第27話 あこがれ
木枯らしが吹いていた。
「私は昔、キャンプというものに憧れていてね」
いつもの公園のいつものベンチで、ニット帽をかぶりもこもこしたアウターを羽織って座っている御法川さんは、今日も暇そうにしている。
御法川さんがいきなり話を切り出してくることは、人類は本能的に火を眺めているとリラックスできることぐらいに当たり前であるために、僕はいまさらつっこむことをしない。
「昔っていくつぐらいからですか」
「たまたま近くにキャンプが趣味のお姉さんが住んでいてね。あれは小学生のときだったかな」
「なかなか年季が入った憧れですね」
まあね、と御法川さんは答え、当時を思い返すような遠い目をして一瞬もの思いにふける。すぐに顔を上げて、
「お姉さんの影響で、私は思ったわけだ。テントを建てて一夜城の主になってみたい、火を一から起こして燃え盛った焚火の熱を感じながらマシュマロを木の枝に刺して焼いてみたい、アウトドアチェアにゆったりと腰を下ろして冷たい自然の空気を肌に感じながら暖かなココアを呑んでみたい、読書をしながら静かでゆっくりと流れる時間に身を浸して時おり思い返したように頭上に広がる満点の星空を眺めてみたい! そんな風にね」
勢いよく一気にしゃべった。
それなりの長い年月をかけて醸成された憧れだからだろうか。その内容はいやに具体的だった。
「へえ、まあ、いい趣味なんじゃないですかね」
キャンプ。それは山のふもとや湖のほとりなどの自然環境の中で、テントやキャンピングカーを用いて野営することを指す。
普段とは異なる非日常を味わうため、あるいはインフラの整った都市での生活から離れてあえて不便な生活を送ることで生の実感を得るために、趣味がキャンプの人々は今日もどこかでテントを片手に野営に繰り出している。
「で、私はもう大人だ。どこに行って何をやるにも自分の責任で自由にできるお年頃だ。それで、いよいよキャンプ場への下見へと向かったわけだ」
「どうでしたか、憧れのキャンプは」
促すと、御法川さんはしかし難しそうな顔を作って、
「そのとき時期は夏で、たぶんキャンプシーズンだったんだろうね。どのキャンプ場も人がいっぱいだった。子どもや友人同士で盛り上がっている声がそこかしこで聴こえてくる。これはこれで楽し気な雰囲気があって悪くはないと思う。けれど、それは私の憧れたキャンプの姿ではなかった。私が求めているキャンプは、自然と自分のタイマン勝負の、静けさの中にあった」
結局、御法川さんは夏のキャンプの予定をいったん取りやめた、と言う。
キャンプのイメージというものが御法川さんの中にできあがってしまっていて、いわゆる解釈違いを起こしたということなのだろう。
なにしろ小学生からの憧れなのだ。その理想は、乗り越えるのにはなかなかの難度の高さへとなってしまっているはずだ。
「それで、諦めたんですか?」
尋ねると、御法川さんは首を振った。
「まさか。私は理想のキャンプ場を求めて探し回った。すると、海辺を散歩しているときにたまたま仲良くなったおばあちゃんが力になってくれてね」
「はあ、おばあちゃん」
若かりし頃は伝説のキャンパーだったとでも言い出すのだろうか、と思いながら見つめていると、御法川さんは言う。
「そのおばあちゃんが沖合に見える小さな島を指差して言うんだ。『あそこの島、私が所有しているものだけど、キャンプしたいんなら使ってもいいよ』ってね」
僕は、少し驚いて、
「島を所有、ですか。すごいですね」
「だろう? もちろん私はすぐに『ぜひ』とお願いした。そして、私はその無人島で一泊二日のキャンプをすることになった。もちろんそこは無人島。翌日に舟でおばあちゃんが迎えに来るまでは、その大自然を私だけで独り占めできてしまうわけだ」
聞いているとなかなか楽しそうな話だった。無人島、だなんて非日常の代表みたいなものだ。それを独り占めできるのだから、いかに御法川さんの理想が高くとも満足間違いなしのように思える。
