第七話「魔力過剰」

「よし、全員揃ったね?」

 小憩しょうけいから戻った教員達が各々おのおの静かに着席すると、演台えんだいを背にノエルが問う。

 学園長は一同からの少しまばらな返事を受けたのち、うむ、と呟くように言いながら短く頷き、こう切り出した。

「それじゃあ、ここからは次の議題に移ろうか」

 さきの会議内にて、おのれの失言によって詳細を聞きそびれてしまった彼の話――異常な魔力の所在しょざいを明らかにし、更に、その後の対応についても慎重に検討しなければならない。まだ、この議論に決着は付いていないのだ。

「では――入相いりあい君。改めて、調査結果の報告をお願いしても良いかな」

「はい」

 正式に指名を受けたヒトキは席を立ち、速やかに演台の方へと向かう。そして、彼と立ち代わるかのように、ノエルも他の教員同様、会議室の隅に設置した自身の席についた。

「……えー、先ほどは大変お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございませんでした。それでは改めまして――」


「私の方から、本日実施しました、立入禁止区域――“怪奇の泉かいきのいずみ”の水質調査結果のご報告をさせていただきます」

 再び静まり返った会議室に、彼の淡々とした伶俐れいりな声が響く。壇上で何枚かの資料を束の中から抜き取ると、一呼吸を置いてから静かに口を開いた。

「早速ですが、単刀直入に結論から申し上げます。……あの一帯には現在、尋常ではないほどの膨大な魔力が蓄積されており、その根拠となる要因もいくつか散見されました」

「なにっ……!?」

 ようやく突き止めた問題の根源に、ノエルが驚きの声を上げる。その反応に答えるように、ヒトキは手元に用意した指示棒ポインターの長さを調節しながら、学園長が開いたままにしていたノートパソコンを借りて操作する。

 それから少し間を置いて、とある資料がスクリーンへ映し出された。そこには、怪奇の泉を中心にえた、水源からレヴリ全土への魔力循環構造が詳細に図解されている。

 この地に暮らす人々であれば誰もが知る、言わば共通認識に等しいものだが、復習の意も兼ねているのだろうか――話に聞き入る教員の中には、そんな疑問を浮かべた者もいたかもしれない。ただ、思考の波間を揺蕩たゆたう言葉は発されぬまま飲み込まれ、室内には先刻せんこくと変わらぬ静寂が流れるばかりだった。

「元々、あの泉は豊富な魔力を含有がんゆうしており、それを無数の川を通じてレヴリ各地へと運び……土地や生物に恩恵をもたらす、エネルギーのバランスを保持するなどといった役割があることは皆さんもご存知かと思います。しかし――」

 口頭での説明に合わせ、スクリーン上の図をなぞっていた指示棒の先端がはたと止まる。彼は映し出した資料からそれポインターをそっと離すと、空いている左手へ収めるようにして元の長さに縮めた。

「今の状態――あれ程の魔力量では、恵みどころかとんだ劇物であると、少なくとも私はそう感じました。そんなものが何故急に、かつ、一体どこから発生したのかまでは分かりかねますが……」

 カチカチ、と指示棒の伸縮する音が鳴り響く中、自身の話に耳を傾ける教員達の方へと向き直った彼が続ける。報告内容を頭の中で反芻はんすうしていたためか、難しそうに眉間みけんにしわを寄せ、少し目を細めながらノエルが口を開いた。

「つまり、この一連の騒動の全貌ぜんぼうは……」

「はい。何らかの要因によって、怪奇の泉に蓄積されたおびただしい魔力がそのまま川へと流出、循環し、水と共に過剰な魔力を体内に取り込んだ書物喰らいブックワーム達が各地で凶暴化した――と、おそらく、つまんで言えばそんなところでしょう」

 ヒトキが結論を短くまとめると、学園長は脱力したようにがっくりと肩を落とした。

 まさしく“灯台下暗とうだいもとくらし”。よりにもよって、調査を一番最後に回した場所に全ての元凶があろうとは――今更反省などしたところでどうしようもないが、改めて考えてみれば、あの泉こそ真っ先に疑ってしかるべきだっただろうと、おのれに対する乾いた笑いすら込み上げてくる。


