45.恋人。
「いやですわ、そんなことございませんですことよ。おほほほほっ!」
夕暮れ、美香と並んで歩く下校道。夕陽の光が彼女の赤髪をほんの少しオレンジ色に染める。
「本当にわたくしも大好きでございますわ!」
美香はよく喋った。これまでよりもずっとずっと人が変わったようによく喋った。まるで何かを秘めているかのように。
自転車を押して歩く美香。その横に真央が並んで歩く。彼女の家は近くはないが辛うじて歩いて行ける距離。初めてかもしれないふたりだけの時間を楽しむかのように、美香は笑顔でずっと話し続けた。
「着きましたわ」
そう言って彼女が案内してくれたのは、何の変哲もない住宅街にある古びた二階建てのアパート。まるで息をしていない老婆のような佇まい。自転車を止める美香の前で真央は黙ったままその古い建物を見つめた。
「こちらへどうぞ。真央さん」
美香の案内で階段を上がる。所々錆の見える古い階段。対照的に目の前には制服のスカートから出た真っ白で色っぽい美香の太腿。真央は目を逸らすようにして階段を上る。
「ただいま帰りましたわ!!」
「あー、お姉ちゃん!!」
美香が部屋のドアを開けると、中から威勢の良い女の子の声が響いた。美香が抱き着く妹の頭を撫でながら真央に言う。
「わたくしの妹達でございますの。ほら、ご挨拶を」
そう言われた妹達が美香に抱き着いたまま真央を見つめる。
「こんにちは」
そう真央が笑顔で言うと、ようやく彼女らも安堵したのか頭を下げて答える。
「こんにちはでございますわ」
(ぷっ)
思わず笑いそうになった。小さくてもやはり美香の妹。大きくなればきっと彼女の様に美人になるに違いない。美香が笑顔で言う。
「さあ、どうぞ。お入りくださいませ」
「あ、ああ。じゃあ、お邪魔します」
真央が玄関で靴を脱ぎ部屋へと上がる。二間。台所を除けばたったふたつの部屋しかない狭いアパートであった。何人いるのか分からないが、家族で住むには狭すぎる。真央が尋ねる。
「美香、ご両親は?」
妹達に抱き着かれていた美香が顔を上げて答える。
「お父様は病気でもういらっしゃいませんわ。お母様はお仕事で帰りは遅くて……」
見たことのないような美香の顔。何かをぐっと我慢しているような表情。聞いちゃいけないことを尋ねたようで真央が頭に手をやり言う。
「ごめん。なんか悪いこと聞いちゃった」
「問題ありませんわ。それよりこれからお夕食の準備を致しますので少々お待ちいただけますか。真央さん」
「あ、うん」
そう話す美香にべったりしくっついていた妹のひとりが小声で尋ねる。
「ねえ、お姉ちゃん。この人、魔王さんって言うの?」
「え? ええ、そうですわよ……」
美香には妹の小声が『まお』に聞こえた。それを聞いた妹が少し驚いたような顔で真央を見つめる。
「魔王様……」
美香が妹達の頭を撫で、エプロンをつけながら言う。
「じゃあ、少しだけ待っていてくださいね」
「はい!」
元気に返事をする妹達。対照的に真央は、あのお嬢様キャラの美香がエプロンをつけ、家庭的な姿になるのをどきどきしながら見つめていた。
(考えてみれば美香って普通に可愛いんだよな……)
結のことばかり頭にあった真央。ほとんど意識しなかったのだが、美香は一年で既に『学校一の美女』の地位を得ているほどの逸材。頭も良く、キャラは飛んでいるが意外と真面目。そして段取り良く調理する彼女を見て驚いた。
(料理もできるんだ……)
毎日妹達の食事を準備しているから当然のこと。前に結から『裁縫もとっても上手だった』と言うのを聞いたがこれなら納得いく。
学校とは真逆の家庭的な美香に見惚れていた真央の服が、不意に引っ張られる。
「ん?」
見ると美香の妹が真央の制服を引っ張りやや戸惑いながら言う。
「お兄ちゃんって、魔王様なの?」
真央が目をパチパチさせる。どんな展開になっているのか知らないが、もうここでは自分は『魔王様』のようだ。妹達から向けられる好奇の目。真央は両手を大きくガッと開き、低い天井を見つめながら言う。
