第12話 裂かれた道

 数日後、とうとう決定打のような事件が起きた。森の東側で狩りをしていた雄オークの一団が、人間の冒険者に発見され、衝突したというのだ。下級冒険者ではなく、どうやらギルドに属する中堅以上の実力者が混じっていたらしく、オークたちは甚大な痛手を負い、数名の仲間が命を落としてしまったという報せが集落に届いた。その知らせを聞いたリーダー格のオークは、怒りに満ちた唸り声をあげ、天地を振動させるほどの勢いで壁を殴りつけた。子どもたちは怯えて泣き出し、雌オークたちも押し黙る。


「グルァ……!グォオォ……!」


 怒りと悲壮感をにじませながら咆哮を上げるリーダーを見て、誰もが目を伏せる。まるで“これ以上の猶予はない”というシグナルが、私にも伝わってきた。――森の奥へ逃げるのか、それとも人間と戦い抜くのか。その議論がまた渦巻き始めるが、これまでの話し合いよりも論調が激しく、悲痛。私はただ、その真ん中で狼狽するばかりだった。何かを言葉にしたくても、オーク語どころか自分の立場すら定かでない。彼らは私を“仲間”と認めてくれているようで、同時に“謎の存在”だとも思っているに違いない。


 やがて、リーダー格は深刻そうに「グラ……グガッ」と数度唸り、周囲を見回す。おそらく“すぐにこの地を離れるか、迎撃態勢で踏みとどまるか”を示唆するための問いかけだろう。険しい表情のオークたちは、いくつかのグループに分かれて激しく意見を交わし、日本でいうところの“派閥”ができているかのように見える。ある集団は“このまま移動しても、みんな死ぬだけだ。最後までここで抵抗すべきだ”と主張し、別の集団は“いや、一刻も早く森の奥の安全地帯へ逃げ延びよう”と懇願する。私にはどちらが賢明なのかわからない。ただ、どちらも苦渋の選択であるのは間違いなかった。


 そのとき、群れの端からグルドが現れた。腕に包帯を巻き、まだ傷が完全には癒えていない様子だが、威圧的な態度で前へ進み出る。彼はリーダーに何やら必死に訴えかけていた。彼の眼差しは強く、時折私のほうをちらりと見る。まるで“大切なものを守るために動きたい”という思いを直接ぶつけているようにも見えた。グルドの言葉に、リーダーは険しい表情を崩さずに考え込む。集落の雰囲気は最悪だ。子どもたちは息を詰めるようにして大人たちのやりとりを見守り、雌オークたちもただ立ちつくすしかない。


 しばらくして、リーダーは重々しく「グオ……」と頷き、集会のような形が解散となった。どうやら結論としては、“一部の若く安全を優先する者は先行して森の奥へ移動し、拠点を築く。その間、戦を望む者や逃げる余裕のない者はここに留まって人間を迎撃し、時間を稼ぐ”という選択肢を取るようだ。はっきり言って、どちらにせよ犠牲が減ることはない。どれほどの命が失われるか想像するだけで背筋が凍る。それでも、そうしなければ全滅を避けられないほどに絶望的な状況なのだろう。


 私の立場はどうなるのか。自然と気がかりになるが、誰も私に“どちらに行くか”なんて選択権を与えてくれない。するとグルドが再びリーダーに何かを告げ、やがてリーダーがうなずいた。視線が私に向き、リーダーは軽く腕を振り上げる。明確な言葉はわからなくても、ずっとここで見ているうちに何となく理解できた。“お前はグルドと一緒に行け”――そんなニュアンスだろう。彼は先の遠征でもリーダーの右腕のように動いていたし、今も私を庇ってくれる存在だ。戦闘に出るまでにはまだ傷が癒えず、回復魔法を行使する私の負担も大きい。つまり、私たちは“移動組”として森の奥へ向かう部隊に回されたらしい。


 正直、胸の中には申し訳なさが募る。一番危険を伴う“迎撃役”を引き受けたオークたちは、ここで儚く散るかもしれない。それでも誰も文句ひとつ言わず、ただ自分の道を受け入れていく。子どもや病を抱える仲間たちのためという意志が、彼らの背中を押しているのかもしれない。私はその横顔を見つめながら、今の自分にできることがあまりにも少ないことを噛み締める。――もし私に武力があれば、あるいは言葉を介して人間と交渉できるだけの知識と権威があれば、こんな悲しい分断を目にしなくても済んだかもしれない。


 結局、私は目を伏せて唇を噛むことしかできなかった。リーダーはそんな私をちらりと見やり、短く「グオ」と唸る。叱咤激励にも似た声色が伝わる。きっと“悲しんでいる場合ではない、前へ進め”ということなのだろう。私はごくりと喉を鳴らし、わずかにうなずいてみせる。そのとき、思いがけずリーダーが私の腕を掴み、少しだけ乱暴に抱き寄せてきた。あまりに突然のスキンシップに面を食らうが、彼は小さな声で何かを言い残してから、再び群れの中心へと戻っていく。――温かい体温がほんの一瞬伝わった。彼なりの別れの挨拶だったのかもしれない。出会った当初は無愛想なリーダーだとしか思っていなかったが、少なくともこの集落を心の底から守りたいと願う優しさを持っているのだと感じた。


