東堂和也 異世界で獅子王の虜囚になる

水丸斗斗

第1話 手負いの獅子は優雅に寝そべる

 俺は薄暗い森の中を走っていた。

 あちこちから、剣がぶつかる音や悲鳴が聞こえた。

 クリステンさんが言うには、俺たちを襲っているのは軍人崩れみたいな、ただの物取りらしい。


 ただの物取りだ、だから大したことないって意味なんだろう。

 だが俺の顔が激しくひきつったのを、クリステンさんは見過ごさなかった。


 「レナート様と私が前後にいますから……」


 呆れたような顔に、俺はスイマセンと頭を下げた。


 「東堂、こっちだ!」


 俺は慌ててレナートさんの後を追った。ここではぐれたら、絶対死ぬ。とはいえライオン半獣の軍人の体力はハンパなかった。


 そろそろ口から心臓が飛び出ると思った頃、すぐ後ろで何かを引き裂くような強烈な音がした。


 「——!」


 振り返ったらクリステンさんの足下で誰かがドサッと倒れた。

 薄暗がりでも見えてしまった血飛沫。


 「東堂、怪我はありませんか」

 「……、はい」


 棒読みみたいな俺の声。

 怪我はありませんが……腰抜かしそうです。


 それにしても、何でこんなことになったんだろう。



 俺ってごく普通の、ヘタレな高校生男子のはずなんだけど。



 ・・・——



 俺は陽炎揺れる九月の放課後、せっせと自転車を漕いでいた。

 たぶんあの二人も同じように道場へ向かっているはずだった。


 ——今日は何をするんだっけ?


 ま、何でもいいか。


 俺は野木美月と牧田翡翠に会いたいから道場へ行く、それだけだった。


 着いてみたら二人はいなかった。でも自転車はあったからどこかにいるんだろう。

 この道場は古い日本家屋とセットになっていたが、奥の座敷はほぼ無人だった。家主の王三郎は滅多に来ないので、ほぼ俺達が自由に使っている。


 俺は手前の小部屋を覗き、誰もいなかったので奥の座敷に向かった。

 知らない家というのはそれだけで興味をひかれるもんだが、この古い日本家屋のきしむ廊下や、ガタガタ音が鳴る木枠の窓には軽いホラー感があった。夏の夜なら肝試しができそうだ。


 俺は最初の襖に手をかけた。

 肝試しのことを考えていたからか、一瞬不吉な予感がした。

 俺は振り払うように勢いよく襖を開けた。


 座卓があるだけの埃っぽい部屋だった。普通すぎて拍子抜けした。

 二人もいなかった。


 その奥にはまた襖があった。

 どうせまた埃臭い座敷があるだけだろう。


 俺は襖を開けた。


 俺がとんでもないことに巻き込まれることになった、顛末の始まりだった。


 


  ・・・——




 そこは見たことのない部屋だった。

 このぼろぼろの日本家屋の奥には、こんなきれいな部屋があったのか。


 第一印象は、中世貴族の部屋をイメージして作ったセレブの別荘だった。表現がチープなのは、部屋のせいではなくて、俺の表現力がチープだからだ。

 特別豪奢ではないが、そこはかとなくセンスの良さを感じる。


 センスの良さを決めたのは、気怠そうに長椅子に寝そべっている男の姿だった。

 アイラインでもひいたみたいにくっきりとした目元はすっと上がり、今は手元の本に向けられている。通った鼻筋と、少し赤みがかった唇。薄い茶色の髪は緩くカールしながら首筋に流れている。

 俺が今まで見た人間の中で、一番かっこいい男だった。


 だが俺の本能が違和感を教えていた。


 ——こいつもしかしたら


 嫌な予感がした。


 姿は人間だが、人間ではあり得ない野生味がある。もしかしたらこいつ、半獣じゃないんだろうか。

 半獣がいるってことは、ここは王三郎の家ではなく『あっち』だ。ということは、俺は開けてはいけないヤバい「襖」を開けてしまったということだ。一刻も早く、男に気付かれる前に、この場を立ち去らなければいけない。


