7―3 フェアラート 裏切り

「夜月、元気そうでよかった」

 鷹潟は力なく微笑んだ。どこにでもある、何でもないような路地裏が待ち合わせ場所だった。頼りない街灯が闇を薄くしている。

「その傷はどうしたんですか」

 鷹潟は、けっして浅いとは思えない傷をいくつも負っていた。格闘技の達人である鷹潟にそんなダメージを与えられるアルテ・メンシェンがいるとは思えない。となれば。

「年甲斐もなく、やんちゃな坊主共と喧嘩したんだ。気にするな」

 夜月はそれ以上、追求するのはやめておいた。

「話がある、と聞きました」

「そう。僕は、話さなければならない。でも同時に、怖くてたまらない。国を裏切る事になるからだ」

「国? 大和やまと皇国こうこくですか」

「それはもう捨てた。二十年前にな」

「ガルヴァキスのヴェヒターになったから?」

「そうだ」

「では、ガルヴァキスを裏切るという事ですか」

 鷹潟は真っ直ぐに目を合わせて頷いた。

「今から話す事は……」

「夜月!」路地の先から声がかかった。黄色い髪の下で笑顔が広がった。「やっぱり生きてたんだな」

「香輝!」

 懐かしい声に、夜月は思わず叫び返した。だが、海王から聞いた話によると、鷹潟と香輝は敵対状態にあるという。慎重に対応しなければならない。

「まあ、お前がそう簡単にやられるとは思ってなかったけど。心配したぞ」

「いろいろな偶然が重なって、なんとか生き残った」

 香輝の傍には、恋音の他に見覚えのある男女が三人いる。いずれもシュニッターの隊員候補として名の挙がっていた者たちだ。実力者であるのは間違いない。夜月、忍夢、そして魔羅が抜けたあと、香輝をコマンダンテ隊長にして再編成したのだろう。

「鷹潟を追ってきたら、まさかの再会だ。どうなってるんだ」

「それはこっちが聞きたい。香輝、なぜ鷹潟さんを追う」

「そうか、お前は知らないんだな」香輝は一瞬だけ視線を落とした。「ヴェヒターを処分する事が決まった。鷹潟は最高幹部の一人でありながら、命が惜しくて逃げ出した」

「なぜヴェヒターを刈る必要がある」

「必要ではなくなったからだ。ガルヴァキスはもう、自分たちだけでやっていける。生殖可能な年齢に達した我々は、いくらでも増える事ができるし、自ら子供たちの世話もできる。教育もだ。そして社会の中核に浸透し、静かに速やかに支配を完成させる事が可能となった。ヴェヒターは、もはや不要だ」

「ヴェヒターはガルヴァキスの為の組織を設立して、親に捨てられた我々の暮らす家を用意した。そして親代わりに育て教育してくれた人たちだぞ」

「おいおい」香輝は呆れたように首を振った。「我々はアルテ・メンシェンの老人をさんざん刈ってきたじゃないか。まさにお前が言う通り、たいへんな苦労と努力を重ねて次の世代の為の社会を作り、守ってきた者たちをな。ヴェヒターだけは例外だとでも言うつもりか」

「例外なんかじゃない。それはアルテ・メンシェンも同じだ。我々は間違っていたんだ」

 香輝の表情が冷たいものに変わった。

「アルテ・メンシェンの社会に毒されたか、夜月」

「もうやめよう。私たちがしてきた事は殺戮だ。どんな人物だろうと、生きていれば喜びがあるんだ。それを奪う権利は何者にもない」

「雑草を生かして、なんの利がある。目を覚ませ」

 香輝が右手を上げた。

ヘア・アオフ!やめろ!

 夜月が叫んだ。

 ガルヴァキスの戦士たちに戦い方を教えたのは鷹潟だ。だが、今では全く勝負にならないぐらい、シュニッター各員の戦闘力は高い。元々の身体能力が違い過ぎるのだ。しかも鷹潟は手負いだ。囲まれればひとたまりもないだろう。

ハーーールト!やーめーろーーー!

 闇を引き裂くような夜月の声は届かない。黄色いグローブを嵌めた大きな手が、音もなく振り下ろされた。新生シュニッターの隊員が、一斉に鷹潟に襲いかかる。だが、その足は止まった。

 夜月が鷹潟の前に出て、シュニッターを迎え撃つ体勢に入っている。

「……なんのつもりだ、夜月」

 目を細めて夜月を見つめる香輝の声に、親しみは感じられなかった。

 隊員たちの間に明らかな動揺が見えた。ウンゼレ・ケーニギン我らの女王陛下、と敬愛を込めて呼ばれる夜月がガルヴァキスに反する行動をするなど、有り得ない事に思えたのだろう。そして、彼らは夜月の強さを知っている。

「シュニッター各員に告ぐ」感情のない香輝の声が冷たく響いた。「敵、二名を処分せよ」

 隊員それぞれが得意とする武器を構えなおした。距離を取りつつ、夜月と鷹潟を取り囲む。

フォアマツィオーンフォーメーションRZ4エア・ツェット・フィアーマッハ・エス!行け!

