第31話 夜の帰宅

 午前中は遊園地を楽しんだ。


 そのあと、東条湖を一周するドライブを楽しむことになった。


 ダムにきて、はしゃいだのはコウちゃんだ。


「どどどー! どどどー!」


 放出される水の音に負けじとさけんでいる。


「あー、すいません」


 声が聞こえた。こっちに歩いてくる白髪の人がいる。


「マークXを運転されてるかた?」


 初老の男性だった。おじいちゃんに近い人だけど、ジャケットを着て、首にスカーフをネクタイがわりに巻いていた。なかなかオシャレな人だ。


「車の写真、撮ってもいい?」


 初老の男性は、志保さんのほうにたずねていた。


「わたしの車じゃないので」


 志保さんがぼくを指さした。


「きみなのか。あれ初代マークXだろう。若いのにしぶいね!」


 初老の男性が、ぼくのほうに近づいてきた。


「すごく状態いいよね、あのマークX」


 たぶんこれ、車好きの人だ。


「たまたま、いい車に出会っただけです」

「いいなぁ。当時ね、乗りたかったんだよ。マークX。でも、セルシオを手ばなすのも、もったいなくてね」


 セルシオ。聞いたことはある。トヨタの超高級車だ。


「写真、撮ってもいいかな?」

「あっ、はい、もちろんです!」

「地元?」

「あっ、いえ、高速できたので」

「ああ、おもちゃ王国だ」


 初老の男性は納得した顔で、遠くに見える観覧車を指さした。


「写真を撮らしてくれるお礼、じゃないけどさ、街におりることがあったら寄ってよ」


 初老の男性は、そう言って一枚の名刺をくれた。


 名刺に書かれていたのは「コーヒーパーラー南十字星」というお店の名前だ。


「喫茶店ですか?」

「そう、時代遅れの喫茶店だけどね。クリームソーダとか、鉄板のナポリタンが自慢かな」


 それは、すごくおいしそう。


 ぼくが反応するまえに、ダムの上にいる四人のなかで最年少がいちばん反応した。


「クリームソーダ!」


 コウちゃんが飛び跳ねた。


「奥さんも、ぜひ寄ってよ。地元の果物くだものをつかった『プリン・ア・ラ・モード』とかあるから」


 志保さんの目を、ぼくは見逃さなかった。まさに「なんですって?」みたいな目だ。


「志保さん、遅くなってもいいなら……」

「いきましょ、おごるから!」


 ぼくが言い終わるまえに、志保さんの返事がきた。


「あっ、ふたりは夫婦じゃないんだ」


 そう言われて、思わず志保さんと目が合った。


「こ……こ……」


 言葉につまった。がんばれ、おれ。ここで「恋人です」と言えば、ぼくの気持ちは伝わる。


「こ……」

「これから、わたしたち、お邪魔してもいいですか?」

「もちろんいいよ、ちょうど帰るところだから」


 ぼくが言葉をだすまえに会話は終了した。


 二台で街までおりた。


 お店は今日もあいているらしく、店長でオーナーの高橋さんだけが休日だったらしい。


 コーヒーパーラー南十字星。いやもう、めちゃくちゃおいしかった。


 鉄板のナポリタンは、かなり凝った作りだった。ケチャップで炒めたスパゲッティだけど、その下にうすく卵をしいている。


 それだけではなく、最後に卵の黄身をスパゲッティの中央に落とす作り方だった。まぜていくと黄身は鉄板の熱で半熟になり、ナポリタンなんだけど、カルボナーラみたいな濃厚さもあった。


