第4話「感情の芽生え」
第1話 「変わる距離感」
朝靄の立ち込める神社の境内に、風鈴の清らかな音色が響いていた。千代は例朝の如く、境内の掃除を終えたところだった。
「おはよう、千代ちゃん!」
陽の声が聞こえた瞬間、千代は思わず箒を取り落としそうになる。先日の事件以来、その明るい声に心が揺れる自分がいた。
「お、おはよう、陽」
普段通りを装おうとする千代の耳まで、頬が赤くなっているのが分かった。
「うーん、今朝は水木さんのお宅で、座敷童子さんたちがお茶会を開いてたの。千代ちゃんも来ればよかったのに」
陽は相変わらず妖怪たちと仲良く過ごしているようだった。その自然な様子に、千代は少し羨ましさを覚える。
「主様、お茶の用意ができました」
月詠が現れ、さりげなく二人の間に入る。式神の慧眼は、主の心の揺らぎを見逃さない。
「あ、ありがとう」
千代は月詠の気遣いに感謝しつつ、縁側に腰を下ろす。陽も自然と隣に座る。二人の間には、ほんの少しだけ、以前より近い距離があった。
「千代ちゃんって、お茶の淹れ方も上手だよね」
「そ、そんなことないわ。陽の方が、妖怪たちともお茶会ができるくらい上手でしょう」
「えへへ、でも千代ちゃんの淹れるお茶には、なんだか特別な魔力が宿ってる気がするの」
何気ない会話の中で、陽の言葉が千代の心に染み込んでいく。式神である月詠は、主の心の動きを静かに見守っていた。
「主様の占いの力が、お茶にも宿るのでしょうね」
月詠のさりげない言葉に、千代は慌てて否定する。
「そんな、占いの力なんて...」
「でも、千代ちゃんの占い、当たるよね。この前の事件の時も」
陽の言葉に、千代は事件での出来事を思い出す。二人で力を合わせ、危機を乗り越えた記憶。その時確かに感じた、特別な絆。
「私の占いなんて、まだまだ未熟で...」
言葉を濁す千代の横顔を、陽はじっと見つめていた。
「でも、私は信じてるよ。千代ちゃんの力を」
その言葉に、千代の心臓が大きく跳ねる。
「陽...」
風鈴が再び音を奏で、朝の空気が二人を包む。月詠は少し離れた場所から、主と幼なじみの距離が、確実に縮まっていることを感じ取っていた。
「あ、そうだ!今日の放課後、また占いの練習につき合ってくれない?」
陽の提案に、千代は少し考え込む素振りを見せる。しかし、その瞳の奥には、小さな期待の光が灯っていた。
「...いいわ。でも、あくまで練習よ?」
「うん!私、千代ちゃんの占いなら、どんな結果でも受け入れる覚悟はできてるから!」
陽の無邪気な笑顔に、千代は思わず目を逸らす。その仕草を見た月詠は、かすかに微笑んだ。
主の心が、少しずつ、でも確実に動き始めていることを、誰よりも理解していたから。
第2話 「月詠の憂鬱」
満月の夜、神社の屋根の上で月詠は独り、夜空を見上げていた。銀色の毛並みが月光に照らされ、幻想的な輝きを放っている。
「主様の心が揺れている...」
つぶやきが夜風に溶けていく。式神として百年以上を生きてきた月詠だが、今の状況は初めての経験だった。
「月詠さん、お一人なんですか?」
声の主は座敷童子の長女。いつの間にか月詠の傍らに座っていた。
「ええ。主様は今、占いの練習中です」
「陽ちゃんと一緒に?」
「はい...」
その返答に、座敷童子は意味ありげな笑みを浮かべる。
「式神として、主様の恋を見守るのは複雑な心境でしょうね」
月詠は黙ったまま、境内を見下ろす。社務所の窓からは、千代と陽の姿が見えた。二人で何やら真剣な表情で占いに取り組んでいる。
