第一話 辺境のシスター
朝もやが立ち込める中、一筋の陽の光が木の窓の隙間から差し込み、少女のベッドの端を優しく照らし、彼女のまつげを揺らす。
彼女はゆっくりと夢から覚め、口から「リリス……」と夢呓のようにその名前を漏らす。
それは彼女自身の名前であり、夢の中で見た美しくも狂気を感じさせる死刑囚の少女の名前でもある。
最近、夢はますます鮮明になり、まるで彼女がその場にいるかのように感じられる。
長年にわたり、リリスはほとんど毎晩、その少女の夢を見てきた。
断片的で飛び飛びの形で、彼女の長く曲がりくねった人生を体験していたのだ。
先ほどの夢は、彼女の人生の最後の瞬間を描いたものに違いない。
無数の残酷な罪を犯した少女は、ついにその代償を払い、命を落とした。
しかし、夢の中のリリスは、まるで一生の夢が叶ったかのように、輝く笑顔を浮かべていた。
——でも、彼女は誰?夢の中の場所はどこ?彼女は最後に何を言ったのか?
リリスは夢の中の最後の言葉を思い出せず、不安を感じる。
夢の中の少女は彼女の前世だった——この考えは彼女にとってあまりにも非現実的で、真剣に考えたことはない。
だって、夢の中のリリスは彼女とは全く違う。彼女は完璧な外見をまとった理性的な怪物で、人間らしい感情なんて微塵もない。
彼女は憐れみも、苦しみも、悲しみも、恐れも感じない。
彼女は全ての命を、自分の唯一の願いを叶えるための道具としか見ていない。
でも、その願いが何なのか、リリスにはわからない。思い出せないのだ。
夢から多くの知識を得たが、リリスは夢の中の怪物が自分と同じ魂を持つとは思わない。
少なくとも、彼女は無実の人を地獄のような苦しみに陥れるようなことはしない。
それは普通の人間の行動じゃない。悪魔の所業だ。
しかし、リリスの心には、夢の中の少女に対する羨望が常にある。
夢の中の彼女は完璧で、その美しさは誰もを魅了するほど。
リリスには決してなれない存在だ。
彼女はうつむき、手の甲に目を落とす。
そこにはひどい火傷の痕があり、目を背けたくなるほどだ。
そのような傷痕は彼女の体の大部分を覆っており、もちろん顔も例外ではない。
物心ついた時から、その醜い火傷は彼女に付きまとっている。
幼い頃の事故によるものだという。今では、すっかり慣れてしまった。
リリスは修道女であり、すでに一生を女神に捧げる誓いを立てており、結婚に悩む必要はない。
だが、まだ若い少女として、永遠に女性の美しさと別れなければならないことに、やはり残念さと嘆きを感じずにはいられない。
簡単な身支度を整え、リリスは修道服を身にまとい、顔を覆うベールをつける。
村人たちの多くはもう彼女の火傷を気にしていないが、幼い子供たちを怖がらせないため、彼女は毎日ベールをつけ続けている。
リリスは粗末なパンを水で流し込む。
それは美味しい食事とは言えないが、この貧しい辺境の寒村では、腹を満たすことができるだけでも女神の恩恵に感謝すべきことだ。
数年前、彼女がこの村に来た頃は、状況はもっと悪かった。
冬になると、限られた食糧を節約するため、村人たちは幼い子供や老人を村から追い出さなければならなかった。
それでも、飢えと寒さで命を落とす者がいた。
その点で、リリスはあの奇妙な夢に心から感謝している。
夢の中の怪物は冷酷で恐ろしかったが、その知恵と博識は計り知れないものだった。
夢から得たそれらの知識は、リリスがこの貧困に陥っていた村を救うのに十分だった。
簡単な準備を整え、リリスは外に出る。
彼女が住んでいたのは村の中心にある小さな教会だ。
聖都や他の大都市の教会と比べると質素だが、朝の光に微かに金色に輝く尖塔は、いくらか厳かな雰囲気を醸し出している。
朝もやに包まれた村は、土と草木の新鮮な香りが漂っている。
