ミトコンバトラーに乙女心は難解すぎる!

宇部 松清

第1話 シゴデキリーマンでも乙女心はわからない

「さて、どうしたものか」


 学生時代からお世話になっていた学習机とおさらばし、シンプルなデスクと、ちょっといい椅子に変えたのは数年前のことだ。大学に合格した妹のかえでが「お兄ちゃん、それじゃ本当に『子ども部屋おじさん』だよ!」と指摘してきたからである。俺としては、学習机はあれはあれで機能的だと思うのだが、いい歳した男が使って良いものではないらしい。


「色々お金出してもらってる私が言うことじゃないけどさ、お兄ちゃん、もうちょっとそういうの考えた方が良いと思うな」


 俺は元々そこまで物欲がない質だ。

 仕事の時だけちゃんとしていればいい。それなりのスーツと靴。それから鞄と時計だ。この辺に多少金をかけて、あとは定期的に髪を切れば良いのである。女性ならもっと大変なんだろうが、男はこの程度で十分化けられる。別に高い飯を食いたいわけでもないし、旅行に行きたいなんてこともない。


 ただ俺は、日々の疲れをMEAT COMBATカードバトルで発散させられればそれで良いのだ。


 だから稼いだ金が年老いた両親の生活費だったり、可愛い妹の進学費用に消えても、どうということはないのだ。同窓会でそんな話をしたら「お前それは搾取されてる、って言うんだぞ」、「嫁さん来ないぞ」なんて言われたが、常に温かい飯や風呂が用意されている環境を手放すなんて考えられない。良いか、俺は家事なんてほぼほぼ出来ないからな? いまこの家を出て一人暮らしなんてしてみろ。明らかに仕事のパフォーマンスだってがた落ちに決まってる。


 だから俺はこれで良いのだ。


 そりゃあいつかは彼女を作って、結婚して、なんてことも考えたりするが、義両親と同居したい女性なんているわけがないだろう。だから、その時になったらここを出れば良い。ただその場合でも、実家に仕送りはしたいし、家事は奥さんにほぼ100%お願いすることになるだろうけど。もちろんその分、金はしっかり稼いで来るつもりだ。それで何とか勘弁してもらえないだろうか。いや、令和のこの時代にそれは許されないかな。まぁ、多少は努力するけど。


 いや、そんなことを考えてる場合ではない。


 問題は、これだ。


 そのシンプルなデスクの上に鎮座している、『これ』。


「うっわ、『GOゴー-DIVAディーバ』のチョコじゃん! 何? どうしたの、それ!」

「わぁっ!? か、楓!? お前どうしたんだ!」


 背後からにゅっと顔を出してきた妹に驚いて、危うく椅子から落ちかける。


「えー? 就活の息抜き〜。たまにはお母さんのご飯食べたいしさー」

「そ、そうか」


 だったら俺にも一報寄越してくれ。


「それにほら、お兄ちゃんにバレンタインも直接渡したかったし?」


 と首を傾げて、鞄の中から楕円形の箱を出す。そのままくれるのかと思いきや、「ありがとう」とそれを受け取ろうとした俺の手は、スカッと空を切った。


「ちょ、おい。何でだよ」

「まずはそっちの『GO-DIVA』から説明してもらおうかな」


 腕を組み、じとぉ、と目を細めて俺を見下ろす。怖い。


「お兄ちゃんの会社、バレンタインのチョコ廃止になったはずだよね?」

「えっと、まぁ、うん」

「そのせいで私の毎年のお楽しみがなくなっちゃってさぁ。いっつもお高いチョコもらって来てたのに!」

「だ、だから毎年埋め合わせはしてただろ? お兄ちゃん、楓のために恥ずかしい思いしながら毎年バレンタインコーナーに寄って――」

「うん、その節はありがとうございました。じゃなくて!」

「な、何だよ」


 ウチの会社のバレンタインが廃止になると、毎年俺へのチョコを楽しみにしていた楓はそれはそれはがっかりしたものだ。しょんぼりしている妹が可哀想で仕方なく、仕事の帰りにバレンタインコーナーに立ち寄り、売れ残っているチョコレートを適当にいくつか買って帰るのが俺の毎年のバレンタインだった。店員さん達はたぶん、「一つももらえなかった哀れな男が自棄になって自ら買いに来たんだな」と思ったに違いない。


「バレンタインが廃止になったのに、どうしてそんな『THE本命』みたいなのをもらって来てるの!?」

「い、いや、これは、その」


 ずい、と顔を近付けられて凄まれる。なぜ俺は妹に詰められているんだ。


 いや、それ以前に――。


「これは別に本命ってわけじゃないと思うが」


 ぽつりとこぼれた言葉で、楓のこめかみにぴきりと青筋が浮かぶ。

 特別に見てほしい、とは言われたけど、別にそういう意味と決まったわけでもないはずだ。


「はぁ?! お兄ちゃん、それマジで言ってる?」

「え? 違うのか? だって、その、こう言っちゃなんだけど、そんな大きいやつでもないし。ハートの形とかでもないし」


 本命ってそういうやつだろ?

