第4話 「撮り子」と「演者」
◆
渋谷のラブホテル街から少し離れたところで待ち合わせる予定だったはずの撮り子の対馬が、駅の改札のすぐそばで待ち構えているのに葉月は気付いた。
同時に対馬も気づいたようで、どこか怒りを滲ませて歩み寄ってきた。何かあったな、と覚悟を決めて葉月も近づいて先に声をかけた。
「お疲れ様です、対馬さん。何かありましたか?」
何かも何も、と早口で言う対馬の外見は、無害そう、というのが真っ先に浮かぶ。
丸メガネをかけていて髪の毛はやや長めだが、頬がふっくらとしていつも赤らんでいるので、童顔ぽさが強調されている。目つきも至って穏やかなのが常だが、今は少し違った。
「今回の演者、平井さんじゃなかったの?」
対馬の言う平井というのは葉月が知っている女性の演者の一人で、今回の一件に声をかけた相手だった。詳細には知らないが、大学生で、やや目元はきついが美人だし、何より演劇経験者だ。本人が言うには今でも小さな劇団に声をかけられるとのことだ。
しかしどうやら、その平井に話を蹴られたようだと葉月も即座に感づいた。それでも確認として、丁寧に話を進める。
「平井さんにお願いしましたけど、彼女、待ち合わせに来なかったんですか?」
まさか待ち合わせに来ないだけで対馬が葉月を迎えに来るわけがない。
その葉月の想像を肯定することを対馬は喋り始めた。
「平井さんは来なかったよ。しかし、代わりを寄越した。平井さんからの依頼で来たと言っていた。その子は時間厳守で来たけど、何も知らないんだ」
そうですか、と言いながらも葉月の思考は回転している。
「どこまで知っているようでしたか。何を知っていて、何を知らないんですか?」
「動画を撮ることは知っている。偽動画を撮ることは知らない」
「撮影の内容は知っていましたか?」
「知らなかったから、僕が概要を伝えた」
「概要?」
「そこらのラブホでちょっとした映像を撮ると伝えた」
それは言い方が悪い。そうは思ったが、葉月はそこを問題にしなかった。もう手遅れだ。
「話を聞いて、どうなりましたか?」
「血相を変えて、この話はなかったことにして欲しい、自分は平井さんとは違う、もう帰る、と言い出した」
「それで本当に帰ってしまったとか?」
「僕もそこまで間抜けじゃない。これから監督が来るからそれまで待ってくれ、話を聞いてからにしてくれ、と引き留めた」
「どうなりましたか?」
「そばの公園で待ってるはずだ。僕がそこまで連れて行って、ベンチに座らせて、缶コーヒーを渡しておいた。今もいると思う」
溜息を吐きそうになったが、行きましょう、という言葉に置き換えておく。対馬はどこかホッとした雰囲気に変わり、葉月を先導し始めた。渋谷駅のそばに落ち着ける公園があるとは葉月は知らなかったが、あるのだろう。
すぐに裏道に入り、人の気配もなければ夜の闇に対抗する街灯も少ない薄暗い道を進む。
「一つ、伝えておかなきゃならないんだが」
対馬が低い声で言い始めた。
「彼女、警察を呼びますよ、と口走っていた。公園で警官が待ち構えているかも」
「大丈夫ですよ」
即座に葉月が答えるのに、対馬が胡乱げな顔つきになる。
「実際に性的な映像を撮影したわけでも、その女の子をラブホテルに無理やり連れ込んだり、強引に性的な行為に及んだわけでもありません。警官がいても、注意くらいで済みます」
そうかなぁ、とまだ対馬は不安そうだった。
公園が見えてきて、中に入るがいっそう闇は濃くなる。
こんなところで女性を一人で待たせるのはやや無謀だ。葉月が女性の立場だったら逃げ出す気がする。
しかしどういうわけか、本当にベンチに一人で女性が座り込んでいた。近づくと、大きめの紙袋がすぐ横にある。ただ顔つきは影で見えない。
顔が見えるところまで近づく頃には、女性も葉月と対馬に気づいていた。どこか怯えがあった瞳に困惑が浮かぶ。一方、どこか安堵してもいるようだ。平井の依頼や対馬の対応を悪いほうに解釈してもいたのだろう。その悪い展開と比べれば、対馬が葉月のような人物を連れて戻ってきたことは好ましいのかもしれなかった。
「すみません、お待たせして」
葉月が言うと、女性は無言で頷いた。
「平井さんの代わりに来ていただいたとのことですが、僕は宮越と言います。監督というか、まとめ役みたいなものです」
女性は葉月を見て黙っていたが、ポツリと言った。
「何を撮影するんですか?」
「まず、ラブホテルに入る場面。次に部屋に入る場面。それくらいです。乱暴なことはありません」
「何のために撮るんですか?」
「ちょっとした動画が必要なんです」
「その、顔は映らないって聞いていますけど、本当ですよね?」
