第21話 みんなのために

「あれ? どこ行ったんだ?」

 金曜日の放課後。誰ともなしに健太がつぶやく。

「どうかしたの?」

 隣の席の育美の質問に健太は答える。

「一緒に部活行こうと思ったらいないんだよ。イガのやつ」

「五十嵐くん? あ、ほんとだ。ついさっきまでいたと思ったんだけど」

 育美は左斜め後ろの席がもぬけの殻であることを確認すると、教室内をきょろきょろと見渡した。帰り支度を整える者、雑談に興じる者、掃除の準備を始める者……。生徒たちは放課後のひと時を思い思いに過ごしている。いつもより活気に溢れているのは、待望の週末に皆が心を躍らせているからだろう。しかしその中に祐人の姿はない。

「五十嵐くんなら、ホームルームが終わると同時に出ていったよ」

 そう答えたのは早織だった。彼女は祐人の右隣の席のため、祐人の迅速な退室を一早く察知していたのだった。

「早ぇな、もう出てったのかよ」

「何か用事でもあるんじゃない?」

「用事ったって、今日も練習あるんだぜ。それにそんな話聞いてないし。もし用事があって休むんなら、俺にそう言ってるはずだ」

 育美の意見を健太は否定した。そこには「あいつは無断で練習を休むような奴じゃない」という祐人への信頼があった。言葉には出さなかったが、無言の男のうたがあった。確かな友情があった。

「なら、練習に行ったんじゃないの?」

「こんなに早く行っても、まだ誰も来てないから練習にならないと思うけどなぁ」

「あはは、確かに。授業が終わって真っ先に練習始めるような熱心さなんてないよね、うちの野球部には。ま、五十嵐くんにも色々あるんでしょ。とりあえずグラウンドに行ってみたら? 私もこれから部活だからもう行くね。広瀬さんも生徒会でしょ? 途中まで一緒に行こっ!」

「うん」

 育美は一気にまくし立てると、早織と連れ立って教室を出ていった。

 あの日(第9話)以降、早織の態度には変化が生じていた。以前は他人を寄せ付けないような冷たい表情で周りと距離を置いていたが、今では表情は軟化し、笑顔を見せるまでになった。

 それに伴い彼女に対する周囲の態度も変わっていった。クラスメイトたちは早織とごく普通に挨拶を交わすようになり、特に育美はことあるごとに早織に話しかけた。その結果、いつしか二人は友人と呼べるような間柄になっていた。これは育美の親しみやすい社交的な性格の賜物でもあったが、早織自身の変化がなければ二人が仲良くなることもなかっただろう。

「……」

 健太はただ、遠ざかっていく二人の背中を黙って見つめるだけだった。


「……はぁ」

 部室へと向かう道の途中、健太は小さな溜め息を吐いた。その足取りは重い。ようやくたどり着いた部室の扉を開けるが、中には誰もいない。いつものことだ。大抵の場合一番乗りは健太か1年生の山田のいずれかで、他の部員たちは後からダラダラとやって来るのが常だった。健太は先程の育美とのやり取りを思い返した。

 育美の発言に健太は反論しなかった。いや、できなかった。反論しようにも胸を張って言い返せるだけの材料がなかったのだ。部員たちは相変わらずたるんでいるし、練習に対する熱意のなさは指摘された通りだった。勝利の栄冠、喜び、感動、そして何より信頼できるチームメイト……。それを今の野球部で得ることは殆ど不可能と言ってよかった。

「どうすりゃいいんだ……」

 健太は悔しさを吐き出した。どれくらい経ったろうか、健太ははっと我に返った。

「やれやれ、トンボがけしなくちゃな」

 健太は苦笑しながらつぶやいた。着替えを済ませて部室横の用具倉庫に入った時、健太はふと気付いた。

「あれ……? 数が足りない……?」

 倉庫にはトンボが全部で五本あるはずだが、三本しか見当たらない。つまり今ここにない二本は使用中ということになる。しかし誰が? 他の運動部の生徒だろうか?

