第5話 理想の向こう側



「ここ、誰もいないのな」


 誰もいない教室を見ながら、ボソリと呟く。その言葉は誰にも拾って貰えずに空中で消えていった。


「なあ、一ノ瀬――っていない!?」


 さっきまで居た一ノ瀬の黒い影。少し目を離した隙に、綺麗さっぱり消えていた。辺りを見回してみるがそれらしき人影は見えない。


「え、嘘。嘘だろ……」


 呆然とすることしか出来ない僕。格好つけて現れたはいいものの、まさか消えるとは思っていなかった。

 よく分からないセカイに、何も分からないまま取り残されている。この状況を端的に言うならば、最悪だ。


「……一ノ瀬さん? 見ているんだよな? 一ノ瀬さーん!?」


 まずいまずいまずい。ここまで来れたはいいものの、このままだとかなり不味い。オロオロと慌てる僕の姿は傍から見れば酷く滑稽なことだろうが、今はそれどころではない。

 助けを求めて声を張り上げるが、当然何の反応もない――と、思っていた。


「さっきまでの威勢はどうしたんですか」


 ガラリと扉を開けて入ってきたのは、一ノ瀬――(裏)だった。


「一ノ瀬(裏)!?」

「あーはいはい。肝心なところは何も分かってないんですね。まったく」


 やれやれとばかりに肩をすくめる一ノ瀬(裏)。その仕草から敵意やら何やらは感じ取れない。だが、彼女はここでは無い世界で一ノ瀬 澄香に成り代わろうとした存在。油断は出来ない。


「あの、一応言っときますケド。外のあれは私ではないですからね」

「…………そうなのか?」

「そーなんです。先輩の言葉を使うなら、あっちは『理想』でこっちは(裏)です」

「は、はあ。なるほど?」


 よく分からないがそうなのか。

 とりあえずは納得したフリをする。真偽はどうあれ、今の僕には何も手がかりを持っていない。目の前に垂らされているのが藁であろうと罠であろうと、僕はそれに縋るしかないのだ。


「……外の一ノ瀬とは違うということはわかったが、何で君がここに居るんだ」

「それは先輩が想像以上にダメそうだったんで。案内人として現れただけです」

「案内人?」


 はてと首を傾げる僕に一ノ瀬(裏)は、「ええそうです」と頷いた。


「ついてきてください、先輩。一ノ瀬 澄香は先輩が消えることは望んでいません」



 ☆ ☆ ☆



 学校から出て、僕は彼女の後をなぞる。


「なあ、どこに向かっているんだ?」

「そういえば先輩はどうやってここに入れたんです?」


 質問に質問で返されてしまった。というか、全然違う話だし……。


「外の一ノ瀬は元の彼女にとっての『理想』の姿だ。だから僕は元の一ノ瀬が消えたのは、『理想』の一ノ瀬として存在を書き換えられたからだと考えた。だからそれを否定して、その姿は理想ではないのだと突きつけた」

「……どういうことです?」

「僕も完全に理解してる訳では無いんだ」


 僕はある人に電話した。急いで対処しなければ、一ノ瀬がこの世界から消えてしまうと思ったから。


「ある人に相談したら、『それはお前が考えている以上に都合のいいものだよ。その人の『願い』が叶うか、上書きすれば元に戻る』って言われてな」

「誰にです?」

「元部長」


 超常現象調査部を設立した本人であり、僕が最も苦手としている人。


「外の一ノ瀬は多分、元の一ノ瀬にとっての理想だったんだろう。誰からも求められ、認められるような存在。だから僕はその理想を崩そうと考えた」

「理想を否定したことで本物の一ノ瀬の理想ではなくなったことで、壊れたってことですか」

「壊れた、のかな。あれは」


 僕が最後に見た、崩れ落ちる一ノ瀬『理想』の姿。あれは本当に壊れたのか、あるいは作り変わろうとしていたのかは分からない。それを分からないまま、僕はこのセカイに連れて来られた。