 すっかり長居をしてしまって、帰りの出発をしたのは夕方だ。


 高速に入るころには、完全に日は暮れていた。


 初めて運転する夜の高速。でもレイコさんのナビゲーションに助けられ、高速自体にも慣れてきた。おかげで楽しい夜のドライブになった。


 やっと志保さんのアパートに着いたのは、ずいぶん夜もふけたころだ。


 バックシートのコウちゃんは、チャイルドシートの上で熟睡している。


 ぼくはアパートの駐車場へ、静かにバックで入れた。


「志保さん、二日間、ほんとに……」

「マキトくん、エンジン切って!」


 助手席の志保さんがするどく言った。


 志保さんが見ているのはアパートの二階だ。ぼくもフロンガラスのむこう、志保さんのアパートを見てみる。


 二階のはし。ドアのまえにだれかいる。


「住所ばれたか」


 志保さんの言葉でわかった。ドアのまえにいるのは、きっと、もと旦那さんだ。


 思えば、最初に志保さんを乗せたのも不動産屋のまえだ。あれは引っ越しを考えていたのかもしれない。


「マキトくん、ぜったい車からおりないで。わたしがでたら、ドアをロックして」


 助手席の志保さんが、ドアにある手動のロック解除を押した。


 解除したのに、すぐドアはふたたびロックされた。


「だめだ、志保。いくな」


 声はカーナビ。レイコさんだ。


「レイコさん?」

「マー坊、予想できるだろ。志保は、まえの旦那から逃げている。こういうパターンで逃げる理由は、だいたい暴力。だろ?」

「えっ、でも、志保さんの旦那さんは公務員って!」

外面そとづらなんて、どうとでもなる。これ、最悪のパターンだ。もと旦那から見れば、マー坊はいまの男だ」


 二階にいた男性がふり返った。こっちに気づいた。


 カンカンカン! と鉄の階段をおりてくる。


「おい、志保、だれだ、そいつ」


 マークXのまえに近づいてきたのは、四十台の男性だ。


 ふたたび志保さんは手動のロック解除を押した。でもすぐにレイコさんがロックをかけなおした。


「マキトくん、ドアあけて!」

「志保、やめろ、このまま車内にいろ!」


 言ったのはレイコさんだ。


「レイコさん、この車が傷ついたら!」


 志保さんがカーナビにむかってさけんだ。


「車の傷はすぐ直る。だけど人の心の傷は、そう簡単に治らないだろ!」


 初めて聞く真剣なレイコさんの声だった。


 ふいに「ガン!」と音が聞こえた。車のボンネットをたたいた音だ。


「だれだって聞いてんだろうがよ!」


 もと旦那さんが、運手席の窓に近づいてきた。


「ドン!」と、もと旦那さんが運転席の窓にこぶしを打ちつけた。


「レイコさん!」

「あせるな、マー坊。車の窓はそうそう割れるものじゃない。しかもこれは高級車。窓ガラスもぶあつい」


 言っているそばから、もと旦那さんはガンガン運転席の窓ガラスをなぐってくる!


「レイコさん!」

「男見せろ、マー坊!」


 男見せろ。ずっとレイコさんが言っていた言葉だ。なぜだかわからないけど、ぼくは気持ちが落ちついた。


 もと旦那さんの姿が消えた。ふたたび見えたと思ったとき、手にしているのは駐車場に置いてあるコンクリートのブロックだ。


 コンクリートのブロックを、ボンネットにたたきつけた。ボンネットがへこむ。


「マー坊」

「はい。どうしたほうがいいですか?」

「いいぞ、冷静だな。警察を呼ぶのが普通だけど、くるのに時間がかかる。いまは動画を撮れ。それが証拠になるし、相手への牽制にもなる」


 ぼくはうなずき、ぼくのスマホをだして撮影を始めた。


「ざけんなよ!」


 もと旦那さんの声が聞こえた。


 コンクリートのブロックをふりあげ、ドアミラーに打ちつけた。


 ドアミラーが落ちた。でもそれがなんだ。きっと熊代さんが直してくれる。


 撮影を続けた。もと旦那さんが、ぼくをにらみつけてくる。


 怖くはなかった。こんなものなのか。おとなの男性。こんなに、くだらないものなのか。


 レイコさんの言っていた意味もわかってくる。白い乗用車に乗るなら、紳士でいろ。


 この人は紳士じゃない。思えば、この車に乗って出会う人は、すべて紳士だった。熊代さん、伊村教授。


「住所はわかったからな」


 それだけを最後に言い、もと旦那は去っていった。


「だいじょうぶですか、志保さ……」


 志保さんの顔が青ざめている。


「……この車、なに?」


 しまった。


「わたし、ドアのロックを解除した。でもすぐにロックがかかった。マキトくんが操作したわけじゃない。マキトくんは動いてない」


 助手席の志保さんが、カーナビを見つめた。


「遠隔操作、それも考えた。でも、それもちがう。レイコさん、あなたって、だれ?」

「志保さん、落ちついて」

「マー坊、今日はいろいろありすぎた。話は後日でいいと思うぞ」


 レイコさんがドアのロックを解除した。


 志保さんはいそいでドアをあけ、後部座席のコウちゃんを抱きかかえた。


「志保さん、荷物!」


 ぼくが言うまえに、志保さんはアパートへと帰っていった。

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