 倉庫からグラウンドへと移動した健太の目に映ったのは、トンボがけをする二人の部員の姿だった。

「あれは……山田と……」

 健太はその内の一人が後輩の山田であることに気が付いた。1年生故に自分よりも早く授業が終わったのだろう。そしてもう一人は……

「山田くーん、そっち終わったー?」

「終わりましたー!」

「おー、さすがー!」

 トンボがけをしていたのは、山田と祐人だった。健太は二人に声をかける。

「山田! イガ!」

「お疲れ様です!」

「やぁ、鈴木くん。遅かったね」

「お前らが早いんだよ。それより何やってんだよ二人して」

「そりゃトンボがけだよ」

「何でそんなことを……?」

「いや、だからトンボで……」

「『なに』でじゃなくて、『なん』でだよ! 理由を聞いてんの!」

「なーんだ。それならそうと言ってくれればいいのに」

「最初からそうとしか言ってねーんだよ!」

 健太のツッコミを意に介すこともなく、祐人は答える。

「昨日の鈴木くんの話を受けて、色々と考えたんだ」

「昨日の俺の話?」

「ほら、『あいつらには勝つ気がない』とか」

「あぁ、そのことか」

「『何でもっと真面目に練習しないんだ。真剣にやらねぇ奴は二、三発ぶん殴ってやる!』とか」

「それは言ってない! おっちゃんの話とごっちゃになってんぞ!」

「『全員血祭りにあげてやる』とか」

「ブロリーか! それに至っては誰の話にも出てきてねぇよ! 言ってない台詞を捏造すんな!」

「まぁ、それは置いといて」

「置いとくなよ!」

「もし僕が今度の練習試合でチームを勝利に導く大活躍をしたとして、本当にそれでいいのかと思ってさ。ほら、助っ人って言っても結局のところ部外者なわけじゃん? 正式な部員じゃないし」

「……まぁな」

「だったら、部員のみんながレベルアップできるような環境を整えた方がいいんじゃないかと思ってさ」

「それでホームルームが終わったと同時にいなくなったのか……」

「で、途中で来た山田くんにも手伝ってもらってたってわけ。やっぱり二人だと早いね! おかげでみんなが集まる前に終わらせられたし、ほんと助かったよ! ありがとう、山田くん!」

「いや、そんな……」

 感謝の言葉に謙遜するように山田が照れ臭そうに頭を掻く中、意気揚々と祐人は続ける。

「こうやってみんなが来る前にグラウンド整備を終わらせておけば、その分練習に集中できるでしょ? いやー、我ながら素晴らしいアイディアだなぁ」

「……そうだといいけどな」

 含みのある健太の言葉は、有頂天で自画自賛をする祐人の耳には届かなかった。


「うぃーす」

「あれ? 何かトンボがけ終わってね?」

「ラッキー。地味にめんどいんだよな、あれ」

 健太が来てから数十分後。他の部員たちも続々と集まり、斯くして本日の練習が始まった。だが、その光景はいつも通りだった。

 後からやって来た部員たちは、いつも通りにダラダラとした練習に興じていた。祐人の思惑通りにグラウンド整備の時間を練習に充てることはできたが、それは単に彼らのの時間が増えただけに過ぎなかった。

(……やっぱりな)

 健太は心の中でつぶやいた。彼はこうなることを予見していた。そもそも勝つ気がないのだから、いくら練習時間が増えても意味がない。それもたかだか十分程度増えたところで……。無論部員たちは祐人の計らいなど知る由もない。彼らにしてみれば。「トンボがけせずに済んで楽できてラッキー」程度の認識でしかなった。

 いつもと変わらぬ緩み切った空気に健太が人知れず失望する中、一人気を吐く者がいた。

「またまたナイスピー! 160キロ!」

「そんな出てねーよ」

 ボールがグローブを叩く小気味いい音と騒がしい声が同時に響く。緩んだ空気の中、一人気を吐く者。それは他ならぬ祐人だった。投球練習の捕手役を買って出た祐人は、先程からピッチャーの投げる球を受け続けていた。

「よし、今日はこんなもんでいいだろ。球受けてくれてサンキューな」

 投球練習を終えた部員は祐人に礼を言うと、満足そうに去っていった。それと入れ替わりにバットを持った部員が誰ともなしに言う。

「トスバッティングしたいんだけど、誰か球出しやっててくれねーか?」

「あ、じゃあ僕やるよ」

「いいのか? 悪いな」

「いいってことよ! ちょうど手も空いたしね。んじゃ行こうか」

 二つ返事で依頼を受けた祐人は、グラウンドの隅のバッティングネットへと移動する。

 今日の祐人は終始この調子で、自分の練習よりも他人の練習の補助に奔走していた。さらにはやれ「令和のイチロー」だの「第2の大谷」だの「プロでも即戦力間違いなし」だのと言って、過剰なまでに持ち上げた。歯の浮くような美辞麗句は顰蹙を買いかねないが、祐人の性質を周知していた部員たちは誰も本気に受け取らず、いつもの軽口だろうと笑いながら聞き流した。

