第七話「魔力過剰」
「よし、全員揃ったね?」
学園長は一同からの少しまばらな返事を受けた
「それじゃあ、ここからは次の議題に移ろうか」
「では――
「はい」
正式に指名を受けたヒトキは席を立ち、速やかに演台の方へと向かう。そして、彼と立ち代わるかのように、ノエルも他の教員同様、会議室の隅に設置した自身の席についた。
「……えー、先ほどは大変お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございませんでした。それでは改めまして――」
「私の方から、本日実施しました、立入禁止区域――“
再び静まり返った会議室に、彼の淡々とした
「早速ですが、単刀直入に結論から申し上げます。……あの一帯には現在、尋常ではないほどの膨大な魔力が蓄積されており、その根拠となる要因もいくつか散見されました」
「なにっ……!?」
ようやく突き止めた問題の根源に、ノエルが驚きの声を上げる。その反応に答えるように、ヒトキは手元に用意した
それから少し間を置いて、とある資料がスクリーンへ映し出された。そこには、怪奇の泉を中心に
この地に暮らす人々であれば誰もが知る、言わば共通認識に等しいものだが、復習の意も兼ねているのだろうか――話に聞き入る教員の中には、そんな疑問を浮かべた者もいたかもしれない。ただ、思考の波間を
「元々、あの泉は豊富な魔力を
口頭での説明に合わせ、スクリーン上の図をなぞっていた指示棒の先端がはたと止まる。彼は映し出した資料から
「今の状態――あれ程の魔力量では、恵みどころかとんだ劇物であると、少なくとも私はそう感じました。そんなものが何故急に、かつ、一体どこから発生したのかまでは分かりかねますが……」
カチカチ、と指示棒の伸縮する音が鳴り響く中、自身の話に耳を傾ける教員達の方へと向き直った彼が続ける。報告内容を頭の中で
「つまり、この一連の騒動の
「はい。何らかの要因によって、怪奇の泉に蓄積されたおびただしい魔力がそのまま川へと流出、循環し、水と共に過剰な魔力を体内に取り込んだ
ヒトキが結論を短くまとめると、学園長は脱力したようにがっくりと肩を落とした。
「なるほど……」
「でも、どうしてそれが分かったの〜?」
静かに報告を聞いていたナツメとオサキが
「泉に含まれる魔力の解析を行った際、干渉に用いた私の魔力を通じて、泉からその一部が逆流しまして……咄嗟に中断したから良かったものの、それでも体内の
「ええっ!? だだ、大丈夫だったんですか……!?」
きまりが悪そうな調子で彼から告げられた、より詳細な報告にナツメが驚きの声を上げる。一方で、質問者であるオサキは身じろぎもせず、わーお、と相も変わらず呑気な反応を示していた。
「ああ、あの時の“魔力酔い”って、そういうことだったんですね……?」
そんな三者のやり取りに、何やら合点がいった様子のリツカも加わる。
「はは……ご迷惑をおかけしました……」
他でもない、調査の際に自身の不調――魔力酔いの介抱をさせてしまった同行者である彼から向けられた言葉に苦笑いを浮かべつつも、まあ、
「そういうわけですので――あれは間違いなく、生物をいとも
話を仕切り直すかのように、コホンと小さく咳払いをしたヒトキが言う。現状について
「あっ、あの……! でもそれって、おかしくありませんか……? 各地の水源に異常は無かったんですよね? なのに、凶暴化の原因は水辺にあると……?」
一呼吸を置いて、恐る恐るといった様子で控えめな挙手をしながらモモネが問う。言葉の後半になるにつれて周囲の視線が自身に集まると、彼女は、ひぇ、という息の詰まる音とも悲鳴ともつかない小さな声を上げて身を縮めた。
「あー。そこに関しては単純な話ですよ。膨大な魔力は“泉から流れ出る水”にしか含まれていないのですから」
「えー……っと? 魔力が水と一緒に泉から川に流れて、それを飲んだ書物喰らい達が凶暴化――あっ、そっか……!」
「あくまでも異常なのは川を流れる水だけで、さすがにそこの土壌や水源までおかしくはならなかったってことね?」
「
初めは
「流れ、運ばれてゆく過程で、他の魔力と混ざり合うことによる多少の
淡々とした口調で話しながら、彼は再び演台の方に数歩
「込み入った事情は一旦さておき、突如として高まった怪奇の泉の魔力濃度。そして、その魔力を過剰摂取したことで理性を失い、凶暴化、暴走をした書物喰らい達――」
「……しかし、ここで不可解な点がいくつかあります」
机上に積み重ねた
「何故、
事象の原因を突き止めてからというもの、
「あの一帯は本来、特に
「! た、確かに……」
新たに示された疑問点に、自身の端末で議事録を取っていたノエルが思わずその手を止め、驚きの声を上げる。
「それから、もう一つ」
端末への視線はそのままに、尚も難しそうな表情を浮かべる学園長を片目で
「立入禁止区域に指定された危険地帯。それにしては、やけに周囲が静かではありませんでしたか? ……ね、
「え、」