 動揺しまくっている俺は、そっと退いたつもりがうっかり枠に肘をぶつけ、ドンと音が広がった。


 顔を上げた男が、おやっと言う顔をした。向こうからすれば、俺は突然部屋に現れた不審人物ってことになる。


 なのに男はにこりと微笑むと、暢気な口調で言った。


 「君だれ?」


 恐怖と絶望で棒立ちになっていた俺は、震える声で言った。

 「すみません、間違えました」

 「何を間違えたの?」

 「……部屋を」


 正確には、開けてはいけない「襖」を開けてしまいました。


 男はゆったりと体を起こした。

 「ねえ坊や、ここは僕の館だし、この部屋は間違えて入られるお部屋じゃないんだよ?」

 「そう、なんですか?」

 「知らなかったの?」

 俺はコクコクとうなづいた。


 男が一歩踏み出すと、俺の体も下がる……はずだったけど、壁にぶつかった。

 「襖」は消えていた。


 もう逃げ場はなかった。男の身長は二メートル近くあったが、心理的には五メートルぐらいに感じた。


 目の前で止まった男は何も言わず身を屈めた。

 緊張でいやな汗が流れた。

 俺の首に顔が近付いた。喰われるかと思ったら、首元で息を吸い込む音がした。


 あ、匂われてる。


 ゆっくりと離れた。


 「君、猫だね」


 人間ですと言いたかったけど、否定する勇気はなかった。


 男はもう一度顔を近付け、味わうように深く吸った。

 惜しむように離れた顔には、うっとりとしたような色があった。


 「かぐわしい猫の匂いの君の名前は?」

 「と……東堂和也です」

 「なに?」

 「東堂です」

 もう何でもいいです。好きなように呼んでくださいという気分だった。


 「東堂は、どうしてここに入ったの? 入れないように結界を作ってあったんだよ」

 「結界?」

 「結界、気付かなかった? そんなに脆い結界じゃないんだけど」

 「結界って、どんなんですか?」

 「結界は結界だよ。入れないようにしてあったんだ」

 「そう、でしたか」

 「東堂は、あっさり入ってきたでしょ? 多分もっと強い力か、相殺するような力を使ったってことなんだよ」

 「……」


 当然俺はなにも答えられない。分かったことは、あのボロい襖が、思った以上に高性能だということだ。


 「答えられないの?」

 「……知り合いの所へ行こうと思って……気付いたらここだったんです」

 「知り合いって、だれ?」

 「王三郎という人です」


 正確には王三郎の所にいる、野木美月と牧田翡翠の所です。


 「その人は、どこにいるの?」


 えーっと、襖の向こうです。向こうは全然違う文明の世界で……説明すればするほど、ドツボにハマっていく未来しか見えなかった。

 こうなったら開き直るしかない。


 「すみません、俺、迷子になってしまって……。王三郎の家も、どこにあるのか説明できません」

 「じゃあ、王三郎というのは、何をしている人」

 「お薬とか、作ってます」

 「薬師か。それだけじゃ、なかなか難しいね」


 男は笑いながら肩をすくめた。その動きはしなやかで、なんだか猫科っぽかった。

 猫科の半獣か? それともこの美しいビジュアルは仮想動物系だろうか。

 間近で見ると本当に綺麗だった。女性らしい美しさではなくて、男性なのに美しい。俺が今までみた中では、最高峰に近い美しさだった。


 「僕の観察、終わった?」

 「——すみません」

 「いいんだよ。初めての人はみんな僕に見とれちゃうんだ」


 思ったよりも面白い人かもしれない。俺はつられて笑ったけど、実はそら笑いだった。

 このままだったら、あと数秒で脳味噌から煙が吹き出すと思った時、ノック音がした。



…………………………………………………

お読みいただき、ありがとうございます。

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