第26話 七不思議
梅雨の空はどんよりとしていて、そのお陰で太陽の光は少な目だ。
でもじめじめとして蒸し暑くて、校庭に立っているだけで汗が噴き出してくる。
こんな日に外でランニングだなんて、学校はどうかしてるぞ、全く。
「女子はプールかあ、いいなあ」
「なあ、後で覗きにいってみるか? 女子高生のスクール水着を生で見られるチャンスだ」
「バカ。谷山に見つかったら、一週間便所掃除の罰だぞ」
この佐鳴ヶ峰高校では、毎年夏に、プールの授業がある。
男女は別々で入ることになっていて、今日は女子の順番なのだ。
そっちを覗きたいのは男子生徒の心情としては痛いほど分かるけど、『鬼軍曹』の異名を持つ体育教師谷山は、決してそれを許さない。
もし見つかればパワハラギリギリの叱責を受けてから、誰もやりたがらない罰が下されるのだ。
「よし、グラウンド10周、始めえ!」
走り出してすぐに汗が噴き出して、体操着が塗れそぼる。
これを10周……今のだらけきった肉体には、拷問に近い。
「なあ秋葉、それ暑くないのか、長袖?」
「え? ああ、まあ暑いけどさ」
不思議に思ったのか、同じクラスの一人が、息も絶え絶えになりながら、小声で話しかけてくる。
今ここにいる生徒はみんな半袖姿で、長袖を着ているのは俺だけだ。
「仕方ないんだよ、俺は日光アレルギーだ。しかも長袖しか持ってないんだよ」
「そっか。お前去年のプールでも、長袖のスウィムスーツを着てたもんな。じゃあ夏は苦労するな」
「まあな。でももう慣れっこだよ」
「なあ、お前は興味ないか? 女子のプール」
おい、俺を悪の道に引きずり込むのは止めてくれ。
その代償が一週間の便所掃除だなんて、割に合わない。
「お前、桐瀬って知ってるよな? ずっと机に座って勉強してるやつ」
「ああ、ちょっとはな」
「俺、あの子に興味があるんだよな。水着を着たら、きっと凄いんじゃないかってな」
それは多分、胸のことを言っているのだろう。
そうだろうな、そこだけを見ると、クラスで右に出る女子はいない。
もっとも、あいつの裏の姿を目にすると、きっとここにいる誰もが卒倒しかねないけど。
「でもあいつ、たまに教室にいないんだよな。保健室にでも行ってんのかな?」
「さあ……どうなんだろうなあ……」
俺と桐瀬は一、二年とずっと同じクラスだけれど、たまにそんなことがある。
そのほとんどは放課後倶楽部の指令をこなすため、校内を動き回っているのだろうけど。
「もしかして、アレの日がしんどいとかかなあ?」
知らねえよそんなこと。
それより、走りながら喋るのはキツイんだ。
「あと10分! 10周走れなかった奴は、居残りで便所掃除をさせるぞ!!!」
おいおい、勘弁してくれよ谷山先生。
今どきスポコンなんて、流行らないって。
そんなだからアラフォーになっても、独身のまんまなんじゃないか?
何とか無事に校庭10周を走り終えてから教室に戻ると、今しがた噂になったばかりの桐瀬がいて、いつものように何かの本に目をやっていた。
それにしても、相変わらず見事な……
「なに? 触りたかったら一回一万円。でも今は特別サービスで、八千円でいいわよ」
「そのディスカウントは魅力的だけど、お前それ、俺がうんよろしくって言ったら、ここで触らせてくれるのか?」
「えっ!? あのえと、ちょっとここでは……なに? あなた、本当に触りたいの……?」
なんだよ?
自分から言い出しておいて、照れてないか、こいつ?