「なるほど……」

「でも、どうしてそれが分かったの〜?」

 静かに報告を聞いていたナツメとオサキが各々おのおの相槌あいづちや疑問を投げかけると、ああ、と短く呟いたヒトキが続けた。

「泉に含まれる魔力の解析を行った際、干渉に用いた私の魔力を通じて、泉からその一部が逆流しまして……咄嗟に中断したから良かったものの、それでも体内の魔力許容値キャパシティーを一瞬で超え、酷い眩暈めまいに襲われて危うく水中へ転落しかけたんですよね」

「ええっ!? だだ、大丈夫だったんですか……!?」

 きまりが悪そうな調子で彼から告げられた、より詳細な報告にナツメが驚きの声を上げる。一方で、質問者であるオサキは身じろぎもせず、わーお、と相も変わらず呑気な反応を示していた。

「ああ、あの時の“魔力酔い”って、そういうことだったんですね……?」

 そんな三者のやり取りに、何やら合点がいった様子のリツカも加わる。

「はは……ご迷惑をおかけしました……」

 他でもない、調査の際に自身の不調――魔力酔いの介抱をさせてしまった同行者である彼から向けられた言葉に苦笑いを浮かべつつも、まあ、それ魔力酔いに助けられた部分もあったんだけどね――と、問題児イツキとの交戦を振り返っては心の中で自嘲じちょう気味に呟いた。

「そういうわけですので――あれは間違いなく、生物をいとも容易たやすく狂わせられる、極めて危険な魔力の量であるといっても過言ではありません。言わずもがな、楽観視はしていられない状況でしょうね」

 話を仕切り直すかのように、コホンと小さく咳払いをしたヒトキが言う。現状についておおむね把握出来たためか、彼の述べた結論に対し一同は銘々めいめいに頷いた。


「あっ、あの……! でもそれって、おかしくありませんか……? 各地の水源に異常は無かったんですよね? なのに、凶暴化の原因は水辺にあると……?」

 一呼吸を置いて、恐る恐るといった様子で控えめな挙手をしながらモモネが問う。言葉の後半になるにつれて周囲の視線が自身に集まると、彼女は、ひぇ、という息の詰まる音とも悲鳴ともつかない小さな声を上げて身を縮めた。

「あー。そこに関しては単純な話ですよ。膨大な魔力は“泉から流れ出る水”にしか含まれていないのですから」

「えー……っと? 魔力が水と一緒に泉から川に流れて、それを飲んだ書物喰らい達が凶暴化――あっ、そっか……!」

「あくまでも異常なのは川を流れる水だけで、さすがにそこの土壌や水源までおかしくはならなかったってことね?」

おっしゃる通りです」

 初めは釈然しゃくぜんとしない様子のモモネだったが、これまでの話を噛み砕いていくうちに納得したのか、ハッと目を丸くする。更にマイが付け加えるかの如く確認をすれば、ヒトキは静かに同意を示した。

「流れ、運ばれてゆく過程で、他の魔力と混ざり合うことによる多少の希釈きしゃくこそあれど、まあ……濃度が濃度ですからね。そう簡単に正常値には戻らないでしょう」

 淡々とした口調で話しながら、彼は再び演台の方に数歩あゆみ寄り、手元の資料へと視線を落とす。パラパラ、と紙同士のぶつかる音が真昼の穏やかな環境音に溶け込み、複雑な議題もあいまって眠気を誘う一助いちじょとなる。

「込み入った事情は一旦さておき、突如として高まった怪奇の泉の魔力濃度。そして、その魔力を過剰摂取したことで理性を失い、凶暴化、暴走をした書物喰らい達――」


「……しかし、ここで不可解な点がいくつかあります」

 机上に積み重ねたたばの中からまた別の、数枚の紙が綴じられた、少し厚みのある資料を手にしたヒトキが伏し目がちに重たい口を開いた。

「何故、今日こんにちに至るまで、これ程までに異常な泉の魔力濃度が維持され続けているのでしょう?」

 事象の原因を突き止めてからというもの、片時かたときも頭を離れなかった確かな違和感。資料を作成するべく、収集した多くの情報をまとめながらも、この疑問だけは解消されることが無かった。