村の規模は大きくなく、見渡す限り、十数軒の木造家屋が曲がりくねった泥道の周りに点在している。
屋根には厚い茅葺きが施され、いくつかは炊煙を上げている。
古びた壁にはまばらに蔦が絡まっている。
遠くの畑では、村人たちが一日の仕事を始めている。
男たちは鍬を振るい、女たちは畝の間で草取りをし、幼い子供たちは母親のそばで落ちた麦の穂を拾っている。
田舎の生活は厳しいが、村人たちの顔には笑みが浮かんでいる。
その光景に、ベールをかぶったリリスも思わず微笑む。
彼女がここに来たばかりの頃、村は全く違う荒廃した様相を呈していた。
一年中寒い気候で、作物はほとんど育たず、近くには危険な魔物が棲む魔境の森が広がっていた。
村人たちにとって、リリスの到来と彼女がもたらした知識は、この絶望的な村を一新させるものだった。
かつての痩せた土地には立派な作物が育ち、倉庫には備蓄が満ちている。
美味しいとは言えない食糧だが、少なくとも村人たちは冬になると年寄りや幼子を森に追い出すという非道な行為をしなくて済むようになった。
感慨にふけりながら、リリスは軽やかな足取りで村で最も広い畑の端まで歩いていく。
畑の中では、農夫のジョンが紫麦の成長ぶりを確認している。
彼はリリスの足音に気づき、すぐに立ち上がる。
「朝早くから来やがったな、小娘……」ジョンの声は愛想がなく、あざけるようだが、それは彼の性格によるものだ。
彼は誰に対しても感情を表に出すことはない。彼は常に厳格で毅然とした態度を取り、誰の目にも厳しい人物として映っている。
彼は実質的に村長のような存在だ。
リリスが来る前は、彼が村で最も賢く、最も尊敬される人物だった。
おそらくその厳しさが、彼を信頼され、苦難の中で村を維持する力にしていたのだろう。
リリスはジョンの態度には慣れている。彼女は気にせずに言う。「ジョン、おはよう~。でも、もうお年ですから、畑仕事は息子さんたちに任せたらどうですか?」
「ふん、この老いぼれをなめるな。こんな農作業、若者には負けんぞ。」
「はは……まあ、でも無理はしないでくださいね?」村に住み始めて五年のリリスは、ジョンの頑固さをよく知っている。
彼女は畑の端にある手押し車に積まれた堆肥を見て、苦笑いを浮かべる。
「小娘に言われる覚えはない……」ジョンは反射的に大声で反論するが、途中で言葉を呑み込む。
数秒考えた後、彼はため息をつき、声を低めて続ける。「……リリス、すまん。この頑固な性格でな。」
ジョンの少し謝罪めいた口調に、リリスはいたずら心が騒ぐ。彼女はわざと首を傾げ、疑わしげに尋ねる。「ジョンが私に謝るなんて……もしかして、森の変な魔物に取りつかれたんですか?」
「くっ、おまえこそ魔物だ!生意気な小娘め!」リリスのからかい言葉に、ジョンは顔を真っ赤にし、額に青筋を浮かべる。
「あははは、それでこそジョンらしいです。その頑固さはこの村の名物ですから~急に優しくなられても困りますよ。」リリスの笑い声は、朝の鐘の音のように畑に響き渡る。
思い返せば、リリスが村に来たばかりの頃、ジョンは彼女に良い顔を見せなかった。
最初の二年間、彼はこの幼い修道女を警戒の目で見ていた。
彼は聖教国の聖職者に対して深い不信感を抱いていた。
実際、ジョンだけでなく、村人のほとんどがこの辺境に派遣され、いつもベールをかぶっている小修道女に対して露骨な敵意を抱いていた。
その敵意の根源は、十年前にさかのぼる。
その年、聖教国は歴史に残る大災害に見舞われた――聖都の頂にそびえる中央教庁が突然の火災に包まれ、万人が敬愛した当時の大主教が炎の中に消えた。
そして行われていた聖女継承式も中断され、聖壇は破壊され、聖女候補は行方不明になった。
それに伴い、気候は劇的に変化した。
