第12話 何もない、ありえない

 綿毛の草原に風が吹くと、草が波のようにざわめく。

 木陰に敷いたシートの上でぼんやり座り込んでそれを見ていると、時間が止まったような穏やかさがあった。

 俺は興味あることに一直線の男ハルキリでもあるのだが、実はこういうぼんやりした瞬間がそんなに嫌いではない。

 ちらりとフィリを見上げれば、フィリもぼーっと草の波を眺めていた。

 そして、視線を気配で察したのか、俺に目を合わせるとふにゃっと顔を綻ばせた。

 かわいすぎる。

 なんでこんな美少女がさあ、99年もいじめられなきゃいけないんだよ。


「フィリはさあ、どうしてそんな長い間、誰にも認められないのに探索者を続けられたんだ?」


 俺はつい、ぼんやりしたまま心に浮かんだ疑問をそのまま口にしてしまう。

 普通、そこまでやってダメなら心が折れちゃうだろう。

 そもそものんびりやを自称するフィリが、なんかガツガツしてそうな探索者に性格的にも向いているとは思えない。


「【空間倉庫】があるならさ、のんびりダンジョンの外で倉庫番とか、商会で荷運びとかして暮らしていくのもできたんじゃない?」


 そして俺は自分の言葉が耳から入ってようやく、自分がめちゃくちゃひどい聞き方してんな、と気づく。

 ヤバすぎる。ノンデリにも程があるだろうが!


「ああ、いや、違うんだよ!

 そんなにやる気をずっともち続けられるなんてマジですごいなって、尊敬してるっていうか!

 何かよっぽどやりたい事があるとか、デカい夢があるとかなのかなって思ったんだけど、」

「なにも、ないんだ」


 上滑りする俺のいいわけを遮るように、フィリはぼそりと呟いた。


「え」

「そ、そうじゃなくて!

 わ、わたしには……あの、その……記憶がないんです」


 わたわたと手を振って申し訳なさそうに言うフィリ。

 ……違うだろ。今のは俺が悪い。

 無遠慮に踏み込んだ質問をして、言いにくい話をさせてしまったのだから。


「……ごめん。話しづらいこと、喋らせちゃって。

 聞き方も悪かったし、最悪だ。謝らせてほしい」


 俺は居住まいを正して、土下座の形で謝罪する。


「気にしてないから大丈夫だよお。謝らないで。

 あ、でもねハルキリくんには聞いてほしい、かも」


 フィリは眉を八の字に下げながら、口元を笑みで誤魔化して首を傾げた。

 そんなおねだりされなくてもなんでも聞いちゃうけど。

 俺が頷くとフィリは草の海の向こう側に目を向けた。

 まるでそこに、在りし日の自分を見るかのような眼差しで。


「気づいたときには、わたしはこの『在りし日を映す鏡面域』にいたの。

 何も覚えてなかったけど、ここで、どうしても絶対にやらなきゃいけない事があったことだけはわかってたんだ。

 だから、探索者になるしかなかったの。どれだけ向いてなくても、【空間倉庫】しか使えなかったとしても……

 わたしには、それしかないから」


 フィリはそう言うと、空中から茶色く煤けた紙切れを取り出して俺に差し出した。

 そこにはびっしりと、紙を埋めつくさん勢いで文字が書き込まれていた。


『わすれたくない。わすれたくない。わすれたくないわすれたくないわすれたくないわすれたくないわすれたくないわすれたくないわすれたくないわすれたくない。わすれたくない。わすれたくない。わすれたくないわすれたくないわすれたくないわすれたくない』


 手書きの文字だからこそわかる、そこに込められた感情の必死さに背筋が粟立つ。

 と同時に、この想いが果たされなかったことに俺は物悲しさを感じてしまう。

 かつてのフィリはこれほどまでに忘れたくないものがあったのに、それを失ってしまったのだろう。


 ……なるほど。

 これがフィリのか。


「わたしの【空間倉庫】の中から出てきたものだから、これはきっとわたしの願いだったんだと思うの。

 だからね、平気だったんだ。

 どれだけみんなに嫌われても、役立たずって言われても。

 わたしは絶対に諦めないぞー、って」


 フィリは遠い過去から視線を俺に移して、微笑んだ。


「でもね、今日ハルキリくんが一緒に組んでくれるって言ってくれて、思い出したんだ。

 一人じゃないのって嬉しいんだなあって。

 だからね、ありがとう。一緒にがんばろうね」

「……ああ、こちらこそ」


 泣いちゃうだろこんなこと言われたら!

 俺はフィリから受け取った紙を涙で濡らしそうになって、慌てて突き返すようにフィリに差し出した。




 そして。

 その裏に書いてあったに吸い寄せられるようにして、俺の時が止まったかと思った。

 涙も完全に引っ込む。


 この世界で使われてる文字を、読めないはずのそれを、俺は見ただけで意味を理解する事ができる。

 だがそのはそうじゃない。

 


『忘れたくないよ、春桐ハルキリ


 で俺の名前が書かれている紙切れなんて、あっていいはずがないのだ。

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