「私は...主様の幸せを願うだけです」
言葉とは裏腹に、月詠の心には複雑な感情が渦巻いていた。主への深い愛情。陽という存在への警戒と期待。そして、変わりゆく関係性への不安。
「でも、陽ちゃんには特別な力がありますからね」
座敷童子の言葉に、月詠は小さく頷く。陽の持つ妖怪を見る力。それは千代の陰陽師としての力と、不思議なほど相性が良かった。
「主様は、まだ自分の才能に気づいていない」
「そして、自分の心にも」
二人の会話が、夜風に乗って流れていく。
社務所からは、陽の明るい笑い声が聞こえてきた。それに続いて、千代の慌てた声。いつもの光景だが、最近はその距離が少しずつ縮まっている。
「月詠さんは、反対なんですか?」
座敷童子の問いに、月詠は首を横に振る。
「いいえ。むしろ...」
言葉を選びながら、月詠は続ける。
「主様が本当の自分に気づく機会になるのなら」
その時、社務所から千代と陽が出てきた。月明かりの下、二人の姿は柔らかな光に包まれている。
「千代ちゃん、今日も占いありがとう!」
「こんな時間まで付き合わせてごめんなさい」
「ううん、私が頼んだんだもん。それに...」
陽は少し照れたように頬を赤らめる。
「千代ちゃんと一緒にいると、時間があっという間に過ぎちゃうの」
その言葉に千代が慌てふためく様子を、月詠は静かに見つめていた。
「主様は...幸せそうですね」
月詠のつぶやきに、座敷童子は優しく微笑む。
「それなら、月詠さんも安心できるでしょう?」
「ええ。ただ...」
月詠は立ち上がり、銀色の毛並みを夜風になびかせる。
「これからは、もっと主様を守らねばなりません」
「というと?」
「恋をする乙女の心は、時として危ういもの」
その言葉に、座敷童子は理解したように頷いた。
「私は、主様の式神として...そして、友人として...」
月詠の瞳が、決意の色を帯びる。
「主様の恋を、そっと見守りたいと思います」
満月が雲間から姿を現し、月詠の銀色の体を一層鮮やかに照らし出した。式神の想いは、静かな夜空に溶けていった。
第3話 「意識せざるを得ない」
教室に差し込む午後の日差しが、なんとなく千代の落ち着かない気持ちを余計に掻き立てる。
「えっと、次は...」
黒板に書かれた数式を写そうとするが、集中できない。その理由は、隣の席。
「千代ちゃん、消しゴム貸して」
陽が囁くように声をかけてきた。たったそれだけのことなのに、千代の心臓は大きく跳ねる。
「は、はい...」
消しゴムを差し出す手が、少し震えている。陽の指が触れた瞬間、電気が走ったような気がした。
(どうして、こんなに意識してしまうのかしら...)
普段から隣同士だったというのに、最近は陽の一挙手一投足が気になって仕方がない。髪をかき上げる仕草、ノートを取る真剣な横顔、時折見せる柔らかな微笑み...。
「あ、千代ちゃんのノート、きれいだね」
陽が身を乗り出してきて、千代は思わず体が強張る。
「そ、そんなことないわ」
「でも本当に。千代ちゃんの字って、お札を書くみたいできれいなんだよ」
何気ない褒め言葉に、千代の頬が熱くなる。
「それは...陰陽師の家に生まれたから...」
「うんうん、でもそれだけじゃないと思うな。千代ちゃんの真面目さとか、繊細さとか...」
「ちょっ...授業中よ」
慌てて制する千代に、陽は小さく笑う。その笑顔があまりにも眩しくて、千代は思わず目を逸らしてしまう。
(月詠に見られていたら、絶対に意地悪な感想を言われてしまうわ...)