かつての穏やかな気候と肥沃の土地は一夜にして失われ、代わりに終わりのない寒さと痩せた土地が広がった。
農業の衰退と国力の低下は驚くべき速さで国中に広がり、まるで女神がその祝福を取り去ったかのようだった。
しかし、その後継者であるエドモン大主教は有効な対策を何も講じなかった。
彼は権力闘争に没頭し、仲間たちと聖都で贅沢と貪欲の限りを尽くした。
気候の激変による損失を補うため、彼は無数の民衆に故郷を捨てさせ、元々荒涼として危険な辺境に農地を開拓させた。
「家を再建する」という美名の下に、さらに多くの人々を絶望の淵に追いやったのだ。
この歴史が、辺境の村人たちに聖教国に対する怨念を抱かせた。
そしてリリスが修道女としてここに派遣された時、彼女が直面したのは、厳しい環境だけでなく、村人たちの冷たい、時には敵意さえある視線だった。
しかし、時が経つにつれ、彼女は夢の中の知恵でその氷を溶かしていった……もちろん、その過程は決して楽ではなかったが。
「ジョン、畑と作物の調子はどうですか?」リリスは冗談をやめ、畑を見渡しながら真剣な表情で尋ねる。
「ふん、おかげさまで、畑の紫麦もハウスの野菜も順調だ……少なくとも、今年の冬も子供を村から追い出す必要はなさそうだ。」ジョンはそこで言葉を切り、遠くの空を見つめ、少し寂しげに続ける。「おまえが危険を冒して森から種を持ってきてくれて、輪作や堆肥の方法を教えてくれなかったら、この村の人間はとっくに死に絶えていただろう。」
十年前、聖教国の土地は信じられないほど肥沃で、驚異的なものだった。
その頃の気候は一年中春のようで、まるで女神が直接手をかしたかのようだった。
農業に技術は必要なく,施肥も不要で,水さえ与えればどんな植物でも簡単に育った。
畜産も難しくなく,病害虫の概念はほとんど存在しなかった。
その頃は,飢えや寒さを感じる者などいなかった。
しかし,これらはリリスにとって非常に不思議なことだった。
夢の中の冷酷な生物学者の常識は,動物も植物もそれぞれ適した環境と温度があり,成長と繁殖には栄養とエネルギーが必要で,病気や害虫は生態系の多様性の中で当然のことだと教えていた。
残念ながら,十年前の彼女はまだ記憶に残らない幼児だったので,その黄金時代を直接目にすることはできなかった。
「はあ……今となっては,時々思うんだ……おまえが,もっと早く来てくれれば良かったと。おまえが来る前の三年間,私は村から十二人を追い出した。その中で一番若いのはたったの四歳だった……これは私の一生償いきれない罪だろう。」
リリスは口を開き,この苦難を乗り越えた老人を慰めようとしたが,言葉は喉元で渋滞し,結局形にならなかった。
「ふん,私はただ独り言を言っただけだ。おまえは自分の仕事に戻るがいい,ここで私の邪魔をするな。」ジョンはリリスのベールの下のためらいを察知したようで,彼は冷たく笑い,少し柔らかい口調で言い,その後,よろよろと畑の奥へ歩いていった。
リリスは老人の少し寂しげな後ろ姿を見送りながら,複雑な感情が込み上げてきた。
その時,純真な声がその静寂を破った。
「お姉ちゃん!」その呼びかけと共に,小さな影が風のようにリリスの懐に飛び込んできた。
それはアンナ,村の八歳の少女だった。
多くの子供たちの中で,彼女はいつもリリスに最も懐く,彼女の純粋な世界では,このベールをかぶった修道女のお姉ちゃんが温かさの象徴だった。
アンナの到来は,まるで雲間からの陽光のようで,リリスの心も明るくなった。
リリスが村に来た年,アンナは冬に村から追い出される子供の一人だった。
リリスの到来がそれを変え,彼女は夢の中の知識で村人たちを飢餓から救い,アンナも村に残ることができた。
