第4話 先輩に、会いに行く
おれはたった今、ペルーの首都リマにあるホルヘ・チャベス国際空港に降り立った。
東京から、まさに地球のほぼ反対側に位置する。正確には東京の裏側は、エクアドルの沖合い1000キロくらいの洋上らしいのだが……ペルーである。
繰り返すがかの有名な「行ってみたい世界遺産」ナンバーワンの「マチュピチュ」や、ナスカの地上絵がある、ペルーである。
なぜ、夏休みにこの地に降り立ったのかと言えば、
神野瞳子先輩から届いたメールのせいだ。
珍しく長文のメールをくれたと思ったら、とてつもなく気になる内容で、いてもたっても居られなくなった。
海外にいる神野先輩にいつか会いに行きたいと思って、貯めていたバイト代がある。使うなら今だと、ありったけを旅費につぎ込んだのだ。
ポケットからスマホを取り出した。スマホケースに付けたマスコットが軽い音を立てて揺れる。黄緑色をしたサボテンのマスコットだ。
実物そっくりで見た目はいかにも固そうだが、押せばたやすくへこみ、離せば元に戻る、弾力のある素材で出来ていた。
こいつの名は、トゲオ。
高校の図書室に、いつ誰が持ってきたのかわからないサボテンが置いてある。そっちが神野先輩によって命名された本物のトゲオで、マスコットのサボテンは偽トゲオだ。
トゲオを指先で押しながら、メールのことを考えた。
神野先輩を姉だと思ったことなど一度もない。しかし、そのように言葉に出して伝えたことも、一度もなかった。
また、それにもまして『同僚の上原君』という所が引っ掛かった。
そのくだりを何度も読み返しているうちに、じりじり炙られるように煮詰まってきて、急がねばならないという気がした。それが、おれを思い切った行動に駆り立てたのだ。
*
高校2年の夏休み。
おれは黒いリュック一つを背負ってホルヘ・チャベス国際空港に着いた。日本からの直行便はなくアメリカで乗り換え、二十五時間かかった。
感慨深い。人生初の海外旅行は、今までさんざんいろんな本を読みあさって知っているあのインカ帝国があった国、ペルー!
しかも、神野先輩を追いかけて。
いつもは感情の起伏が希薄な、おれでさえ、テンション爆上がりで心臓が早鐘を打っている。
空港の外に出た途端、潮の臭いがした。熱い風が皮膚にべたつく。ホルヘ・チャベス国際空港はリマ市街ではなく海岸の近くにあるのだ。
南半球は日本と季節が逆で、リマは一年の内で今頃が最も気温が低いというのだが、それでも結構、暑かった。
長袖のジャケットを着ていたが耐えられず脱いでしまい、半袖のTシャツ一枚になった。これでちょうどいい。
リマを出て、先輩のいるアンデス東側斜面という地域の奥地へ向かう。
道程は長く、考えると目眩がしそうだが、行くと決めたのだ。
これまで多岐のジャンルに渡って大量の本を読んできた。頭の中で世界中を旅行してきたのだ。本に載っていることなら、南米についても、知識は十分に身についている……はずなのだ。
しかし、現実の我が身を振り返ってみれば、ただの平凡な高校二年男子にすぎない。
まずペルーの公用語であるスペイン語を話せない。いくつかの単語は知っているが到底会話できるレベルではない。
あとの公用語であるケチュア語、アイマラ語(どちらもインカ帝国で用いられていた言葉で、現在もペルーで多くの人々が話している言葉だ)に至っては、全く未知である。
英語にしても、授業で習っただけの英会話なんて、どこまで通じるだろうか、不安でいっぱいである。
頼みの綱は旅行ガイドとスペイン語日常会話の本だった。
ガイドブックの記事に従い、日本を出る前に所持金をドル紙幣に両替しておいた。使いやすいように、十ドルなどの少額紙幣にする。あとは空港の到着ロビーにある両替商で現地通貨ソルにいくらか交換しておく。
リマのホルヘ・チャベス国際空港から、まずセントロ(中央)と呼ばれるリマ中心部、いわゆる旧市街に行く。
コレクティーボという小型の乗合バスが出ている。二十人ほど乗れそうなこの車内は、観光客らしい人々で一杯になっていた。
英語、スペイン語、その他、聞いたことのない響きの言葉が耳に飛び込んでくる。
おれは席に座り損ねて、車内を見回した。少し呼吸が苦しい。暑いし満員で、人いきれに酔いそうだった。
コレクティーボは30分かかって旧市街に着いた。観光客を狙う置き引き、スリとかで治安がよろしくないという話だから、できるだけ速やかに移動したい所だ。
大都会リマは、空気が悪かった。高層ビルの多さが目につく。ビルの上の方は霞に包まれていた。スモッグだ。広い道路に車が溢れ、排気ガスの凄さにおれは驚きながら、轢かれないように用心しつつ歩いた。
目的地はまだ遠い。
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