それまで少し俯き、ノエルと同じように難しそうな表情を資料の文字列へと向けていたリツカが、不意に名を呼ばれ、弾かれるように顔を上げる。場の空気が一瞬、しんと静まり返った。
「…………ちょっと。私ばかり話しているからって、自分には振られないとでも思っていらしたんですか? 貴方もあの場に同行したでしょう?」
「いっ……いやいや! そんな、まさか!」
ヒトキから、ジト、という表現がよく似合う冷ややかな
果たしてそこまで見透かされているのか
「そう…………ですね。確かに、姿は見えずとも魔物の気配は多数ありました。あの区域に、多くの書物喰らいが潜んでいるのは間違いありません。ただ――」
そこまで話すと、リツカの声色が僅かに深刻さを帯びる。
「入相先生の仰る通り、何とも言い
「……えっ? そうではなかったのですか……?」
不思議そうなナツメからの問いに、彼は少し目を細めたまま、静かに頷いた。
「道中、全く襲われませんでしたよね」
「ええ。あれならいっそ、普段よく出向いている地の書物喰らいの方が好戦的なくらいです」
「危険地帯なのに!?」
無言で頷くリツカに対し、世間話のように当時の状況を付け加えるヒトキ。
「……ですから、“おかしい”んですよ。こんな前例、今までに聞いたことがありません」
誰もが予想外な事実に言葉を失う中、いつの間にやらノートパソコンを操作していたヒトキが言う。カタカタと控えめなタイピングの音が鳴り止むと、先ほどの魔力循環構造とは異なる、別の資料がスクリーンに映し出された。
「このような事態でなければ、あえて書物喰らいに水源から魔力を取り込ませ、そして、その書物喰らいを我々が討伐することで
スクリーンの資料――
魔物に限らず、対象の死によって肉体を離れた魔力は魂と共に
――余談になるが、書物喰らいの討伐により、脅威の排除と蓄えられた魔力の解放を同時に行えることから、討伐そのものを書物喰らいに捕食された犠牲者の“供養”と捉える人々も少なくはない。
「しかし、それはあくまでも、“経過した時間と泉の魔力濃度が多少なりとも反比例している場合”のお話です。よって、時間の経過で魔力濃度に変化の見られない今回ばかりは、リスクを覚悟の上で別の策を講じなければならないという結論に至りました」
「なるほどねぇ」
「た、確かに、悠長に手段を選んでいられそうな状況ではありませんけど……」
一通りの話を終えて安堵したためか、ヒトキは少し脱力したように小さく息をついた。その
「君としては、何か策があるのかい?」
それまで口をつぐみ、黙々と会議の内容をまとめていたノエルが彼に問う。しかし、当の彼は事が事なだけに即答というわけにもいかないのか、
「やはり、元を断つ――“根源を直接潰す”より他ないでしょうね」
「……まあ、うん。聞いておいてなんだが、順当に考えたらそうなってしまうよなあ」
難しい表情を崩さずにいるヒトキと、どこか気の抜けた調子のノエル。
「潰すって……まさか、あの泉を埋め立てるということですか……!?」
「…………んなわけないでしょう? 第一、現実的ではありませんよ」
リツカによる本気か冗談か分からない発言に、ヒトキは思わず呆気に取られ、少しだけ
「えー……ここから先は、私の勝手な
気を取り直し、彼が説明を続ける。直接潰すより他ない“根源”とは一体、何を指すのか――今後の計画のためにも、明確にしておかなければならない点であった。
「生物が異常をきたす程の膨大な魔力を宿した泉の水に、それでいて不気味なくらい静かな立入禁止区域、何故か未だに保たれ続けている魔力濃度……」
「今の
だが、肝心なその中身は仮説も仮説。なんならこの主張自体が、
――とはいえ、今の段階ではこれ以外に提示できる有力な情報など、何一つとして無いのが現状だ。
例えどれだけ苦しい内容であろうとも、事の真相を究明し、最終的にはこの事件の解決に
「――――なら、私達はその“根源”を探し出して、突き止めるところから始めなくてはならないね」
「…………っえ、」
確かな根拠などどこにも無い、こんな
想定外の展開に、思わず
「む? なんだい、その反応は? 君が言い出したんだろう〜?」
「い、いえ…………ええと、なんと仰いますか、」
つい先ほどまでの
「し……信じて、くださるんですか……? こんな、何の根拠も無いような、ただの憶測を……」
「憶測? そうかな。十分、理屈は通っているように思えるのだが……」
「ですが……! もし、この見当が外れていたら……? 皆さんに、とんだ
「んー。まあ、その時はその時ってやつさ」
「なっ……!?」
あまりにも大きな“賭け”。ところが、当のノエルは至って楽観的であった。
無論、憶測と言えども、何の根拠も無いデタラメを述べたわけでは断じてない。しかし、全面的に信用されるとなると話は別――なんたって、反論の一つや二つくらいは覚悟の上でこの場に
言葉に詰まっていると、静かに席を立った彼女が、ゆっくりと
「むしろ、有力な手がかりがほぼ無い中、よくここまでの
「学長……」