「結局のところ、どうして僕がここに来れたのかは自分でも分からないんだけどな」


 ここは、現実とは違うセカイ。一ノ瀬の心の世界。そこに今、僕はいる。


「それは――いえ、それよりも着きましたよ」

「ここは……結構大きな家だな」


 足を止めた場所には僕の家ふたつ分以上ありそうな、大きな家が建っていた。


「一ノ瀬 澄香の家ですよ」

「前の?」

「違いまーす。今も玲香ちゃんと一緒にここに住んでるんですよ」


 酒井先生も一緒に。

 家の扉は鍵が閉まっていることはなく、あっさりと入ることが出来た。


「おおー。やっぱりちゃんと入れましたか」

「どうしてここに来たんだ?」

「どこに行けばいいか分からない時は、その人にとって思入れの深い場所に行く方がいいかなって思いまして」


 ここが一ノ瀬が作ったものなのなら、そのアプローチは正しい。そうして彼女の『願い』が何なのかが分かる手がかりを見つけれたらいいが。


「ここは両親が死ぬまで一ノ瀬 澄香が家族と過ごした場所で、今は玲香ちゃんと住んでいる場所なんです」

「酒井先生は引っ越してきたのか」

「はい。両親を失ったばかりの彼女から生まれ育ってきた居場所まで奪うのは可哀想だと思ったんでしょうね」


 一段と広い部屋に出ると、そこには大きな机と座布団が二つ。そして――、


「ぬいぐるみ?」


 猫のぬいぐるみが座布団の上に座っていた。


「これは……玲香ちゃんだと思います。食事をする時はここで食べてますので」


 猫のぬいぐるみが酒井先生を見立てているのか。そういえば以前、一ノ瀬は猫が好きと言っていたがそれと関係があるのだろうか。そんなことを考えていると、不意に一ノ瀬(裏)の声が聞こえてきた。


「――先輩、居ましたよ」


 その声に反応して僕はバッと顔を向ける。彼女が見ているのは、今いる部屋のもうひとつ奥の部屋。薄暗いその部屋の真ん中で、人影はポツンと立っていた。


「一ノ瀬……?」


 声をかけると、忽ちに霧散していく。跡形もなく、まるで消えるかのように居なくなった。


「この部屋は……?」

「仏壇があるだけであまり使ってない部屋ですケド」


 言われて見てみると、部屋の奥には年季の入った仏壇があった。蝋燭に線香、遺影も置いてある。けれど、近づいて見てみても遺影の人物の顔は認識出来なかった。


「一ノ瀬(裏)。この写真、ちゃんと見えるか?」

「……? ええ、見えます。両親の遺影ですねー」


 となると、僕だけが見えないのか。

 この現象になにか意味があるのか。そう思考を巡らせていると、ちょいちょいと肩をつつかれた。


「他の部屋も見ますか?」

「……そうだな。お願いします」


 一旦考えを中断して、家探しを再開する。

 けれど、それ以上この家で何か起きることも見つかることもなかった。



 ☆ ☆ ☆



 


「――ここは両親の葬儀をした場所です」


 あの後、中学校、子供の頃よく行ってた公園の順で紹介され、次に連れて来られたのは葬儀場だった。


「ここも入れるみたいですねー」


 僕は躊躇いなく葬儀場の中に入る一ノ瀬(裏)の後ろをついて歩く。


「あ」


 入った途端に、ここがこれまでとは明らかに違うことがすぐに分かった。人がいる。喪服を身にまとった大人たちが大勢椅子に座っていた。


「これ、僕らが入ってもいいのか?」

「問題ないと思いますよ。ここは一ノ瀬 澄香の世界であって、現実世界では無いですから」


 堂々と真ん中を歩いていく一ノ瀬(裏)。大人たちは彼女の予想通り、まったくこちらに反応しない。


「ここだけ他と違うってことは何かあるのか」

「かもしれませんね。ま、私には何も分かりませんケド」


 今、彼らは誰の葬儀をしているのか。その疑問はすぐに判明した。


「これは……」

「……やっぱり両親の葬儀のようですね」


 見た覚えのない、見覚えのある遺影。顔は相変わらず見えないが、間違いなく一ノ瀬の家にあった遺影と同じだ。


「事故死ですって。怖いわねぇ」


 その時、僕たち以外の声が聞こえてきた。声のした方を見てみるが、誰が発言したのか分からない。


「そうねぇ。家族揃って事故にあって、子供だけ生き残っちゃったんですって」


 この場にいる大人たちは誰も声を出していない。動いてすらいない。ただ座っているだけ。――それでも、声は続いている。

 

「あら、またあの子だけ。……もしかして呪われてるんじゃないかしら」

「不吉よねぇ。あんな子誰が引き取るのかしら」

「うちは無理よ。小さい子供いるんだもの。それに、何が起こるか分かったもんじゃないじゃない」


 このセカイは、一ノ瀬 澄香の心から形成された世界。彼女が知らない場所には行けない。彼女が経験した場面しか存在しない。つまり、これは一ノ瀬 澄香が聞いた言葉だ。


「――うるせぇなぁ」


 ――聞き覚えのある声がした。

 声をするほうに導かれるように振り返る。


「人様の葬儀に来てお喋りかよ。そんなに話したいなら私と話そうぜ。こちとらクズ男掴まされた愚痴を誰かに聞いてもらいたくてしょうがないんだ」


 そこには酒井先生は当然居ない。けれど、先生のおかげであるものが目に入ってきた。そう、声のした列のちょうど真ん中の席、ぽっかりと一つだけ空いた席には、


 

 ――黒猫のぬいぐるみが置かれていた。



「みつけた」



 この世界は少女の『願い』によって作られたセカイ。もしも彼女が僕を拒絶していたなら、きっと見つけられなかっただろう。


 

「僕と話をしよう、一ノ瀬 澄香」

 

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