幼いアンナはリリスが自分の命を救ってくれたことを理解し,その感謝から彼女に特別に近づいた。彼女の心の中で,リリスは修道女のお姉ちゃんだけでなく,希望と温かさをもたらす恩人だった。
彼女の愛着と信頼は,最も純粋な感謝を静かに語っていた。
「アンナ!汚いから,お姉ちゃんにまとわりついちゃだめ!」アンナの母親はハウスから摘んだばかり的蔬菜を抱え,慌てて娘を止め,リリスに申し訳なさそうに言った。「すみません,リリス様。アンナは相変わらずわんぱくで,修道服が汚れてしまったら,私が洗わせていただきます。」
アンナの天真爛漫さとは異なり,母親はリリスに深い敬意を抱き,彼女が娘の命を救ってくれたことに深く感謝していた。
「やだよ~お姉ちゃんはいい匂いがする。」アンナは言うことを聞かず,むしろリリスの胸に顔を埋め,彼女の淡い芳香を感じていた。
「まったくもう!」母親はため息をついた。
「大丈夫です,おばさん。」リリスはアンナの甘えを気にしなかった。
彼女はアンナの体についた泥を気にせず,小さな動物を撫でるように優しく彼女の髪を撫でた。
アンナは目を細め,リリスの優しさに包まれた猫のように,その感触に浸っていた。
アンナの母親はため息をつき,ジョンの遠ざかる後ろ姿を追いながら,複雑な表情を浮かべた。
「ジョンはまだ昔のことを引きずっているみたいだね。私たちはもう気にしていないのに,彼はいつまでもそれを背負っている。」彼女の声には無念と哀れみが混じっていた。
想像に難くないが,アンナを村から追い出すことを決めた時,彼らの間には激しい対立と亀裂が生じたことだろう。
「それは彼一人の責任じゃない。苦しいけど,みんなそれが仕方ない選択だったと理解している……今はもう過去のことなのに,彼はまだ一人でその罪を背負っている。ジョンは眞に頑固だ。」
リリスは黙ったまま,どう返答すべきかわからず,ただ懐の中のアンナを優しく撫でながら,この重い雰囲気を和らげようとした。
「まあ,いいや。」アンナの母親は首を振り,感謝の笑みを浮かべた。「リリス様,もしよろしければ,これを持って帰って,ラス様と一緒に召し上がってください。」
彼女は手に持っていた新鮮な野菜や果物の入った籠を差し出した。
これらの作物は元々村の気候では育たなかったが,リリスの指導で村人たちは簡易ハウスを建て,遠くの小川から水車で水路を引き,大規模な灌漑を実現した。
わずか数年で,村は飢餓から脱し,栄養不足も解消され,村人たちの健康状態も大幅に改善された。
「お気遣いいただき,こんなにたくさんは申し訳ないです……」リリスは少し躊躇した。
「どうか遠慮なさらずに。」アンナの母親は強い口調で言った。「リリス様のご指導がなければ,今日の収穫はなかったのです……アンナも今のように元気に育つことはできませんでした。リリス様は私たち全村の恩人です。」
アンナの小さな頭が大きくうなずき,元気な声で「うん!」と同意した。
「お褒めいただきすぎです。私ができたのは皆さんにアドバイスするだけです。今日があるのは全村の皆さんの努力の結果です。私はただのよそ者として,村の皆さんに指図ばかりして,迷惑をかけていないかと心配しています。」リリスは謙虚に言った。
「リリス様は相変わらず,いつもそんなに謙虚ですね。」アンナの母親は笑った。「でも,もしリリス様が迷惑をかけているとしたら,それはアンナがますます偏食になったことくらいです!彼女はピーマンを食べたがらないんです~」
「ママ!」アンナは慌てて口を挟み,顔を真っ赤にした。その様子にリリスも思わず笑った。
「アンナちゃん,ママの言う通り?偏食はよくないよ?」リリスは優しく頭を下げ,懐の少女に静かに言った。
「だって,あれは渋くて苦いんだもん……でも,それが貴重な食べ物だってことはわかってるよ……」アンナは口を尖らせ,少し悔しそうな声を出した。
