第2話
富子も法眼も血を与えたが、その力が晴明に宿ることはなかった。その代わり、晴明の振るう剣に、僅かながらその名残が表れる程度。
それでは、話にならない。
法眼が言わずとも、屋敷を始め村中で、次の当主は葛葉だと噂が広まり、時には嘆願書までが提出される事態となった。
さて、この事態に、心底面白くないと思うのは富子である。
法眼のはからいでこの屋敷に嫁いでこられ、なれるはずなかった正室の座を幸運にも手に入れた。それだけで満足できる訳でないのは、人間の性質である。欲が出た。我が息子に、後継者座を与えたい、と。
富子は藤緒が許せなかった。側妻でありながら、産んだのが娘でありながら、恵慈家を手に入れると。惨めな思いをする息子が可哀想で堪らなかった。
「葛葉を次期後継者にするおつもりですか?」
法眼は、渋い顔をした。
「あれは、女子じゃ。そうしたくても、そうは出来ん。だから、2人が産まれた時、2人を夫婦にしようと考えておったのだ」
「表向き、晴明が継ぐと言うことでしょうか? それでも、真の後継者は葛葉という事では? 」
「何故、そうヒステリックに、悲観的に物事を考えるのだ」
あの娘さえ産まれなければ、晴明がこんな惨めな思いをする事はなかったと思うと腹立だしくてしょうがない。
葛葉のお陰で当主になれるという、これ以上の屈辱は無いと、富子は唇を噛んだ。
「これでは、あまりにも晴明が不憫でなりません。葛葉の行為を、お止めください」
そう言うと、富子は一旦席を外した。
あの娘を消し去りたい、亡きものにしたい、藤緒も共に消えればいい。どうせ無くなる家系なのだから。
法眼は、葛葉に医者としての行為を止めさせた。不審な影を抑えるために、がっかりする葛葉には、ほとぼりが冷めるまでと告げた。葛葉は、父の事も大好きだったから、困っている父の為ならと、承諾した。
「松兵衛、1度晴明と葛葉のを会わせてみることは難しいだろうか」
星の示す災いが未だ分からないうちは、2人会わすのが恐ろしい気もしていた。
「富子様の手前もありますが……」
「しかし、いずれ夫婦と考えている以上、このまま永遠に会わせない訳にはいくまい」
松兵衛も、頭を抱えた。
「来月、お2人が15を迎える際に、元服の儀式を執り行うというのは? お2人共、もう立派な大人ですよ」
「この災いを治めること、それがワシの最大の天命なのかもしれんな。人は誰でも天命があるというが、嫌な役回りだな」
松兵衛が、笑った。
「これが、最後の大仕事になるやもしれん」
元服の儀。富子は猛反対した。勿論、夫婦に関しても反対だった。対して藤緒は、どちらも勿体無いご好意と頭を下げた。藤緒はそのものの家に生まれたものの、その宿命を果たせなかった事を生涯嘆き悲しんでいた。棄てられてもかおかしくない身でありながら、側妻としても置いて貰えることに、心底感謝すらしていた。だから、葛葉の行為の件についても、法眼が望むならと口出しはしなかった。
富子の住む本家の屋敷と藤緒の住む離れの屋敷は、同じ敷地内にありながらも別住まいとされていた。
藤緒や葛葉の姿が本家の人間に見られないようにとのはからいであるが、それも全て富子や藤緒の家の世間体を気遣っての事だった。
だから、勿論富子も晴明も藤緒や葛葉を見たことも無いし、その逆もそうだった。
15の元服の儀にして、初めて4人は顔を合わせた。
『あれが、側室の娘でありながら次期当主の座となる女か』
肩身の狭い思いをしてきた晴明は、葛葉と藤緒を見ながら、どうしてもひねた考えをしてしまう。
『あの方が、次期当主の晴明様』
対して、邪心すら持たない葛葉は、晴明の事を逞しい1人の男性であり次期当主という目でしか見ていなかった。
お互い気付いたのは、父譲りであろう口元のホクロである。葛葉も晴明も、それぞれ反対方向に1個携えていた。
