Ⅲ アルファの番は誰? ③
優しく頭をなでられる感覚にウルイは沈んでいた意識を浮上させる。
そっと目を開ければ困ったような顔のライが見えた。
「ラ、イ? ……ここ、は?」
起きようとして身体を動かすが、全身の痛みと重だるさに起き上がれなかった。
「あぁ、ウルイ。起きなくて良い。動きたいならば俺が抱き上げるから。全部、俺のせいだ。ごめん。本当に、ごめん」
「何が、どうなったの?」
無言でライが下を向く。聞いてはいけない事だったのかとウルイは不安になる。
「ウルイ、俺はアルファなんだ。俺がアルファ貴族だ。そして、ウルイは俺のオメガ、だ。騙したようになってしまって、ごめん」
「え? 僕が、オメガ? ライが、アルファ様?」
突然の告白にウルイの頭が真っ白になる。
「そうだ。ウルイの同意を得ないままで、すまない。ただ、ウルイ以外には考えられなかった。出会った時からウルイだけが俺のオメガだって確信していた。だから何度もうなじにマーキングしてしまった。本当に噛んでしまった時は、発情誘発剤を使われていて自制が効かなかった」
申し訳なさそうに話すライをウルイは見つめた。ライがアルファであるなんて信じられない。
これはウルイの寝る前の妄想なのかもしれない。混乱するウルイの心と疲弊している身体が辛くて目を閉じる。
「よく、分からない」
そのまま布団に潜り込む。
「ウルイ、どこか辛いか? おなか、空いていないか?」
聞こえてくるライの声を布団の中で聞き流す。
(全部、夢だ)
そう思いウルイはぎゅっと目を瞑った。
「オメガ様、御入用はございませんか? 何でもお申し付けください」
部屋にいる使用人であろう女性に声を掛けられて、ウルイはどうしていいのか分からずフルフルと首を横に振る。
「かしこまりました」
そんなウルイに丁寧に一礼をして女性が去っていく。
「なぁ、ウルイ。本当に欲しいものはないのか? ほら、ライチジュースは用意したよ。それにサンドイッチも沢山用意してある」
ライが心配そうにウルイをのぞき込む。ウルイは布団をぎゅっと握りしめて首を横に振る。
ウルイが目覚めても目の前の現実は変わっていなかった。
ライは王都に住む伯爵家の次男だった。その才能は幼少期からアルファで間違いがないと言われていたらしい。
アルファは発情期が来て初めてアルファと断定されるらしい。アルファ確定がされると『伯爵』以上の地位が授与される。
このオアシスで発情しオメガを得たライは、伯爵家次男という立場から「ライ伯爵公」に昇格した。
そのおかげで、祝電やお祝いの連絡がひっきりなしに届いている。ここに来ているだけでもすごい数だと思うけれど、伯爵家本邸には贈り物などが相当な量来ているらしい。
現状をゆっくりと説明されても分からないことだらけだった。ウルイにしてみたら、すべてが知らない世界だ。
「ウルイ、少し隣室にいる。リモートで数名との面会があるから。何かあれば本邸から来ている侍女のササラと侍従長のトムが対応してくれる。何でも命じていいから。とにかく休んでいてね」
部屋を出るライと入れ替わりに先ほど部屋にいた女性使用人と中年の男性が入ってくる。
丁寧にライに頭を下げて挨拶をしてから二人がウルイの傍に来る。
「ライ様のオメガ様。王都の伯爵家本邸侍女をしておりますササラでございます。オメガ様におかれましては、このたびの僥倖、心よりお喜び申し上げます」
「同じく本邸侍従長トムでございます。私からもお祝い申し上げます。おめでとうございます」
恭しく挨拶をされてウルイは身体を固くする。ふたりが何を言っているのか全く理解できなかった。
「はい? ぎょ、ぎょうこう? 喜びを申し上げるって、なんで? 本邸ってなに?」
ウルイの発言に二人が同時に驚いた顔をした。首をかしげてコソコソと話をしてからこちらに向く。
「失礼ながら質問させていただきます。オメガ様は貴族か準貴族ではないのですか?」
トムからの質問に困ってしまいウルイは下を向く。
「貴族、では、ないです」
「では、地方オアシスの有力者の血筋でしょうか?」
「いえ……ちがい、ます」
二人の視線が痛い。
「一般の方、ですか? オアシスの何番地ご出身でしょうか?」
