ガレスチナの風の章

ガレスチナの大地


 物語の舞台は、冒頭より十二年を遡る。

 暫定統一歴:一五九三年。

 太平洋二十年戦争の終結から、四年後。

 第二次ウェールズ侵攻勃発の、―――

 二年前。


 **


 その若者は、逃げていた。逃げ続けていた。


 地中海東岸の、乾燥した大気。その大気を透過して照り付ける、容赦ない太陽光の直射を受けて、ぼんやりと霞む意識の中で、乾いた呼吸音を体腔の内に聞きながら、その若者は、考えていた。考え、続けていた。


 いったい何時から逃げているのか? いったい何時まで逃げ続けなければならないのか? いったい何から、………何から逃げているのか?


 そうだ。若者は思い出す。


 俺は追手から逃げている。俺は祖国から逃げている。俺は、………俺は、自分の過去から逃げている。自分の、記憶から、逃げている。荒い、息遣い。(キレイナカラダシテル)不意に耳元に甦る、生々しい、大人の、声。―――


 違うっ! 違う違う違うっ! あれは俺じゃない! あんなの、………あんなのぼくじゃない! ぼくをそんな眼で見るな! ぼくにそんなことするな! ぼくはそんなの好きじゃない! ぼくをそんな眼で見るな! ぼくをそんな眼で見るな! ぼくを………そんな眼で………見るなっ!!!


 ―――悲鳴が、胸の奥の方から、喉元に競り上がってくる。


 はっとする。

 風の音。空が、―――

 青い。残酷なくらいに、青い。


 ほんの一瞬、「チカッ」と、視界の端に映り込んだ小さな光が、その若い男を、現実に引き戻す。


 はっ。


 若者———その男は、息苦しさに顎を上げ、それでも僅かに、笑って見せる。自分に向かって、笑って見せる。無精髭に、覆われた頬を歪めて。


「いったい何年前のハナシだよ」


 そう、独り言ちる。自分に、言い聞かせる。今、自分は二十三歳な訳だから、それはもう、十年以上も前の出来事に違いなかった。


 今、自分は、地中海の東岸の紛争地帯、ガレスチナ自治領域の砂漠を歩いている。砂漠の白と、地中海の青の、そのあまりに鮮やかすぎるコントラストに、眼が、回りそうだった。いや、実際に眼を回していたのだ。陽射しが、強過ぎた。疲れてもいた。


 砂防用の厚手のケープ・コートは軍装品で、狙撃兵が使用するタイプのものだった。暑かった。脱いでしまいたい。しかし、そういう訳にはいかない。ライフル一挺と、拳銃二丁、あと大振りのナイフを、隠し持っていた。さらに、濃緑色の背嚢を肩から担いでいて、その中にも、銃火器類と弾薬とを、隠し持っていた。


 風が強かった。吹き付ける砂を防ぐために、頭にストールを巻き付け、眼には、セパレート・タイプのゴーグルを当てていた。その、ゴーグル越しの視界に、再び「チカッ」と、小さな、白い光が映り込んだ。それは、自然界に存在する種類の輝きではなく、例えば、金属に施されたメッキの反射のようであり、さもなくば、ごく小さなガラスの曲面が生み出す、そういう人工的な反射に違いなかった。


 ―――しまった。


 再び、はっとする。息を、詰める。しかし、光を見た時点で、すでに手遅れに違いなかった。見た時点で、死んでいても不思議じゃないのだ。


 地場の武装集団の検問が、街道を塞ぐ形で設けられていて、自分は今、その手前:約二百五十メートル地点で、影のように立ち尽くしていた。


(今日の俺は、どうかしてる)


 そう思った。確かに、疲れてはいた。しかし、そんなの言い訳にならない。逃げてばっかの道のりが長過ぎて、ヤキが回っちまった、そう思った。もう、死んじまった方がいい………


 空が、青かった。そして、そんな圧倒的な高度に晴れ上がる青空の下、狙撃兵の構えるライフルの、そのスコープの小さなレンズの光を見ながら、ふぅーーっ、と長いため息を吐き、男は、ゆっくりと両手を上げた。


