第15話 川島星那という女性

 私はお人形さんだ。

 大きな部屋の真ん中に置いてある小さな椅子。

 その上に置かれているお人形さん。


 自分の意志で動くことはせず、親の言う通りに生きてきた。

 その生き方にずっと疑問を抱くことは無かった。

 結果、私は自分で何かを決めることができなくなる。


 親が言うままに習い事をし、周りに合わせるようにして生活をした。

 心が動かないままで生きてきたような気がする。


 仕事ばかりをしている親は、私に命令をするが家にいないことが多い。

 いつもお手伝いさんが家にいて、その人が私の面倒を見てくれていた。

 彼女が作る料理は栄養バランスを考えたものだが、毎晩学校の給食が出てくるような、そんなものばかり。

 悪くないけど、特別良いわけでもない。

 そんなのは私の贅沢なのかも知れないが、料理で感動をしたことは無かった。


 家はいつも清潔に保たれていて、恵まれた環境で育ったと感じる。

 でもあまりにも清潔過ぎる環境にいて、外にある汚さにいつしか嫌悪感を抱くようになった。

 それからずっと私は潔癖症で、まともに物に触れたりできなくなったのだ。

 もちろん、他人に触れることなど全くできるはずもなく、お手伝いさんはおろか、親にも触れられない。

 そんな自分の症状が、毎日のように嫌になる。


 これが中学までの私の全て。

 仲の良い友人がいるわけでもなく、引かれたレールを歩くだけの生き方。

 だけどある日、ふと抵抗したい衝動に駆られた。

 お人形として生きてきたことが苦痛に感じ、でも自分を大きく変えるほどの勇気も方法も無く、とりあえず少し派手な格好をすることに。

 所謂ギャルと呼ばれる格好をした。

 パーマとか染めるのは潔癖症から薬液が怖いから無理だったが、たったそれだけのことだったけど、何か解放されたような感覚。

 まるで生まれた変わったような気分だ。


 そしてその恰好で町を歩き、ハンバーガーを初めて食べてみた。

 感動したのは初めてだ。

 ハンバーガーを店内で口にし、涙をこぼした。

 何でそんなことで涙がこぼれるんだろうね。

 自分でも分からない。


 それから化粧もするようになり、顔が変わるほどのことはしないが、でも鏡に映る自分はいつもと違い、また変わったような気がした。


 でも生活は変わらない。

 感情が湧かないままに学校に行って、何も感じないままに習い事をする。

 結局これが私の生き方かとガッカリした。

 子供の頃から周囲は私を警戒して、近づこうとしない。

 化粧をする前までは目立ったこともしていなかったのに、何で友人ができないのだろう。

 あまり感情を出さないからだろうか。


 その気はないのだが、いつも気の無いような返事をしてしまう。

 それにどこか怖がられているのか、私を見て怯えてる人もいた。

 少しツリ目だけど、他人から自分がどう映るのかなんて分からない。

 奇異の目で観測される人形のままだ。


 そんな調子で高校生になり、そこでも何も変化は無かった。

 同じことの繰り返し。

 ただ年月を積み重ねるだけ。

 無感情に生きるだけ。

 虚無の人生。


 だけど二年になった頃、少しだけ変化が訪れる。

 それはとある男性が声をかけてきたことだ。

 彼の名前は根鳥修二。

 隣の席になったことで、私に声をかけたようだ。


「なあ、俺と付き合わないか?」


 それは根鳥と知り合ってから一ヶ月が経過した頃。

 学校の屋上で告白をされた。

 彼の言葉に胸はときめかない。

 でも断って話をできなくなるのは寂しいのかもと思った。


「ごめん。ちょっと考えさせて」


 他にまともに友人がいない私は、根鳥の告白を曖昧にした。

 根鳥は優しい顔で「待ってる」と言ってくれたが、どこか薄っぺらい笑顔。

 こんなのでも友達だから、無下にはできない。


 それから根鳥の友人を数人紹介されて、皆は私に根鳥と付き合うことを進めてきた。

 彼氏がいたら自分の人生が何か変わるかも。

 そんな考えもあり、私は根鳥の告白を受け入れることにした。


「よっしゃぁああああ」