 ほどなくして、移動組の私たちは荷物をまとめはじめた。雌オークの一部や子どもたちのほとんど、そして怪我の回復しきらない雄オークや年老いた者が、複数のグループに分かれて森の奥へ脱出する。私もその一団のうちの一つに加わる形となった。グルドはもちろん、薬草採集をともにした雌オーク数名が同行し、ほかにも小柄なオークたちや年配の者たちが一緒に歩む予定だ。暗い不安を押し隠しながら、誰もが顔を伏せ、必要最低限の荷物を背負って黙々と準備に取り掛かっている。


 朝日が昇りかけるころ、覚悟をもって出発だ。――心が重い。振り返れば、まだ多くのオークたちが集落に残っている。その中には、私に薬草の知識を教えてくれた雌オーク……彼女はここに留まって戦いに加わるようだ。同じ雌オークながら、私なんかよりよほど強靭な身体と武術の腕を持っている。不格好ながら鉄製の剣を握っている彼女の表情は、固く引き結ばれた唇と眼光に“諦めない意志”が火を灯しているように見える。


 彼女と視線が重なる。何を伝えればいいのかわからない。言葉は届かない。でも、せめて「ありがとう」と、手を合わせるようなポーズをしてみる。その瞬間、彼女はゆっくりまばたきをして、一度だけうなずいた。きっと何かしらの気持ちが通じたのだと思いたい。――また会えるかはわからない。だが、もしこんな血生臭い世界の中で生き延びることができたら、いつの日か再び手を取り合って笑えるだろうか。そんな淡い希望を胸に抱きながら、私は森の深部へと足を踏み出していく。


 集落を出発する一同は、隊列を組むというほどでもなく、傷ついた者や幼い子どもたちを中央に置いて、経験ある者が前後を警護する程度の体制しか取れない。それでもグルドを中心に、それなりに警戒態勢は敷かれている。私も子どもたちの傍らを歩きながら、草むらの音やかすかな気配を感じ取ろうと耳をこらす。幸い、これまで森の中で獣や魔物に襲われるシーンを何度も目撃してきたオークたちだ。危険の察知は早いはずだが、それでも“人間の兵士”や“冒険者”と遭遇してしまえばひとたまりもないかもしれない。


 歩き始めてから半日ほど経ったころ、林の向こうから何やら嫌な臭いを感じた。腐った肉のような生臭さ。それに気づいたのは私だけではなく、周囲のオークたちも一斉に足を止め、構えを取ろうとする。やがて目に入ったのは倒木に挟まれ、動かなくなった大きなイノシシの亡骸だった。周囲には血の跡がべったりと残り、ところどころに人間の足跡らしきものも残っている。本来なら狩りの獲物として利用できそうな死骸だが、その状態は見るも無残で、皮が半ば剥ぎ取られたまま放置されていた。


「ギルドの仕業、なのか……?」


 私がぽつりと漏らしても、周囲のオークたちに伝わるはずはない。ただ、長年森に生きてきた彼らにも何となく察しがつくのかもしれない。人間が狩った獲物を途中で何者かに奪われ、そのまま放置したか、あるいは単純に“脅し”のために死骸を捨てていったのか。いずれにせよ、自然の狩猟とは思えない、悪意的な空気を孕んでいる。


 グルドがちょうど前列を歩いていたが、その冷徹な横顔には怒りの色が表れていた。彼は周囲を警戒するように仲間に指示を出し、遠回りして死骸を避けるように合図を送る。もしここに罠が仕掛けられていたり、待ち伏せされていたりすればひとたまりもない。私たちは息をひそめ、慎重に足を進めた。


 やがて少し開けた場所に出ると、小高い丘のようになった地形が広がっていて、周囲が見渡せる。ここは森の奥でも比較的平坦で、集落のリーダーが“避難先”として候補に挙げていた場所らしい。丘の斜面に自然の岩肌が露出していて、簡単な囲いを作ればある程度の防御にはなるだろう。グルドの背後には、何十体ものオーク仲間が続いている。子どもたちの目にも、ここは比較的“安心できる地”に思えるのだろうか。いっせいにざわめきが広がり、低い唸りや興奮気味の声が漏れ聞こえる。


 周囲を確認したうえで、グルドは手短に指示を出している。どうやらテントを張ったり、岩の隙間を利用して仮の住処を作ったりするつもりだ。安全を期すため、何名かは再び周囲を偵察に回る。私は子どもたちや高齢のオークたちを集め、簡単に横になれるような寝床を作る作業を手伝う。大きめの葉や乾いた枝を集め、敷き詰めた上から毛皮の寝具を並べれば、最低限の睡眠スペースにはなるだろう。しかし、みんなの顔に安堵の表情は少ない。血で汚された森の現実を見てきたり、仲間を失った哀しみがあったり――どこか張り詰めた沈黙が漂い続けている。


 その日の夜、私たちは丘の斜面に沿って焚き火をいくつか灯し、見張り役を交代制で立てながら、全員が即席のキャンプ場に身を落ち着けた。月が雲に隠れて視界が悪いのもあって、誰もが気配に神経をとがらせている。私も子どもたちの近くで、いつ冒険者が襲ってくるかわからない緊張感を抱えながら、浅い眠りに身を委ねた。

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