 撃ちたかったら、撃ちやがれ。


 **


 ここは、地中海東岸の要衝、

 ———アスカロン。


 砂漠を成している平野から、山岳地帯に差し掛かる、その丘陵の入り口に、検問は設けられていた。検問、というか、バリケードだ。


 この道は、ガレスチナ自治領域から、北にバビロニア共和国を抜けて、やがてトラキア共和国へと至る、地域の主要な街道で、その街道の両サイドに軍用車輌を二十台ほど駐めて、兵士数名が「突撃銃」を手に、時々走ってくる自動車を止めては、誰何していた。狙撃兵も配置してあり、他の武装勢力の襲撃を警戒しているようだった。


 突撃銃―――近年、急速に普及しつつある自動装填式の、連射可能なライフル銃のことだ。近接戦の在り様を変える「新兵器」として、様々な軍事組織に於いてその導入が急がれる、正に革新的な歩兵用の小銃だった。


 男は徒歩だったためか、路上ではなく、建物の中で訊問を受けた。街道沿いに建てられた、いったい何十年前からあるんだか、薄汚れてあちこち傷んだ、木造のバラック。


「ずいぶんとまあ、………色々と持ってるんだな」


 男から没収した銃火器を、砂にざらつく床に並べると、訊問していた三人の兵士のうちの一人が、呆れ顔でそう呟いた。まあ、無理もない。


 ■アサルトライフル:マガジン式フルオート、装弾数三十発 ×二梃

 ■ショットガン:元込式スライドアクション、装弾数五発 ×一挺

 ■ショットガン:元折式ダブルバレル、装弾数二発 ×一挺

 ■狙撃用ライフル:元込式ボルトアクション、装弾数十発 ×二梃


 そして最後に、これは「一挺」と表現すべきなのか、凄まじい火器が紛れ込んでいた。


 ■対戦車ライフル:マガジン式レバーアクション、装弾数十六発 ×一挺


「一人で戦争でも始める気なのか?」


 冗談混じりに、一人の兵士がそう訊いてきた。


「そうだ」


 とは、もちろん答えない。三人とも、アサルトライフル(自動装填式突撃銃)を持っていた。二人はスリングで肩から下げていたが、一人は、両手でしっかりと胸の前に把持していた。安全装置はセーフになっていたが、その安全装置には、親指が掛かっていた。


「売るつもりだ」


 そう答えた。実際に、そうする心算だった。


「こんな物、いったいどこで入手したんだ?」


 もっともな、質問。


「貰ったんだ」………そんな訳あるか。


「そんな訳あるかッ!」


 兵士が吠えた。そりゃそうだ、男は黙って下を向く。表情を、見られたくなかった。表情を見られたら、バレてしまうに違いなかった。彼等を、全く怖れていないという事実に。


 それにしても三人の服装には「統一性」というものが無かった。その若い男に訊問している兵士はパコール帽を被っており、他の二人は目出し帽に、アフガンストールだった。ヘルメットは、三人とも、被っていなかった。ガレスチナ自治政府軍の公的な検問であるかのように振舞ってはいたが、彼らの出で立ちは、中近東の反政府ゲリラそのものだった。


「どうせ何処かから盗んだんだろ!」


 パコール帽がぞんざいに言い放つ。まあ、だいたい合ってはいた。三日前に、追手の夜営キャンプを襲撃した時の「戦利品」だった。追手は合衆国連邦軍から派遣された暗殺グループで、当然彼らが装備している銃火器類は、合衆国製の高性能なものであり、要するに、高値で売れそうだった。まあ、俺を殺そうとしていた訳だし、それくらいいいよな? そんなふうに思っていた。


「おまえ、傭兵崩れだろ?」


 パコール帽が、顔を寄せて、不意に訊いてきた。


 ―――殺そうか。


 一瞬、そう思った。何か感付かれたのかも知れない、そう思ったのだ。しかし、


「合衆国のか、ラゼル?」


 目出し帽が、パコール帽にそう言う。その三人のリーダー格の兵士は、ラゼル、という名前らしい。


「そりゃ「兵役崩れ」だろ? 俺が言ってるのは「傭兵崩れ」だ。盗み目的で募兵に応じる連中が、結構いるのさ。食い物に、クスリ、ライフルに、重機関銃まで、何でもあるからな正規軍には、………」

「おい、ラゼル!」


 自治政府正規軍ではないことを無意識にバラす、このラゼルという男に向かって、アフガンストールが慌てて注意する。しかし、


「呼び捨てはヤメろよ! ちゃんと、軍曹、って呼べよ!」


 気付かないサージェント・ラゼルは、そう言って、逆に声を荒げた。おかしな奴らだ。


 ―――さて、これからどうするか?