ありがとうございます、とヒトキが遠慮がちに頭を下げると、ノエルは普段通りの、やや得意げな笑顔を向けた。
「さあさあ、これからまた忙しくなるぞ〜! 各地の書物喰らいの沈静化の他に、あの立入禁止区域の本格調査と原因の特定――それと、かの“シロエ君”の能力についても気になるところだなあ……」
「やるべき事は山積み……という感じですね」
「そんなにいっぺんには無茶ですよぉ」
ようやく今後の明確な方針が決まり、学園長が高らかに宣言する。まだまだ片付きそうもない課題の数々にリツカは苦笑いを浮かべ、その隣では、オサキが机に突っ伏すようにして重ねた自身の手首の上に顎を乗せ脱力している。
「だからこそ、どうすべきかの段取りを今から考えるのさ。ふーむ……やはり
「それが出来れば理想ですけど、あの子達以外の天狐族にも動いてもらうというのは、さすがに学長の一存でも難しくありません?」
「
「ううむ……確かに……」
方針こそ決まったものの、やはり、
生まれながらに炎、氷、雷、風のいずれかの
「
「おっ!? 詳しく!」
そんな中、演台の上に広げた資料を片付けていたヒトキが口を開く。トントン、と両手で持った紙の束で机を数度軽く叩きつつ、待ってましたと言わんばかりの、ノエルの期待に満ちた真っ直ぐな視線に少し
「えーと……まあ、あくまでも、これは例えばの話なんですけど……」
思案中の
「仮に――今回の作戦にあたり、各クラスから魔術やそれに伴う戦闘の成績が優秀な生徒達を数名選抜し、我々教員の調査に同行、協力してもらうとしましょうか」
「ほうほう」
報告時とは異なり、彼の口振りはどこか上の空――まるで誰も聞いていない独り言のようだ。興味津々に聞き入る学園長につられたのか、他の教員達も静かに聞き耳を立てている。
「そこでその……“シロエさん”? も
「――――っ!」
何の気なしに、ぽつりと呟かれたその言葉に彼女はハッと息を呑む。視線を落としたまま、ヒトキは綺麗に取りまとめた資料をおもむろに手にすると、少し重たい足取りで自身の座席へと戻る。
ノエルが言葉を発さぬ間にも、彼は緩慢な動作で椅子を引き、そのままゆっくりと着席した。
「生徒の皆と協力……え、すごく良い案ですよ……! というか、もうそれが
「はは……ありがとうございます。しかし、本当に今この場で思い付いたものでして……第一、色々と現実的ではない部分も多々――」
すっかり肩の荷が下りた様子で、多少の疲労感を浮かべつつも隣の席のモモネと和やかに談笑するヒトキ。
気が抜けたのも束の間、次の瞬間、わっと大声が上がる。
「そ、それだ! それだよ入相君!!」
「…………えっ?」
しばし無言だった学園長が、不意に彼の名を呼んだのだ。あまりにも突然のことに、ヒトキは鳩が豆鉄砲を食ったような――ぽかんとした表情でノエルの方を見る。
演台の前に立つ彼女はこちらと目が合うなり、嬉しさを隠しきれないとでも言うかの如く、そのあどけない瞳をぱっと輝かせた。
「いやあ〜、盲点だったねえ〜! やはり、凝り固まった頭では話にすらならない……
呆気に取られる彼を置き去りにしたまま、上機嫌なノエルは勢いを崩さず、軽い足取りで再び演台に立つ。壇上のノートパソコンを操作しつつ、うんうんと頷きながら勝手に何かに納得しているが、それが何に対するものなのかまでは分からない。
数秒固まった
「っえ、あの、お待ちください学長? まさか、生徒達を危険に晒すおつもりですか……!?」
「いやいや、まさかもなにも、最初にそう言ったのは君だろう? ……おや、ついさっきも似たような話をした気がするなあ、ふふ」
慌てる彼とは裏腹に、取り乱すどころか、この状況を楽しんですらいそうな調子の学園長。振り向きざまに向けられた、余裕も一緒に浮かべられた不敵な笑みに、ああ、またか――と腹の中で軽く
「私は“あくまでも”、“例えばの話”という前提を最初にお伝えしましたよね!? それに、こんな即席の
「なあに、
「大問題ですよ!」
何を言おうが
正直、あまり認めたくはないが、これもある種の“人たらし”が
先に冷静さを欠いた方が負け――そう
「ふふん……では、民意に
「ちょっ、ちょっと……!」
ヒトキの制止などお構いなしに、教員達の方へ向き直ったノエルが、元気良く自身の右手を高く上げながら呼びかける。
それまで二者の口論を静観していたところへ話を振られた一同はというと、少々驚いた様子を見せはしたものの、互いに顔を見合わせ、どことなく申し訳なさを
それは
「――――だ、そうだ。納得がいっていないのはただ一人、君だけのようだが……どうする?」
ノエルはそう言って、幼い子供が何か良からぬ事を企む時の如く、心底楽しそうに
「っ、ああ……もう…………!」
「どうなっても知りませんからね!」
ここは広大な学園の一角、職員用会議室。
小さくも広い室内に響いた教員の叫び――そして、これから起こり
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