「あの一帯は本来、特に獰猛どうもうな書物喰らい達がくう場所。さすがに一日二日では厳しくとも、一週間――ましてや二週間もあれば、魔力に群がる彼ら書物喰らいによって、そのほとんどが枯渇していても何らおかしくはないはずです」

「! た、確かに……」

 新たに示された疑問点に、自身の端末で議事録を取っていたノエルが思わずその手を止め、驚きの声を上げる。

「それから、もう一つ」

 端末への視線はそのままに、尚も難しそうな表情を浮かべる学園長を片目で一瞥いちべつすると、先ほど束の中から取り出した資料をめくりながら彼が続けた。

「立入禁止区域に指定された危険地帯。それにしては、やけに周囲が静かではありませんでしたか? ……ね、天陽てんよう先生?」

「え、」

 それまで少し俯き、ノエルと同じように難しそうな表情を資料の文字列へと向けていたリツカが、不意に名を呼ばれ、弾かれるように顔を上げる。場の空気が一瞬、しんと静まり返った。

「…………ちょっと。私ばかり話しているからって、自分には振られないとでも思っていらしたんですか? 貴方もあの場に同行したでしょう?」

「いっ……いやいや! そんな、まさか!」

 ヒトキから、ジト、という表現がよく似合う冷ややかな眼差まなざしを向けられ、彼は慌てて誤魔化す。本人にはとても言えやしないが、正に図星ずぼしだった。

 果たしてそこまで見透かされているのかいなか、呆れた様子の同僚へ普段通りの笑顔――もとい、少し苦しい愛想笑いを向けつつ、若干言い淀みながらも、さきの問いに対する言葉を連ねてゆく。

「そう…………ですね。確かに、姿は見えずとも魔物の気配は多数ありました。あの区域に、多くの書物喰らいが潜んでいるのは間違いありません。ただ――」

 そこまで話すと、リツカの声色が僅かに深刻さを帯びる。

「入相先生の仰る通り、何とも言いがたい違和感を覚えたのもまた事実です。危険地帯というからには、もっと無差別に、凶暴な書物喰らいの大群でも襲いかかってくるものとばかり思っていましたが……」

「……えっ? そうではなかったのですか……?」

 不思議そうなナツメからの問いに、彼は少し目を細めたまま、静かに頷いた。

「道中、全く襲われませんでしたよね」

「ええ。あれならいっそ、普段よく出向いている地の書物喰らいの方が好戦的なくらいです」

「危険地帯なのに!?」

 無言で頷くリツカに対し、世間話のように当時の状況を付け加えるヒトキ。リツカがそれに同調すると、マイからは驚きの声が上がる。

「……ですから、“おかしい”んですよ。こんな前例、今までに聞いたことがありません」

 誰もが予想外な事実に言葉を失う中、いつの間にやらノートパソコンを操作していたヒトキが言う。カタカタと控えめなタイピングの音が鳴り止むと、先ほどの魔力循環構造とは異なる、別の資料がスクリーンに映し出された。

「このような事態でなければ、あえて書物喰らいに水源から魔力を取り込ませ、そして、その書物喰らいを我々が討伐することでそれら魔力を再び大地へとかえす――言わば、自浄作用にゆだねるのが最も安全かつ妥当だとうであると、例え遠回りになろうとも……普段の私ならそう判断したことでしょう」

 スクリーンの資料――無尽蔵むじんぞうに魔力を蓄える書物喰らいと、そんな書物喰らいの肉体を離れ、霧散むさんした魔力の行方についての図解を示しながら、彼が自身の見解を述べる。

 魔物に限らず、対象の死によって肉体を離れた魔力は魂と共に世界樹せかいじゅへ集い、浄化を経て再び大地を循環するというのがこの世界のことわりだ。

 ――余談になるが、書物喰らいの討伐により、脅威の排除と蓄えられた魔力の解放を同時に行えることから、討伐そのものを書物喰らいに捕食された犠牲者の“供養”と捉える人々も少なくはない。