 素性に気付かれていないからといって、何時間も足止めを喰ったままでいるのは、やはりマズかった。くずぐず同じ場所に居付いてしまうと、合衆国連邦軍に捕捉される懸念が高まってしまう。追手を、逆にこちらから襲撃したのは、三日前。


 ―――たった、三日。


 しかも、追手の暗殺グループ四人のうちの、一人を逃がしてしまっていた。そして、男を殺すために連邦軍が派遣した暗殺グループは、一つだけでは無かった。すでに合流し、探索が始まっていると見るべきだった。できるだけ速く、できるだけ遠くに移動する必要があった。一週間以内に、ガレスチナ自治領域からバビロニアに抜け、トラキアに入り、そのままコーカサスの山岳地帯に逃げてしまうつもりでいた。


 ―――脱出するか?


 そうも考えた。眼の前の三人を昏倒させ、窓を破って逃げるのは、容易いように思われた。この大事な銃器類たちは、後で、………例えば今日の深夜にでもここを襲撃して、回収すればいい。潜入強襲制圧こそが、合衆連邦軍に籍を置いていた時の、男の主要な任務だった。


「銃火器類は全部置いて行く、だからもう、ここから出してくれ。先を急いでるんだ」


 言葉を、投げ付けてみた。状況を変えるための、一石。


「ダメだダメだ! 盗品の可能性がある。おまえを調べなきゃならん」


 そりゃそうだ。そして「ラゼル軍曹」は男に顔を寄せ、もう一度、同じことを訊いた。


「こんな物、おまえ本当に、いったい何処から盗んできたんだ?」


 歯か、胃でも痛めているのだろう。ひどい口臭がした。


「それに、このライフル、………モシン・ナガンじゃねえな?」


(ちッ、―――)


 舌打ちしたい気持ちを押さえ、男は下を向いた。マズイ傾向だった。眼を、合わせたくなかった。


 ラゼル軍曹は、その狙撃用のライフルを手に取ると、銃身の側面、弾倉のある辺りをしげしげと眺めた。男は、背を丸めて両肘を大腿の上に突き、反対側に、顔を背けた。


「何て読むんだ? ウィン、………チェス、………これ、ウィン・チェスターか?」


 気付かれた。


 ―――ウィン・チェスター。


 それは、ローディニア合衆連邦共和国を代表する、銃器メーカーの名だった。沈黙の中、軍曹は静かに視線を上げた。そして、顔を背けて床を見る、尖った横顔に向かって、言葉を投げた。


「おまえ、合衆国の軍人だったのか?」


 ———殺そう。三人とも、殺そう。


 そう決意し、男が暗い視線を上げた。刹那、


 そのバラックのドアが、外から乱暴に開けられた。そして、ドカドカッという大きな足音と共に、計七名が、砂埃を蹴立てて勢いよく入ってきた。


 ———新客だ、そう思った。運の悪い連中だ、気の毒に。タイミング悪く、こんな日に、こんな所を通り掛かってしまうなんて、運が悪い、としか言いようが無い。


 外で、すでに一悶着あったようだった。足音の大きさと、その歩く速さが、それを物語った。緊迫した雰囲気。


 先に立って入って来た三人は、武装グループの連中で、後から追いて歩く四人に向かって、突撃銃の銃身で、広間の奥の長机を示した。


 ———ん?


 男は、その四人の姿に、見入ってしまった。多少の、驚きがあった。特徴的だった。


 四人は、近隣の地域の民兵のようだった。砂色のジャケットやブラウスを纏い、同じ色のカーゴズボンを穿いていた。この辺りの地方の住人にしては、肌が白く、そして何より、四人とも赤い瞳をしていた。赤みがかった瞳の持ち主は、まあ時々いるが、四人揃って、というのは珍しい。


 そして、それにも増して彼らを特徴付けていたのは、腰に佩いている「サーベル」だった。


(サーベル?………サーベルだと?)


 珍しかった。一言でいうと、時代がかっていた。今どき、………サーベル?


「こっちだ、早くしろ!」


 四人の民兵に向かって、兵士が怒鳴る。しかし四人は、特に慌てることなく、バラックの奥へと歩を運んだ。


 髭にサングラスの隊長と、

 筋肉質で分厚い身体の若者、

 背のヒョロっと高い少年と、

 そして、―――


 最後の一人は、まだ子どもだった。













































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