第27話
「ハッ!」
次に意識を取り戻したのは、意外にも気を失ってから割とすぐだ。すぐの定義が曖昧だし、そもそも無意識だからそりゃ当然なんだけど、別に『よく寝た』なんて感覚はなかった。
地面の奥深くから湧き上がるように意識が自分の体へと戻った瞬間、俺はその反動のままに勢い良く上体を起こした。
「痛っ!」
起こしてまず感じたのは、脳を針で刺すような痛み。簡単に言えば頭痛。でも、この感覚は風邪を引いた時のそれではない。恐らくこれは、所謂『二日酔い』的なやつだ。
それから遅れて、肌の寒さを感じた。久々に取り戻したこの感覚……そしてその冷気と、公園独特の『匂い』が同時に鼻腔を刺激する。
顔を上げると、周りを照らす人工灯が瞳孔を収縮させ、次いで桜の木が目の前に広がった。ごく自然と風に揺られ、ごく自然と音を立てている。桜の木自体に恒星のような輝きはなく、そして、満開でもない。
「帰ってきた、のか……」
俺は大きく息を吐き、再び大の字で倒れ込んだ。
一気に溢れた安堵感と疲労感は、全身の力を吸い取るほどに強いものだった。でも何より……一番感じているのは、寂しさというか、名残惜しさなのかもしれない。『帰って来れた』よりも『帰ってきてしまった』という感情の方が、今は勝っている。
まあ、それは帰って来れたからこそ抱くものかもしれないけれど。でも、改めて振り返ると、すごい経験を俺はしたんだなと思う。
あれ、でも……。
もう一度ゆっくりと上体を起こして、地面を見渡す。
酒と徳利が無い——?
飲んだ瞬間気を失って、そこから何も変わらず起きたのであれば、今手元にはこの二つは無いとおかしい。
「え?もしかしてここ、まだ『あっち』か?」
あ、いや待て。……そうだサクラ!
もう忘れるところだった。俺の後にサクラが酒を飲んでいるのであれば、むしろ無くて当然だ。肝心のサクラがこの場に居ないのが気がかりだけど——。
「やっと起きたか、春希」
突如、やや遠くの方から、男性の声が聞こえた。それは桜とは真反対。そしてどこか聞き覚えのある声。俺は、力の入らない体を無理やり捻り、その声の方を向く。
「…………とっ、父さん!?」
公園の入り口から入って来たその人物が、ハッキリとそのシルエットを現すまで本当に父さんだとは信じられなかった。何故だか、俺はトシだと錯覚した。時代を飛んで、またトシに話しかけられた。そんな気がした。
「まったく、心配したぞ」
父さんの手には、ブランコに置いていた角缶が持たれている。それに『やっと起きたか』という言葉からも、たった今この公園にたどり着いた感じではない。
「どうしてここに!?」
「バカもん。それよりもまずはごめんなさいだろ。何時だと思ってんだ」
そう言われて、慌ててポケットのスマホ画面を覗く。時刻は『0:56』。と、いうことは……あっちに居る間に現実では少なくとも五時間弱は経っていたということか。日付が回っていること自体は当然想定内だけども、体感では現実の方が進んでいる気がする。
「しかも酒まで飲んで。もし通報でもされてたらお前中卒で急に無職だぞ?高校生になるんだ自分の行動には自覚と責任を持て。後悔してもやり直しは効かんのだからな」
そう言いつつも、何処か父さんは優しかった。その証拠に、俺が一言謝ると「まあ、今日だけは特別に許してやろう。この一回きりだけな」とあっさり許してくれた。
「よし。母さんも心配して待ってるから、はよ帰るぞ。あとほら、水飲め」
角缶の蓋を開け、取り出したのは五百ミリリットルのペットボトル。頭の痛みからありがたくそれを受け取ったものの、俺は遅れてそれの違和感に気が付いた。
「ちょっと待って、父さん。なんで俺が酒飲んだこと知ってんの?」
「なんでって、お前がこの酒飲んで倒れてたからに決まってんだろ」
……この——?
不思議そうにする俺を見てなのか、父さんは角缶の蓋をまた開けて今度は中身を見せてきた。それは、俺が見つけた時と同じ徳利とお猪口のセット、紫の布、そしてテープの付いた日誌。
心臓の鼓動が、一段と速まる。
何故この酒を、今、父さんが持っているのか。
「ちょっと、その徳利貸してくれる?」
「どうした急に?」
「いや、ちょっと……何となく気になって」
受け取ったそれを耳元で左右に揺らす。聞こえてくるのは『ちゃぷん』というしっかりした音。
正直、減っているかと訊かれたら「分からない」としか言えない。減っているような気もするし、全く変わっていない気もする。
「父さん、一つ訊きたいんだけど」
「なんだ?」
「公園で、女子高生見なかった?制服着てる」
その質問をした途端、父さんは一度立ち止まり——
「いやあ、見てねえなあ」
と一言言って、また歩き始めた。その一瞬の間が意味することが何なのか、アルコールに負けた今の俺には、読み解けない。ちゃんと回想していたのか、見たけど嘘をついたのか、はたまた別の理由なのか……。
「あ、それより。お前が寝てる間、この日記みたいなやつ見てたんだけどな」
「え?うん」
「開き過ぎたせいなのか、中身の二枚取れてしもうた」
「……ええ!?」
「一応、同じとこにそのまま挟んどいた。……すまんな、爺ちゃんの形見なのに」
「あ……分かってたんだ」
「そりゃあな。じゃなきゃわざわざこの公園まで来て酒なんて飲まないだろ」
父さんが何処となく優しかった理由が、これで分かった。
公園の入り口を出て最後に桜を眺めると、それはやはり『八分咲き』の桜だった。俺は現実に戻って来た。これ以上、出来ることはもう無い。ただ、ただ信じて、サクラとの再会を待つだけだ。
今この瞬間、何処で何をしているのかも検討はつかないけれど、俺たちはまた、この場所で必ず逢う。必ず。
その日が来るまで、俺は今日のことを決して忘れない。二人のことは、決して忘れない。
サクラの想いをこの身に宿し、トシの決意をこの場に残す。
「また、この場所で——」
花びらを散らす桜に向かって、俺はゆっくりと呟いた。
<終>
To The Epilogue......
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