 ガッツポーズを取り、嬉しそうに笑う根鳥。

 学校の屋上から見える空は、曇りだったのを覚えている。


 根鳥と付き合い始めたはいいが、だがそれでも私は変わらない。

 心が動かない毎日を暮らし、その隙間に根鳥が入ってきただけ。

 時に根鳥が竜胆の生徒たちと行動し、いつも以上に傲慢な態度を取るのは嫌だった。


 平気で浮気もするし、他にいい部分を探せと言われても困るぐらいで、早くも付き合ったことを後悔する。

 これが恋人というものなのだろうか。

 浮かれない私に浮かれる根鳥。

 根鳥は私と付き合えたことが嬉しい様子だった。


「なあ星那。そろそろ手ぐらい繋いでもいいか?」

「無理」

「そんなこと言うなよ。俺ら恋人だろ」

「恋人でも手を繋ぐとか無理」

「星那~。いいだろ?」


 ある日の学校の帰り道、根鳥は強引に抱きつこうとしてきた。

 あまり人が歩かない裏路地であったが、私は寒気を覚えて彼から離れる。


「本当に止めて。私が嫌がることをこれ以上やったら――」

「悪い! もう絶対にしない」

「それに浮気してんでしょ、根鳥。別のクラスの女子が根鳥と付き合ってるって話してたよ」

「それは遊びなんだって。俺が本気なのは星那だけだから」


 根鳥との付き合いは負の感情ばかりが生まれる。

 何も無い人生だったけど、こんな付き合いはしたくない。

 ここまで良いことのない付き合いだったら、これ以上付き合っても意味はないが……どうやって別れればいいのだろう。


「…………」

「もう浮気なんてしないから、別れるなんて言うなよ」


 本気で泣きそうな顔でそう言ってくる根鳥。 

 今思えばこの時別れていれば良かったのかも知れない。

 それからどうやって別れを切り出すのか分からず、私は惰性で根鳥との付き合いを続けていた。


 しかし彼氏だと言っても、そこまで恋人らしいことはしていない。

 門限があるのでそこまで遅くまで外出できない私と、休日は夜型の根鳥では時間が合わず、携帯で少し連絡をする程度。

 こんな状態でも付き合いを続けたいというのだから不思議なものだ。

 

 根鳥は友人たちに私を自慢するようなに話すことがある。

 きっと彼も私を人形扱いをしているのだろうと感じた。

 近くに置いて、それを楽しんでいるだけだろう。

 彼からの好意は感じるが、愛だとかそいうものには思えない。

 所有物に執着しているような、そんな気がする。

 

 根鳥の友人と少し会話をするだけで他の人とは話をはしないが、根鳥の噂話をしているのは何度も耳にした。

 付き合う価値は無いな。

 心の底からそう考え始めていた時、私は屋上で根鳥たちの会話を聞いた。


 根鳥たちが口にしていた円城という男子に接触してみることに。

 根鳥は付き合っているカップルに酷いことをしたという噂を聞いたことがあり、東という人の彼氏に話をしないといけないと考えたからだ。


 初めて会った円城裕次郎という男は面白いと思った。

 初めて胸が弾んだ。


 裕次郎がいたら何かが始まるような気がして、どうしてもこの縁を切りたくないと思い、強引にも関係を続けるよう話をする。

 根鳥のこともあったしね。


 それから彼の優しさに触れるたびに、心が動く。

 自分が知らなかった感情が胸の奥から溢れてくるような感覚。

 ハンバーガー以外の好きなことは分からないけれど、裕次郎となら見つけられるような気がした。


 彼になら触れられても嫌悪感が湧かず、むしろドキドキする。

 彼と行った水族館は感動があった。

 こんなの初めて。

 水族館が良かったのか、彼がいたからなのか。

 きっと後者なのだと私は思う。


 裕次郎だけは私を人形ではなく、人として見てくれていた。

 遠くから見るでもなく、近くに置くではなく、隣に座ってくれる。

 それが私は嬉しくて、そして心が揺さぶられるのだ。


 私が彼に対して抱く感情の正体は何か分からないが、近いうちに私はそれを知るはず。

 そんな予感をずっと胸に感じている。

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