そう思った瞬間、教室の窓の外に銀色の影が見えた気がした。まさか、と思って目を凝らすが、もう何も見えない。
「ねぇ、千代ちゃん」
また陽の囁き声。今度は教科書を指差している。
「この問題、一緒に解こう?」
「え?あ、ええ...」
二人で一つの教科書を覗き込む形になり、距離が更に縮まる。陽の髪から漂う柔らかな香り。肩が触れそうな近さ。
(こ、これは占いの練習には入らないわよね...)
自分に言い聞かせるように思っていると、突然、陽が千代の耳元で囁いた。
「あ、今の答え、分かった気がする」
その声があまりに近くて、千代は思わず小さな悲鳴を上げそうになる。
「つばき!なにか問題でも?」
教壇から先生の声が飛んでくる。クラスメイトの視線が一斉に集まり、千代は頭が真っ白になる。
「い、いえ!申し訳ありません!」
慌てて立ち上がって謝る千代。陽は申し訳なさそうに、でも少し楽しそうな表情を浮かべている。
(もう...陽ったら...)
怒りたいのに、どこか嬉しい気持ちもある。この複雑な感情に、千代は戸惑いを覚える。
放課後、片付けをしていると、机の上に小さな付箋が置かれているのに気がついた。
『ごめんね、千代ちゃん。でも、困った顔もすっごくかわいかったよ♪ 放課後、また占いの練習して?』
陽の字を見た瞬間、千代の心臓が再び大きく跳ねる。
(これじゃ、私の方が占われているみたい...)
そう思いながらも、千代は付箋を大切そうに手帳に挟んだ。明日も、明後日も、これからもずっと...陽のことを意識せずにはいられない自分が、そこにいた。
第4話 「座敷童子の観察」
「お姉ちゃん、見つけた?見つけた?」
陽の家の縁側で、座敷童子の三女が長女の着物の裾を引っ張る。夕暮れ時、三姉妹は今日も人間観察に余念がない。
「まあまあ、焦らないの。あの二人のことだもの、すぐに見つかるわよ」
長女が優雅に扇子を広げながら答える。すると中庭に千代と陽の姿が見えてきた。
「あ!やっぱり来た!」
次女が身を乗り出す。三姉妹は息を潜めて観察を始めた。
「ねぇ千代ちゃん、今日は何の占いを練習するの?」
「えっと...今日は方位の占いを...」
千代が羅針盤を取り出す様子に、座敷童子たちは目を輝かせる。
「見て見て、千代ちゃんの手が震えてる!」
「もう、三女ったら声が大きいわよ」
長女が諭すように言うが、自身も目を離さない。
「でもお姉ちゃん、最近の二人って変わったよね」
次女の言葉に、長女は扇子で顎を叩きながら頷く。
「ええ。先月の事件以来、特に千代様の様子が違うわ」
「陽ちゃんの方が、より一層積極的になったような...」
三女が首を傾げる。その時、中庭では千代が羅針盤の使い方を説明していた。
「このように、方位を定めて...あ」
説明中、陽が千代の手に触れた瞬間、羅針盤を取り落としそうになる。
「千代ちゃん、大丈夫?」
「は、はい!ちょっと手が滑って...」
「きゃー!見た?見た?」
三女が飛び跳ねそうになるのを、姉たちが必死に抑える。
「静かにしないと気付かれちゃうでしょ!」
「でも次女ちゃんだって興奮してるじゃない」
「まあ、それは...そうだけど」
三姉妹の小さな言い合いの間も、中庭では占いの練習が続いていた。
「不思議ね」
突然、長女が物思わしげに呟く。
「何が?」
「陽様には妖怪を見る力があるのに、私たちのことは気付かないふり。きっと千代様を慌てさせたくないのね」
「さすが陽ちゃん!」
「でも、それって千代ちゃんのことを考えてるってことだよね?」
三女の言葉に、姉妹は顔を見合わせる。
「ほら、見て!また始まった!」
中庭では、羅針盤を覗き込むために、二人の顔が近づいていた。
