第35話 昼と夜と
「はい、やめ!」
試験監督の教師が、試験時間の終わりと告げた。
そして、3日間にわたる期末試験期間も、同時に終わったんだ。
これですかっと夏休みに……という訳には、いかないんだよな。
無事に赤点回避ができているかどうかは、まだ分からない。
それに放課後倶楽部の件だって、まだ解決していないんだ。
『試験が終わったら出かけようよ。お疲れ様会!』
星見さんから、そんなお誘いをもらっていたんだ。
今日の午後はこれからはフリーだ。
だから、二人でお出掛けをすることになっている。
がたがたと椅子や机が揺れる音がする中、俺も席を立った。
廊下に踏み出そうとした刹那、すぐ傍の席で俯く桐瀬から声がかかった。
「秋葉、帰るのね。今日の夜はよろしくね」
「……ああ、その時には、戻って来るよ」
そんな会話だけ交わしてから、まっすぐに校庭の片隅に身を寄せた。
もう暑い季節だ。
そんな中でも、運動部は大事な大会を控えていたりする。
試験も終わった今日からは、きっとまた、体育館や校庭が、賑わいをみせるのだろう。
「秋葉君、お待たせ!」
「いや、俺も今来たとこだから、大丈夫」
待ち合わせ場所に来てくれた星見さん、今日も可愛いな。
いつもは付けていない赤い髪飾りも、よく似合っている。
「新しく出来たスウィーツ屋さんがあるんだ。そこ行ってみない?」
「うん、いいよ。そうしよう」
いつも歩いている駅へと通じる道、何だか別の場所のように感じる。
期末試験が終わった開放感、それに星見さんと一緒にいる時間。
自然と胸が高鳴って、足取りが軽い。
星見さんが連れて行ってくれたお店は、真新しい白壁に囲まれた洋風のカフェだった。
入り口の横に置かれた、開店を祝う花輪が鮮やかだ。
店員のお姉さんに案内してもらった席で、向かい合って腰を降ろした。
「わあ、色々ある。どれにしようかな。ねえ、別の物を頼んで、半分こしよ?」
「うん、分かった。じゃあ、星見さんが二つ選んでくれていいいよ」
「えっ、いいの!? ありがとう。じゃあどれにしようかなあ……」
二人でメニューに真剣に目を落としてから、季節のフルーツタルトとチョコケーキをオーダーした。
一緒に運ばれてきたコーヒーの香りが、鼻先をくすぐる。
「テスト終わったね。どうだった?」
「一緒に勉強してもらったお陰で、中間の時よりは自信あるよ。赤点が無いと信じたいなあ。補習授業は面倒臭いから」
「そうだね、後は結果待ちだね。あ、美味しいな、これ」
フルーツタルトの欠片を口にした星見さんの顔に笑顔が浮かぶ。
こっちはチョコケーキを半分に切って、その片方にフォークを入れた。
ほどよい甘みと苦味が、舌を楽しくしてくれる。
「お祭り楽しみだな。久しぶりに、浴衣でも着て行こうかな」
……え、浴衣……? 星見さんの……?
どんなのだろ……赤い浴衣、白い浴衣、緑の浴衣……きっとどれも似合うだろうな。
つい想像してしまって、頬が火照ってきてしまう。
「うん、い、いいんじゃないかな」
「そうかな? じゃあ考えてみるね。あ、こっちも食べる?」
……ええっ!?
食べかけのフルーツタルトを、そのまま差し出す星見さん。
これって、そのまま食べ進めると……
「ん? どうしたの、秋葉君?」
「いや、このまま、食べていいの?」
「う、うん……秋葉君は、嫌かな? こんなの……? 私の食べかけだし」
「ううん、そんなことは、ないよ!」
これ、間接キスに、なるよな?
代わりにチョコケーキを渡して、気を使って念のため、彼女が食べた方と逆の方にフォークを突き刺した。
サクサクの触感が歯ごたえを楽しませてくれるし、新鮮な苺の酸味とクリームの甘さとがハーモニーを奏でている。
ちょっと緊張しながら、そのまま食べ進めていって、……
正直に言って、あまり味が分からなかった。
優しく微笑む星見さんも目の前にして、小恥ずかしさを隠すのに必死だったから。
「やっぱり美味しいね、ここ」
「うん、そ、そだね」
「秋葉君は夏休み、何か予定はあるの?」
「ううん、特には。家でのんびりと過ごすことが多いかな」
今年は真菜の受験も控えているので、家の予定は控えめだ。
真菜からは勉強を教えてくれと言われているけれど、俺の頭でどこまでできるのか、大いに不安だ。
「じゃあお祭りの後も、どこかで会えたらいいな」
「うん。また、どこかでね……」
甘い午後の時間を終えて星見さんにさようならをしてから、しばらく辺りをぶらついた。
そして暗くなった頃、また学校へとUターンだ。
これから、やることが待っている。
甘くてときめいた世界から、憂愁が漂う世界へ。
切り替えよう、しっかりと。
桐瀬と落ち合って、音楽室の方へと向かった。
すると今日もやっぱり、ピアノの音が流れてくる。
ショパンの名曲、別れの曲だ。
軽やかで優しくて、物悲しさをたたえた旋律が、暗い廊下を染める。
そして音楽室の前に、人影があった。
「こんばんは、横山先生」
桐瀬が挨拶をすると、人影もそれに応じた。
その主は横山先生、音楽教師で、音楽部の顧問でもある。
今夜ここで話ができるように、約束をしていたんだ。
「やあ、こんばんは。こんな時間に何の用だい?」
暗がりの中で優しげに笑む彼に、桐瀬は何喰わない顔で言葉を続ける。
「六年前のことでお話を伺いたいんです。それにはこの場所が一番いいんじゃないかと思いまして。この時間なら、余計な邪魔も入りません」
すると途端に、横山先生が怪訝そうな表情へと変わる。
「六年前……?」
「はい。先生がこの学校で学生をしていた時のこと。亡くなった関川静江さんと一緒に」
「…………」
表情が硬い。
無理もない、いきなりの直球だからな、桐瀬は。
「どこでそんな話を聴いたのか知らないけれど、今さらそんなことを聴いてどうするんだ?」
「どうなるのかはまだ分かりません、話の内容次第です。でも私たちにとって、それに先生や関川静流さんにとっても、大事な話かもしれません。先生と静江さんとのこと、教えてもらえませんか? 辛いことを思い出させてしまって、申し訳ありませんが」
横山先生は。警戒の色を隠さない。
「……君たちの目的は一体何だ? 今さらそんなことを聴いて、何をどうしたいんだ?」
「静江さんが無念に感じていたのだとしたら、それを晴らすため。そしてそれは、先生にとっても」
「一体……君たちは何がしたい? どこまでのことを知っている?」
「ただのお節介な生徒ですよ。けどきっと、先生が思っている以上のことは、分かっているつもりです。私も、秋葉も。先生の力にもなりたいんです。だからどうか」
暗い音楽室からは変わらず、しっとりとした美しい旋律が流れてくる。
作曲者自身もこよなく愛した名曲だという。
そんな中で横山先生は、静かに口を開き始めた。
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