2話 神敵すべからく血の土地へ蹴落とすべし

 地方都市の人家もまばらな街はずれ。つまり単なる片田舎。こじんまりとした教会の前に「公認退魔教会F県 北部支部」と白字で書かれた黒いバンが止まっている。


 午後の光の中で教会の周りの赤い花はゆるやかに風に揺れて、少し野放図気味に育ったそれらの合間を数羽の小鳥が跳ねながら歩いている。誰に聞いても心癒される景色であると答えるだろう。ただし、ところどころ焼け焦げた跡や、何かが爆発したようなクレーターがあることを除いては。


 「相変わらず中央は横暴ですねえ。3日後から業務転換なんて、事前連絡があってしかるべきと思います。」


 その教会の一室の古びた応接室で、縣は初老の男性と言葉を交わしていた。


「前線勤務自体は嫌じゃないんですがね。移動負担と体力が持つかどうか。我々は主の犬*¹になったつもりはありませんでしたが、その前に畜生だったようです。ああ主よ、聖なる勤めが増えることは喜ばしいことと存じます。……神父さん、コーヒーをあと一杯お替り頂いても宜しいでしょうか。できればもう少し濃いと助かります。」


「……これで四杯目ですよ、シスター縣。あなたに会うたびに、コーヒーが黒くなっていっている気がしますが。」


「疲労に後方業務のストレスに刺激物、胃に穴が開くかもしれませんね。聖務に疑いを持たずに勤行すればストレスなんて感じることもないでしょうから、私もまだまだであるということです。」


 縣は神父と呼ばれた男性からカップを受け取り、革張りのソファーに腰を沈め、軽く眉を上げて応じる。


「……それは皮肉ですかな。特にあなたは命令に断れない性分に加え、なまじ仕事ができるものですから、仕事が舞い込むのでしょう。」


「無論、書面を読んだときは大いに驚きましたよ。最近ずいぶんと現場から遠ざかっていたというのに、急に新人とバディを組んで指導しつつの前線復帰と書いているものですから、いきなり何を、という感じです。」


「元からうちの退魔教会は、規模が他と比べて大きくないというのに、退魔師の成り手は減少の一手、現場は高齢化。悲しき必然ですなあ。もっとも、怪異案件が減少している今日日、うちだけでの話ではないそうで。」


「減少傾向にあるのは平和な証、務めに関係なく、一市民としてよいことだと思いますよ。まぁ、現状に四の五いっても致し方ないので、まずは今回の、えー、紫藤さんでしたか、彼女が入ったことを素直に喜びましょう。」



 縣はボヤを切り上げる。ここにきたのはこの知り合いの神父と親交を温めるのが主目的ではない。この後、そのバディとなったその紫藤という新人と初仕事の予定、縣にとって久々の現場の仕事である。


「しかも彼女、なかなか優秀そうですよ。彼女の詳細にザッと目を通しましたが、たった半年でこれだけの依頼達成率なら、昇級どころか飛び級も視野に入るというものですよ。今回の依頼も新人指導どころか、むしろ私が助けてほしいくらいのものです。だいぶ久々の現場の仕事で、腕がなまってしまってますからね。」


 だが、神父の表情は冴えない。


「……彼女が当地区に到着してひと月余りだから、私自身、彼女がどのような人物かいまだ測りかねますし、依頼遂行中の彼女を直接見たことはありませんが、問題が。依頼自体は達成できているから、今のところ特にお咎めはないとはいえ。」


「む、それは戦闘能力に関してですか、それとも信仰上の懸念ですか。シスターとしての品行を強く求められた昔とは違うんですから、実力が伴っていれば多少は構わないのでは。」


「戦闘能力は素晴らしいようです。ですが、言動が少し、いえ、かなり。バディとはいいますが、むしろ体の良い監視、見守りに近いことになるやもしれません。」


「うーん?選り好みできる状態でもありませんからね。入職時の試験も突破しているのでしょう?怪異の発生が減っているから現在の人員でも対応は出来ていますが、いつ何時増加に転じるのか、確実な______ッ!?」


 ボォン……!


 唐突に地下から鈍い爆発音が室内に響き、揺らされた天井からパラパラと埃が落ちてきた。神父はため息を一つつく。


「……これが、教会の周りの穴ぼこを作った原因ですよ。彼女自身は実験と称しています。今はおそらく、地下墓地の一室にいると思います。」



「……死霊師ネクロマンサーか何かですか。」


「いや、いや、まさか。さすがにそんな外法の連中は教会に入れませんし、現在の国内にはもういませんよ。ひとまず彼女に会いに行ったらわかると思います。もう準備も出来ている頃でしょうから。」


 ___

 ______

 _________


「ここでしょうか? 入りますよ、し……!?」


 縣は地下墓地の鉄鋲のついた扉を開ける途中で足が止まる。異様な雰囲気に、一瞬気圧されてしまったのだった。

 シスターとおぼしき恰好が一人、作業机の上に座ってこちらを瞬きもせずにみつめている。


「なぜあなたは手をとめたのです?______いかな創造物、人は主の前に平等という教義、私もあなたも数式の等号イコールのように全く瑕疵かしなく主人公であると同時に脇役であることを意味するとすれば、一体今のその場を支配する力の多寡はどこより発されたというのでしょうか。やや傲岸な言い方になりますが、大質量は周囲の時空を捻じ曲げ、それを私たちは重力と呼称しますが、今の現象をまた同様の振舞いを適用した場合。」


 彼女は唐突に言葉を発してこちらにぶつけてきた。


「……は、え???」


「なんてね、どうでもいいことです。そしてどうでもいいことこそ、我々は大事にすべきだと思います。それが人を人たらしめているのですから。神敵すべからく血の土地アケルダマ *²へ蹴落とすべし。私が紫藤 穂佐奈です。わざわざ足まで運んでいただいてありがとうございます。よろしくお願いします、縣さん。」


 _____________________________________


 *¹ ドミニコ会士、またはその綽名(Domini canis)。13世紀初頭に創設された托鉢修道会。特に異端審問で有名。


 *² חקל דמא (Akeldama)。血の土地、血の畑と訳される。キリストを裏切ったユダが縊死した土地。

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