「これが、縁結びの方位...」
「えへへ、千代ちゃんの横顔、近くで見るとますますかわいいね」
「も、もう!占いに集中してってば!」
慌てる千代を見て、陽が柔らかく笑う。
「でも本当だよ?千代ちゃんって、真剣な顔をしてる時が一番...」
「長女様!千代様の耳、真っ赤です!」
月詠が屋根の上から現れ、静かに報告する。
「あら、月詠様も観察していたの?」
「主様の様子が気になって...」
座敷童子たちは、にやりと意味ありげな笑みを浮かべる。
「月詠様も、心配なのね」
「いえ、ただの観察です」
式神の言葉とは裏腹に、その眼差しには深い愛情が滲んでいた。
「ねぇねぇ、私たち何かできないかな?」
三女の提案に、長女は扇子でくるりと円を描く。
「そうねぇ...でも焦らなくていいわ」
「え?どうして?」
「だって見てご覧なさい」
中庭では、夕陽に照らされた二人の影が、少しずつ、でも確実に近づいていた。
「二人の縁は、もう結ばれ始めているもの」
座敷童子たちは満足げに頷き合う。彼女たちには分かっていた。この恋が、きっと実を結ぶことを。
第5話 「揺れる想い」
深夜、神社の社務所で千代は一人、占いの道具を前に座っていた。月明かりだけが照らす部屋の中で、手の中の古い羅針盤が僅かに揺れている。
(私の心も、この羅針盤みたい...)
どこを指せばいいのか分からず、揺れ続けている。
「主様、まだ起きていたのですか」
月詠が静かに姿を現す。千代は慌てて羅針盤を隠そうとしたが、式神の眼はすでに全てを見透かしていた。
「月詠...私、おかしくなってしまったのかもしれない」
「どうしてそう思われるのです?」
「だって...占いの練習のたびに、陽のことばかり考えてしまって」
千代の声が震える。月詠は主の傍らに腰を下ろし、静かに耳を傾ける。
「陽と一緒にいると、心臓が早く打って、まともに占えなくなってしまうの。これじゃ、陰陽師として...」
「主様」
月詠の声が、千代の言葉を優しく遮る。
「それは、占いの力が弱まったわけではありません」
「え?」
「むしろ、主様の心が正直になってきた証かもしれません」
月詠の言葉に、千代は驚いて顔を上げる。式神の瞳には、優しい光が宿っていた。
「占いとは、真実を映し出すもの。主様はいつもそうおっしゃっていました」
「ええ、でも...」
「ならば、主様の心の真実も、大切な要素なのではないでしょうか」
その瞬間、千代の手の中で羅針盤が微かに光を放った。驚いて見つめると、針が一点を指している。
「これは...」
「主様の心が、正直な方向を指し示したのでしょう」
千代は羅針盤を見つめたまま、頬を赤らめる。指し示す方向は、陽の家がある方角だった。
「で、でも私...陰陽師の家に生まれて、こんな気持ちに戸惑ってばかりで」
「主様」
月詠が、いつになく優しい声で言う。
「陰陽師だからこそ、人の心が分かるのではないですか?」
その言葉が、千代の胸に深く染み込む。
「そうね...でも」
「主様の占いが、人々の幸せを願う気持ちから生まれているように」
月詠が言葉を継ぐ。
「今の主様の気持ちも、きっと大切な何かを教えてくれているはずです」
千代は黙ったまま、羅針盤を見つめ続ける。月明かりに照らされた針は、まっすぐに一点を指したまま。
「私...陽のことを」
言葉にしかけて、千代は慌てて口を覆う。月詠は微笑みながら、主の肩に手を置いた。
「焦る必要はありません。主様の心が、きっと正しい方向を示してくれます」
深夜の社務所に、風鈴の音が響く。千代は羅針盤を胸に抱きながら、ゆっくりと目を閉じた。
(陽...私の心は、あなたの方を指しているの)
