第十四話「魔術訓練」

 色々あったものの、いよいよ、シロエを交えての授業が始まる。飲み込みの早い彼のことだ、模擬戦での様子を実際に目にした三人は、特に心配する様子もない。……強いて懸念けねん点を挙げるとすれば、体力面くらいだろうか。

 軽い顔合わせののち、シロエは訓練場の中央へ、カガリ達は観客席へと移動する。


「……あ、そうだ! オレ、霊馬族れいまぞく朔鵠さくぐいハルマっていいます! よろしくお願いしまっす!」

 先ほど、ヒトキの背に勢い良く飛び付いた男子生徒が元気に自己紹介をする。シロエは差し出された片手を取り、軽い握手を交わした。

「僕はシロエ。よろしくね」

 シロエがそう言うと、彼は幼い子供のように瞳を輝かせ、握手をしたまま両手をぶんぶんと上下に振る。……全身で喜びを表現しているらしい。

「……朔鵠さん、それくらいに」

「はあい!」

「それでは、改めまして――シロエさん、」

 ヒトキに制され、ぱっと両手を離すハルマ。改めて、ヒトキがシロエに問う。

「貴方の戦闘経験の有無について、もう少し詳しく教えていただけますか?」

「戦闘経験……」


「えっと……さっきまでは一度もありませんでした。ですが――」

 先刻の戦闘を辿りながら、ぽつぽつと言葉を紡ぐシロエ。苦戦どころか全く歯が立たなかったが、それでも正真正銘の初実戦――戦闘経験には違いないだろう。

「ライナさんにも同じ事を聞かれて……僕の能力? がどうとか。それで、模擬戦をしたんです」

「……なるほど。その結果は?」


埋火うずみびさんから教わった通りに魔術を使ってみたんですけど……簡単に避けられてしまって。やっぱり、使いこなすのは難しいんですね」

「…………」


「え!? シロエさん、今まで戦ったこと無かったのに魔術は使えんの!? スゲー! 天才じゃん!」

「この学園にも、そのような方はいらっしゃらない気が……」

「……君、何者なの?」

 彼の回答に、一気にざわめく三人の生徒達。総じて高水準な能力を持つ天狐族てんこぞくの中でも、特に強いとされている副会長ライナですらを示したのだ。よって、これは至極真っ当なリアクションといえる。


「先生〜? ……あっ、フリーズしてる。珍しい〜」

「あはは! 何か考えながら固まってる〜!」

 しばしシロエの才能に盛り上がっていた三人だったが、ふと、担任のヒトキが何も言葉を発していないことに気が付く。表面には出ないものの、相当驚いているようだ。考え込むように口元に片手を添え、微動だにしない。

「せ、先生……!」

 唯一の女子生徒――僅かに青みがかった白髪に、頭部の左右に生えた、付け根から先端にかけて白から黒へと移り変わるような色の翼。深い青色の瞳の彼女が、黙りこくったままのヒトキに呼びかける。

「…………え、ああ。すみません」

 ようやく我に返ったヒトキはコホンと軽く咳払いをすると、シロエの返答を頭の中で反芻はんすうしつつ、悩ましそうに口を開いた。


「つまり、細かい理屈はともかくとして、基礎はおおむね出来ている――ということですよね? えーと……本当に必要なんです? 私の指導……」


「ひ、必要なんです! お願いしますーー!!」

 そう言い放った彼に対し、観客席の方から突然、必死なカガリの叫び声が響いた。


 ◇


「ふむ、魔力量のコントロール……ですか」

「どうすれば良いんでしょう?」

 カガリの説得もあり、なんとか指導の中断は思いとどまったヒトキ。シロエからより詳しい情報を聞き出し、それをもとに、彼に合った特訓内容を選んでゆく。

「全力を込めたら、すごく苦しくなって……一度発動するのが精一杯だったんです」

「では、まずはそこを重点的に訓練しましょうか」

 ヒトキはそう言うと、おもむろに右手を少し前に出す。すると、彼の手のひらの上に浮遊する水の球体が出現した。

 球体はまるでそこが水中であるかのように、ゆらゆらと輪郭線をうねらせ、静かに空中を揺蕩たゆたっている。その実体は薄れず、破裂もせず――安定した状態を保っていた。

「この状態を維持出来るようになれば、自ずと戦闘でも魔力切れを起こすことは無いかと思います」

「わあ……!」

 実際に“魔力の安定”を目の当たりにし、シロエは思わず感嘆の声を上げる。校内案内の際にカガリに見せてもらったものは、あくまでも“妖力ようりょく”によるものであったため、“魔力”自体は初めて見ることになる。

