Ⅵ オアシスの変化②

「ウルイ、大丈夫? ちょっと、予想外だったよね」

 以前と同じ部屋に滞在が決まり、宿に着き次第室内に閉じこもった。人に会いたくなかった。

 ウルイは先ほどの家族の様子に衝撃を受けてただ呆然とした。静かにしばらく過ごしたかった。

 ウルイの心が落ち着くまでライは待ってくれた。

「どうしよう。何か、良くないことになっている気がする。家族や集落の皆が笑顔で食べることに困らない暮らしをしていると僕は思っていたんだ。でも、あれじゃ皆から嫌われる悪者だ。あんな、傲慢な父は知らないよ。あんなの、望んでない」

 苦しい胸の混乱をライに話した。話していて気がつく。

 あんな父や家族の変わり様を望んだワケでは無い。きっとウルイの家族はオアシスで慎ましやかに幸せに笑って居るのだと勝手に思い込んでいた。あんな風に、ふんぞり返って偉そうになっていると思っていなかった。

 何故か悔しい気持ちがウルイに湧き上がっていた。

「うん。俺もウルイと同じだ。少しでもオアシスで楽に暮らせるよう手配したのだけど、方向がズレたのかも。ちゃんと把握できていなかった俺の責任だ。ウルイは気にしなくていい」

「いや、気にするって。父を変えたのは、きっと僕だ。僕がオメガになったからだ。あんなの嫌だよ。貧しくても助け合って、人を大切にしていた父さんに戻って欲しいよ」

 言いながら悲しくて涙が溢れた。

 ライは「ゴメン。ウルイのせいじゃない。全部、俺のせいだ」そう言ってウルイの肩を抱き続けた。

 気持ちが落ち込んでしまい夕方まで宿にこもっていた。途中訪室した人から夕食はウルイの家族の家に招待する、と伝えられた。夕刻過ぎにウルイの家族の家に行く返事をした。

「あ、そうだ。夕食前に『水色キッチン』に行かないか? ほら、懐かしい人たちに会えば元気が出るかもしれない」

 ライの言葉にウルイの心がドキリとする。水色キッチンの優しいオーナーや店員たちに会いたいと思った。あまりに変わっていた父や母を見てしまい、変わらずに穏やかなものを知りたかった。それを見たら気持ちが救われるような気がした。

「行きたい。水色キッチンに行こう」

 ウルイが顔を上げるとライが「もちろん」と返事をしてくれた。

 出迎えでオアシスの人たちの空気がぴりっとしていたから、目立たずに行くことにした。ライとウルイは平服を着て帽子で顔を隠した。

 ライを見ると黒のハット帽を深めに被っている。目元が見えないと怪しい人だ。ウルイは軽く微笑んで、自分の頭のキャスケット帽子を深めに被り直した。

 護衛は距離を置いてついてもらう事にして、こっそり二人で宿を出た。

 この宿は高級な一番街に位置している。水色キッチンのある三番街まで移動しなくてはいけない。夜の食事会に間に合うように早足で向かった。


「え? 嘘だ……」

 水色キッチンに到着して、ウルイは店の入り口で立ち尽くした。

 あんなに繁盛していた賑やかな店は閑散としていた。締め切られた店の入り口に『閉店』と書かれたプレートが付けてある。

「え? え?」

 意味が分からなくてウルイは驚きの声を隠せなかった。足元が震えそうなウルイの肩をライが抱き支えてくれる。

「何か事情があったのかも。仕方がないよ」

 ライが優しい言葉を出した時、急に声が掛けられた。

「あんた、ウルイでしょ!」

 女性の声に振り向くと怖い形相の女性がいた。顔を見て思い出した。ホールスタッフをしていた人だ。

 驚きで動きを止めたウルイに女性が駆け寄ってきた。肩を抱くライの手に力が込められる。

「どの面下げて戻ってきたのよ! オメガになったのがそんなに偉いのか! お前のせいでオーナーはオアシスに住めなくなったのよ! 夢だったレストラン開いて何もかも順調だったオーナーが、嫌われ者のあんたを雇っていたってだけで店は閑古鳥! 結局潰れちゃったじゃないか。この貧乏神! お前なんかに情けをかけるんじゃなかったよ!」

