事例2-2
今回深夜に学校へ不法侵入したのは在籍している四人の生徒だ。四人ともが第三学年であり、受験前のシーズンであるにもかかわらず問題を起こしたとのことだった。四人のうちのひとりは塾帰りに友人三人に合流し、共に学校へやってきた。
聞き取り及び生徒指導は四人バラバラの教室で行われている。その中でも特に不法侵入の際の情報を詳細に語る生徒がひとりだけいた。及川・日野・大和の三人はまず、当該生徒以外の三人にそれぞれ聞き取りを行った。
及川が担当した生徒はいかにも今時のスクールメイクをした(おそらくそれも日頃から生徒指導されているだろう)オシャレな女子生徒で、確かにこの手の子どもなら少しくらいのヤンチャ心を持っていてもおかしくないと感じるような風体だった。
「初めまして。先生方から聞いているとは思いますが、怪異対策課というところから来ました及川聖です」
丁重に、大人と同じように扱うことで、少し背伸びをしたい女の子は特に口を開いてくれることが多い。中三男子であればまた対応が少し異なるが、女子であれば大概そうだ。及川が何度か中学校や高校へ出張しているうちに学んだことだった。
及川が女子生徒の前に名刺を差し出す。すると女子生徒は長く伸ばした黒髪をくるくるといじっていた手を止め、すっと名刺を受け取った。名刺の文字を一通り視線で辿った女子生徒は不機嫌な様子を隠すわけでもなく、眉間に皺を寄せて及川を睨みあげる。
「……教育委員会? 先生ってこと?」
「いいえ、僕は教師ではないですよ。担当している部門が教育委員会にあるというだけで、教えることは専門外です」
及川が半ば被せるように返答すると、女子生徒は眉間の皺を少しだけ緩めて、もう一度名刺に視線を落とす。そして再び及川を見上げたときには顔全体から多少警戒心がなくなっていた。
「怪異対策課って?」
「今回、
一旦口を閉じて、女子生徒――木村の目の前に置かれていた椅子をゆっくり引き、及川はそこへ腰を下ろす。
「……お手数をおかけするかたちにはなりますが、もう一度僕にも、あなたが経験した不思議な出来事について教えてほしいんです」
視線を合わせてゆっくりと微笑む。すると目の前の女子生徒は少しだけ気恥ずかしげに視線を泳がせて伸ばした黒髪をくるくるといじりだす。
――とりあえずは素直に話してくれそうだ。
及川は確信を持った。この手の「女」は何度も相手にしてきている。
持ってきていたバッグからタブレット端末を取り出して女子生徒の聴取を始めた。
「とりあえず三人の主張は大体一致していますね」
冷気に満ちた廊下に立ったままの状態で及川が日野・大和の聴取内容をタブレットへ集約する。その隣で大和が腑に落ちない表情で、及川の言葉に頷いた。
「どの生徒も結局曖昧な記憶しか持っていない。生徒指導的な観点から言えば、主導者が誰か、というところも気になりますが――『夜中のイタズラ』の提案者についての証言もなかった。互いに庇いあっているという様子もなかったですし……」
三人の生徒への聞き取りにさほど時間はかからず、ほぼ同時間帯に三人が廊下へ戻り、今に至る。
「特に一致した証言は『校舎の屋上の人影』、『人影の落下』。この二点のみですね」
日野が左目を軽く伏せ顎に手をあてて何か考えているような素振りを見せるが、及川にはわかっていた。これは特に何も考えていないときの表情だ。
学校側から提供されていた情報から、三人から何か新たな情報を得られる見込みがないことはある程度予測できていたことであった。そのため、日野は何の感慨もなく、「四人目の生徒」の聞き取りこそが重要になってくることを理解しており、だからこそ寒い廊下に立っている今この瞬間について脳のリソースを何も割いていない。
翻って、「四人目の生徒」への聴取と現場検証――この場合は校舎屋上の検証だ――にこそ本領が発揮されるというわけだ。
日野皐月は以前、及川に対して「怪異対処は結局、原因と事象を切り離すこと」と語っていた。今わかっているのは日野の語るところの「事象」のみであり、「原因」の究明に繋がるような証言は得られていない。日野は「原因」を求めている。だから今何か考えても無駄だと思っているのだろう――と及川は日野の思考を読み取っていた。
「大和さん、この学校で屋上からの転落事故ってありましたっけ」
「事前に一通り校内発生事故を洗い直しましたが、屋上からの転落事故はなかったですね。そもそも屋上自体は出入禁止になっているので常時鍵がかかっている状態になっていますし、入れたとしても定期点検で業者の出入りがあるときのみ。しかも子どもが乗り越えるには高いフェンスも設置されています。業者が入る際に鍵に異常があれば適宜点検と修理を入れているらしいです。高所からの転落事故自体はありましたが、二階教室窓からの転落事故のみで、これもおよそ十年前の出来事です。その内容も窓が開いた状態でふたりの生徒がふざけあっていたところ、片方の生徒が転落。転落した生徒も幸い打撲のみで済んだ……という。その話に尾鰭がついて現在生徒間で噂が広まっていれば、屋上から転落してその生徒は死んでしまった――みたいな。そういう可能性は考えられますね」
「なるほど……何にせよ、事故自体が原因の怪異発生という可能性は少ないという感じですか」と及川がタブレットから目を離し、大和を見る。
「はい。噂話が見せた幻覚か、集団ヒステリーか。そのどちらかと思います」
メガネのブリッジを押し上げながら、大和が頷く。
――やはり本丸は「四人目」か。
及川が最後の生徒への聴取を提案しようとしたところで日野が手を挙げる。
「四人目の生徒への聞き取りの前に可能性の少ないところから潰したいんで、先に屋上を見に行きませんか。なんなら俺ひとりで見に行ってもいいんで」
「えっ、皐月さんひとりで行くの?」
「ここまでの話から考えると屋上に怪異のいる可能性は少ないだろ。いるとしても、その噂話を信じている人間がいないと怪異が出現する条件が整わない。俺は転落事故の真実を知っていて、怪異がいないと確信しているから現れないだろう。屋上を検証するだけならそこまで時間はかからないはずだ。最後の生徒の聞き取りをしている間に俺が確認に行く方が効率が良い」
「いや、まあ、それはそうだけど……ひとりで?」
「お前なあ、心配性がすぎるんだよ。怪異出現の可能性が少ない、というよりも今回に関してはほぼゼロに近いと言っても良いと思うぞ」
及川にも多少の自覚はあるが、右目失明以来日野の単独行動を許すことを渋るきらいがある。そんなふたりのやりとりを見てメガネのブリッジに指をあてたまま、苦笑いを浮かべる大和。
「まあまあ、日野さん。及川さんも上司としては部下の心配をするのも仕事なので……ただ、日野さんのおっしゃることも一理あるとは思いますよ、及川さん。どうされますか?」
決断を迫られる及川はタブレットを睨みつけながら、しかし日野の言うことは明らかに道理の通ったことであるため、少々の葛藤を押し殺して、最終的には頷くしかなくなってしまった。
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