カラクリ橋の贅沢な悪巧みを横取りする奴ら
洋梨 レモン
第1話 無念の糸クズ
僕は目を閉じた。手に力が入る。座った椅子の背もたれに背中を預けた。もうすぐ、僕は消える。この世界から完全に。
僕の計算通りなら、あと十五分ぐらいのはずだ。大丈夫、奴らだって思い通りに生きてるじゃないか。僕だって、ほんの少しのわがままな願いぐらい叶ったっていいさ。
僕は、僕の体が無くなるのを見届けてやるんだ。
僕が、この世界に連れて来られて、この世界で生き延びて、欲しい物を手に入れて持ち帰ることを、誰も知らない。本当の世界で僕を待つ僕自身でさえ。
僕は、必ず、この世界から消えてやる。こんなくだらない、退屈な世界から。ゴミだ。こんな世界で見る、贅沢な夢なんて。
この世界は、教えてくれた。
強い者が弱い者から奪うのは、ありふれた茶番に過ぎない。そんな馬鹿げた絵空事を真に受けている人もいる。いったい強いとか弱いとかどうやって分けることが出来るって言うんだろう。
祖父や僕が見せた夢は、悪巧みを上手にまやかしたに過ぎない。
欲しい物を何でも手に入れる仕組みは、夢のまた夢だと思われているけれど、一握りの人達にはほんのお遊び双六(すごろく)なんだ。
祖父は僕に言い続けた。
「誰も、自分が欲しい物を手に入れるためには、大事な物を失うことに気づかないものだ」と。
祖父が見つけたカラクリの橋のつまらないお遊びは、卑怯でとても斬新だ。双六の盤の上に封じ込めた後に、さいころを思い通りの目を出せると信じ込ませて、実際は祖父の悪巧みの相手をさせていただけだ。
祖父は、その双六遊びを僕に押し付けて、まんまとやってのけた。この世界から逃れたかったに違いない。ずっと、ずっと、その日を待ちわびて。
あれから、どれぐらい歳月が過ぎたろう。
祖父は、僕をここに縛り付けて、自分は今頃は思う存分、人生を楽しんでいるのだろうか。僕のことなんて、すっかり忘れて。
祖父がいなくなった日の朝、祖父の部屋で紙切れを見つけた。紙の上に走り書きの乱れた文字が書いてあった。僕は、その紙切れをポケットに入れて部屋を出た。何もなかったように、お客が待つ場所へ急いだ。祖父がしていたと同じ様に、紙袋を持って。
あの日、僕は初めて、お客を案内した。お客は、祖父がいないことなど、何も気に留めていなかった。だから僕は、もとからの案内人を気取って、お客を橋の上まで連れて来て、お客が欲しい物を探し回るのを、橋の上で座って待った。祖父がしていたと同じ様に、お客達をこの橋に封じ込めたままにして。
祖父の代わりが、うまく出来るなんて思わなかった。でも、そうするしかないと、思っていたと思う。なぜなら、祖父のように、この醜い世界から逃げ出したいと願ったからだ。
その願いが叶えば、僕の、つまらない意地も、諦めと無気力さも、泣きたくなるような胸の傷みも、きっと帳消しにできると、どこかで信じていた。
今も覚えている。祖父の焦りを抑えた低い声と、身振り手振りで大袈裟に誤魔化すのを。
「さあ、お客様、ここは皆さんの願いを、何でも、好きなだけ、叶えられる場所です。
どうぞ存分に、お気兼ねなく手に入れて、皆さんの人生を最高に面白く変えて下さい」
祖父がお客に向けて話し始めると、皆の視線が祖父に集まったものだ。お客達が、祖父の言葉を聞き漏らすまいと真剣な表情を浮かべるのもずっと横で見て来た。
初めて来たお客の中には、あきれた視線を投げかけるのもいた。そういうのに限って、自分が欲しい物を手に入れた途端、手のひらを返して、祖父を尊敬の眼で見るようになるんだ。祖父はお客の態度なんて気にも留めていないふうだった。
今なら分かる。僕がお客を案内するようになって、お客の態度がどうだろうと、僕には関係ないということが。僕には目的がある。それを追い求めるための、お客は僕の獲物だ。獲物がいれば捕食者が現れる。それが自然界の掟だと僕は信じることにした。僕は、僕が欲しい物を手に入れられれば、それで良い。
あの時、祖父が消えて僕が独り残されて、仕方なく祖父の後を継いで、今、僕は、祖父の狡さも、祖父の悪巧みも、許せる気がする。ただ一点だけを除いて。もし祖父と同じ環境に僕が立たされて、カラクリ橋を見つけたなら同じことを仕出かすに違いない。僕も、自分を救うのは、それしかないと思えるだろうから。
ほんの僅かで良い。僕にも可能性があるなら、僕はこの世界を壊してやりたい。ずっとそう願い続けている。
絡まって、切り取られて捨てられる糸クズのように、僕の可能性は、いつか摘み取られて、儚く消えるのだろうか、と心のどこかで怯えながら。
(第1話 無念の糸クズ 終わり)
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