 怒りの言葉をぶつけられてウルイは震えが生じた。青ざめるウルイを睨んで立ち去ろうとする女性をライが引き留めた。

「待ってください。私どもは今この街に着いたばかりです。あまりの変わりように驚いているのです。状況を教えてもらえませんか?」

 本当は怒っていそうなライの顔をウルイは見上げた。一見穏やかだが、ウルイの肩を抱いている手が熱かった。

「何よ。お偉いお偉いアルファ様が出てきました~ってわけ? いいわよ。死罪でも何でもしなさいよ! この店で働いていたってだけでも嫌われ者なんだから! いい店だったのに! 全部あんたたちのせいよ!」

 ライを睨む女性は、笑顔の素敵なホールスタッフだった。

 いつもウルイが『かっこいいいなぁ』と思っていた一人だ。その変わりように悲しみが走る。水色キッチンが無くなったことも、この人が怒りを抱いているのも、きっとウルイのせいだ。

「なぜ、ウルイが居ただけで店が潰れたのでしょう」

 静かなライの声が聞こえた。ウルイは目の前の現実が怖くて、ライに隠れるように引っ付いた。

「当たり前じゃない! ウルイの家族は権力を握ってふんぞり返って。あの豪邸だって副長の邸宅があった場所じゃない! 『オメガ様の父親に譲れないのか』って何でも奪って壊して。偉そうにして腹が立つのよ! このオアシスは皆で頑張って盛り上げて来たのよ! それをぶち壊して、何がオメガだ!」

 女性の声を聞き、ウルイは悲しくて涙が溢れた。

(父さん、どうして? なんで?)

 そんな疑問だけが頭を占めた。

「それでウルイは嫌われ者なのですね。これは、状況を把握していなかった私の責任です。ウルイのせいではありません。どうかお許しください」

 ライが丁寧に腰を落とす。片膝を地に着き女性に低い位置で頭を下げる。これは相手に対する深い謝罪の姿勢だが、貴族が目上の者以外にこの姿勢をとることはまず無い。有り得ない事に驚いた。

「な、なによ。あたしにそんな事しても、何にも変わらないじゃない! このオアシスを不幸にした罪は消えないのよ!」

 ライの態度に驚いたのは女性も同じだ。たじろいでいるのが伝わってくる。慌てたように女性が走り去った。

(ごめんなさい)

 ウルイは心の中で謝罪した。

 水色キッチンの優しかったオーナーを思い出し胸が痛んだ。顔を上げられなかった。店の閉じられた出入口が侘しく見えて息が苦しかった。

 数か月前の賑やかな店を思うと目の奥が熱くなった。『今日も助かったよ』とウルイに笑いかけてくれていたオーナーに謝りたい。いや、オーナーだけではない。オアシスに住む人たちに謝らなくてはいけない気がした。

「ウルイ、行こう。ここに居ると目立つ」

 ウルイを隠すように抱き留めてライが小声で語りかけてきた。ライ越しに周囲を見れば、嫌悪の目でウルイを見る人たちがいた。途端にウルイは怖くなった。

 この目線は知っている。ササラがウルイに向ける目線だ。そう感じるとウルイの身体がガタガタ震えた。

 何処に行ってもこの恐怖が付いてくる。急に喉が詰まったように息が苦しくなり、ライの服をぎゅっと握った。ライがウルイを抱く手に力を込めて反応してくれる。

「ウルイ、抱き上げる」

 一言が耳に届いたと思った瞬間、ウルイの身体が横抱きにされていた。驚きに声を上げる暇もなくライがものすごいスピードで走った。あまりの速さに声も上げられなかった。馬より速く感じた。

 落とされないようにライにしがみ付くのが精一杯だった。

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