第24話 ラムとテキーラ 

「綿延君! 今から夕食なんですよ。食べていきませんか」

 上原研究員が笑顔で話を向けてきた。

「今夜はどこかに泊めてもらうとしても、村ではもう夕食は終わっている頃です。ここで食事をした後でマリアさんに宿をあたってもらえばいいんじゃないかな。ねえ瞳子ちゃん」

 上原研究員はことのほか親しげに呼びかけた。

 ……『瞳子ちゃん』!?

 おれは耳を疑った。

 その瞬間、ぞわっと悪寒がした。

 心臓が、いやな音をたててきしんだ。

 立っていられない。ぐらぐらする。気持ち悪い。

 一番ショックだったのは、神野先輩自身が『瞳子ちゃん』と呼ばれたことに何ら不快感を見せなかったことだ。

(なんでですか先輩! 嫌じゃないんですか! そんなに彼と親しいんですか!?)

 このとき人生最大の動揺に襲われながら、おれは、先輩の大学の研究チームを嫌な雰囲気にさせたくないと咄嗟に思った。突然訪問したおれに親切にしてくれた人たちだ。昔の自分みたいに空気も読めずに問題行動をしでかして嫌われたくない。

 本音は、大学の研究チームに波風をたてたりしたら先輩に嫌われそうだと思っただけなのだ。

 しかし、 当然ながらおれの心の中の嵐など知るはずもない神野先輩は、笑顔で言った。

「そうね。それがいいわ。綿延君、ここで食べていってよ」

「……お願いします」

 おれはひどく悔しかった。自分自身に対してもだ。

 突然、約束もなしで押しかけたことも含めて、自分が恥ずかしくてたまらない。かった。

 何故おれは人と向き合えない。通常ならば自然に人と人の間に交わされるはずのコミュニケーションを、何故、できないのか。

 後先を何も考えず、先輩に会いたい、ただそれだけしか考えずに、おれはここまで来てしまったのだ。

 その結果が、これ。


「ごはん、できましたよー」

 マリアさんの明るい声がした。


 夕食の席、会議用を兼ねた大きなテーブルを囲んだのは、野村教授、神野先輩、上原研究員、フォスター研究員、ルイス研究員、マリアさんの6人。

 それに招かれざる客、おれのためにパイプ椅子を出してくれた。

 食器を並べるのは全員でやったが、マリアさんが外で煮炊きした大きな鍋を、体格のいいルイス研究員が一人で運んでくる。

 新鮮なトウモロコシや未熟な青パパイヤを使った生野菜のサラダ。料理用バナナを茹でたもの、バナナの葉に豚肉を包んで蒸し焼きにしたもの、さらに油で揚げたユカという芋がどっさり盛りつけられた大皿から、めいめいが取って食べる。

 どれも旨かったが、おれは途中から味を感じられなくなっていた。

 話題の中心は、その日の観察の事。

 写真は撮ったか、接触はあったのか。ほとんどは英語で、スペイン語が交じり、日本語が聞こえたとしても難しい学術的な言葉だった。

 おれはその場にいる人々すべてに気後れを感じて、自分から話題を振ることもできず、黙っていた。

 だが、次第に苛立ちが募ってきた。

 仲間うちでだけ通じる話題で盛り上がっている人々を、同じテーブルにいながら外で見ているのは、虚しいものだ。

 学校の教室の中を思い出してしまう。こんなに日本を遠く離れた、地球の裏側まで来ておきながら、何故、こんなことになるのだろう。

 おれは密かに、無意味に腹を立てていた。

 誰にとっても、おれは予想外の、外から紛れ込んできたにすぎない人間なのに。

 食卓で活発に交わされる話題についていけない。

「ところで綿延くん、体調はどうですか」

 突然、野村教授がおれに話を向けた。

「はあ、まあまあです」

 本当は野村教授に話しかけてもらったのはすごく嬉しかった。だがつい構えてしまい、あたりさわりのない返事をしてしまった。

 ……内心、悔やんだ。

「いいや、疲れていないわけがない。長距離バスもコレクティーボの夜行も、私も若いころは結構、乗りましたが、特にアレキパからクスコまでの道程は辛かったですから。……ああ、上原君。いつものラム酒を出してくれないか」

 上原研究員は困ったように、

「禁酒するって先日おっしゃってたじゃないですか」

「一杯だけだよ」

 野村教授は強引に茶色のガラス瓶とコップを一つ持ってこさせる。

「これはラム、モラセスという、サトウキビの絞り汁から砂糖を精製した後の廃糖蜜から作られている蒸留酒です。アルコール度数は高くてクセがありますがこの土地には合う。ちょっと飲んでみませんか」

 小さなコップに半分くらい注いだのを差し出す。

 覗き込めば、ぷんと甘くきつい香りが立つ酒。

 とたんに上原研究員が慌てて、

「教授! 綿延くんは高校生ですよ」

「なんだ、上原君は堅いなあ。フォスターくん飲むか。ルイスくんは?」

「えーラムはないわぁ」

 フォスター研究員は肩を揺らして笑う。

「おしゃれじゃないわよね。誘うなら、せめてカクテルにして」

「じゃあラムとテキーラでいこう」

「ははは! 教授、無茶でオモシロい」

 ルイス研究員も腹をかかえて笑う。

「アルコール度数いくらだと思ってるんですか」

 上原研究員は呆れていた。


「そういう問題かしら」

 神野先輩は大真面目だ。

「綿延くん、お酒は二十歳になってからよ」

「はい」

「おいおい、つまらんなあ、誰もラムは飲まんのか」

 教授は一人で、かなり強いらしいラム酒をちびちび飲んだ。

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