 さらに練習は進み、内野ノックの時間となった。ノッカーを務める健太は次々に打球を放ち、内野の部員たちはどうにかそれらを処理していく。

「よし、次っ!」

「お願いしまーす!!」

 グラウンドへと躍り出た祐人は、健太に負けじと声を張り上げた。

「よーし、行くぞイガ!」

 そう言うと健太はゴロを放った。祐人は素早く腰を落として、難なくそれを受け止めた。

「球甘いよー! もっと厳しいのちょーだい!」

「ナイスキャッチ! やるな! ……って、何でお前が内野ノック受けてんだよ!」

 健太は祐人のプレーを褒めつつ、ツッコミを入れた。それは見事なノリツッコミだった。ツッコミはさらに続く。

「お前ライトだろ!」

「ライトじゃなくて祐人ひろとだけど」

「名前の話してねーよ! 守備位置ポジションの話だよ! 何で外野のお前がしれっと参加してんだよ!」

 健太の怒涛のツッコミラッシュに、祐人はいつも通りに飄々と答える。

「僕も内野守備を経験しておこうと思ってさ」

「外野なんだから必要ねーだろ。大体、左投げのお前がどこ守る気だよ」

「確かに僕は左投げ……いや、サウスポーだ」

「言い換えんでいいわ」

「普通に考えればピッチャーかファーストしか守るところはない……しかし! 試合中に負傷者が出て、急遽内野を守らなきゃいけないなんてことになるかもしれない。そもそも僕が助っ人に入ったのも安達くんの怪我が原因だし。そうなった場合に備えて、少しは練習しておいた方がいいと思うんだよね。さすがにぶっつけ本番は不安だしさ」

 確かに祐人の意見は一理ある。大勢の部員を抱えるような強豪校とは違い、うちは明らかに人数が不足している。仮に負傷者が出た場合は、残ったメンバーで補うしかない。あまりにもまともな内容に健太は思わず面食らった。

「ヘイヘーイ! バッチコーイ!!」

 健太が返事をするより先に祐人は守備位置に就き、軽快に声出しをした。仕方なしに健太が打球を放つと祐人はそれを追いかける。異変に気付いた部員たちは集まり、暫しその光景を眺める。

「何やってんだ? あいつら」

「何ってノックだろ」

「そんなもん見りゃ分かるわ。何で五十嵐が内野ノック受けてんだって聞いてんだよ」

「そんなこと俺が知るか」

「あーあ、あんなに必死になっちゃって……」

 白熱するノックに、物珍しさも相まってギャラリーは増える。

「はぁ……はぁ……」

「はぁ……ありがとう……はぁ……ございました……」

 激しいノックに息も絶え絶えの健太に祐人は同じく息を切らしながら礼を言いい、部員たちは戻ってきた祐人に声をかける。

「お、終わったみたいだな」

「お疲れ。ずいぶんしごかれてたな」

「はぁ……はぁ……厳しめに頼むって言った……からね……はぁ……」

「そもそも何で内野ノックなんてやってたんだ?」

「もし負傷者が出たら……内野を守ることになるかもしれないから……」

「それでわざわざ? ご苦労なこった」

「いやー、もう汗だくだよ。水を洗って顔飲んでこよう」

「いや、逆だろ」

 そう言うと祐人は、ふらふらした足取りでと水飲み場へと歩いていった。

「あいつ、大丈夫か?」

「あちこち走り回ってたと思ったら、今度はノックか。忙しいやっちゃな」

「それにしてもよくやるよなぁ、あいつ」

「あぁ、単なる人数合わせなのに」

「左投げなのに内野の練習なんかして意味あんのかね?」

「ほんと、無駄な努力だよな」

「……トンボがけしてたんです」

 部員たちが笑いながら祐人を揶揄する中、一人の部員がぽつりとつぶやく。

「トンボがけ?」

「何の話だよ? 山田」

 尋ねられた部員やまだは続ける。

「今日……誰よりも早く来てトンボがけしてたんです、五十嵐さん。少しでも多く練習時間を取れるようにって……」

「……俺たちのために?」

「じゃあ今日、練習を手伝って回ってたのも……」

「皆さんが集中して練習できるように……だと思います。多分」

「多分かよ」

「あのお調子者がそこまで考えてるとは思えないけど」

「単なる気まぐれだろ」

「……何であいつが毎日練習に出てるか、お前ら分かるか?」

 彼らが話していると不意に背後から声がした。振り向くとそこには、いつの間にか息を整えた健太の姿があった。

「さぁ?」

「暇だからとかじゃねーの?」

 その答えに健太は首を振る。

「イガは生徒会の人間だ。生徒会の仕事がある。それなのにあいつは助っ人を引き受けてくれた。俺は練習は出れる日だけでいいって言ったんだ。そしたらあいつはこう答えた。『友達が頼ってくれたんだからその期待に応えたい、みんなの役に立ちたい』って」

「あいつがそんなことを……」

「だからあいつは毎日練習してるんだ。ブランクを埋めるため、硬球に慣れるために、そして何より俺たちのために」

「やっぱり……そうだったんですね」

 健太の言葉に山田が納得したように頷く。それを聞いた部員たちは一斉に黙り込んだ。祐人のことを笑う者はもう誰もいなかった。

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