 なんかとにかくデカかったり、ハートの形の箱に入ったやつだよな?!


 そう説明すればするほど楓の顔つきが険しくなっていく。


「え? 何? つまりお兄ちゃんは、本命チョコって、単純に大きさとか、形とか、そういうので決まるって思ってたってこと?」

「ち、違うのか? だって、漫画やアニメでは大抵ハートの形の箱にこう、リボンが――」

「それは二次元の話でしょ! ていうかさ、毎年バレンタインコーナーに足を運んでる癖に何でわかんないの? お兄ちゃんの言う、ハートの箱にリボンがついてるやつなんてそんなにあった? むしろ丸とか、四角とかが大半じゃなかった?」

「言われてみれば……」


 漫画でよく見るような、ハートの箱にリボンが斜めがけされているようなやつはほぼほぼ見たことがない。だからてっきり、『本命チョコ』とやらはリオンモールのバレンタイン特設会場なんかでは売っていないものだと思っていたのだ。


「それで? そのハートの箱の中身も、ハートの形のチョコが入ってるんでしょ? なんていうか、厚さも三センチくらいありそうなさぁ」

「……だな。一枚板っていうか」

「そんなチョコ売ってないからね?!」

「ということは手作り……」

「だとしても、板チョコ何枚分使ってんだかわかんないガッチガチのチョコだよ? 歯折れるよ?! そんなの食べたいの?」

「それは、ちょっと……」


 よく考えたらそうだな。

 あのハートの形のチョコの中に入っていたのは、ほぼ同じ大きさのハート型チョコレートだった。もちろんケーキの線もあるが、それをもらった男キャラはナイフでカットしたりせず、がぶりとかじりついていたのである。ケーキだったらそんな食い方をしないだろう。ということはやはりあれは板チョコ何枚分かを溶かして固めたものなのだ。そう考えたら普通に怖すぎるな。歯がやられそうだ。


「贈る側だってそうだよ。手作りするにしたって、そんなもの贈らないからね? むしろ、そうだなぁ、トリュフとか、ブラウニーとかぁ……」


 などと、斜め上に視線を向け、思い出すようにチョコレート菓子の名前を羅列する楓である。おい、ちょっと待て。それはもしやお前の体験談ではあるまいな?!


「楓、もしかしてお前……」


 今度は俺がじとりとにらみつける番だ。おい、どこの男に手作りを贈ったというんだ。そんなメッセージを乗せつつ見つめると、「何よ、良いじゃない」と素気無く返されてしまう。いーや、お兄ちゃんは許さんぞ。ちゃんと家に連れてこい。圧迫面接してやる!


「そんなことより、その『GO-DIVA』よ!」


 形勢逆転とばかりに浮かせかけた腰は、楓のその言葉で再び椅子に沈むこととなった。はい、すみません。


「むしろその大きさ、形、そして価格からして、それは十分に『本命』の資格を有していると判断します!」


 そうなのか? と手の中のチョコレートをまじまじと見つめる。俺の両手にすっぽりと収まるサイズの正方形の箱だ。特にピンク色というわけでもなく、ハートが描かれているわけでもない。むしろ、色は金色だし、なんていうか、シンプルなやつだ。


「大きさと形って言うなら、むしろ全然これは義理というか、日頃の感謝の気持ちです的なやつじゃないのか?」

 

 そう言うと、


「日頃の感謝ってことは、会社の人ね?! バレンタイン廃止なのに会社の人からもらったってことは、プライベートで会ったってことだよね?! ほら! ほらもう確定じゃん!」

「え? ちょ、落ち着け楓。父さんと母さんがびっくりするから」

「落ち着いてらんないから! あのさ、それ、その大きさで五千円くらいするからね?! 『GO-DIVA』舐めんな! そんで、それ、今年の限定のやつ! 一番人気なの!」

「え?! し、知らんし!」


 マジで知らんし!

 

 おい、百田ももた君、どういうことだ?! むしろどういうことだ?!

 これそんな高いやつなのか?

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