リリスは微笑み,目にいたずらっぽい光を浮かべた。「じゃあ,こうしよう~アンナちゃんが偏食をやめたら,私はアンナちゃんの願いを一つ叶えてあげる~」
「本当!?」アンナの目が瞬時に輝き,夜空にきらめく星のようだった。彼女は嬉しそうな口調で続けた。「じゃあ,お姉ちゃんのベールの下の顔が見たい!ママがいつも言ってるよ,お姉ちゃんの隠した顔は天使よりも美しいって!」
その言葉は無形の針のように,リリスの心を軽く刺した。
彼女の体はわずかに震え,その場に立ち尽くし,どう反応すべきかわからなかった。
彼女は自分の容姿に劣等感を抱いていたわけではなく,アンナの純粋な幻想が残酷な現実に打ち砕かれることを恐れていた。
彼女はこの少女を失望させたくなかったし,彼女の心の中の美しい想像を壊したくなかった。
「アンナ!そんな無礼なことを言っちゃだめ!」アンナの母親は突然厳しく叱りつけ,先ほどの口調とは一変していた。
「うう……」突然の叱責にアンナはびっくりし,涙を浮かべた。
リリスはそれを見て,慌ててアンナの背中を優しく叩き,拙い言い訳を思いついた。「ごめんね,アンナちゃん。私は天使だけど,女神様の元からこっそり人間界に来ちゃったの……もし顔を見られたら,私はみんなの元を離れて,女神様の元に戻らなきゃいけないんだ。アンナちゃんと別れたくないから,顔を見せられないんだよ,ごめんね~」
彼女は自分の声をできるだけ軽く優しく聞こえるようにし,この嘘で一時的にアンナをなだめようとした。
リリスは,アンナがもっと大きくなって,物事を理解できるようになったら,真実を話そうと思った。今は,彼女にこの純粋な憧れを保たせてあげよう。
少なくとも彼女の純粋な世界では,リリスはまだ天使よりも美しい修道女のお姉ちゃんでいられる。
アンナはそれを聞き,まだ少し悔しそうだったが,リリスの言葉に心を動かされた。彼女は涙を拭き,小さな声で言った。「じゃあ……見ない。お姉ちゃんに離れてほしくない。」
リリスは心が温かくなり,アンナを優しく抱きしめ,柔らかい声で言った。「アンナちゃんはいい子だね。お姉ちゃんは約束するよ,ずっとアンナちゃんのそばにいるからね。」
アンナは力強くうなずき、再びリリスの懐に顔を埋め、修道服に頬をこすりつけた。
「ああ!泣き虫のアンナちゃん、またお姉ちゃんに甘えてる!」
その時、少しからかうような少年の声が村の入口の方から聞こえてきた。
リリスが顔を上げると、三人の人影がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
先頭に立っていたのは、弓を肩に担いだ狩人風の青年。
肩には血抜きされた鳥型の魔獣をぶら下げ、足取りはしっかりとしていて、表情は落ち着いていた。
そのすぐ後ろには、アンナと同い年くらいの少年がいて、いたずらっぽい笑みを浮かべ、時々リリスの懐のアンナをちらりと見やっていた。どうやら先ほどの言葉は彼のものらしい。
最後尾には、身長二メートル近い大柄な騎士がいた。全身を重厚な鎧に包み、肩には巨大な魔獣を担いでいる。
その足取りは重々しいが、まったく苦にしていないようだった。
彼の存在は、無言の威圧感を放ち、周囲の人々に畏敬の念を抱かせるほどだ。
この三人の中、青年と少年は兄弟。
もともとこの村には狩人はおらず、森の魔獣は普通の村人にとってあまりにも危険で、狩りは自殺行為に等しかった。
しかし、ラス――その鎧の騎士が村に来てから、すべてが変わった。
ラスはリリスの護衛で、聖都から彼女をこの辺境の村まで護送してきた。
リリスが物心ついた時から、この無口な騎士は彼女のそばにずっといた。
彼は言葉を発しないが、信じられないほどの力を秘めている。
普通の人にとっては危険極まりない魔獣も、彼にとっては簡単に解決できる些細な問題でしかない。
