少年兵
人間とは、戦う生き物だ。我々人類は、有史以前から、無限に世界中で、戦いと殺戮とを繰り返して来た。この地球上において、凡そ人間が生息可能な範囲にあって、果たして、人の血を吸っていない「寸土」とてあろうか? 一度血が流れて、それで終わり、では勿論ない。同じ土地を巡り、時代ごとに、世代ごとに、様々な対立軸で、人は互いを殺し合う。時代ごとに、世代ごとに、何度も何度も、一時も倦むことなく、大量の血を、その大地に吸わせて、———
大地とは、血で書かれた分厚い「戦記」である。
幾度となく流された夥しい血が、我々の足元に、無限の深さに層を成し、たがしかし無言のまま、何も語らない。そして我々は、何も知らずに、その上で日々を送っているのだ。
**
およそ七百年前、モンゴル帝国の征西を逃れ、
その民族―――ダインスレイヴは北欧から渡って来た。
少数民族だったがために、強大な戦力を誇るモンゴルに故郷を追われ、そして、それが、この民族の苦難の歴史の始まりとなった。
逃げた先で、その地を統治している国家から迫害を受け、抵抗と、逃亡とを繰り返しながら欧州大陸を南下、約三十年をかけて辿り着いた地が、異境の大地・南砂大陸の手前に位置する地中海に浮かぶ島国、
―――リプロス島だった。
当然、そのリプロス島にも先住民族がいる訳で、ダインスレイヴはそこに土着するに、さらに七十年を要した。時に島外に追われ、逃れた先の南砂大陸の現地王朝と抗争し、或いはビザンツ帝国と刃を交えて撃退される等、苦難の歴史の末の、土着であった。
しかし苦難の歴史はまだまだ終わらない。ここ、地中海は、
キリスト教文明、
イスラム教文明、
中世エジプト文明の境界、―――
まさに「潮目」とも言うべき場所で、リプロス島は、異国、或いは異文明からの侵略を、度々受けることとなった。
激戦の末、島外に追われたり、或いは奴隷として虜囚を受けたりする事も、度々だった。いや歴史を振り返った時、むしろそういう苦難の時代の方がずっと長かった、と言わねばなるまい。
故郷は戦って護るもの―――
というダインスレイヴの精神文化は、こうして育まれ、磨かれて行ったのだ。
**
こうして、戦闘に特化した文化を持つダインスレイヴは、地域ごとに、その土地の共同体に根差した自衛のための武装組織があり、それを共和国軍が統括する、という形を取っていた。リプロスの民にとって、軍事は、国家が主導するものではなく、民俗・風土に根差した精神文化、―――つまり「伝統」なのだ。
新兵教育や、訓練なども、他の国家とは事情が異なり、街や村落ごとに、射撃や、サーベル術の指導者、―――つまり「先生」がいて、彼等がそれぞれ個人で訓練所を構え、生徒達に教えていた。―――つまりは、公認の「道場」である。
リプロス共和国では、軍齢:十二歳に達すると、男子はすべて訓練兵として登録され、地域で必要な訓練を受け、定期的に行われる公的な訓練にも参加する義務を負った。
男子の軍役は義務だったが、女子についても、本人が特に希望する場合には、正式に軍人として登録され、訓練を受け、従軍することができた。これは、過酷な生存圏確保のための抗争を果てしなく繰り広げてきた彼等・ダインスレイヴの、その民族の歴史が背景となっていることは言うまでもない。
**
中近東・地中海地域は、現在に於いても、宗教上の対立、及び西欧列強の思惑が交錯し、軍争の絶えざる土地である。反政府武装勢力も数多く跋扈し、野盗や追い剥ぎが横行し、治安が、途轍もなく悪かった。
少数民族でしがらみが少なく、しかも戦闘に長けたダインスレイヴは、地域に軍争が発生した際に、援軍を要請されることが多かった。また傭兵として周辺国や、武装組織に出入りしたり、地域の隊商から、護衛やガイドを頼まれることも多々あった。つまりは「出稼ぎ」である。
統一的な兵員養成のカリキュラムを持たないダインスレイヴの公的な訓練は、もちろん講義や、軍事演習などもある程度は行われ、………てはいたが、「習うより慣れろ」で、比較的安全な軍務に「見習い」として参加させられる事が多かった。訓練を企画・実行するには資金が要るが、こうすれば、逆に外貨を稼ぐことができる。
そして、隊商の護衛やガイドといった仕事は、通常の軍務よりも比較的、ではあるが安全であり、いろいろな地域の地理や、風土習俗なども学べて、しかも様々な経験ができる等、年端もいかない訓練兵の、その最初の実地研修に、まさに「うってつけ」だった。
以上の理由から、―――
今こうして、隊商の護衛の四輪駆動車の後部座席に、まだ十三歳の、ルナと、フランチェスカが、仲よく並んで座っている、という訳だ。
**
「隊長」
フランチェスカが、まるで声変わり前の男の子のような声で、言った。
「もっとスピード、出せないっすか?」
天高く抜ける青空も、遠く何処までも広がる海も、もう見飽きたと言わんばかりだった。栗色のショートヘアの後ろで両手を組んで、眠そうな眼の色、不真面目な態度、―――
「お前なあ、これは仕事だぞ、遊びで来てるんじゃねえ、それに護衛の俺達が、客と貨物とを置き去りにしてどうする?」
「だって、ずっと同んなじ景色だし、それに隊長の運転、………退屈なんすもん」
「退屈なんじゃねえ! 上手いの! これは上手い運転なんだフラン! 分っかんねえかなあ? 分かんねえだろうなあ、まだ子供だしなあ、………」
