第6話
雨粒が落ちて跳ね上がる水しぶき、雨に打たれて散る木の葉、傘の上で弾ける雨音、夕暮れ間近のネオンに反射する水たまり。様々な要素が混ざり合い、この世界を形作っている。
まるで人知れぬ場所から妖怪が生まれそうな――この世に妖怪がいたらいいのに。
帰り道。毎日歩くはずの道が雨のせいで異常に長く感じる。
今日は何日目の雨だろう?思い出せない。ぼんやりと考えながら、ようやく家に着いた。
鞄を下ろすと、まず弁当箱を取り出して洗い、それから自分のことに取り掛かる。
小説を読もうか?
本棚の前に立ち、選ぶ。前回買った小説の続きを読む絶好の機会だ。だが、最後に読んだ本をどこに置いたか、どうにも思い出せない。
私は実体のある本を収集するのが好きで、電子書籍より紙の感触、印刷インクの匂いが安心感を与えてくれる。
出版社ごとに異なる紙とインクの組み合わせも面白い。
ただ、整理整頓は苦手で、読み終えた本をどこに置いたか忘れてしまう。
美穂に見つかったら、きっと呆れられるだろう。
散らかった本棚を見て、久しぶりに整理しようと決意した。本棚の本は大きく分けて3種類、実用書、純文学、ライトノベルだ。
その中で実用書はわずか6冊、残りはほぼ半々だ。著者や内容ごとに整理しているうち、外の雨音に気づかぬうちに1時間以上が過ぎていた。
それでも雨は降り続いている。本当に長雨だ。
新井さんがいつ帰宅するか気になる。雨なら普段より遅いだろう。
連絡先を聞いていないことを後悔する。
恋人と言いながら、彼女の好みも欲しいものも、連絡手段さえ知らない。恋人として失格かもしれない。深いため息が漏れる。
隣の物音がしたのはさらに30分後。新井さんが帰宅したようだ。
彼女の部屋をノックすると、慌ただしい足音が近づき、ドアが開いた。新井さんは雨に濡れたらしく、シャツに湿った跡が滲み、こめかみの髪も水滴を宿していた。
「お帰りなさい」明るい声で迎えられ、新品のスリッパを出される。
青地にウサギの絵が描かれたスリッパだ。「私用?」
「デパートで見かけて、似合うと思って」
他人の家に専用スリッパを持つ不思議な感覚。弁当箱を渡しながら履き替えると、浴室から水音が聞こえる。
「お風呂に入るつもり?」
「ええ、びしょ濡れだから早めに浸かろうと思って」
タイミングを誤った気がする。そろそろ帰ろうかと思った瞬間、「一緒に入らない?」彼女の瞳がキラキラと輝く。あまりに急展開だ。
「いや、遠慮する」保守派の自分には無理な提案だ。
新井さんがしょんぼりすると、「ごめんね、焦りすぎた」まるでいじめられた子のような表情。
はぁ……。
「早く入ったら?ここで待ってる」濡れた服で風邪を引くなんて嫌だ。ソファに腰を下ろすと、新井さんはもぞもぞと着替えを探し始める。大人の風格が微塵もない。
ぐずぐずする姿を見て、つい口を滑らせる。「洗ってあげる?」単なる催促のつもりが、新井さんの目が突然輝いた。
「本当に!?」
背の高い艶やかな女性が、幼稚園児のように喜ぶ。拒む言葉が出ない。
「まあ……いいけど」気がつくと浴室で、裸の新井さんと向き合っていた。
幸い私は服を着たまま。
背を向けて腰掛ける彼女の首筋から背中にかけて、暖色の照明が滑らかな肌を浮かび上がらせる。緊張した背中の蝶々骨が美しい。
「髪は先に洗わないの?」
「髪は自分で洗うから、背中を流して」
無言でスポンジを握る。
「はいはい」
手のひらにたっぷりとボディソープを泡立て、新井さんの背中に塗り広げる。
温かい背中はかなり敏感らしく、触れるたびに身体が微かに震える。
怖がっているのだろうか?それでも私に体を洗わせるなんて、新井さんという人は本当に理解できない。
沈黙が続くのは気まずい。何か話さなければ。
「好きなものはある?」そんな話題でもいいだろう。
「好きなもの?」
「そう」
「小霜月が私のことを知りたがっているの?」
「まあね」
新井さんの声は少し落ち着いたようだ。「抱きしめるのが好き」そんな答えが返ってきた。
「それ以外では?」
今度は新井さんはしばらく考えてから、「お金、たくさんのお金が好き」と言った。
「使い切れないほどお金があったらいいな」
「使い切れないほどお金があったら、どうする?」
「あなたを買う!」新井さんは迷いなく、断言した。
「……人身売買は違法だよ?」
「買っちゃダメなの」新井さんはがっかりした様子で、しばらくしてまた続けた。「じゃあ、私があなたを養うのはどう?」
「……じゃあ、私を養うのにいくら使うつもり?」まさか自分が養われる側になるとは思わなかった。複雑な気持ちだ。
「え、わからない」
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