冷酷な現実、温かな皿の上

 この世界は冷たい。

 凍えそうな程に冷たく、容赦がない。


 それは、ありとあらゆる者が抱く共通の認識である。



「……あー……手遅れだったかぁ」



 竜と人の半血児である彼は、それを今まさに実感しているところだった。




 街は静かだ。

 もうここには、誰もいない。




「よーしよしよし、行ってこーい」


 魔道具である宝珠に街の様子を一通り記録した彼は、魔力で造った鳥に宝珠を託して城へと飛ばした。


 彼の役目は街を見て回って国へと報告を上げることである。

 汚職や不正を見かけたら対処することもなくはないが、一番の仕事は『本当に街が存続しているかどうか』の確認……即ち、Abyss_Ⅰの脅威に喰い散らかされてないかの調査である。


「絵面が酷くないだけマシなんかなぁ……」


 恐らく、魔物が街中に直接現れたのだろう。

 酷く家屋や物が荒らされた痕跡はあるが、血肉の跡はさっぱり見当たらない。

 ……勿論、獣のように襲いかかる魔物も当然存在はするため一概には言えないが、こういった奇妙な民の消え方をする際も大体魔物……もしくは魔物より上位の知性を持った存在の仕業と相場が決まっている。


「血や魔力を吸い取られた後、死体は丸呑みってとこかなぁ……」


 あまりいい死に方ではないことは、想像に難くなかった。




ーーー



 各国が何も対策をしていないのかと言われたら、決してそうではない。


 各地に兵士を派遣する国もあれば、討伐団を独自に立ち上げた国もある。各Abyssの調査隊や研究所が魔物退治にも協力している地域だって存在する。


 それでも、被害が0で終わることは殆どない。

 いつだって、誰かが犠牲となる。


(弱いから死ぬわけじゃないのがまた嫌なんだよなぁ、あれ完全に運なんだよなぁ……)


 そう、運だ。

 生きるか死ぬかは運なのである。

 今日いきなり真後ろに魔物が現れるか現れないか、たったそれだけの差だ。



「さて、そろそろ次へ行かねぇとな……」



 立ち上がり、地図を頼りに次の街へと向かう。

 ……奇跡の一つでも落ちていないかと、崩れた家屋の中を見たり、地下室を覗いて見たりしたが、残念ながら幸運はここには転がっていないようだった。




ーーー




 次に訪れた街は活気に溢れていたせいか、幾分か暖かいように感じた。

 酒を飲み、大声で笑い、弦楽器片手に音楽を楽しむ。そんな陽気な街でも、悲しみに暮れすすり泣く者がいる。


「あなた、どうして」


 夫を亡くした妻の嘆きが聞こえる。

 どれだけ明るい街でも、堪えきれない悲しみは心の器から溢れ出る。


 幸福だけで出来た街が存在しないことを、嫌というほど見せられてきた。どれだけ明るさで取り繕うとも、明日死ぬのは我が身かもしれない恐怖を拭い去ることはできない。

 酒も、笑い声も、音楽も、どこか逃避の色が見えるのはきっとそのせいだろう。


(もしくは、俺がそう感じるようになったか……やだなぁ、有り得るなぁ)


 ふと気がつけば、己に色眼鏡がかかっている。無数の絶望と悲嘆に触れた己の五感は、同じ冷たさばかりを拾い上げるようになってしまった。


 そうどこか詩的に表現した彼は、酒の代わりに己に酔った。

 あまりいいことではないが、一瞬ぐらいは許されるだろうと言い訳を付け加えながら街を歩いた。



 日が暮れる前には今日の調査も終えた、宿の手配もひとまず済ませた。

 後は腹ごしらえといったところだ。


 適当な店で食事を頼めば、少し塩気の強い肉料理が出された。深海底部近辺で取れる塩だ。

 Abyss_Ⅳの起源へと遡れば、こうして塩が出回り、口に運ばれることは極々自然なことであるのかもしれない。いつかは、この味を手放さなくてはならないだけで。


「さっきの街を襲ってきた魔物はここで倒されたんだなぁ……」


 食事を取る前に聞き込みをして回ったところ、数日前に街の外から魔物が襲いかかってきていたのだ。

血を吸い取る魔物と、その魔物が残した搾りカスにありついて丸呑みにしてしまう魔物。

 それが複数匹いたところを、たまたまこの街に訪れていた人類種の一人が全部倒してしまったとのこと。


「ここは運が良かったなぁ、まさかAbyss_Ⅴの天使討伐者が来ていたなんて」


 聞いた特徴からして、天使討伐者の中でもその高い戦闘能力から人類種最強と名高い人物だろうか。


 元々は最強『格』だったのだが、今となっては些細なことなのかもしれない。


「ま、それぐらいの抗いは許してほしいよなぁ……世界ってのはちょーっと非情すぎるんだからさぁ」



 この世界は冷たく、容赦がない。

 その上、この地に生きる者は希望の灯を求めるあまり、焼け野原を生み出してしまうこともある。


 Inanty、イナニティ。

 虚空直下の地に住み続ける者を無意味だと皆は言うが、混沌の脅威に晒され続けることだって大差ないのではないかと彼は考える。


 それに、無意味ではないのだと証明はされたではないか。

 深淵は閉ざされ、一つの災厄がこの世から姿を消した。

 脅威に打ち勝つ日にいつか辿り着けるのであれば、その日まで災いに耐えることは決して無意味ではない。



 例え、日が昇る前に命尽きたとしても無意味ではない。



(そうであってくれないと、寂しすぎるだろうが)



 皿の上には、明日を見ることのない命の末路。

 その血肉は、誰かの命を繋ぐために消えていく。

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