「それは、よかったですね。楽しめましたか?」
しかし、御法川さんは歯に何か挟まっている感じで言った。
「ん? ああ、まあ、無人島にたどり着いて、よさげな場所にテントを張って、アウトドアチェアを設置して焚火を起こして、これぞキャンプだ、と楽しんでいたよ」
「……それにしては、なんだか微妙そうな顔ですが」
「う、ううん」
御法川さんは腕を組み、言ったものか言わざるべきか悩むような顔をして、結局言った。
「まずさっそく起こした焚火でマシュマロを焼こうと思って、一袋だいたい三十個入りのマシュマロを取り出して、持ち込んだ串に刺して、焼きマシュマロを作ってはこれぞキャンプだ、とはしゃいでいた」
「? なら良かったんじゃないですか?」
そう聞くと、御法川さんは自嘲気味に笑う。
「ま、ありていに言えば、飽きた」
身も蓋もない言い方だった。
「五つぐらいまでは美味しい美味しいと食べていたんだけどね。もうそっからはいいかなってなっちゃってね。子どもの頃はやたらキャンプの焼きマシュマロがおいしそうに見えていたもんだから、念には念を入れて五袋ぐらいリュックに詰め込んで持ってきてたんだけど、それ、全部無駄になっちゃった」
「なんか芋粥みたいな話ですね……」
『芋粥』とは、芋粥を腹いっぱい食べてみたいと思っていた下級武士が、いざ目の前に大量の芋粥を用意されたら二杯食うのがやっとだったという芥川龍之介の小説である。
御法川さんも、その下級武士と同じ状況に陥ってしまったのかもしれない。
御法川さんは自分に言い聞かせるように、
「でもでもいい瞬間ってのも確かにあったんだ。波の音に耳を傾けながら、アウトドアチェアに深く腰掛けて、ゆっくりと読書に没頭できる時間ってのは、なかなか普段の生活では味わえるものではなかった」
その情景を、僕は少し想像してみる。
なかなか悪くない、そう思う。マシュマロに飽きた程度の体験ならチャラにできそうなちょっとリッチな体験のように思う。
しかし、御法川さんは付け足すようにこう言った。
「……ま、虫がちょっとうるさかったけど」
「虫?」
「人の手が入ってないからだろうね。虫がほんとに多くてね。実家が田舎にあるから虫自体はそんな苦手ってわけでもないんだけど、さすがに耳元をぶんぶんと飛び回られると気が散ってしょうがない」
さきほどの情景が、一気に不快なものへと変わる。
そんな環境での読書は、ちょっと勘弁願いたい。
「虫よけスプレーも大して効果がなくってね。その後は仕方なくテントの中にこもって、読書をすることになってしまった」
もはやそうなると無人島に来た意味がほとんどなくなるような気がする。もはや家の中でテントを張っているのと同じだった。
「で、持ち込んだ本も三冊全部読み切ってしまった頃には、日もとっぷり暮れてしまっいた。波の音がいやに大きく聞こえる静寂、街の光が少しもない本当の暗闇、いたるところで聴こえてくる虫が蠢く音。とてもじゃないが、椅子に腰かけて夜空を楽しむような雰囲気じゃない。そうなると、いよいよやることがなくなってしまって、テントの中で寝っ転がりながら思うわけだ。私、なにやってんだろうって」
「それは、その……」
うまいことフォローが出来ないほどに、御法川さんの初キャンプはさんざんなものに終わったみたいだった。
「翌日、迎えに来たおばあちゃんに『どうだった?』と聞かれた時も、苦笑いしか出てこなかったよ」
そして、御法川さんは、ふっと小さく笑って呟いた。
「もしかしたら、憧れているうちが一番の華なのかもしれないね」
そう言って、御法川さんは小学生の頃からの憧れだったキャンプの話を締めた。
木枯らしが、吹いていた。
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