「まあ……これに関しては、習うより慣れよ、という部分が大きいですから。早速、実戦――模擬試合でもしてみます?」

 模擬戦に次ぐ模擬戦。最初に行われたそれは、彼の本当の力を確かめるためのものであったが、これから始まろうとしているものは、あくまでも技を身に付けるための訓練。とはいえ、観客席の三人はシロエの体力を案じずにはいられない。……が、当の本人はやる気のようだ。

「はい、お願いします」

 彼が真っ直ぐな眼差まなざしでそう言うと、ヒトキは、分かりました、と軽い返答をした。

「では……いかるがさん、お願いできますか?」

「! はいっ!」

 先ほどの女子生徒が名を呼ばれ、並んでいた列からシロエの方へと歩み寄る。それから、空色の襟に青いリボンのセーラー服を身にまとったその少女は、礼儀正しく挨拶をした。

「初めまして、シロエさん。正式な自己紹介がまだでしたね。私、いかるがマナミと申します。よろしくお願いします」

「よろしくね、鵤さん」

 ぺこりと頭を下げるマナミと、同じように浅く礼をするシロエ。挨拶もそこそこに、数時間ぶりの模擬戦が始まる。試合の形式は、先ほど、生徒達が行なっていたものと同じらしい。

「今回は特に、勝敗等の判定はありません。シロエさんの魔力制御の訓練に繋がる範囲で、両者、自由に動いてください。くれぐれも、致命傷は与えないように……」


「それでは――――始め!」

 ヒトキの号令により、先に動いたのはシロエの方だった。ライナと対峙した時と同様、手のひらに魔力を込め、火球を作り出す。まるで扱い慣れているかのように、宿した炎は消失せず、確かにその存在を保っている。

「っ……!?」

 事前に話は聞いていたものの、実際にそれを目の前にしたマナミが思わずたじろぐ。彼女の表情からは、本当に見習いなのだろうか――と、そんな心の声が聞こえてくるようだった。

「ほう…………」

 少し離れた場所で観戦をしていたヒトキも、常人離れしたシロエの芸当に驚きの声をこぼす。これまでに何人もの生徒を受け持ってきたが、こんな事例は初めてだ。

 さて、ここからどうなるか。彼は静かに、内心のざわめきを飲み込みつつ試合のく末を見守る。


(片方に力を込めすぎるのが駄目なら……こうすれば……!)

 依然としてこちらの様子をうかがうマナミをよそに、シロエは空いていたもう一方の手を、炎を宿している方の手へと重ねる。一体何をしているのだろうか――そう思われた刹那せつな、火のついたマッチ棒から蝋燭ろうそくへとそれが受け渡され、燃え広がるかの如く、彼の両手には炎が灯された。

「――そー……れッ!」

 両手に宿した炎はそのまま射出されず、細かく無数の火花となってマナミに降り注ぐ。だが、彼女とて日夜にちや、魔術の訓練に明け暮れる学園の一生徒だ。無論、不測の事態への対処法は心得ている。

「冷気よ!」

 マナミがそう唱えると、目にも留まらぬ速度で、飛来する小さな火球の前に小さく、細かな氷のシールドが次々と出現する。防御魔法のようだ。

 その耐久性は言わずもがな、出現位置にも一寸の狂いは無く、魔術練度の差がうかがえる。盾に着弾した火球は急速に熱を奪われ、辺りは一気に、濃霧に包まれたかのように煙った。

 魔力同士の衝突により、軽い衝撃波が起こる。濃霧の中でマナミの人影を探すも、視界不良で辺りを見回すばかりのシロエ。先手こそ打ったものの、上手く返され、後手に回ってしまった。


