事例2-4

「そのあとは、もう……一瞬の出来事でした。その人影みたいなのが倒れ込むようにグラウンドの方に向かって落ちていって……ドサッと、音がしたんです。怖くて……本当に人が落ちたのかもしれないと思って、もうパニックでした。声も抑えられなくてみんなして叫び声を上げて……でも、どうしたらいいのかわからなくて、みんなで揃って校門の方へ走っていきました。そうしたらいつの間にか警備の人が学校まで来ていて……人が屋上から落ちたかもしれないってその警備の人に伝えたら、案内してくれって言われて、嫌だったけど……グラウンドにもう一度戻ったんです。警備の人は懐中電灯も持っていたので、私たちはなるべく地面は見ないように案内したんです。でも『何もないよ』って……その人が言うからグラウンドを見てみたら本当に何もなくて。そのあとは先生と親に連絡が行って……それで終わりです。でも本当に見たんです。人が落ちていくのを」

 もしかすると散々狂言扱いをされてきたのかもしれない。少女が今は必死になって、手元に落としていた視線すら男ふたりに向けて訴えかけていた。表情は相変わらず強張ったまま、一生懸命語るあまり唇が乾燥している。

 だが、ここに少女たちの、そして三浦麗自身の証言を疑う人間は居ない。そしてやはり、学校から提供された情報以上の証言は得られなかった。三浦の証言だけ、他三人の証言と異なる部分があった。

「ありがとうございます、三浦さん。一点だけ確認させてください」

 大和が優しく柔らかく声をかける。少女は大和の方へ視線を向けると、不安そうに「なんですか」と言った。

「人が落ちていくのを見た、ということは私たちも理解しました。『ドサッと、音がした』のは、確実に聞いたのでしょうか」

「……はい」

 少しの沈黙からの返事。少女は信じてもらえなかったと思ったのかもしれない。

 及川はタブレットを操作する手を止めて、少女の瞳を真っ直ぐ見つめる。

 あどけない、まだまだこれから成長していく未熟な人間の不安そうな表情は、教育者ではない及川にとっても不本意だ。

「三浦さん、僕たちはあなたの言っていることを疑ってはいません。正確な情報を把握して、そして三浦さんに安心してもらいたいんです。あなたが話してくれたことは貴重な証言です。どうかあまり気に病まないでください」

「……はい……」

「夜中の学校に忍び込むのはやめておいた方が良いという教訓は得られましたね、三浦さん?」

 教育者の立場でもある大和は釘を刺す形で補足する。だが、その声色は優しさの伝わるものだ。及川はこの男に同行して何度か聴取に参加してきたが、教師というのはある程度の「演技力」のようなものが求められるのだろうと思うことが多々ある。今回に関してもそうだった。釘を刺しながらも気遣っているのだというアピールを崩さない。それをできるかどうかが、いわゆる教師力の分水嶺になるのだろう。

 釘を刺されたにも関わらず、少女自身は大和の顔を見ながら先程よりも緊張を緩めた様子でもう一度「はい」と頷いた。

「では僕からもひとつ、質問があります」

 今度は少しだけ気持ちを落ち着けた様子で三浦の視線が及川の方へ移される。それを確認した及川は少女の様子を注意深く観察しながら、言葉を発した。

「三浦さんはR寺の関係者だったりしますか?」

「……えっ?」

 その質問は少女にとって完全に予想外のものだったらしく、戸惑った声を漏らした。

「実は僕も地元がこの辺りなんですよ。出身中学は隣の学区ですが、この近辺でお参りに行く場所といえばR寺ですよね」

「えっ、と……それと何か関係が……?」

「いえ、僕の思い違いではないと思うんですが、三浦さんからR寺に祀られているモノと同じような気配を感じまして……」

「わ……すごい……えっと、及川さん? は、霊能者か何かですか……?」

「似たようなものですね」

 この段階になると緊張よりも驚きの方が優ったらしい少女は、机のそばに置いていた鞄を持ち上げてジッパーを開け中を探る。そして筆箱を取り出した。

「関係者ではないんですけど、毎日朝に母とお参りに行ってます。筆箱につけてるこれ、ストラップに見えるんですけど、R寺の幸運守りなんです」

 淡い桃色の天然石で作られた一見するとただのストラップのそれは、確かにR寺の印と奉っているモノの印がしっかりと彫られている。

 ――これじゃない。

 及川の求めていた答えはこれではない。少女から放たれる及川の「既知の感覚」はここから発生しているものではなかった。

「毎日お参りとは素晴らしいですね。信心深いご家庭なんですか?」

「あ、いえ……朝の散歩がてら御百度参り? って言うんでしたっけ……母が受験の願掛けに、と。一緒に験担ぎに行っているだけで普段は特に」

「なるほど……三浦さん、再度確認しますが、このお守りの他にR寺に関わりのあるものがあったりしませんか? なんでも構いません。おみくじの結果や絵馬、それこそ一般的に見るような形のお守りでもなんでも、R寺内に元々あったものなら……」

 そこまで及川が言った途端、少女がピタリと静止した。三浦の目は見開かれ、そのまま顔から血の気が引いていく。

「……何か、持っているんですね?」

 及川が追求する。少女は先程までの様子とは一転し、明らかな動揺を見せ始めた。

「で、でも……いや、そんな……」

「なんでも、本当に、なんでも大丈夫です。筆箱のお守り以外にR寺に関わりのあるものを持っているのではないですか?」

 少女は真っ青な顔のまま、鞄の中を再び探り出す。そして小さな握り拳を作ったまま、鞄の中から手を引き抜いた。

「……これ、ですか……?」

 握り拳は真っ直ぐ及川の方へ差し出され、ゆっくりと指が解かれていく。

 少女の小さな手のひらの上には表面がつやりとした、しかし歪な形の白い小石が乗っていた。

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