「そ、それより、真宮さんからお呼びがあったわよ。放課後に生徒会室で集合だって」
「そか、分かった」
上京さんと多々良の件、何か分かったのかな。
「なあ、それ、六千円にならないか?」
「……! だ、だめよ。私は自分を安売りしないから」
「そっか……あ、次の報酬、それにしようかな。桐瀬のおっぱいを十回揉めます券」
「……こ、殺すわよ、あなた……」
いかん、これ以上のたまったら、本当に殺されかねない。
でも裏の顔のこいつなら、一回八千円でも、飛びつく男子は多いだろうな。
◇◇◇
放課後の生徒会室は、いつもとは少し様子が違っていた。
「ども、でーす。お久ね、秋葉」
「あ、神楽耶か、珍しいな」
そこにいたのは、同じ二年生の
ここでこうして会うのは、数か月ぶりになるだろうかな。
放課後倶楽部のメンバーの一人だ。
みんなよりも一回り体が小さくて、ほっそりとしている。
肩の長さまでで切りそろえられたさらさらの黒髪は、なんだか日本人形のようにも見えてしまう。
他には真宮さん、黒井沢、桐瀬といった、いつものメンバーだ。
「今日はいくつか話があるので、みんなに来てもらったわ。でもその前に、お茶とお菓子でも用意しようかしら」
「あ、じゃあ俺がやります。今日はアールグレイにしましょうか?」
「う~ん、今日の気分はアッサムかな。まだあったわよね?」
「はい、準備してきます」
黒井沢が電気ポットを片手にいそいそと出て行ってから、真宮さんが軽く口を動かす。
「指紋鑑定の結果は出たわ。結果はクロ。上京さんの下足箱に入れてあった箱と、多々良君の机の中にあったプリントの指紋が一致したわ。これで上京さんに付きまとっていた犯人は、彼で間違いないでしょうね」
そうか、なら一先ず解決だな。
あとは学校側が動けば、上京さんも安心できるだろう。
「あとは学校側に引き継ぐわ。今回もご苦労様だったわね、秋葉君に桐瀬さん。報酬は何がいいかしら?」
「私、新しいジーンズが欲しいです」
前から考えていたのか、桐瀬が早速申し出る。
「いいわよ。どうせなら、上も一緒に揃えたら? 今回は頑張ってくれたから。秋葉君はどう?」
「俺は、まだ決めていません。もうちょっと考えます」
「分かったわ。何もいらないは無しよ?」
「はいは~い」
「……はい、は一つでしょ?」
「……はい」
黒井沢が戻って来てから、次の話題が解き放たれた。
「みんなも知っていると思うけど、もうじき次の生徒会選挙が始まるわ。黒井沢君が会長に立候補をしてくれるようだから、応援してあげて欲しいの。彼なら生徒会のことを全部知っているから、安心して任せられるわ。それに、ここにいるみんなのこともね」
もうそんな季節か。
秋に投票が行われるから、その前に選挙運動が始まるんだったな。
普通の生徒会を表とするなら、この放課後倶楽部は裏、その両方を知っている人間は数少ない。
黒井沢なら、適任かもな。
「真宮さん、黒井沢くんだったら、余裕で通るんじゃないですか? 生徒会の活動だってバリバリやってて、結構な有名人だし」
桐瀬の能天気な言葉に、真宮さんは首を振る。
「だといいのだけれど、毎年いつも激戦になるわ。だから今回だって気は抜けないわ」
「みんな、俺が生徒会長になったら、ここのお菓子をもっと充実させて、報酬の予算を倍にするぞ。だから頼む!」
そんなのは別に興味はないけど、知った人間が会長に居続けてくれる方が、やりやすくはあるな。
「それとね、もう一つ話があるの。指令、と言っていいのかどうか、分からないのだけれど……」
…………?
どうしたんだろ真宮さん、歯切れが悪いな。
いつもなら、もっとスパット言い切るのに。
「この学校にある七不思議って知っているわよね?」
「あ、はい、知ってます! あの、私と、それに香奈枝は、この前音楽室でピアノの音を聞きました。それも七不思議の一つですよね!?」
話に食いつく桐瀬に、真宮さんは女神のような笑みで、優しく頷く。
「他にも、美術室の肖像が動くとか、旧校舎の廊下にある姿見に自分じゃない物が映るとか……」
「あとは、この学校の創立者の銅像が夜中に動くとか、校庭にある桜の木からすすり泣きが聞こえるとか、夜の体育館を走り回る小さな女の子がいるとか……他にももっと色々とあって、どれが七不思議なのかは難しいんだけどねえ」
今まで口を開かなかった神楽耶が、ここでまくし立てた。
「そうね。その音楽室の件を、ちょっと調べて欲しいの。それもあって、今日は神楽耶さんにも来てもらったのよ」
「ちょり~す!」
その小さくてか細い外見とは、似合わない態度だな、相変わらず。
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