心臓がドキッとする。オアシスは番地により裕福街出身か貧困街出身なのか分かってしまう。
「オアシスに、住んでいません。番地、なしです」
ウルイの言葉に目を見開く二人。
「まぁ! 信じられない! あの完璧なライ様の選んだ方が最下層の貧乏人だなんて! オメガ様候補は男爵家以上の貴族令嬢が名を連ねていたのに!」
悲鳴のような声を上げてササラが嫌悪の表情を浮かべた。
「まさか、そんな! ライ様のオメガ様なのに! 貧困層だなんて!」
トムも同じ反応を示す。
「トム侍従長、どうしましょう。私はこんな現実、受け入れられません! オメガ様は高貴な方だと思っていましたのに。お仕えするのを楽しみにしておりましたのに……」
ササラは泣いてしまっている。ウルイは恥ずかしくて申し訳なくて下を向いた。手の震えがおさまらなかった。
「オメガ様、なぜ、あなた様が選ばれたのでしょう?」
トムが質問してくるが、必死で平静を装っているのが伝わってくる。
「発情を誘発する薬の、せい、です」
ライがウルイを噛んだ夜を思い出して、ライが言っていたように伝えた。
「なんてこと! この野蛮な貧乏人! 卑怯な手を使いライ様をだましたのね! 許せないことですわ! トム侍従長、私、とてもこんな方は認められません!」
「オメガ様、現実はあなたがオメガ様ですが、ライ様の使用人一同はあなたを受け入れるかわかりません。そのおつもりで居てください」
二人から怒りのオーラが出ていて『水をください』と依頼することができなかった。怖くてピリピリする空気に逃げ出したくなった。ライがいない小一時間がとてつもなく長く感じた。
布団に潜り込み早くライが戻る事だけを願っていた。
「ただいま。トム、ササラ、ありがとう。ウルイ、大丈夫だった?」
穏やかに微笑むライが戻ってきた。
ライを見ただけでウルイの肩の力が抜けた。ほっとした。泣きそうになってしまった。
「え? どうかした? ウルイ?」
ライが直ぐにそばに来る。ライの後ろにはウルイを睨む二人が見えた。
二人の怖い顔を見て、先ほどまでの事を言うことが出来ず言葉を飲みこむ。
「なんでも、ない」
「そっか。簡易服に着替えてくるから、もう少し待ってね」
優しくウルイの髪をなでてライが部屋を出て行く。
部屋の扉が閉じると直ぐにササラが口を開く。
「汚いオメガ様、告げ口をなさりたいのならばどうぞ。ただし、その場合は邸宅の使用人すべてを敵にまわす覚悟を持ってくださいね」
冷たく言い放たれる。ウルイは肩を落として首を振る。
「告げ口なんて、僕は、しません」
「まぁ、かわい子ぶって。私どもにそのような態度が通じると思ったら大間違いですからね。今後その無教養な態度も直していただかなければいけません。番地外の者は教育もまともに受けていないでしょうから」
大きくため息をつくササラに何も言えずウルイは下を向いた。教養が無い、貧乏、汚い、すべてがウルイに当てはまる言葉だ。
本来ならばウルイは、ササラやトムのような貴族につく使用人にさえなれない存在だ。申し訳なさにただ下を向いた。
冷たい目線が刺さるように痛かった。
「お待たせ」
着替えたライが戻ってくる。ウルイはすぐに顔を上げてライを見た。
ササラとトムに早く部屋から出て行ってほしかった。
「ウルイ、大丈夫?」
「……うん」
「まだ発情期が明けて二日目だ。それなのに一緒に居ない時間が出来てしまってごめんね。少し仕事で席を外すときにはササラとトムが付いてくれるから。二人とも伯爵家の優秀な人材だから何でも頼っていいからね。ゆっくり体調を整えればいいよ」
ササラとトムがライに向かって深く頭を下げる。ライが二人と笑顔で会話をする。
この二人を信用しているライには先ほどの事は言えない。ウルイは、挨拶を交わして退出する二人を見送った。
心がぐっと沈み込んだ。
「ウルイ、どうかした? 元気がないけど」
部屋に二人きりになりライから声がかかる。
どうしようもなく悲しい気持ちになってウルイは泣いた。
「どうしたの? 傍に居なかったからだよね。 発情期後なのに、ごめんね」
何度も謝る優しいライの胸に隠れるようにしがみ付いた。涙が止まらなかった。
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