「しかし、それはあくまでも、“経過した時間と泉の魔力濃度が多少なりとも反比例している場合”のお話です。よって、時間の経過で魔力濃度に変化の見られない今回ばかりは、リスクを覚悟の上で別の策を講じなければならないという結論に至りました」

「なるほどねぇ」

「た、確かに、悠長に手段を選んでいられそうな状況ではありませんけど……」

 一通りの話を終えて安堵したためか、ヒトキは少し脱力したように小さく息をついた。そのかたわらでは、彼の結論に対してオサキとナツメが思い思いの反応を示している。


「君としては、何か策があるのかい?」

 それまで口をつぐみ、黙々と会議の内容をまとめていたノエルが彼に問う。しかし、当の彼は事が事なだけに即答というわけにもいかないのか、躊躇ためらいの末にこう告げた。

「やはり、元を断つ――“根源を直接潰す”より他ないでしょうね」

「……まあ、うん。聞いておいてなんだが、順当に考えたらそうなってしまうよなあ」

 難しい表情を崩さずにいるヒトキと、どこか気の抜けた調子のノエル。相反あいはんする両者の温度差が、何とも言えない異様な雰囲気をかもし出していた。

「潰すって……まさか、あの泉を埋め立てるということですか……!?」

「…………んなわけないでしょう? 第一、現実的ではありませんよ」

 リツカによる本気か冗談か分からない発言に、ヒトキは思わず呆気に取られ、少しだけ破顔はがんする。そんな二人のやり取りに、それまでの緊張感を破るかの如く、随所でも小さく笑い声が上がった。

「えー……ここから先は、私の勝手な憶測おくそくになりますが――」

 気を取り直し、彼が説明を続ける。直接潰すより他ない“根源”とは一体、何を指すのか――今後の計画のためにも、明確にしておかなければならない点であった。

「生物が異常をきたす程の膨大な魔力を宿した泉の水に、それでいて不気味なくらい静かな立入禁止区域、何故か未だに保たれ続けている魔力濃度……」


「今の怪奇の泉あの地には、我々も知らない、何かとんでもないものが潜んでいる――そんな気がしてならないのです」

 だが、肝心なその中身は仮説も仮説。なんならこの主張自体が、戯言たわごと、と一蹴いっしゅうされてしまえば、反論の余地すら無いほどには雲を掴むような話であることは否めない。

 ――とはいえ、今の段階ではこれ以外に提示できる有力な情報など、何一つとして無いのが現状だ。

 例えどれだけ苦しい内容であろうとも、事の真相を究明し、最終的にはこの事件の解決にぎ着けなくてはならない。不安、責任、力不足――その他諸々の感情が重くし掛かり、逃げ出したい衝動に胃がキリキリと痛んだ。


「――――なら、私達はその“根源”を探し出して、突き止めるところから始めなくてはならないね」

「…………っえ、」

 確かな根拠などどこにも無い、こんな与太話よたばなしを一体誰が信じてくれるというのか――今の今までそう思ってやまなかったが、あろうことか、学園長である彼女自らが苦し紛れの仮説を元に今後の方針を宣言した。

 想定外の展開に、思わず腑抜ふぬけた声がこぼれる。

「む? なんだい、その反応は? 君が言い出したんだろう〜?」

「い、いえ…………ええと、なんと仰いますか、」

 つい先ほどまでの毅然きぜんとした振る舞いから一変、意表を突かれたことで、しどろもどろになりながらもヒトキは懸命に言葉を探す。

「し……信じて、くださるんですか……? こんな、何の根拠も無いような、ただの憶測を……」

「憶測? そうかな。十分、理屈は通っているように思えるのだが……」

「ですが……! もし、この見当が外れていたら……? 皆さんに、とんだ徒労とろうを強いる可能性だって決して低くは――」

「んー。まあ、その時はその時ってやつさ」

「なっ……!?」

 あまりにも大きな“賭け”。ところが、当のノエルは至って楽観的であった。

 無論、憶測と言えども、何の根拠も無いデタラメを述べたわけでは断じてない。しかし、全面的に信用されるとなると話は別――なんたって、反論の一つや二つくらいは覚悟の上でこの場にのぞんだのだから。

