ある春の出来事 最強V.S最低

 サイズの合っていない大き目の白のスポーツウェア。同じ色のキャップを深く被った小柄な人影。その恰好に見覚えは無い。見覚えは無いはずだが――

 始めて聞くはずなのに、その声には何故か聞き覚えがあって。

 キャップから覗くこちらを射抜く様な眼光紅蓮には見覚えがあった。


「……“最強”」

「お前に負けたけどな」


 口元までファスナーを上げているせいだろうか? 微妙に聞き取り難い声で、あの夏以来の“最強”が言う。


「だからリベンジさせろ。野球、やりたいんだろう?」


 言って、スマホを突き付けてくる。そこにはSOの画面。『対戦を申し込みました』の文字。「……」。それに促される様に自分のスマホを確認する。やはり、と言うべきなのだろうか? 立ち上げたSOアプリ。着信を告げる欄には――赤い数字の1。


「漸く捉えた。勝負しろ」

「……君がアンダーだったのか……」

「お前に負けたからな。負け犬アンダー、ぴったりだろ?」

「……殺しアウトにした数は君の方が絶対に多いだろ」

「かもな。……それで?」


 どうする? と、アンダー。「――」。肺の中を空っぽにする様に大きな溜め息。


「――僕に、拒否権は?」

「使わせんさ。――『おれ』も、あの事件の被害者だ」

「でしょうね」


 噂で聞いた。

 “最強”は中学で野球を辞めたのだ、と。

 怪我でも、家庭の事情でもなく、どう言う事情かは良く分からないが、この先の野球についていけないから――と予定通りに野球を辞めたのだと言う。

 そんな彼の最後の試合の最後の打者で――最後の球を打ったのは僕だ。


 ――お前にだけは……負けたくなかった……ッ!


 試合の後、彼とは涙で掠れたでそう言って握手をした。

 投手と打者。

 その違いはあれど、球の投げ過ぎで同じ様に奇形と化したその指。

 その指を知っている。

 その指をカッコいいと思ってしまった。

 その指の持ち主を裏切った以上――


「……分かりました。どこでやりますか?」


 これは僕が下されるべき立派なだ。









 アンダーと連れ立ってやって来たのは駒原市の河川敷に造られたグラウンドだった。

 僕とイカルガが朝練をする橋の傍にあり、駒原市のリトルリーグや草野球の試合が行われるのでそれなりに馴染んだ場所だった。

 どういう魔法を使ったのか、証明が灯り、ライトアップされている。


「覚えてるか?」

「……何をですか?」


 そんな場所で僕とアンダーはマウンドとバッターボックスに分かれ、向かい合う。


「おれが初めてお前に打たれたのはここだった」

「それを言うなら僕が君に初めて三振を取られたのもここですが?」


 懐かしい場所で出てくるのは互いが互いにまさかの『恨みごと』。その滑稽さに僕らは「は、」と笑い合う。

 僕は彼の名前を知らない。どこに住んでいるのかも知らないし、顔だってしっかり見た覚えも無い。常に僕らの間には十八メートルの距離があった。

 投手として。打者として。そう言う風にしか接して居なかったとは言え、何故か彼はいつも傍にいた様な気がする。

 きっと僕らは少し歪だけど幼馴染の様なモノなのだろう。


「……」


 そんな彼の野球人生の最後を汚した。

 その事実が重く伸し掛かる。

 やった罪の重さを自覚すればする程に、野球が出来なくなっていく。

 金が必要だった。だから八百長をやった。そこに後悔は無い。悪いと思っていないのだから後悔は出来ない。それでも無理矢理『後悔』するとしたら、自分の頭の悪さに関してだろう。

 母さん、イカルガ、そして目の前のアンダー。そんな風に巻き込まれて悲しむ人がいることを僕は想像できなかった。

 どこまでも自己中心な思考の成れの果て。

 そうして今更になって纏わり付く罪悪感に攻められながら「野球がしたい」と泣き出すのだから救いがないし、救う価値も無い。


「ルールはノーマル。バンドは無しで、内野を越す球を打てば打者そっちの勝ちで――」

「それ以外は投手そっちの勝ち」

「そう言うことだ」


 ――それでひとまず会話は終わり。


 鼓膜を打つセミの鳴き声は遥か遠く、時折り通る車のエンジンが響くのみ。

 太陽は彼方の地平に沈み、夏に近づいたことを感じさせる少し暖かい五月の夜気の中、あの夏を思い返しながら、深い呼吸を一つ。


 吸って、吐く。


 意識して肩を動かした。

 そうして力を抜いて、一度バットで肩を叩いてから、高く掲げ、構える。

 とん。肩に伝わる軽い衝撃がウジウジと悩んで言い訳をしていた己を吹き飛ばす。

 あの夏から一年足らず。高校一年。五月の夜。守備も、ランナーも存在しない野球モドキの違法賭博。それでも救いと行き先の無い野球好きの為の理想郷一打席勝負にて――見据える先にはあの夏と同じ最強の名を冠する投手エース