 香輝の号令と共に、一斉に襲いかかってきた。夜月の知らないフォアマツィオーンだ。香輝のオリジナルだろう。連続攻撃とフェイントが一体化した、巧みな動きだ。だが夜月は、しなやかにかわしてカウンターを決めていく。隊員たちはよろめきながら夜月から離れた。

「どうした夜月。動作に切れがないな」香輝の目はごまかせなかった。「お前なら一撃で仕留められる相手だろ。なぜ生かす。元の仲間だからか。……いや、それだけじゃないな」

 香輝が仕掛けた。周囲の者には互角に見えただろう。だが、夜月は徐々に押されていた。

「アルテ・メンシェンと交わって鈍ったか。それとも」

 剛拳が唸りを上げて怒濤のように夜月を襲った。夜月はすべてかわすか受け流した。

「お前こそ、殺気が中途半端だぞ、香輝」

「そう言いながら、なぜ俺にはカウンターを打たずに腹を庇う」香輝の目が見開かれた。「お前、まさか……」

「だとしたら、なんだと言うんだ」

「許さん……」

 身を震わせながら、香輝は瞳を赤く光らせた。それは一気に明るさを増して金色こんじきの輝きへと変わった。「お前の迷いの元を絶ってやる」

 香輝は大気を揺るがして夜月に迫り、太陽のごとく煌めくごうこぶしを撃ち込んだ。

シュトラーリェンダー・シュペーア!輝ける槍!

 ライヒテンデア・ゴーレム光り輝くゴーレムの二つ名は伊達ではない。

 だが、夜月はそれを真っ正面で受け止めた。その手には、ゲシュペンスト・デス・モンデス朧月ブリッツシュネルス・シュヴァイゲン沈黙の閃光が握られていた。夜月の瞳も金色こんじきに輝いている。

「やらせない。絶対に守る!」

 夜月の両手両足に破氣がこもり、純白の輝きを纏った。流風舞空りゅうふうぶくうやいばとなった夜月は、流れるように軽やかに、風に乗りくうを舞った。

「見えない……どうなってるんだ」

 恋音が呟いた。夜月と香輝の動きが速過ぎて、他の者には何が起こっているのか分からないのだ。

「これが、エアステス・キント第一の子供ツヴァイテス・キント第二の子供の全力の戦いや」

 いつの間にか、恋音の隣に海王が立っていた。

「海王? どこに行っていた。いやそれより、お前にはあれが見えるのか」

 海王は答えない。じっと目を凝らしている。

 人知を超えた戦いは、勝負がつく気配すらないままに時間が過ぎていく。だが、ふいに襲ってきた嘔吐感に堪えかねて、夜月の足が一瞬、止まった。

「覚悟!」

 全身に煌めく光を纏い、香輝はすべての破氣を込めて体ごと夜月にぶつかっていった。必殺の、そして捨て身の最終奥義だ。

ツォルン・デア・ゾンネ太陽の怒り……」

 光りが弾け、キーン、と空気が震えた。時が止まったかのように、誰も動かない。

「……なぜだ、海王」

 香輝は、信じられない、という顔で海王を見つめた。

「ウチもツヴァイテス・キントやで。忘れたんか。あんたのヘナちんパンチなんか、なんぼのもんじゃ」

 海王の瞳は金色こんじきの輝きを見せている。

「そうじゃない。なぜ、夜月を庇って俺の攻撃を受けた」

 海王がかなりのダメージを受けているのは誰の目にも明らかだった。

「分からへんのか、アホ」

「なんだと」

 苦しい息を一つついて、海王は噛みしめるように語った。

「どんなに立場が変わっても。考えがちごうてしもても。ウチらみんな、一緒に育った仲間やないか」

 血を吐くかのごとき想いを込めた海王の言葉を聞いたシュニッターたちから殺気が抜けていった。みな俯いて、武器を持った手をだらりと下げている。

「夜月、そして香輝」重傷を負いながらも、海王はなおも声を絞り出した。「二人はいっつも、ウチらみんなの憧れで目標やった。その二人が殺し合うやなんて、見てられへん」

 香輝は項垂れて唇を強く結んだ。握りしめた拳が震えている。

「俺だって……俺だって、友としてずっと夜月の傍にいたいんだ。どこか遠くへなんか、行って欲しくない。だから」

 その時、乾いた破裂音と共に夜月が倒れた。

「なんだ!」

 恋音が叫ぶ。いつの間にか、銃口が路地の両側にずらりと並んでいた。挟み撃ちだ。

「仲間割れかね、シュニッターの皆さん」赤と黒の迷彩戦闘服を着た兵士の列を掻き分けて、涼森奇左衛門が前に出てきた。「僥倖である! 手強い相手が、三人も弱っているとはね」