その夜、千代は初めて自分の気持ちと、真正面から向き合おうとしていた。月詠は、そんな主の傍らで、静かに見守り続けた。
第6話 「見守る式神」
夜明け前の神社境内。まだ暗い空の下、銀色の狐の姿をした月詠は、他の式神たちと集まっていた。
「月詠殿、主の様子はいかがかな」
玉兎の姿をした年長の式神が、静かに問いかける。
「ええ、少しずつですが、確実に変化が...」
その時、社務所から物音が聞こえた。千代が早朝の勤行のために起き出す音だ。式神たちは一斉に身を隠す。
「おはようございます、主様」
月詠だけが姿を現し、いつものように挨拶する。
「あ、月詠...今日も早いのね」
千代の表情は、どこか上ずっているように見えた。
「もしや、陽様のことを...」
「ち、違うわ!ただ、今日は大切な占いの練習があるから...」
慌てて否定する千代の仕草に、月詠は密かに微笑む。主の心が、こんなにも素直に表れることは、これまでになかった。
「月詠、私...」
千代が言いかけて止まる。その瞬間、境内の木々が朝風に揺れ、風鈴の音が響いた。
「主様?」
「ううん、なんでもないわ」
千代は早足で社務所へと戻っていく。その後ろ姿を、再び現れた式神たちが見守っていた。
「成長しておられる」
玉兎の式神が穏やかに言う。
「はい。主様の心が、少しずつ開かれていくのを感じます」
「人の子の恋は儚いもの。されど、その輝きは...」
老狸の姿をした式神が、しみじみと言葉を継ぐ。
「しかし、陽様という方も特別な存在です」
月詠の言葉に、式神たちは頷く。人と妖怪の境界を自然に越える力を持つ陽。その存在は、千代にとって特別な意味を持っていた。
「主様の占いの力も、より確かなものになっているようですね」
「ええ。陽様との出会いが、主様の才能を開花させているのかもしれません」
話している間にも、空が徐々に明るくなっていく。やがて社務所から千代が出てきた。身支度を整え、境内の掃除を始める。
その姿は、いつもと変わらないように見える。しかし式神たちには分かっていた。主の内側で、確実に何かが変化していることを。
「月詠殿」
玉兎の式神が、真剣な面持ちで言う。
「はい」
「守護の任、頼みましたぞ」
「お任せください」
月詠が凛として答える。その時、境内に明るい声が響いた。
「千代ちゃん、おはよう!」
いつものように、陽が元気に走ってくる。千代は慌てて箒を持ち直し、
「お、おはよう、陽...」
照れくさそうに応える。月詠は、そっと目を細める。
(主様の恋、しっかりと見守らせていただきます)
式神たちは静かに姿を消していく。ただ、その場の空気には、確かな祝福が満ちていた。
第7話 「陽の想い」
放課後の教室で、陽は一人、窓の外を見つめていた。夕陽に照らされた空には、小さな妖怪たちが戯れている。普段なら微笑ましく見守るところだが、今日は何となく物思いに耽っていた。
(千代ちゃん、今頃神社で占いの練習してるのかな)
机に置かれた教科書の上で、小さな座敷童子が踊っている。陽にはそれが見えるのに、他の人には見えない。この特別な力は、時として彼女を孤独にした。
でも―
「千代ちゃんは違うんだ」
小さくつぶやく。千代は陽の力を怖がらない。むしろ、その力を認めてくれる。
「陽ちゃん、また独り言?」
教室に残っていた友人の声に、陽は慌てて笑顔を作る。
「あはは、ちょっとね!」
明るく振る舞う自分。それも陽の素直な一面だ。でも最近は、千代の前でだけは、ありのままの自分を見せられる気がしていた。
「じゃあ、私先に帰るね」
友人を見送り、再び窓の外に目を向ける。空には夕焼け雲が広がり、その間を妖怪たちが優雅に舞っている。
(不思議だな...)