「無論だ、下々の者共よ!! 我こそは最強にて最高の唯一無二の存在、この世の混沌と戒律を破壊する孤高なる王者『西京真央』っ!! 畏怖し、喜びの声を上げ我の前に跪くが良いっ!!」
最後は両手を胸の前で大きく交差させ、じっと妹達を見つめる。
「うわー、すごい!! 本当に魔王様だ!!」
「魔王様だ、魔王様だ!!」
だがそんな難しい言葉が幼い彼女らに理解できるはずもない。変わったお兄さんと言うことと、彼が魔王だって言うことぐらいしか伝わらない。それでも『設定』になり切った真央は妹達に大うけで、美香が食事の準備をする間ずっと笑いが絶えなかった。
(真央さん……)
美香は時々、妹と遊ぶ真央を見つめ笑顔になる。まだ何も話していない。でも連れて来て良かった。料理は好きだが、こんなに楽しい時間は記憶にない。
「できましたわ!! さあ、みんな手伝って頂けますか」
暫くして出来上がった料理。豚肉の炒め物に味噌汁。卵焼きに白米と美香の家では有り得ないほどのご馳走。今日の為に美香はかなり無理をして奮発した。小さな食卓に並べられた豪華な料理に妹達の目が輝き喜んで言う。
「お姉ちゃん、すごい料理だね!!」
「美味しそー!!」
皆が座ったのを待って『いただきます』と言い食べ始める。
「美味い!! 美香、料理めっちゃ上手じゃん!!」
一口食べた真央が驚いて言う。本当に美味い。家で食べる料理よりもずっと美味しい。美香が顔を真っ赤にして答える。
「そ、そうですか? お口に合って良かったですわ」
そう俯いて答える。嬉しい。だけど恥ずかしくて真央の顔が直視できない。久しぶりの豪華な食事に西園寺家の食卓はずっと笑い声が絶えなかった。
「駅までお送り致しますわ」
「え、ああ。それじゃあ……」
食事を終え帰宅する真央。暗くなった外を見て美香が一緒に部屋を出る。妹達が手を振って真央に挨拶する。
「また来てねー、魔王様!!」
「うむ。良い子にしておればまた我が尊顔を拝める日も訪れよう。ではまた」
手を振る妹達に真央も手を振って返す。美香もそれを見て自然と笑顔になる。
駅までの通り。暗い夜道。並んで歩くふたりは暫し無言となる。美香が尋ねる。
「驚きましたか……?」
真央がすぐに返す。
「驚いたよ。まさか美香があんなに料理が上手だったなんて」
美香がくすっと笑って答える。
「真央さんはお優しいのですね。お料理のこともそうですが、わたくしの家。ご想像とは違っていらしたのではないでしょうか?」
「……うん。まあ」
正直に答えた。本物のお嬢様だと思っていた美香。どんな事情があるか知らないけど、決して裕福な家庭とは言えない。美香が前を向いたまま尋ねる。
「がっかりしましたか?」
「いや、別に」
美香が真央の横顔を見つめる。
「わたくしは、お嬢様でもお金持ちでも……」
「どうでもいいじゃん。美香は美香だろ」
(え?)
美香の足が止まる。真央が歩きながら続ける。
「俺、ひとりっ子でさ。あんなに兄弟でワイワイやったことなくて。羨ましかったよ、マジで」
(真央さん……)
美香が小走りで真央の隣に並ぶ。
「ま、またお越し頂いても結構ですわ……」
「ああ、また『魔王様』やりに行かなきゃな」
「そうですわね!」
美香はくすっと笑い、そう答えた。
「ただいま戻りましたわ」
「おかえり、お姉ちゃん!!」
真央を最寄りの駅まで送った美香。すぐにアパートへ戻る。出迎えた妹達が言う。
「楽しかったね、お姉ちゃん!!」
「ええ、そうですわね」
美香も久しぶりに心から笑った気がする。妹のひとりが尋ねる。
「本当に面白い人だよね、お姉ちゃんの恋人!!」
(え?)
恋人。何気なく発した妹の言葉。
だがこの言葉がこれから彼女の頭の中で大きく育っていくことなる。
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