 言葉に詰まっていると、静かに席を立った彼女が、ゆっくりとこちら演台の方へ歩み寄る。

「むしろ、有力な手がかりがほぼ無い中、よくここまでの緻密ちみつな資料や考察、計画を捻出ねんしゅつしてくれたよ。君にはいつも助けられてばかりだ、本当にお疲れ様。……ああもちろん、入相君に限らず、他の皆もね!」

「学長……」

 ありがとうございます、とヒトキが遠慮がちに頭を下げると、ノエルは普段通りの、やや得意げな笑顔を向けた。


「さあさあ、これからまた忙しくなるぞ〜! 各地の書物喰らいの沈静化の他に、あの立入禁止区域の本格調査と原因の特定――それと、かの“シロエ君”の能力についても気になるところだなあ……」

「やるべき事は山積み……という感じですね」

「そんなにいっぺんには無茶ですよぉ」

 ようやく今後の明確な方針が決まり、学園長が高らかに宣言する。まだまだ片付きそうもない課題の数々にリツカは苦笑いを浮かべ、その隣では、オサキが机に突っ伏すようにして重ねた自身の手首の上に顎を乗せ脱力している。

「だからこそ、どうすべきかの段取りを今から考えるのさ。ふーむ……やはり天狐族てんこぞくの皆にも計画の協力を要請すべきか……?」

「それが出来れば理想ですけど、あの子達以外の天狐族にも動いてもらうというのは、さすがに学長の一存でも難しくありません?」

当主とうしゅさん達、いつも忙しそうですもんねぇ……」

「ううむ……確かに……」

 方針こそ決まったものの、やはり、一筋縄ひとすじなわではいかない。マイとユノから発された意見に、彼女は再び考え込んだ。

 天狐族てんこぞく――このレヴリの地を統治する崇高すうこうな種族。原則として天界てんかいを離れられない天使族てんしぞくに代わり、大昔から地上の守護を一任されている。

 生まれながらに炎、氷、雷、風のいずれかの妖力ようりょくを身に宿しており、属性によって属する家柄も決まるという。四方東西南北に“当主”を中心とした拠点――各戸かっこの屋敷が構えられているとはいえ、その当主達が一様いちように、首を縦に振るとは言い難いところであった。

人海じんかい戦術という事でしたら、私達にも不可能ではないように思えますよ」

「おっ!? 詳しく!」

 そんな中、演台の上に広げた資料を片付けていたヒトキが口を開く。トントン、と両手で持った紙の束で机を数度軽く叩きつつ、待ってましたと言わんばかりの、ノエルの期待に満ちた真っ直ぐな視線に少し気圧けおされながらも話を続ける。

「えーと……まあ、あくまでも、これは例えばの話なんですけど……」

 思案中の手持ても無沙汰ぶさたを誤魔化すかのように、彼のすらりとした指先が、まだ乱雑な紙束の端を丁寧に整えてゆく。俯きがちな黄蘗色きはだいろの瞳が、左から右へと微かに揺れた。

「仮に――今回の作戦にあたり、各クラスから魔術やそれに伴う戦闘の成績が優秀な生徒達を数名選抜し、我々教員の調査に同行、協力してもらうとしましょうか」

「ほうほう」

 報告時とは異なり、彼の口振りはどこか上の空――まるで誰も聞いていない独り言のようだ。興味津々に聞き入る学園長につられたのか、他の教員達も静かに聞き耳を立てている。

「そこでその……“シロエさん”? も精鋭せいえいとして抜擢ばってきすれば、彼の能力を最も近い立ち位置から確認しつつ、同時に確保した人員で大本おおもとの目的も果たせるのではないかなーと……」

「――――っ!」

 何の気なしに、ぽつりと呟かれたその言葉に彼女はハッと息を呑む。視線を落としたまま、ヒトキは綺麗に取りまとめた資料をおもむろに手にすると、少し重たい足取りで自身の座席へと戻る。