陽は胸に手を当てる。
(千代ちゃんと一緒にいると、この力が特別なものじゃなくて、ごく自然なことのように思えるの)
机の上の座敷童子が、にっこりと笑いかけてくる。陽も思わず微笑み返す。
「ねぇ、私の気持ち、千代ちゃんに伝わってるのかな」
童子はクスクスと笑いながら、肩をすくめた。
「そっか...まだ気づいてないんだよね」
陽は立ち上がり、カバンを手に取る。今日も神社に行こう。いつものように「占いの練習に付き合って」と言って。
(本当は、ただ千代ちゃんと一緒にいたいだけなのに)
廊下を歩きながら、陽は思い返す。初めて千代と出会った日のこと。人見知りで、でも凛として美しい彼女の姿。そして、妖怪たちと話せる自分を、少しも奇異の目で見なかった優しさ。
「陽様」
階段を降りると、月詠が待っていた。
「あ、月詠さん!どうしたの?」
「主様が、お待ちです」
その言葉に、陽の心臓が跳ねる。
「えへへ、また占いの練習?」
「ええ。今日は、特別な占いだそうです」
月詠の言葉に、どこか意味ありげな響きを感じる。
「特別な...占い?」
「はい。主様曰く、『二人の未来を占う』と」
一瞬、陽の頬が赤く染まる。
(二人の...未来?)
その言葉の意味を考えると、胸が熱くなる。
「行ってきます!」
陽は弾むような足取りで走り出す。後ろで月詠が、かすかに微笑むのも知らずに。
(千代ちゃん...)
走りながら、陽は心の中でつぶやく。
(私の想い、いつか伝えたい。この特別な力のことも、あなたへの気持ちも、全部)
夕陽に照らされた道を、陽は神社へと向かっていく。妖怪たちが道案内をするように、その周りを舞い続けていた。
第8話 「交差する気持ち」
神社の境内には、夕暮れの柔らかな光が差し込んでいた。千代は神楽殿の軒先で、陽を待っている。昨日約束した「二人の未来を占う」という言葉が、今更ながら恥ずかしく感じられた。
(何を考えていたのかしら、私...)
風鈴が涼やかな音を奏でる。その音に千代の心が落ち着きを取り戻そうとした時、
「千代ちゃーん!」
元気な声が境内に響く。振り返ると、陽が小走りでやってくる姿が見えた。
「ごめんね、お待たせ!」
「い、いえ...今来たところよ」
嘘である。千代は既に30分前から待っていた。
「あれ?でも神楽殿の掃除、終わってるよね?」
「そ、それは...」
言い訳を考えている千代の横で、月詠が小さくため息をつく。
「主様、正直になられては?」
「月詠!」
陽は、その掛け合いを見て柔らかく笑う。
「嬉しいな。千代ちゃんが待っていてくれたこと」
その笑顔に、千代の心臓が大きく跳ねる。
「それで、その...特別な占いって?」
陽が期待に満ちた瞳で尋ねる。千代は慌てて視線を逸らす。
「あ、ああ...そうね。えっと...」
言葉に詰まる千代を見て、陽が不思議そうな顔をする。
「千代ちゃん?」
「実は...占いの準備が...」
その時、ふわりと風が吹き、千代の手から御札が舞い上がった。
「あ!」
二人が同時に御札に手を伸ばす。指先が触れ合った瞬間、二人とも驚いて手を引っ込める。
「ご、ごめんなさい!」
「あ、ううん...私こそ」
気まずい空気が流れる中、御札は座敷童子たちの仕業とも思える風に乗って、神楽殿の中へと舞い込んでいった。
「取ってくるわ」
「待って、一緒に行こう?」
陽が自然に千代の手を取る。温かい感触に、千代の心が震える。
神楽殿の中は、夕陽が格子窓から差し込み、幻想的な空間を作り出していた。
「あ、あった」
御札は丁度、二人の間に落ちていた。千代が拾い上げようとした時、陽の手が重なる。
「え...」
見上げた先で、視線が交差する。
「千代ちゃん...」
「陽...」
