校長先生の裁定

 警護の騎士たちに連れられ、俺とリリア、それにジュリエンヌはどうにか学園の食堂へ戻ってきた。

 ドアを開けた瞬間、待ち構えていたベルが目を潤ませながら走り寄ってくる。


「よかった……みんな、無事だったんだ……!」


 思わずその場に座り込みそうになる俺たちを見て、ベルは慌ててタオルや水を用意してくれた。

 あまりに突然の襲撃で誰もが不安だったんだろう、食堂内は騒然としていたが、俺たちが戻ると同時にホッとした空気が広がる。


「ベル……ありがとう。心配かけてごめんね」

「ほ、本当に……無事でよかったよぉ……」


 リリアが弱々しく微笑み、ベルにお礼を述べる。ベルは涙を必死でこらえながら、リリアの手をぎゅっと握りしめた。

 セシルが少し遅れて近づき、俺たちの顔を順番にうかがう。


「魔物はもう大丈夫なの? ゴトー、教えて」


 その瞳は不安げに揺れていたが、俺は大丈夫だと伝えるため、わざと大袈裟に頷いた。


「ああ。リリアとジュリエンヌが協力して仕留めたよ。俺は囮になってドタバタしてただけさ」

「そ、そうだったの……リリア、すごい! ジュリエンヌも!」


 ベルはリリアを見つめ、まるで自分のことのように喜んでいる。リリアが照れくさそうにしている後ろで、ジュリエンヌも取り巻きに囲まれていた。彼女の仲間たちが口々に「さすがジュリエンヌ様!」と声を上げていて、いつもの高慢な彼女ですら少し気恥ずかしそうな表情だ。


「まあ、これくらい当然よ。自分の学園を守るのは貴族としての義務なんだから」


 鼻を鳴らすジュリエンヌに笑い声が漏れる。取り巻きたちもホッとした顔をしていて、先ほどの緊迫感が嘘みたいに食堂は和みだした。


 そうして結局、生徒たちは夜まで食堂で待機することになったが、あの厄介な魔物を倒したあとは、他の魔物の出現はなかったらしい。

 校長先生の判断で、一応もう夜には寮へ戻っても大丈夫だと許可が下りた。

 俺は軽く回復魔法と診察を受けてから、リリアの部屋へ戻った。


 途中、騎士の一人が「お大事になさってください、ゴトー殿」とわざわざ声をかけてきてくれた。俺は面映ゆい気持ちで礼を返し、そのまま廊下を歩く。

 長い一日だったせいか、脚も思うように上がらない。


 リリアの部屋に入り、ほっと息をついた途端、猛烈な疲労が押し寄せてきた。ドアを閉めると同時に、俺はその場にへたり込みそうになる。


「ゴトー、お疲れさま。まだ痛む?」


 リリアがベッド脇の椅子をすすめてくれる。肩を借りながら俺はなんとか腰を下ろした。痛みは薄れたが、ずいぶん消耗しているのは自覚できる。


「大丈夫、だいぶマシになったよ。それよりリリア……今日の幻影魔法、ものすごかったぞ」


「うん……自分でも驚いちゃった。最初、授業で暴発したときは失敗かと思ったけど……ああいう不安定な魔力を意図的に引き出せたら、強力な武器になるかもしれないわね」


 あの“暴走”を起こせたのは結果オーライだったらしい。今はまだ偶然の産物だが、彼女なりに新しい可能性を感じている様子だ。


「ただ、今回は運良く成功しただけかもしれない。危険なことをさせて悪かった。今後はやらないでほしいっていうのが、俺の本音だよ」


「……そうね。まあ、あんな形でしか発動できないなら、まだ封印したほうがいいと思うわ」


 リリアは珍しく素直で、その口調はいつもより硬い。でも、それだけ俺や周囲への気遣いがあるんだろう。


「……ゴトーだってもう危ないことはしないでよね。魔法が使えないのに囮になるなんて、無茶するんだから!」


「はは、そうだな。あれはもう二度とゴメンだ」


 リリアの瞳には安堵がにじんでいて、俺もやっと息がつける気がした。

 戦闘中は 夢中で突っ走っていたけれど、今こうして部屋の明かりの下にいると、どっと疲れが重くのしかかる。


 ささやかな会話のあと、リリアはベッドのシーツを少し整える。俺が使う簡易ベッドはいつも部屋の端に置かれていて、それでも同室というだけで何とも奇妙な関係だと改めて思う。