もちろんです、と葉月は頷いたが、撮影するのは対馬だし、アングルも含めて全部、対馬が決める。もしかしたら対馬が顔を映してしまうかもしれないが、その時はその時だと葉月は割り切った。
女性は沈黙した。覚悟を決めるための時間だろう、と葉月は見ていた。
案の定、沈黙は短い時間で済んだ。女性は頷くと立ち上がった。
「時間がないので、早くお願いします」
まだ二十時を過ぎたばかりだが、ここでやる気になっている演者の代理人を手放す理由はない。
「平井さんから衣装の件を聞いていると思いますが」
「ここにあります」そう言って紙袋を持ち上げた女性が視線を明後日の方向に向ける。「トイレで着替えてきます。ここまでその服で来るの、恥ずかしくて」
どうやら彼女が見た方にはトイレがあるらしい。
「その、着替えている間、見張っていてくれますか?」
変な申し出だったが、夜の公衆トイレが不気味なのは葉月には想像がついた。
結局、女性トイレに女性が入っていき、建物の外で葉月と対馬が並んで待つことになった。ちょうどいいので葉月は用意した撮影機材を渡した。
「対馬さん、今回はこれで撮影してください」
「ああ、わかった。iPhoneの最新モデルだな。自分じゃこんなの、高すぎて買えないよ」
そう言いながら、もう対馬は端末を操作し始めて、目の前に掲げてどこかにレンズを向け始めた。葉月の方に向けようとはしない。身内を撮ることは厳禁なのだ。
スマートフォンをいじっている対馬を見ているうちに女性がトイレから出てきた。先ほどまでの服装はデニムにブラウスという清楚な感じだったのが、今は露出の多い服装に激変している。まるで別人のようだ。髪の毛も一つにまとめていたものが、今は解かれて肩から流れている。
恥ずかしそうな顔をして「お願いします」と女性が言った。
「すみませんが、名前を教えていただけますか。いえ、名前というか、呼び方がないと不便なので」
葉月が言うと、女性は「マチと呼んでください」と言った。
「ではマチさん、先に説明しておきます。これからマチさんを風俗嬢として、撮影をします。風俗嬢の同行者が撮影している、という形です。撮影するのは彼です」
葉月が対馬に目線をやると、マチが対馬に軽く目礼した。言葉はない。葉月は説明を続けた。
「僕もついていきますが、映像には入らない予定です。映像は、ラブホテルに入るところから始まりますが、ラブホテル側に許可は取っていません。おそらく何も言われないと思います。映像の順番は、撮影しながら三人でラブホテルに入り、部屋を借り、その部屋に入って、少し撮影して、今度はすぐに部屋を出て、エレベーターなりからロビーへ出て、建物を出て、少し撮影して、それで全部になります。全部で一時間程度のはずです」
マチは何か考えているようで、葉月は返事を急かしたりしなかった。
具体的な場面を想定できたのか、マチは「分かりました」とはっきりと頷いた。
撮影はすぐに始まった。三人で公園を出て、大通りに出て、ラブホテル街に向かう。三人組も目立たないのが都市部のいいところだと葉月は思った。歩くうちに役に入ってきたのか、マチは堂々とし始めたが、逆に対馬は不安なようだ。
対馬の不安が葉月にはわかる。
マチには伝えていない撮影内容があるからだ。
三人は目的のラブホテルの前に着き、対馬はすぐにスマートフォンを用意して撮影を始めた。
マチは急に柔らかい笑顔になり、色気を漂わせながらラブホテルに入っていく。台本などないのに、対馬を建物に誘うような身振りや言葉は変にリアルだった。
空いている部屋の中から四階の部屋を選び、エレベーターに先に対馬とマチの二人が乗り込む。エレベーターの壁が鏡になってると、後で合わせ屋として松代が作業する時、余計な手間がかかる。葉月はロビーで待機して四階まで上がったエレベーターが戻ってきてから、一人で四階に上がった。エレベーターの扉が開くと、対馬とマチが待っていた。
撮影が再開され、部屋まで廊下を歩いて部屋のドアを開け、三人で中に入る。
対馬が一人でスマートフォンを右へやったり左へやったりしているうちに、葉月はなるべく自然にマチに言った。
「マチさん、少しだけ服を脱いで欲しいのですが、できますか」
え、とマチが凍りついたように動かなくなった。葉月は構わなかった。
「上を脱ぐくらいで構いません。背中を見せてもらうだけでいいのです。出来ますか」
「で、出来ませんよ、そんなの! 聞いてません!」
対馬が気まずそうにしているが、その手にあるスマートフォンはマチの方を向いている。
「撮らないで! もうダメです! 映像、消してください!」
ヒステリックなマチの言葉に、葉月は手を伸ばして対馬の手からスマートフォンを奪い取った。
「マチさん、報酬に上乗せすることができます。少し肌を撮らせてもらえればいいのです。それ以上は何もありません」