「わあ……何も見えねえ……」

「先生〜、これ大丈夫なんですか〜?」

 ヒトキのそばで共に観戦をしているハルマと、もう一方の男子生徒が担任に問う。観客席の反応も似たようなもので、ハラハラとした空気感がこちらにまで伝わってくるようだ。

「大丈夫ですよ。これは勝敗をつけるための試合ではありません。それに――」


「鵤さんが手加減を誤るはずがないでしょう?」

「なるほど〜」

「それはそうなんですけど、ずるーい! オレにもくださいよその言葉あ!」

「朔鵠さんは時々忘れるじゃないですか……」

「ハルマ君、楽しくなると手加減どころじゃなくなっちゃうもんねえ」

「うえー! 少しは庇ってよアユムっちー!」


「――しっ。静かに」

 彼らがしばしよそ見をし、雑談をしている間にも、戦況から目を離していなかったヒトキが声を上げる。どうやら、状況が変わったらしい。

 熱気と冷気の衝突により立ち込めていた霧が、少しずつ薄れてゆく。そこに現れた二つの人影。――いな、一人と、の影。

「シロエさん!?」

 観客席側から、カガリの声が響く。離れた場所で観戦をしている二人の男子生徒も、その光景をぽかんとした表情で見つめるばかりだ。


「これ……は……?」

 シロエを取り囲むようにして、地面から生えた何本もの巨大な氷の柱。おまけに両足までもが軽く凍らされ、完全に地面に縫い付けられている。これほどのことを、彼女マナミはあの視界不良の濃霧の中、極めて短時間の間にやり遂げたというのだろうか。


「攻撃の精度は素晴らしいです。本当に初めて魔術を扱う方なのか、分からないほどに……」

 氷柱越しに、マナミの声が聞こえてくる。動けず、多少の焦りを覚えていたシロエだったが、咄嗟に彼女の声に耳をそばだてた。

「ですが、このような場合は――どうなさいますか?」

 考えてもみなかった。なにも試合の勝敗を分けるすべは、攻撃だけではない。守備、それから妨害――こちら側を手玉に取り、もてあそび、手も足も出ない状況に持ち込む者だっているだろう。

「……そこから脱出、してみてください。貴方になら出来ます。きっと」

 しんしんと音も無く降り積もる雪のように、静かで優しく、それでいて、どこか凛とした声色でマナミが言う。これが“魔力制御”の訓練、一筋縄ではいかないようだ。

 自分になら出来る――そうは言われたものの、まだ戦闘経験の浅いシロエには、ここからどうすべきなのかが分からない。命の危機は無いにせよ、氷柱から発される冷気で、次第に体内の魔力ごと身体が冷やされてゆく。……寒い。

 辛うじて魔力切れは起こしていないのが不幸中の幸いだろうか。それでも、脚すら動かぬ今、この氷の壁を前に、なすすべなど無いように思えた。

 まさに万事休す。しかし、追い込まれても尚、決して思考は止めず、打開策を必死に思案するシロエ。何か、何か方法は無いか――そんな時、彼の背後から、自身に呼びかける声が響いた。


「シロエさん! 炎の魔力で! その熱を維持したまま溶かしてください! 火球は撃たないで!」

 自身の片手を拡声器のように口元に添え、ヒトキが声を張る。普段はこのような事をしないのか、シロエよりも周囲の生徒達の方が、そんな彼の行動に驚いている様子だった。

「っ! 分かりました!」

 氷の壁の中から、負けじと声を張り上げ返事をするシロエ。そして再び、息を深く吸い込んだのち、両手に炎の魔力を集中させる。

 先ほどのように、両の手のひらに炎が宿ったことを確認すると、彼はその手でそびえ立つ氷柱にそっと触れる。氷の冷たさが手から全身へと流れ、僅かに身震いをするも、それを離すことなく熱を当て続けた。


 そのまま静止すること、一分足らず。

 ピシ、と音を立て、目の前の氷柱に細かな――されど、確かなヒビが入った。

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