リリスにとって、ラスの強さはとっくに人間の限界を超えている。
彼の身体能力や戦闘技術は、彼女が夢の中で見たハリウッドのヒーロー映画や中国のカンフー映画、あるいは熱血少年アニメの無敵戦士のようだ。
もちろん、それらのものはこの世界には存在しないが、彼女が夢の中で垣間見たものに過ぎない。
さらに驚くべきことに、長年一緒にいるにもかかわらず、リリスはラスが全力を出すところを見たことがない。彼はまるで深淵の山のように、常に人を寄せ付けない存在だ。
アンナはリリスの懐から顔を出し、少年に向かって舌を出してあっかんべえをした。
「アンナずるい!僕もお姉ちゃんに抱っこしてもらいたい!」少年は不満そうに叫び、目は羨望でいっぱいだ。
「だめ!あなたは男の子でしょ!ママが言ってたよ、男の子は女の子とそんなにべたべたしちゃいけないって!」アンナは即座に反論し、小さな手でリリスの腰をしっかりと抱きしめる。
まるで自分の大事なものを守る子猫のようで、大切なお姉ちゃんを取られまいと必死だ。
「そんなの関係ないよ!僕、大きくなったらリリスお姉ちゃんのお嫁さんになるんだ!だから今抱っこしても大丈夫だよ!」少年は胸を張り、真剣な顔で言う。
「リリスお姉ちゃんは天使様なんだよ!こんなにきれいなのに、汚くてブサな君なんかと結婚しないもん!」アンナは負けじと小首を上げ、誇らしげな口調で言い返す。
「ぼ、僕だって、お兄ちゃんみたいにかっこよくなるんだから!」少年は焦って顔を真っ赤にし、声も一段と大きくする。
二人の子供はリリスを巡って言い争い、顔を赤らめてやり取りを繰り広げる。
その様子は賑やかで滑稽でもあり、リリスは二人の間に挟まれ、苦笑いを浮かべながらも、目の中には優しさが溢れている。
「ふふふ、リリス様は相変わらず人気者ですね~村の男の子たちはみんなリリス様に夢中ですよ~」アンナの母親は口元を手で隠しながら笑い、少しからかうような口調で言う。そして、わざとらしく傍らに立つ狩人の青年を見やり、意味深に尋ねる。「そうでしょう?」
青年はそれを聞いて、顔を真っ赤にし、目を泳がせながらうつむく。
まるで何か心当たりでもあるかのように、慌てふためいている。
口を開いて何か言おうとするが、言葉がなかなか出てこず、結局は頭を掻きながら照れくさそうにしている。
その様子に、アンナの母親はまたしても笑いをこらえきれない。
リリスはその光景を見て、頬に淡い赤みを浮かべ、心の中では苦笑いと温かさが入り混じっている。
——ああ、そうだ、当然のことだ。私の体はこのように設計されているだから、ちょっとした火傷で機能が失われるはずはない。
この冷たい考えが突然リリスの頭に浮かび、まるで冷静で理性的な声が耳元で囁くかのようだった。
その声は感情を一切伴わず、しかし確信に満ちていた。
リリスの体はわずかに硬直し、指は無意識にベールの下の傷跡に触れる。
これらの傷跡は、彼女にとってずっとコンプレックスの源だったが、今はまるで他人事のように感じられた。
彼女の手の甲にある醜い傷跡は、もはや彼女の一部ではなく、ただの欠陥のように思えた。
それはまるで精密機械に付いた傷のように、その機能を何ら損なわないものだった。
この感覚は彼女に困惑と不安を引き起こし、まるで何か見知らぬ意識に侵されているかのようだった。
「お姉ちゃん?」アンナの声が彼女を現実に引き戻す。少女は上目遣いにリリスを見つめ、心配そうな目をしている。
「あ、ああ、大丈夫だよ~」リリスは心底湧き上がる不安を押し殺し、無理に明るい笑顔を作って周囲の疑念を払おうとする。彼女はすぐに話題を変え、ラスの方に目を向けた。
「ラス、前に頼んでいたものは見つかった?」