時間が止まったかのような瞬間。二人の心臓が、同じリズムで高鳴っているように感じられた。
「あの...私...」
陽が何かを言いかけた時、突然風鈴の音が鳴り響く。
「きゃっ!」
驚いて体が傾いた千代を、陽がとっさに支える。
「大丈夫?」
「え、ええ...」
近すぎる距離に、千代の頬が熱くなる。陽も気づいたように、ゆっくりと手を放す。
「その...占いの準備、する?」
「うん...そうね」
二人は少し照れくさそうに、御札を取り出す。その様子を、神楽殿の屋根の上で月詠と座敷童子たちが見守っていた。
「もう、あと一歩なのに」
三女が残念そうに呟く。
「焦ることはありません」
月詠が静かに答える。
「二人の気持ちは、確実に交差し始めているのですから」
夕暮れの神楽殿に、風鈴の音が再び響く。その音色が、二人の心を優しく包み込んでいくようだった。
第9話 「明かされない想い」
雨の音が静かに境内に響く夕暮れ時。社務所の縁側で、千代は一人、雨を見つめていた。
「主様、お茶をお持ちしました」
月詠が静かに声をかける。
「ありがとう...」
千代の声には、いつもの凛とした響きが欠けていた。今日は珍しく、陽が占いの練習に来ていない。
「陽様は、体調を崩されたとか」
「え?そうなの?」
千代の反応の早さに、月詠は内心で微笑む。
「いいえ、確認はしておりません」
「も、もう!月詠ったら...」
照れ隠しに月詠を叱りつけようとした時、境内に見慣れた声が響いた。
「千代ちゃーん!」
傘を片手に、陽が走ってくる。
「陽!?こんな雨の中...」
「えへへ、占いの練習、約束したでしょ?」
傘から伝う雨粒が、陽の髪を濡らしている。その様子に、千代は思わず胸が締め付けられる。
「でも、こんな天気じゃ...」
「大丈夫だよ。それに...」
陽が言葉を切る。その瞳に、何かを決意したような光が宿る。
「今日は、どうしても千代ちゃんに会いたくて...」
「え...」
二人の間に、重たい沈黙が落ちる。その時、
「くしゅん!」
陽のくしゃみが、緊張した空気を破った。
「ほら、見なさい。風邪を引いてしまうわ」
千代は慌てて立ち上がり、社務所の中へと陽を招き入れる。
「ごめんね...」
「もう、謝らなくていいから」
タオルを取り出し、陽の髪を拭こうとする千代。しかし、近づきすぎた距離に気づき、動きが止まる。
「千代...ちゃん?」
「あ、その...自分で、拭いて」
慌ててタオルを手渡す千代。陽は少し寂しそうな表情を見せる。
「千代ちゃんって、最近私のこと避けてる?」
「そんなことないわ!」
否定の言葉は出たものの、千代自身、自分の気持ちに正直になれていない。
「本当に?」
「ただ...その...」
言葉にできない。この胸の高鳴りも、陽を見る度に昂ぶる気持ちも。
屋根裏では、座敷童子たちが心配そうに様子を窺っている。
「もう、このまま黙ってたら...」
「三女、静かに」
長女が諭すように言う。しかし、その表情にも焦りの色が見えた。
社務所の中では、沈黙が続いていた。雨の音だけが、二人の間に流れる。
「千代ちゃん、私...」
「陽...」
同時に言葉を発し、また言葉を飲み込む。
その時、突然の雷鳴が響く。
「きゃっ!」
驚いた陽が千代に寄り添う。温かい感触に、千代の心臓が跳ね上がる。
「ご、ごめん...」
「い、いえ...大丈夫よ」
離れようとする陽の手を、千代は無意識に掴んでいた。
「千代...ちゃん?」
気づいて慌てて手を放す。でも、その温もりは確かに心に残っていた。
「その...お茶、入れ直すわ」
「う、うん...」
二人の気持ちは確かに交差している。でも、まだ言葉には出来ない。
月詠は静かに目を閉じる。
(主様...陽様...)