「嫌です!」
「いくら払えばいいですか? 言い値でいいです」
淀みない葉月の言葉にマチは気を飲まれたようだった。
部屋に気まずい沈黙が流れたが、マチがそれを破った。
「十万円です。出せますか?」
「出せます。撮影が終わればすぐに」
即答する葉月に、マチは逆に恐怖を感じたようだ。今回はその恐怖がどうやら葉月にとって都合よく作用した。
やります、どうすればいいですか、とマチが葉月を見てくる。葉月はスマートフォンを対馬に返し、対馬の指示に従うように言った。
葉月が見ている前で、対馬に背中を向けたままマチが服を脱いでいく。その動作の躊躇いのなさは自暴自棄にも見えたが、使える映像になりそうだった。
「そこでいいです」
マチの背中が露わになったところで、葉月の方から声をかけた。対馬はすぐにスマートフォンを持ったまま一人で動き出している。恋人の裸の映像を撮影していた男が何か次の動きをしようとしてスマートフォンが動いている、という映像を演出しているのだ。
葉月は対馬と一緒にマチに背中を向けていたが、服を着直している彼女からかすかにすすり泣く声が聞こえた気がした。
しかしそれも短い間で、撮影は続く。
今度はするべきことをした男女がラブホテルから引き上げる映像を撮らないといけない。マチが対応できるかは未知数だったが、彼女は完璧に対応した。部屋から出てエレベーターへ向かうマチは本当に対馬の恋人のようだった。対馬がどぎまぎしているのが、葉月にはわかる。
来た時と同じように二人を先に下へやり、あとから葉月も合流すると建物を出た。
「タクシーに乗りましょう」
葉月がそう言うと、心得た様子で通りを走るタクシーをマチが止めようとする。その間も対馬は撮影を続行していた。
今時、流しているタクシーなどいないようで、予想外に早く捕まった。アドリブとしてマチを後部座席に乗り込ませ、一度、ドアが閉じる場面を撮影してから、運転手に嫌な顔をされながらも改めてドアを開けさせ、後部座席のマチの隣に葉月が座り、対馬は助手席に収まった。
タクシーの行き先はマチが大崎駅と言うので、その通りにした。
対馬が運転手に話しかけて雑談が始まる。運転手は不審そうだったが無視もできないようで話に付き合っている。
その間に葉月は用意していた封筒をマチに手渡した。
「これが本来の報酬です」
封筒を受け取ったマチが中を覗き、驚きそのもので葉月を見返す。葉月はさらに自分の札入れを取り出し、そこから一万円札を十枚抜いて、差し出す。これにはマチもさすがに怖気づいた仕草を見せ、葉月は有無を言わさぬ気配でそれでもそっと彼女の手に紙幣の束を乗せた。
やっとマチがそれを受け取ったところで、葉月はさらに五千円札を一枚、札入れから抜いて差し出した。
「これで何か美味しいものでも食べて、不快な気分を忘れてもらえると助かります。今日はありがとうございました」
もう何も言えないようで、マチは黙ったまま五千円札も受け取った。
タクシーはすぐに大崎駅に着き、マチが一人で降りた。ドアが閉まり、葉月は運転手にそばに旨いラーメン屋はあるか、と聞いた。運転手はまだ不機嫌だったようで、駅のそばにいくらでもありますよ、と応じる。さっさと降りて欲しいのだろう。しかしここで葉月と対馬が降りてしまうと、マチに尾行を疑われるかもしれないし、余計な面倒は避けたい。
「じゃあ、新宿駅まで」
タクシーが走り出す。
窓の外を流れていく街並みを見ながら、葉月は予算について考えていた。
必要以上の出費が生じたが、高井戸が補填してくれるはずだ。そのためには要望通りの映像が出来上がらないといけない。対馬が撮った映像を松代の元へ持ち込み、編集して、それでどうなるか。
事前に松代は準備を進めていて、その事前準備に合わせて今回の撮影のプランを組んだが、演者が違う人間になっているのでまったくの予定通りではない。平井とマチの体格に大きな差はないし、髪の毛の長さも同じくらいだった。平井の配慮なのか偶然かは知らないが、おそらくはうまくいくはずだ。
助手席から対馬が腕を伸ばし、葉月の方へ撮影に使ったスマートフォンを差し出してくる。
「それで、僕たちも美味いものを食って解散、でいいんだよね?」
対馬の言葉に、葉月は軽く答える。
「食事は割り勘ですよ。今の僕の財布はほとんど空ですから」
「今時、財布に現金を入れておく方が少数派じゃないか。ま、割り勘でもいいけどね。いい絵が撮れて僕は嬉しいよ」
対馬の上機嫌な声に、やっと葉月は溜息を吐くことができた。
少し安堵したが、まだ本当に気を抜くには早い。
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