「もう十三っす! 子供じゃないっす! 背丈だってオトナと同んなじくらいあるし、………あっそうだ! このあいだ、生理だって来たし」
そう言って、フランは少しだけ、その平らな胸を張った。口元には、誇らしげな笑み。しかしトラビスは、少しだけ青くなる。
「バカッ!! バカだろお前ッ!! そういうところがまだ子供だって言ってんの! それに、お前だってオンナなんだろが一応は? 恥ずかしくねえのか? 少しくらいお淑やかにしてみろよ」
「おれはリプロスの戦士っす! オトコもオンナも、カンケー無いっす!!」
「いい心掛けだフラン、だったらもう二度とシートが硬くてケツが痛てえとか文句言うんじゃねえぞ!」
「だってこんな干し肉みたいに硬くなった薄っぺらいシート、ずっと座ってたら、すぐに痔になっちゃいますよ」
「痔とか言うんじゃねえよ、オンナだろ?」
そんな口調とは裏腹に、トラビスは笑ってしまっていた。ルナのことも、そしてフランチェスカのことも、本当は可愛くてたまらないのだ。
「ふっ、あはははっ」
グリフィンも、思わず笑ってしまう。そしてそんなグリフに、ルナは視線を向けた。グリフが笑うなんて、あまり無いことだった。そして、そんなルナの様子に気付いたグリフは、後部座席の右側で騒ぐフランに顔だけ振り向けていたのを、ぐっと肩から上体をねじ向けて、真後ろに座るルナを見た。ルナの口元は、子供みたいに小さく尖って、少しだけ笑っていたが、両眼は髪で隠れてしまっていて、表情がいまいち分からない。
「ルナ」グリフが再び、声をかける。
「な、………なに、グリフ?」
いつもは寡黙なグリフにもう一度話しかけられて、ルナは戸惑いながらも言葉を返した。
「ちょっと」顎で軽く手招きする。
「え………?」
少しだけ前かがみになって、グリフに顔を近づける。すると、———
その子猫の毛のように柔らかな前髪を、おでこを撫で上げるようにして、若者の手がたくし上げた。
「あっ、………」
無垢な白いおでこと、
「やっ………」
ルナは「はっ」となって、おでこを押さえるグリフの手をどけようとするが、ルナの子供みたいな力では、若い戦士の逞しい腕は、少しも動かなかった。
「くっ、あれ、なんで………?」
困ったような顔のルナの、そのクリアな眼の表面に浮かぶ白い光沢が、くるりと一回転した。そしてそれが、湧いてきた涙に細かく砕けて、星屑のようにきらきらと光った。眉根をぎゅっと寄せて、泣きそうな表情。本当に、子供みたい。
恥ずかしかった。見られるのが、怖かった。真紅の瞳は「ナリカワリ」の
男と女の、その中間。或いは、男と女の、その両方。しかし実のところ、男でも、女でもない、―――
どちらにも、成り切れない。
どちらとも、仲間になれない。
「やだっ、………!」
ルナは床を蹴って、後ろに仰け反った。バンッ、と音がして、ルナの背がシートにぶつかる。漸くグリフの手から逃れたルナは、慌てて両手で前髪を下ろす。前髪に表情を隠し、下唇を噛みしめる。
ルナの反応の意外な烈しさに、誰も、何も言わなかった。沈黙が、痛い。砂礫を蹴るタイヤの音が、やけに大きく響いて、やるせない。
「前髪、いつも上げとけよ」
しかし意外な言葉が、下を向いたルナの頭上に降った。
「きれいな眼してる、見せた方がいい」
「だって………!」
ルナは顔を上げ、グリフに喰ってかかる。しかしすぐに勢いを失くし、力なく言った。
「ぼくの眼を見ると、みんな変な顔するから、………」
ぼくが「ナリカワリ」だから、女の子から男の子になった、呪われた人間だから、………ルナは泣きそうな気持ちになった。しかし、
「いや、だってルナ、それは、無理ねえよ」とフランチェスカ。
「そうか、おまえ、自分で分かってないんだな」とグリフィン。
可愛い、なんて言わない。しかし、見た瞬間、息を呑んで思わず黙ってしまう程の、美貌には違いない。
「え、………なに?」
まだちょっと泣きそうな気持ちのまま、しかし意味が分からずルナは問い返す。
「変な顔か、なるほどな、………」
「いいっす先輩、言わなくていいっす、くやしいから」
その時だった。不意に、
「ドンッ!」
という衝撃とともに、車内に積んであった荷物が、そして自分の身体が、前方へと、文字どおり雪崩打った。
急ブレーキが踏まれたのだ。
ルナは前のシートの背に両肘からぶつかって、フランは同じく前のシートの背を足で強く押し込み、狙撃銃を把持していたグリフは右ひざでダッシュボードを蹴り込んで、その衝撃に耐えた。
「検問だ―――」
トラビスが短く言った。三人は、前を見る。グリフは、厳しい表情。そしてルナとフランチェスカは、少しぼんやりした顔で、その光景を眺めた。
砂塵にかすむ黄色い空を背景に、武装したガレスチナ・ゲリラ達が、銃を手に、街道を塞いで立ちはだかった。
「突撃銃―――」
フランが、ごく小さな声でつぶやく。中近東・地中海地域に、近年急速に出回りつつある、最新の、―――歩兵用自動小銃。
ルナは、いつものように口を小さく噤み、思わず固唾を飲み込んだ。グリフは咬み付きそうな恐い眼で、前方を睨む。しかし隊長のトラビスだけは、サングラスを掛けたその横顔から、一切の感情を読み取ることはできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます