葉だけでもっと力が湧いてくるよ」

「「キャーッ!」」


 ただのお礼と力こぶをつくるようなジェスチャーだけで、怒涛の勢いで押し寄せてくる黄色い声の波。これにはさすがに苦笑いが隠せない。その後も、部活動に勤しむ下級生たちからの黄色い声援を背に受けながら、クレリアと呼ばれた彼女は若干ぎこちない笑顔とともに校門の方へと足を向ける。


 行く先々でのこの大声援だ。さすがに疲れも見え始め、額に滲んだ汗を指で少し払った後、クレリアはそれでも満足そうに息を吐いて校舎を見上げた。


「ふぅ……。今日も何事もなく平和に……――」


 そう締め括り、学生寮へ戻ろうかと一歩踏み出した瞬間、遠くの方から空気をビリビリと揺らすほどの爆発音が届いてきた。


「……っ!? いったい、何が……!」


 あたりを見渡す。まだ誰も状況が呑み込めておらず、互いの顔を見合わせるばかり。


 ――こうしちゃいられない。


 考えるよりも一瞬早く、足が勝手に爆発音の発生源――町のはずれへ向けて一歩を踏み出していた。


 何者かの襲撃か。それとも何かの事故なのか。

 原因も内容もすべてが謎に包まれたまま、漠然とした焦燥感のようなものに駆られてクレリアは街中を駆ける。幸い、今は見回り中で特別に魔法杖の携帯が許可されており、すぐにでも不測の事態に対処できる準備が整っている。


 腰に佩いた短杖に触れ、逸る気持ちを落ち着かせながら駆け抜ける。そして、人だかりを抜けた先で目にしたのは、爆炎の中たたずむひとりの少女と、それを取り囲む警備隊の面々だった。


(女の子……? それも、ボクと同じぐらいの……)


 一瞬、その襲撃者のイメージとあまりにかけ離れた容姿に、目を丸くする。が、彼女の足元に転がる幾人もの後輩たちの姿を認めると、僅かな躊躇いすらもなく腰の短杖を抜き放ち、その先端を少女へ突きつけて声を張り上げた。


「答えるんだ、侵入者ッ! そこに倒れている彼女たちへ手を出したのは、君かッ!」


 努めて冷静に、激情のまま熱くなり過ぎないように意識しながら問いを投げかける。

 すると、クレリアの声にようやく後輩らの存在に気づいたかのように目を向けると、少女は「さあ?」と肩をすくめつつ首を傾げてみせた。


「なっ……!?」


 抑えていた怒りの温度が急激に跳ねあがり、沸点すらも振り切って理性の糸を弾け飛ばせる。


「ネブリーナ魔法学園高等部、警備部所属クレリア。ただ今より、侵入者の捕縛に移ります! 魔法使用の許可をっ!」

『申請を許諾。魔法使用を限定許可します』


 喉にじんわりと痛みが走るほどに声を張り、銀のブレスレットから届くアナウンスを聞き届ける。そして、それを聞き終えるや否や、クレリアは木の短杖の先端をまるでタクトのように動かし、虚空に線を描いていく。


「……ふぅん」


 次々と描かれていく線と円と見たこともないような文字の羅列。それが組み合わさり、ひとつの『陣』を形づくった直後、そこから顔よりも大きな火の玉が虚空から突如としてその場に現れた。


「『敵を穿つ、炎の矢よ』――ッ!」


 そう唱えた瞬間、火の玉が矢のような形状へと変化し、複数に分裂。それらはクレリアが杖の先を少女目がけて振り抜いたと同時、一斉に少女へと殺到した。


 目にも留まらぬ速度で飛来する炎の矢たち。しかし、彼女はそれを臆することなくきっちり見据えた後、まるで道端に転がっている石ころを避けるかのような身軽さでそのすべてを避けきって見せた。


「……うん。さっきよりかは、まだ見るに堪えるレベルね。いいじゃない」


 何もない地面に着弾し燃え盛る爆炎を背に、少女は不遜な態度を貫き続ける。

 いつもなら、その程度の安い挑発に乗るクレリアではない。が、今の頭に血がのぼっている状況で、正常な判断ができるはずもない。

 苛立たしげに唇を噛み、次なる一手を構える。


「『敵を射抜く、光の矢』。そして、『すべてを呑み込む、水の奔流よ』――ッ!」


 連続で二つの魔法陣を描き、即座に撃ち放つ。

 ひとつは降り注ぐ光の矢の群れ。もうひとつは蛇のように身をくねらせながら襲いかかる水の奔流。だが、それすらも目の前の少女はいとも簡単に捌き、僅かな隙間に身を滑り込ませ、切り抜けてくる。


「これが『魔法』……、これが『魔女』……。フフッ、そうこなくちゃ面白くないわね!」


 相手は魔法を使っていない。それどころか、魔法を初めて目にしたような反応まで見せている。そんな相手にどうしてこの激流のような魔法たちが一度も掠りすらしない?


 ――意味がわからない。頭が現実を受け入れられない。


 混乱する頭の中、クレリアはそれでも自身の務めを果たそうと、次なる魔法の準備にかかる。次は逃げる隙間すらもないほどの密度で……。

 そこまで考えた瞬間、横合いから伸びてきた手に、クレリアは意識を中断させられた。


「両者、そこまで。これ以上は暴れてくれるな、二人とも」

「が、学園長……!?」


 しわがれた声を発する主の方へ視線を向けると、そこにはひとりの老婆の姿が。背丈以上もある長杖を手にした彼女は、「でも……っ!」とまだ食い下がろうとするクレリアを窘めつつ、目の前の少女に声をかけた。



「――アンナ。なぜお主がここにおる?」



「ちょっと耳にしたの。魔法世界のウワサを。だから、来れるか試してみようかって」

「ふんっ! そんなご近所感覚でホイホイ入ってこられても困るんじゃがな」


 いかにも親しげな二人の会話に、周囲の誰もが目を丸くしたまま動きを止める。

 その空気に耐えかねたのか、クレリアがおそるおそる皆が感じているであろう疑問を口にした。


「あ、あの、学園長。その子とはお知り合いで……?」

「ああ。我が腐れ縁の旧友、その孫娘が奴じゃ。まったく、余計な奴を送りつけてきよって、あやつめ……!」

「えぇ……」


 秘匿世界に謎の襲撃者が現れたうえに、その犯人は学園長の旧友の孫娘だったという。


 信じられないことから信じられないことが起こると、人の脳というものはいとも容易くパンクしてしまうらしい。

 その日、クレリアはその事実を自らの身をもって知ることとなった。

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