「……」ラスは無言でうなずき、肩に担いだ魔獣を地面に下ろす。それから腰の布袋から慎重に何本かの植物を取り出し、リリスに差し出した。
それは根ごと引き抜かれた植物で、茎には黄色と緑の小さな花がいくつか付いている。
根は太く、赤茶色の皮には新鮮な土が付いており、内部に水分がたっぷり含まれていることがわかる。
「あ、それだ!それだよ!ありがとう、ラス!」リリスはそれを手に取り、嬉しそうに目の前にかざす。彼女の目は喜びに輝いている。
「お姉ちゃん、それ何?また新しい野菜なの……?」アンナはリリスの裾を引っ張り、少し不安そうな目をしている。「これも苦いの……?」
「今度のは苦くないよ、むしろ甘いかもしれないよ!」リリスは笑いながら答える。
彼女の声には少し神秘的な響きがあった。
「本当?甘いの!?」アンナの目は一瞬で輝き、傍らにいる狩人の兄弟も思わず近づいてきた。彼らの顔には期待が溢れている。この時代、甘味は非常に貴重なものなのだ。
「うん、でもまずは私が試食して、栽培してみないとね。うまくいけば、ハウスに植えることになるよ。みんな、楽しみにしていてね~」
二人の子供はすぐに歓声を上げ、リリスの周りを飛び跳ねて喜ぶ。まるですでにその甘い味を味わっているかのようだった。
実際、ハウスで育てられている野菜のほとんどは、リリスがここ数年で森から見つけてきた野生種だ。
彼女が来る前、飢えた村人たちも森の野草や果実に手を出そうとしたが、ほとんどが毒を持っていた。知識のない彼らにとって、それは命がけの冒険でしかなかった。
少し話をした後、リリスは村人たちに別れを告げ、その野生の植物を手にラスと共に教会に戻った。
ラスはいつも通り無言で門の外に立ち、リリスは地下倉庫へと続く階段を下りていく。
ここ数年、地下室は彼女の簡易研究室となっていた。様々な植物を研究し、食用に適した品種を選別・改良するための場所だ。
しかし、ここには夢の中で見たような高度な遺伝子解析装置も薬品もない。ただ、雑然と並んだ瓶や壺があるだけで、植物を改良するための設備とは言い難い。
リリスは夢の中の知識を持ち、その構造や原理を理解しているが、現在の文明レベルでは必要な装置を作ることはできない。
だが、リリスには独自の「切り札」がある。
彼女はランプに火を灯し、机の上に植物を並べる。それから、修道服と下着を全て脱いだ。
冷たい空気が彼女の肌を包み込み、彼女は思わず腕を抱き、手足が震える。
しかし、すぐにその寒さに慣れた。
リリスは机に向かい、歪んだ銅鏡に映る自分の姿を見る。
鏡の中には、幼くて痩せた体と、醜い火傷の痕が映っている。彼女はため息をつく。
しかし、今はそんなことに気を取られている場合ではない。
これからは集中しなければならない。
リリスは深く息を吸い、植物を手に取り、茎に咲いた花を摘んで口に入れる。
彼女は噛まずに、そのまま飲み込んだ。
——確認、アカザ科植物の花粉が消化管粘膜と接触、遺伝子配列の解析を開始。
リリスは目を閉じ、深い静けさの中に沈んでいく。彼女の意識は深海に潜るように、自分の体の中に溶け込んでいく。
これは彼女だけの能力で、他の誰にも真似できないものだ。
この力もまた、夢の中から来ている。
夢の中で、彼女と同じ名前を持つ美しい怪物は、生物の遺伝子情報を効率的に分析・改変するため、改造された内臓に新たな機能を組み込んだ。
リリスはなぜかその能力を受け継いでおり、彼女の消化管粘膜は特殊な改造が施され、有機生物の生殖物質——花粉、種子、胞子、精子、卵子——と直接接触することで、その遺伝子配列を素早く抽出・解析することができる。
彼女の体内には複雑な霊子ネットワークが構築されており、霊脈は精密な回路のように全身に張り巡らされ、抽出された遺伝子情報を彼女の脳内の「遺伝子ライブラリ」に伝える。