 いろんなことがあったけど、今はもう頭が働かない。何より、リリアが無事ならそれでいい。


 疲れ果てた俺たちはそっと電気を消し、深い闇の中に身を沈めた。先ほどまでの喧騒が嘘のように、ベッドから聞こえるリリアの寝息に耳を澄ます。

 胸の内には安堵とほんの少しの高揚感が混ざり合っていたけれど、意識はすぐに深い眠りへと落ちていく。


***


 後日、俺たち――リリア、ジュリエンヌ、それから俺は、そろって校長室に呼び出された。

 三人とも奇跡的に大きなケガはなかったが、体のあちこちに残る痛みが昨日の激闘を生々しく思い出させる。特に俺は背中の打撲が酷く、今でもじわじわと熱を帯びるように疼いていた。


 校長室の扉を開けた瞬間、鋭い視線がこちらに突き刺さる。

 部屋にはコルネリア校長が落ち着いた様子で椅子に腰掛け、グレゴリー教頭が厳めしい表情で待ち構えていた。

 教頭は左腕に包帯を巻いたままで、その痛々しさが昨日の騒動の激しさを物語っている。それでも鋭い目つきはまったく衰えていない。


「さあ、三人とも、入って頂戴」


 コルネリア校長の静かな声に従い、俺たちは並んで立つ。室内には張り詰めた空気が漂い、ただでさえ狭い学園の応接室がさらに息苦しく感じられた。


「……まったく、どいつもこいつも。待機せよとの命令を破り、勝手に危険地帯へ赴いたそうだな」


 低い声で言い放つグレゴリー教頭の視線は、特にジュリエンヌを射貫いている。彼女はわずかに顎を上げ、臆することなくそれを受け止めていた。


「教頭先生、それは――」


「言い訳無用。どんな事情があろうとも、命令違反は命令違反。ジュリエンヌ、お前ほどの実力者であろうと、あれほどの魔物と正面衝突を図るのは無茶以外の何ものでもない」


「私は学園を守るために……いえ、申し訳ございません、先生」


 ジュリエンヌは眉をひそめ、少しばかり悔しそうに頭を下げる。グレゴリー教頭は痛む腕を押さえながら、嘆息するように首を振った。


「結果的にお前たちのおかげで被害は最小限に抑えられた。それは確かだ。だが、お前自身が死ぬリスクもあったということを忘れるな。あの化物にたった二人で突っ込むなど、正気の沙汰とは思えん」


 そこでコルネリア校長が口を開き、俺たち三人を穏やかながら鋭い目つきで見回す。


「とりあえず、事実確認をしましょう。ジュリエンヌがあの巨大な魔物を倒したので間違いないのですね?」


 問いかけられたジュリエンヌはわずかに瞳を伏せ、答えを探すように一瞬黙り込んだあと、はっきりと切り出した。


「ええ、最後の一撃を放ったのは私です。……でも、一人で倒したわけではありません。リリアの幻術魔法がなければ、あの時確実に命中させる余裕はなかった。ゴトーの囮や、リリアのサポートがあっての勝利です」


 その言葉にリリアは目を見開く。ジュリエンヌが彼女を褒めるような発言をするなんて、俺だって想像していなかった。


「ジュリエンヌ……」


「勘違いしないで。ただ手柄を独り占めするような卑怯な真似をしたくないだけよ。貴族の娘としてね」


 ジュリエンヌはそっぽを向いて言い捨てる。リリアはどう返せばいいのかわからないのか、戸惑ったように視線をさまよわせている。

 そんな二人の様子を見て、コルネリア校長がリリアへと視線を移した。


「リリア、あなたのほうからも説明してくれますか?」


「はい。ジュリエンヌが言うとおり、私の幻術で魔物の動きを鈍らせました。……それに、ゴトーの呪文改変で私の魔法がさらに巨大化したんです。もし彼がいなかったら、こんなにうまくいかなかったと思います」


