…
自分以外の吐息を感じた。
向こうの人影も俺の強い視線を感じたかのだろうか。身じろぎした。
「誰だ?」
が、これは我ながら愚問だと思った。
拘置所に囚われている人間は、犯罪者に決まっている。それ以上でもそれ以下でもない。
もっとも人を見て犯罪者とする判断は、公安局長と警官らの権力の濫用とも言うべき一方的な解釈によるものだが。
連中がクロと言えば、シロでもクロになる。
少なくとも、ここ、アビシャスはそういう国の目の届かない無法の辺境の街なのだ。
俺が平然としているふりをしながら身構えていると、その人影の方からそろりと近づいてきた。
それが一瞬横切ったときに月明かりが照らし出されて、その面影に俺は「あっ」と声を上げそうになった。
今朝方、通りで出会って警官から逃がしてやった少女だったからである。
俺は力が抜けてしまった。
自分が繩で縛られ殴られ頭を打ち、こんなところに閉じ込められることになった原因を作った張本人が目の前に現れたからである。
さすがに、なにか嫌味の一つも言わないで済まされなかった。
「なんだ、結局お前も捕まったのか?」
少女は、俺の目を見るとこっくりと頷いた。
「こういうのを無駄骨だった、というんだっけな」
俺はあきれて、天井に目をやるような仕草をしてみせる。
彼女は、無表情でそんな俺の顔を見つめていた。
「お前、八百屋の野菜を盗んだらしいじゃないか。それを知っていたら、俺、ぶん殴られるリスク背負ってまでお前を助けなかったのによ」
そこまで言うと、彼女は顔をそむけ、目を伏せた。
申し訳ないと思ったのだろうか。
が、「ごめんなさい」の一言も言葉にしようとしない彼女に、俺は救いのなさを感じた。
それでも俺は、思いやりがある方だ。頭ごなしに否定はしない。
「親はどうした? 金がなくてやったのか?」
すると、彼女は首を横に大きく振った。
思わずため息が出る。
顔見知りの八百屋の親父を困らせるようなことをしたのもあって、俺は苛立つ。
同情の余地はなさそうだ。
「お前、終わってんな」
そう吐き捨てると、彼女はびっくりしたような顔つきになったが、やがて肩を震わせ始めた。
逆ギレしてるのかと思って、放っておいてただ観察していたが、しゃくり上げるのを見て泣いているのだとわかった。
(めんどくせえ……自業自得だろ?)
それでも未来ある子どものことだ。
なるべく寛大に、しかも何がいけなかったのか理解させないといけない。
「悪い。今のは言い過ぎたな。でも、お前も悪いんだぞ。あの八百屋の親父だってあれ一本で生活してんだ。お前にしたらほんのいたずらだったのかもしれんが、親父も人生かかってんだ。そんなことで人を困らせんなよ」
少女は、俺が頭を撫でようとしたのを察知したのか、さっと身を引いて元の暗い壁際へ戻っていくと、もうそれからは、こちらへ顔を向けようとしなかった。
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