旅人エルフと『コジン』探しの記録

籠目瞳(カゴノメ)

プロローグ

プロローグ

「すみませーん、誰かいませんかー!」


 鉛を張ったような鈍色にびいろの雲の下、広さにして三十ヘクタールほどの、見渡せば端が見える小さな集落のただなかで、声を張り上げる一人の少女がいた。


 しかしどれだけ待てども返事が返ってくることはなく、雲が徐々にその色を濃くするのみである。


「ここもダメ。反応がないよ」


 固く閉ざされたまま物言わぬ一枚の木製の扉を前に、少女はここにきてもう何度目かになる嘆息を漏らす。彼女が集落を訪れたのは、じきに泣き出してしまいそうな雨をしのぐためであるが、住居という住居に声を掛けようともその声に返事があったことはない。


 ここには生命の活動が感じられない。


 ところで、彼女の脇には一匹の青い狐がいる。彼は扉に向かって大きな耳をそばだてていたが、やがて諦めたように少女に向き直り首を振った。


「音も聞こえねえな。人の気配がねえ」

「やっぱりそうか。これだけ大きな声を上げても何も反応がないってことは、多分ここには誰も住んでいないんだろうね」


 消滅集落という言葉がある。かつては住民が存在していたが、住民の一斉転居や死亡などによって住民の人口がゼロ人になってしまった、死んだ集落のことを指す。


 ここはその消滅集落なのだろう。住居だけは形を残しているのがなんとも気味が悪い。


 少女が不安げに天を仰いでみれば、その額にしずくが一滴落ちる。それからわずかもしない内に二滴目が頰に落ちる。どうしようかと目配せをすれば、狐も同様に雨が降るのを感じたのだろう。煩わし気に首を振っていた。


 間もなく土砂降りに変わる。このままではずぶ濡れになるのも秒読みであろう。


「家主の許可もなく入るのは申し訳ないけど、ずっとここにいるわけにもいかないよね」

「誰もいねえのに許可もくそもあるかよ」


 ぶっきら棒にそう返した狐は、少女が制止する間もなく目の前の扉を力任せに押し開け、扉はきいと音を立てて内側の様子をあらわにする。


 中はぼんやりと薄暗く、入り口の壁側に張った蜘蛛くもの巣の大きさからして、長らく使われていなかったであろうことは想像に難くない。


「ほら見ろ、こんなところに人が住んでいるもんか」


 そう言って無人と思わしき住居の中に狐が足を踏み入れれば、足元で床がぎしりときしんだ。扉が開くときもそうであったが、一挙一動に応じて建物が音を上げるのをみるに、築年数はかなりいっていると伺える。近い将来、老朽化に耐え切れず倒壊することだろう。それが今でないことを祈るばかりだ。


 初めは不法侵入することに躊躇ためらいを見せていた少女だが、次第に強まる雨脚には耐えられず遂に住居に入るのだった。


 彼女が後ろ手にバタンと扉を閉めれば、それを合図にしたように、限界を迎えた雨が住居を激しく打ち付け始めた。暴力的なまでに振り続ける雨は、一過性のものと思われる。


「たまたまだったけど、村があってよかったね」


 ガラス窓から霧のように細かな雨が降りつける外を眺めながら、少女は腰を落ち着け安堵あんどする。


 み合いが悪ければ、この雨の中ひたすら森を歩き続ける未来もあったかもしれない。そうなってしまえばまず間違いなく風邪をひく。


「もう時間的に夜になる頃だろうし、折角だからここで一泊させてもらおうぜ」


 先に入って家の奥を家探ししていた狐が少女に流し目をくれ、提案する。この雨ではまともに活動できるわけもないし、彼の言う通り一休みするべきだろう。


 少女は背中に提げていたかばんを下ろし、中から本日の夕食を取り出す。何かあったときのためにと、一つ前の国を出るときに買っておいた

固形食糧レーションである。腹持ちは悪いがないよりはましだろう。


 彼らは旅人である。


 目的はなく、ただ、興味の赴くがままに様々な国や地域を訪れ回り、独自の文化やその地に住まう人々と巡り会っていく。


 少女の名は、ベル。そしてそのベルにはべり従う狐のルアン。


 彼らの旅に終わりはなく、物語は常にどこかで始まりを告げる。


「……だれ?」


 そのとき――。


 部屋の奥。暗がりの向こう側から、ベルとルアン、どちらのものでもない幼い声が聞こえてきた。




 これは――旅人エルフのベル、従者のルアン、そして記憶喪失の少女エナが綴る、自分を探し求める旅の物語である。

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