「ふむ……呪文改変。今回も、成功させたのですね」


 コルネリア校長が少し首をかしげつつ、興味深そうに呟く。一方、グレゴリー教頭は苦虫を噛み潰したような顔で俺を見やった。


「監督役とは名ばかりの素人が、安易に呪文を改変するなど言語道断だ。おまけに生徒を危険にさらしたとも言えなくはない」


 厳しい口調だが、確かに正論でもある。リリアの安全を考えるなら、意図的に呪文を暴走させるような修正はリスキーすぎる。

 だが、あの場面では他に方法がなかったと俺は今でも思う。


「……確かに、命令違反だったのは弁解の余地がありません。ただ、あのときはそうするしかなかったんです。リリアと俺が飛び出していなかったら、今頃……」


 ジュリエンヌの命は危なかったかもしれない。けれど、そんな言葉は呑み込んでおく。彼女のプライドを余計に傷つけるだけだろうから。


「フン……結果的に学園は救われた。それは事実だ」


 グレゴリー教頭はまだ納得しきれない様子だったが、深く追及はしない。代わりにコルネリア校長が優しい笑みを浮かべ、俺たち三人を見渡した。


「今回はあまりに特殊な状況だったのでしょう。グレゴリー教頭だって、最終的にはあなたたちに助けられた側でもありますからね。したがって――今回の件は、不問とします」


 その瞬間、リリアの肩が小さく震えた。ほっと息をついたのがわかる。


「それと、リリア。あなたの退学については正式に取り消しとします。あの模擬試験で一定の成果を示したこと、そして今回の大きな貢献も踏まえての判断です」


 その言葉にリリアははっと顔を上げる。瞳の奥で弱々しく揺れていた光が、少しずつ安心の色に変わっていくのが俺にも見て取れた。ジュリエンヌでさえ、ほんの少し安堵の表情を浮かべているように見える。


「よかったな、リリア」

「……うん!」


 俺の声に、リリアは唇を震わせながら小さく笑う。そうした空気も束の間、グレゴリー教頭は依然として渋面を崩さない。


「ただし、今後は二度と同じような独断行動をしないこと。これは三人とも肝に銘じておけ。わかったな?」


 その言葉に、俺たちはそろって頭を下げる。もし誰かが死んでいたら取り返しのつかない事態になっていたのは事実だ。今回だけは特別に見逃してもらえたのだろう。


「では、話はこれで終わりです。三人とも、しばらく体を休めなさい。そして今後も気を引き締めるように」


 コルネリア校長にそう告げられ、俺たちは礼を言ってから校長室を出る。扉を閉めると、ひんやりした廊下の空気が痛む背中を少しだけ和らげてくれた。


***


「はぁ……よかった。これで退学はなくなったのね」


 リリアが胸をなで下ろし、安堵の笑みを浮かべる。疲労が残っているのか、声にはどこか力がない。


「リリア、念のため言っておくけど、私は別にあんたを認めたわけじゃないわ。この借りは必ず返すから」


 ジュリエンヌがすかさずとげとげしい口調で言い放つ。校長の前でリリアの功績を認めたのは、歪んだ事実を言いたくないという彼女のポリシーなのだろう。

 しかしリリアはその態度に我慢できないらしい。


「……はぁ!? 何それ。さっきまで素直だったくせに、いきなり上から目線。ほんと、どこまで性格悪いのよ」


「あら、言ってくれるわね。そもそも今回の件、私がいなかったらどうなってたか、よーく考えてから物を言いなさい」


「何よ、その言い方……!」


 二人とも疲れているはずなのに、息を合わせたようにバチバチと火花を散らし始める。あれほど協力し合って戦ったばかりなのに、まったく油断も隙もない。


「まあまあ、二人とも。ほどほどにしてくれよ。それに、結構仲良くなったじゃないか?」


 俺が軽くからかうように言うと、二人は同時にこちらを振り返ってキッと睨んできた。


「「仲良くないっ!」」


 見事なハモり具合に、つい吹き出しそうになる。ここまで息ぴったりに否定してくるなんて、やっぱり似た者同士だよな――などと考えながら、俺は苦笑をこぼす。

 この二人は、案外良いコンビなのかもしれない。もっとも、そのことを口にすれば余計に火種を増やすだけだろうけど。

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