雨は優しく降り続け、明かされない想いを、そっと包み込んでいった。
第10話 「芽生えた想い」
朝もやの立ち込める境内で、千代は神楽殿の掃除をしていた。昨日の雨で濡れた木の香りが、清々しい空気に溶け込んでいる。
「主様、今朝は早いですね」
月詠が現れ、千代の横に佇む。
「ええ...なんだか、眠れなくて」
実は、昨夜の出来事が頭から離れなかったのだ。雨の中で感じた陽の温もり。言葉にできなかった想い。
「主様の占いの力が、より確かなものになっています」
月詠の言葉に、千代は箒を止める。
「どうして、そう思うの?」
「以前の主様なら、自分の心さえも隠そうとしていました」
その言葉に、千代は思わず頬を赤らめる。
「で、でも私...まだ」
その時、境内に明るい声が響く。
「おはよう、千代ちゃん!」
振り返ると、いつもより少し早い時間に陽が来ていた。
「陽...?どうして、こんな早くに」
「えへへ、なんとなく、千代ちゃんに会いたくて」
素直な言葉に、千代の心臓が跳ねる。昨日の記憶が、鮮やかに蘇ってくる。
「昨日は、ごめんね。急に帰っちゃって...」
「い、いえ!私こそ...」
言葉が重なり、二人は思わず目を合わせる。そして、同時に視線を逸らした。
「あの...千代ちゃん」
「な、なに?」
「今日の放課後、占いの練習じゃなくて...」
陽が言葉を探すように空を見上げる。
「お祭りの準備、手伝ってもいい?」
予想外の申し出に、千代は驚く。
「えっ...でも、占いの練習は?」
「うん。でも、千代ちゃんのこと、もっと知りたいの」
率直な言葉に、千代の胸が熱くなる。
「陽...」
その時、風鈴が涼やかな音を奏でる。座敷童子たちが、こっそり様子を窺っているのが見えた。
「主様」
月詠が静かに促す。
「いいわ。一緒に準備しましょう」
千代の返事に、陽の顔が輝く。
「やった!」
その笑顔に、千代も自然と微笑みがこぼれる。
神楽殿の屋根の上では、式神たちが集まっていた。
「ようやく、一歩進みましたね」
玉兎の姿をした式神が、満足げに頷く。
「ええ。主様の心も、陽様の想いも」
月詠が応える。境内では、二人が楽しそうに話しながら掃除を始めていた。
「千代ちゃん、この御札は?」
「あ、それは火魔除けの...って、陽!そんな高いところ危ないわ!」
「大丈夫だよ。私、意外と器用なんだから」
戯れ合う二人を見て、式神たちは穏やかな表情を浮かべる。
「主様の心が、こんなにも柔らかくなるとは」
月詠の言葉に、玉兎が頷く。
「陽様という方は、特別な存在なのでしょうね」
妖怪を見る力を持ち、千代の心を自然と開いていく陽。その存在は、確かに特別だった。
朝日が昇り、境内全体が金色に染まっていく。その光の中で、二人の姿が美しく浮かび上がる。
(これが恋なのね...)
千代は心の中でつぶやく。まだ言葉にはできない。でも、確かにそこにある想い。
(陽...いつか、この気持ち、伝えられたらいいな)
風が吹き、風鈴が再び音を奏でる。その音色が、芽生えた想いを優しく包み込んでいった。
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