「おいギャルババア。夜月が銃弾一発ごときで倒れるはずがない」恋音が奇左衛門を指差した。「何をした」

「なんだ、私はオバサンからババアに格下げか? まあいい。今、夜月ちゃんが喰らったのは、研究に研究を重ねて開発した、ガルヴァキスの身体能力を一時的に大幅に低下させる銃弾だ。ちなみに、連続で二発喰らうとアナフィラキシー・ショックに似た症状を起こして死ぬ。どうだ、まいったか」

 奇左衛門は高笑いした。その横に並ぶ小さな人影があった。

「今のところ、一発しか作れてないけどね」

 シュニッターの全員が凍り付いたように見つめる先に、忍夢が立っていた。

「お前……何やってるんだ」

 恋音が近づこうとすると、目の前の地面で強烈な破氣が弾けた。

「何、って。ボクはゾンダーゾルダートの次席上級研究員だよ?」

「まさか、妖牙谷あやかしがたに楽夢らむに協力してるのか」

「正解。というわけで、今日、連れてきた兵隊さんたちは以前とは比べものにならないよ」

 忍夢は奇左衛門とウィンクを交わして後列に下がった。

「くそ、こんな時に」恋音はリュラを構えた。「忍夢と海王が抜けてる今、僕だけじゃ銃弾を防ぎきれないぞ」

「防ごうと思うな」夜月の声が聞えた方へ、みなが一斉に顔を向けた。「自分の強さを信じろ。誇り高き月界輪のクリンゲ・デス・シュニッターの力を見せつけてやれ」

「夜月、大丈夫なのか」

 香輝が夜月の傍に跪いた。

「肩に掠っただけだよ、香輝。カイン・プロブレーム問題ない。お前のこぶしに比べれば、こんなもの、屁でもない。体に力が入らないがな」

 頷いて立ち上がった香輝が声を上げた。

「みんな、コマンダンティン夜月夜月隊長の声は聞えたな!」香輝は奇左衛門を指差した。「シュニッター各員! もとはと言えば、すべてこいつの狡猾な罠のせいだ。忍夢が寝返ったのも、魔羅が悲しい思いをしたのも……そして、夜月が俺たちから離れてしまったのもだ」

 シュニッターの隊員たちが顔を上げた。武器を握り直す。ゆらゆらと闘気が立ち上り始めた。

アオスシュヴェルメン散開アインツェルネ・ベジーゲン!各個撃破

 ヤヴォール!了解!

 香輝の号令と共に街灯がすべて消えた。鮮やかな赤い光を瞳に灯した白い影たちが闇に潜んだ。

 忍夢の言う通り、今回のゾンダーゾルダート廃人兵士たちは確かに強かった。並のガルヴァキスでは全く歯が立たないぐらいに。だが、シュニッターの気迫がそれに勝った。呻き声すら上げさせずに仕留めていく。慌てて点灯されたライトも、標的の居場所を知らせるだけの意味しかなかった。

「夜月」

 鷹潟が倒れている夜月を抱き起こした。耳元で囁く。

 夜月の目が見開かれていく。

「鷹潟さん、それって、まさか」

 銃声が聞こえた。夜月の目の前で鷹潟がのけぞった。しかし、すぐに夜月に覆い被さった。震えながら抱きしめる。いくつもの銃弾が飛来した。鷹潟の体が何度も跳ねた。その目は宙を彷徨っている。

「いいな、夜月。確かめるんだ。自分自身で、確かめ……」

 鷹潟の体から力が抜けた。

「行くんや! 夜月」干しイカの盾が飛んで来て、二人を銃弾から守った。「お前には、やるべき事があるんやろ? 迷ったらあかん、ロース!行けー!

「海王……」

 夜月は温もりを失い始めた鷹潟の手を握りしめ、海王に向かって頷いた。海王が苦しそうに笑顔を見せた。

 必死に足に力を込めて、夜月は後ろを見ずに闇を駆けた。

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