『腹違いと言えど、兄妹であるか。否、姉弟なのだろうか? どちらでも構わんが、自分によく似た顔を見るのは不思議なものじゃ』
葛葉は照れたように、顔を俯いた。
『なんじゃ、あの娘は。自ら顔を逸らすとは、失礼な。力の使えぬ俺が、そんなに可笑しいか? 顔まで赤らめて』
晴明は、ふいっと顔を背けた。
元服の儀が行われ終わったのち、法眼が2人の夫婦の約束を交わさせようかとした時だった。
それを遮るように、富子が入った。
「法眼様、元服の儀の1つとして、お願いしたい事がございます」
突然の富子の申し出に、法眼は息を飲んだ。それは富子に現れた闇の示しもそうだが、災いを恐れていたのもある。
「なんだ?」
ここは、ひとまず聞いてみよう。
「私が人柱としていた、あの村を覚えておいででしょうか? あの村に、再び鬼が現れたと頼りが来ました。私の世話をしてくださっていた僧より、文が届いたのです」
法眼は、目を丸くした。
「それは、封印が解かれたということか?」
「はい、別の鬼が現れ、あの祠を壊し、封印を解いたそうです。あの村は、あの薬草と温泉の力のせいで、兼ねてより悪霊、妖怪、鬼、魑魅魍魎が引き寄せられてきます。あれから僧が結界を張ってくれていたそうですが、それももはや限界と。そこで、龍神の生まれ変わりと言われる葛葉殿に、あの村の災いを治めて頂きたいのです」
法眼の頭に浮かんだ、災とはこの事かと。
「富子、それは……」
「かつて、法眼様が私の為に治めて下さったのですから。次期当主というなれば、この位のこと出来ねばと思うのですが」
法眼は、口を閉ざした。それを見て、葛葉が声を上げた。
「私、やってみます」
「葛葉よ……」
いかに龍神の生まれ変わりと言われる強力な法力を持つとしても、葛葉は15の世間知らずの娘である。恵慈家だけではなく父として、心配でならない。
そして、その葛葉の態度を見て、晴明は心の中で図々しい女だと悪態を吐いた。
「勿論、葛葉殿1人に行かせるような事は、致しませんよ。私は先に、これは元服の儀と申し上げたのはそこです。晴明も共に行かせます。そして、それが出来なければ、もし生命を落とすことなどあれば、それまでだったと。当主の器では無かったということでしょう」
「母上!」
思わず、晴明が叫んだ。こんな女と共にいるのは真っ平御免だ。
「晴明、これは元服の儀です。我儘は、通じませんよ」
葛葉同様に、晴明も大切に思う法眼は、晴明をも心配する目で見た。
「……では、富子。もし、2人が無事戻ってきた際には、2人を夫婦として認めるか?」
富子の口元が笑った。
「納得しましょう」
葛葉が、生きて帰ってこれば。
元服の儀を終え、それぞれ部屋に戻ると、晴明は珍しい程の剣幕で富子に掛かった。
「母上! 何故あのような申し出を!? 俺は、あんな娘と四六時中一緒にいるのは我慢ならない! ましてや、武芸はからっきしと言うでは無いですか。俺は、あの娘を守るのは御免です!」
富子は晴明の反抗を気にもせず、袖下から掌に乗る程度の巾着を出した。中身を出して見せる。紙に包まれた薬のようだ。
「なんですか?」
「これを飲んだものは、呼吸3つ程でこの世を去ります」
「毒ですか」
「守る必要は、無いのです。混乱に乗じて斬ることが出来なかった時、もしくは斬ることに躊躇われた時は、これを使いなさい」
「母上、もしやこれはその為に?」
「母は、晴明が1番なのです。あの娘がもし野盗に襲われようと、動物に食われようと、崖から落ちようと助ける必要はないのです。けれど、術の力でその程度では消せないでしょうから。最後は貴方自身で片付けるのです」
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