 ノエルが言葉を発さぬ間にも、彼は緩慢な動作で椅子を引き、そのままゆっくりと着席した。

「生徒の皆と協力……え、すごく良い案ですよ……! というか、もうそれが最適解さいてきかいじゃありませんか……!?」

「はは……ありがとうございます。しかし、本当に今この場で思い付いたものでして……第一、色々と現実的ではない部分も多々――」

 すっかり肩の荷が下りた様子で、多少の疲労感を浮かべつつも隣の席のモモネと和やかに談笑するヒトキ。

 気が抜けたのも束の間、次の瞬間、わっと大声が上がる。


「そ、それだ! それだよ入相君!!」

「…………えっ?」

 しばし無言だった学園長が、不意に彼の名を呼んだのだ。あまりにも突然のことに、ヒトキは鳩が豆鉄砲を食ったような――ぽかんとした表情でノエルの方を見る。

 演台の前に立つ彼女はこちらと目が合うなり、嬉しさを隠しきれないとでも言うかの如く、そのあどけない瞳をぱっと輝かせた。


「いやあ〜、盲点だったねえ〜! やはり、凝り固まった頭では話にすらならない……何事なにごとも、柔軟性が必要不可欠というわけだ!」

 呆気に取られる彼を置き去りにしたまま、上機嫌なノエルは勢いを崩さず、軽い足取りで再び演台に立つ。壇上のノートパソコンを操作しつつ、うんうんと頷きながら勝手に何かに納得しているが、それが何に対するものなのかまでは分からない。

 数秒固まったのち、どうにか我に返ったヒトキがそんな彼女に向かって問いただした。

「っえ、あの、お待ちください学長? まさか、生徒達を危険に晒すおつもりですか……!?」

「いやいや、まさかもなにも、最初にそう言ったのは君だろう? ……おや、ついさっきも似たような話をした気がするなあ、ふふ」

 慌てる彼とは裏腹に、取り乱すどころか、この状況を楽しんですらいそうな調子の学園長。振り向きざまに向けられた、余裕も一緒に浮かべられた不敵な笑みに、ああ、またか――と腹の中で軽く毒突どくづいた。

「私は“あくまでも”、“例えばの話”という前提を最初にお伝えしましたよね!? それに、こんな即席の机上論きじょうろんなんて……!」

「なあに、些細ささいな事じゃないか〜」

「大問題ですよ!」

 何を言おうが暖簾のれんに腕押し。のらりくらりと受け流され、こちらばかりが熱くなるものだから、馬鹿馬鹿しさと虚しさが同時に込み上げてくる。

 正直、あまり認めたくはないが、これもある種の“人たらし”がせるわざなのだろうか? ……などと、仕様しようもない事までつい考えてしまう始末だ。

 先に冷静さを欠いた方が負け――そうおのれに言い聞かせ、たかぶった感情を鎮めるべく軽く深呼吸をする。疲弊ひへいあらわにしていると、彼女は次に、こんな事を言い出した。

「ふふん……では、民意にゆだねるとしようかな? この方針に異議のある者は〜……挙手!」

「ちょっ、ちょっと……!」

 ヒトキの制止などお構いなしに、教員達の方へ向き直ったノエルが、元気良く自身の右手を高く上げながら呼びかける。

 それまで二者の口論を静観していたところへ話を振られた一同はというと、少々驚いた様子を見せはしたものの、互いに顔を見合わせ、どことなく申し訳なさをただよわせながら黙って俯くばかり。

 それはすなわち、彼女の意向――もとい、彼が提案した計画に異議を唱える者は、この場には誰一人としていないという答えに他ならなかった。


「――――だ、そうだ。納得がいっていないのはただ一人、君だけのようだが……どうする?」

 ノエルはそう言って、幼い子供が何か良からぬ事を企む時の如く、心底楽しそうに悪戯いたずらっぽい笑みをヒトキへと向ける。そんな学園長の態度を前に、彼は呆れと困惑――そして若干のいきどおりを滲ませつつ、普段は至って冷淡なその表情をけわしく歪めた。

「っ、ああ……もう…………!」

 

「どうなっても知りませんからね!」


 ここは広大な学園の一角、職員用会議室。

 小さくも広い室内に響いた教員の叫び――そして、これから起こりるであろう波乱の幕開けさえも、生徒達はまだ、何も知らない。

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