この遺伝子ライブラリは実体ではなく、無数のニューロンのパルス波形で構成された量子場で、彼女が夢の中で蓄積した無数の遺伝子断片と生物学的特性情報が保存されている。
このシステムを通じて、リリスは原生種の生態特性を再設計することができる。
特定の遺伝子断片を選び出し、有害な遺伝情報を除去し、他の種の優れた特性を導入することで、新しくてより人間の食用に適した植物品種を作り出すことができる。
しかし、この能力を使うことには代償が伴う。
天文学的な量の遺伝情報が脳内を駆け巡ると、リリスの脳のニューロンは想像を超える計算負荷にさらされる。
彼女の額には細かい汗が浮かび、眉をひそめ、顔色は次第に青ざめていく。
鋭い痛みがこめかみから広がり、まるで無数の針が脳内をかき回すようだ。
彼女の呼吸は浅く速くなり、指は無意識に机の角をつかみ、指節が白くなる。
その時、彼女の体に異変が起きた——そのアカザ科植物には微量の毒素が含まれており、普通の人なら致命傷にはならないが、精神力が極度に集中し、心拍と血流が加速しているリリスにとっては、さらなる負担となった。
毒素は血液に乗って体内に広がり、彼女の胸は重苦しくなり、喉が詰まったように感じられ、呼吸がさらに苦しくなる。
それでも、リリスは止まらない。
彼女は歯を食いしばり、意識を一点に集中させる。
彼女の脳裏には複雑な遺伝子マップが浮かび、どの遺伝子が植物の甘みを制御し、どの遺伝子が耐寒性を決定し、どの遺伝子が毒性を持つのかが明らかになる。
彼女の意識は遺伝子ライブラリの中を駆け巡り、解析した情報と既知の遺伝子断片を照合し、最適な改良案を探す。
このプロセスは精密な生物実験であると同時に、彼女自身の限界との戦いでもある。
リリスの体は微かに震え、呼吸は荒く不規則になるが、それでも彼女は耐え続ける。
彼女は、これからの一挙一動が、この植物が村の存続の希望となるかどうかを決めることを知っている。
どれくらい時間が経っただろうか。彼女の脳裏にようやく一つの実行可能な案が浮かんだ。
リリスはゆっくりと目を開き、長く息を吐き、体の力が抜ける。
しかし、彼女の足はぐらつき、よろめいて机に手をつき、倒れそうな体を支える。
銅鏡に映る彼女の肌の表面は、先ほどとは全く異なっていた。
光る奇妙な模様が、彼女の腹部を中心に、体の隅々まで広がっている。
この光景はリリスにとって見慣れたものだ。
そう、これが成功の証だ。
それだけでなく、彼女の体は汗でびっしょりで、まるでサウナから出てきたかのようだった。
熱中症のような倦怠感で、彼女は自分が脱水症状に陥っているのではないかと疑うほどだ。
さらに悪いことに、毒素の作用が強まり、彼女の視界はぼやけ、手足は重く鈍くなっていく。
「今日は、ちょっと無理をしすぎたみたい……」
普段なら、リリスは植物の遺伝子を改造・編集する工程を数日、あるいは一ヶ月に分けて行う。
また、作業を始める前に毒がないか慎重に確認し、順を追って研究を進める。
しかし、今日の彼女は少し焦っていた。
だが、それには理由がある。
「だって、私が村にいる時間も、もうあまり残されていないから……せめて最後に……」
彼女はつぶやき、その声には疲れと寂しさがにじんでいた。
しかし、彼女の言葉が終わらないうちに、体はついに限界を迎え、机を押しのけて冷たい床に倒れこんだ。
意識が遠のく瞬間、動けない彼女の視界の端に、巨大な影が見えた——ラスだ。
彼はドアを破って飛び込み、鎧が薄暗い光の中で冷たく輝いている。
——ああ、恥ずかしい……せめて服を着てからにすればよかった……うう……
これが、リリスが意識を失う前に頭に浮かんだ最後の考えだった。
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