周囲は誤解してますが、お義姉様は虐げられヒロインではありません

永久保セツナ

第1話 悪役義妹は義姉を守りたい

「お義姉様、足が遅い! もっとキビキビ歩いてくださいまし!」


 鳳月ほうづき麗華れいかは厳しい口調で義理の姉――鳳月ほうづき小夜子さよこの手首をつかんで強引に引っ張る。朝の通学路は穏やかな天気で、お嬢様お坊ちゃま御用達の名門校、文明学園の生徒達は友達同士でおしゃべりに興じながら歩いていた。


「ん……。ごめんね、麗ちゃん」


 小夜子は急に手を引かれた勢いでよろけながら、注意していないと聞き逃すような、ボソボソした小さな声で答える。

 登校中の生徒達は、そんな姉妹を見て、二人に聞こえないようにヒソヒソと遠巻きに眺めていた。


 鳳月姉妹は、世界的な規模を持つ大企業グループの社長令嬢の姉妹として名を馳せている。

 鳳月グループは、文字通り「ゆりかごから墓場まで」――ベビー用品から仏具、墓石、霊場に至るまで、この世に存在する、あらゆる商品を取り扱っていると言われているが、それはとりあえず置いておこう。

 問題は、社長である父親が離婚し、再婚したときの連れ子が麗華だったことである。

 麗華の母は社長秘書であった。つまりは、彼女は元一般庶民だったのだ。

 彼女のそういった経歴を知っている者であれば、「元庶民のくせに一生懸命お嬢様言葉を使って令嬢の真似事をしている」と笑うかもしれない。

 しかし、気が強く、高飛車で華やかな印象を与える彼女にたてつく存在はほとんどいなかった。

 そんな義妹とは対照的に、義姉の小夜子は大人しく淡々としていて、地味な印象。長く伸ばした髪を邪魔にならないように後ろで一括りにしているだけで、その毛先は手入れをしていない筆のように傷んでいる。前髪は伸ばしっぱなしで目にかぶさっていた。よくよく見れば、制服もところどころ穴が空いたりほつれたりしている。牛乳瓶の底のような分厚い眼鏡は、彼女をさらに野暮ったく見せていた。


 そんな姉妹には、こんな噂が立つのも納得であった。

 いわく、「連れ子としてやってきた義妹が、本来の社長の娘である義理の姉を虐げている」と。

 それはだんだんと話に尾ひれがついていき、麗華はすっかり「悪役義妹」としての地位を、不本意ながら確立している。


「小夜子さん、かわいそうに……」


「きっとお家でもひどい目にあわされているに違いないわ」


 そんなひそひそ話をしている連中を、麗華は「聞こえているわよ」と言いたげに鋭い視線でひと睨みすれば、遠巻きに見ているだけのギャラリーは怯えたように押し黙った。


 ――あんな連中、ゴシップを見て消費者気分で喜ぶ豚みたいな奴らだわ。


 彼女は内心で鼻を鳴らす。


「お義姉様、早く行きましょう。ここは人が多くて歩きづらいわ」


 麗華がそう言えば、おそらくは先ほどの連中は、今度は「義姉を人目につかないところに連れて行って意地悪をするに違いない」と噂話をするのだろうが、いちいち相手にして気を使うのも面倒である。


 少し通学路から脇道にそれて、遠回りをするルートで学園に向かうことにした。まだ遅刻をするような時間ではない。そもそも、この義姉妹は優等生だから、時間に余裕を持って行動するのが当然のようになっている。


「麗ちゃん、大丈夫?」


 小夜子がぼそっと呟いた。

 麗華は「お義姉様、そのまま動かないでくださいまし」と彼女に向き直り、制服のスカーフを直してやる。


「もう、お義姉様、少しは身だしなみに気を使ってくださいまし。わたくし、お義姉様をいじめているという噂が立っておりますのよ」


「ごめん……。なんか、めんどくさくて……」


 伸びた前髪が影を作っているが、その目は澄んだ湖のようだった。それを見ることができるのは、一番近くにいられる義妹の特権だ。

 小夜子は、別に麗華に虐げられているわけではない。

 ただ単に、オシャレに興味がないだけである。

 実際、鳳月姉妹は初めて会ったときから大の仲良しであり、なんなら麗華は小夜子に対して、憧れに近い恋心を抱いていた。


 ――お義姉様はわたくしなんかとは違う、本物の令嬢だ。だから、わたくしみたいにズカズカ大股で歩いたりしないし、お話をするときも物静か。人に威圧感を与えたりなんかしない、なんて慎ましいお方なのだろう。


 恋は盲目というやつだろうか、麗華にとっては、義姉のみすぼらしい格好も清貧に映っている。


 麗華は噂をする人々の言うことも、あながち間違いではないと思っていた。

 たしかに、自分は一生懸命お嬢様言葉を使い、上流階級のマナーを勉強して、義姉の隣に立つにふさわしい女になりたいと、必死に背伸びをしている。

 すべては敬愛する義姉のために。


「さ、お義姉様。この道でしたら、ゆっくり歩いても誰の邪魔にもなりませんから」


「ん……ありがとう、麗ちゃん」


 義姉の手首をつかんでいた手を、彼女の手に絡めた。

 小夜子はそれに柔らかく目を細めて、きゅっと握り返す。

 麗華はそれだけで、自分の心臓すら優しく握られたような心地さえするのだ。


 ――お義姉様にはもっと身だしなみに気を使ってほしいけれど、このお方はきちんとした身なりをすればきちんと美しい相貌をしている。その魅力に他の人が気づいたら困るのだけれど、お義姉様には美しくあってほしい。悩みどころだわ……。


 文明学園までの道を、隣にいてくれる小夜子にうっとりとした目を向けながら歩いていく麗華だったが、彼女が義姉のスカーフを直している場面を見た生徒から「麗華が小夜子の胸ぐらをつかんで脅していた」と曲解されて新たな噂として追加されることには、まだこのときは気付いていなかったのであった……。

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