 だがそんな相手の目に映る自分も、怪物と呼ばれる打者バッターだ。

 存在しない入道雲を幻視する。あの夏の音の無い白い世界を幻視する。

 視線の交差は刹那/意志の交差は那由他


 ――行くぞ。


 彼の口からでも、僕の口からでもなく。

 それでも彼の口と僕の口からそんなが響く。


 初動テイクバック初動ワインドアップ

 踏み込みエッジング踏み込みエッジング

 力を回しロール/力を回しロール

 グリップを強く握り/ボールにを乗せ

 打撃動作バッティング投球動作ピッチング


 不格好な音が響き、ボールは力強く、それでも大きく引っ張り方向のファールグラウンドに突き刺さる。放たれたのは“最強”を“最強”足らしめた決め球ストレート。だが、今の球は――


「……一応、聞いておきたいのですが――僕はわざと負けた方が良いか?」


 くるん、とバットを回して構え直しながら目と声に僅かな怒りを滲ませる。

 コースはアンダーお得意のアウトロー。それでも予想よりも遅かったせいで引っ張ってしまった。

 駆け引きの結果。それなら僕の負けだ。それなら良い。それなら良いが、アレは違った。アレは露骨なまでに僕を計る為の球だった。


「――まさか。本気で来いよ、ブリキ」


 僕の言葉を受けてアンダーの目の闘志紅蓮が燃え上がり、口元から零れる笑みと声に喜びオレンジが滲む。


「だったら本気にさせろ・・・、アンダー」


 僕も零れる笑いオレンジを隠さず、バットを構え直す。あんな測るエロい球、次に投げたらホームランにしてやるぞ。

 一球目は様子見。それでもカウントはワンストライクで僕が不利に。舐められた結果、仕留められずにこのざまだ。登録名ブリキが悪かったのか、随分錆び付いている。

 二球目。僅かにアンダーの目の中に悪意紫色が混じる。だが何より球のが違う。

 僕の脳は特別性だ。

 他人を認識できない代わりに、感情を見せてくれる。

 だが、それは経験の蓄積だ。経験の蓄積だから――僕は回転と音から変化球の球種がわかる。

 だから球種は分かっていた。SFF。

 アンダーの切り札だ。

 感情の揺れからも、ボールの音からも僕はソレを読んでいた。だが――


「手を抜いて欲しいか、ブリキ?」


 にやにやとアンダー。


「……まさか」


 チップ。僕の覚えているモノよりも落ちた結果だ。スタンドに叩き込むつもりだったのにバットはボールの僅かに上を叩き、それでもタイミングが合っていたので、背負ったバックネットに当たって跳ねた。——あと二センチ。

 ノーボールツーストライク。追い込まれた形のピッチャー有利。


「――」


 それでも目の前の投手の色に油断は混じらない。

 一切の油断なく、闘志が揺らぐ。

 三球目。SFFに対応する為に踏み込みを深くした僕を殺そうとするインハイ。これまでの二球で、どうしても下に意識が行っていた僕は――それでも、軽く躱す。

 ワンボールツーストライク。

 四球目。三球目と同じコースただし、そこからボールを僅かに動かしてのフロントドア。ボール球が半分だけストライクゾーンに入ってくる。

 芸術の様なボール半個分の出し入れ。見送ってボールと言っても受け入れられそうなそれに、思わず身体が動く。

 腕をたたみ、腰で打つ。

 カウントは変わらずのワンボールツーストライク。それでも放った打球は投手の背中を冷たくする特大ファール。

 読み合いだ。

 アンダーはコントロールをミスらないし、僕はバットを空ぶらない。

 僕が読み切るか、アンダーが外すかの読み合い。


「――」


 SOでは味わえなかった緊張感に、バットを握る手に思わず力が入った。

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