第2話 何のためらいもなくあーんしてくるんですけど?!

 お昼休み。私と紗雪は中庭でお昼ご飯を食べていた。この高校の中庭はテレビで紹介されるほど有名だ。敷地の広さはもちろんのこと、キレイに手入れされた生垣と花壇はまるでお城の中にある庭園のようだ。レンガで作られた道、ふわふわの芝生、お嬢様がお茶会をするような白い建材で建てられた小さな休憩所、その全部が私たちをお姫様気分にさせる。


 春の暖気でぽかぽかの庭園には何組もの集団が闊歩していて、それぞれ思い思いの場所で昼食を食べたり、おしゃべりをしたりしている。お散歩日和な空の下、私達もバラが咲く花壇の前のベンチに座ってお弁当を食べていた。


「やっぱり風香のご飯は美味しいね」

「ふふん、料理は私の得意分野だからね」


 私が作ってきたお弁当を美味しそうに食べながら、紗雪は私を称賛した。私はその称賛を素直に受け取り、自慢げに鼻をふふんとならす。


 紗雪のお弁当は中学生の頃からいつも私が作っている。自分の家事スキルが長所だと気付いた私は、いつも勉強を教えてくれたり、苦手な運動でフォローをしてくれたりと私をいつも助けてくれている紗雪のためにお弁当作りを始めたのだ。


 いつも美味しそうに食べてくれる紗雪を見たら、もっと料理の上達を頑張ろうと思えた。そしたらいつの間にか料理のレパートリーがお母さんより多くなって、たまに家族の夕食も私が作るくらいになった。


「風香をお嫁さんにしたら、きっと毎日幸せだろうな」


 紗雪は私の顔を覗き込みながら、クールな微笑を浮かべた。じっと私を見つめる瞳は、その言葉の続きに「だから私のお嫁さんになって」と言っているようだった。


「さ、紗雪のためになら、ずっとお弁当作ってあげてもいいよ」

「お嫁さんになってくれるってこと?」


 私が少し濁して返答したけど、紗雪は逃してはくれなかった。ぐっと私に顔を近づけて、両手で私の手を包み込んだ。気持ちの良いひんやりとした紗雪の手の温度が私に伝わってくる。目を逸らそうにも逸らせないような、有無を言わせない紗雪の態度。暖かい春の日差しの下にしては赤すぎるくらい、私の頬は熱くなっていた。


「さ、紗雪ってば、気が早いよ……」

「早いってことは、いつかは私のお嫁さんになってくれるの?」

「お、お嫁さん……そりゃ、私だって紗雪とずっと一緒に居たいよ」

「なら私と結婚しよ。そしたら私と風香はずっと一緒にいられるよ」


 紗雪は顔色一つ変えずに私に求婚してきた。求婚は何回もされてるし、私も紗雪のことが大好きだから嬉しいのだけど、冷静な紗雪に対して私の心はいつもてんやわんや。だから、私は一つの決め事をしている。私が紗雪のことを照れさせるか、私が紗雪の気持ちを冷静に受け止められるようになるまで、紗雪の求婚は受け入れない。だって、私は紗雪と対等でありたいから。


「ま、まだダメ!!」

「……そっか」


 私がもう何度目になるか分からないお断りを入れると、紗雪は分かりにくいけど少し表情が落ち込んだ。他の人は分からないらしい紗雪の変化は私だけが理解できる。でも、紗雪の表情を変えられるのはきっと私だけ。


「いいよ。風香のこと、私は何年でも待つから」

「……うん、もう少しだけ待ってて」


 紗雪はなんとなくだろうけど、私の気持ちを理解してくれている。だから、何度も待つと言ってくれている。こうして紗雪に待ってもらえるのも、紗雪の気持ちを揺り動かせるのも、全部が私の特権だ。


「それじゃあお昼を」


 ぐぅ。気を取り直してご飯を食べようと言おうとしたら、先に腹の虫が鳴った。さっきとは別種の恥ずかしさが押し寄せてきて、鼻の先まで真っ赤に染まった。


「可愛いお腹の音だね」


 紗雪は私に肩を寄せて、優しくお腹を撫でた。一般的な距離だった私たちは、いつの間にかまるでバカップルのようにぴったりとくっついていた。


「はい、あーん」


 紗雪は自分のお弁当箱から卵焼きをお箸で摘んで差し出してきた。間接キスは何度もしてきたから今更気にしないけれど、この恋人のような距離感であーんをするのは恥ずかしい。でも、お腹が空いている私に紗雪が差し出してくれたこれを食べないわけにはいかない。


「あ、あーん」


 周囲をちらりと見て、周りに誰もいないことを確認してから卵焼きをパクリと食べた。噛んだ瞬間、だしの味と卵の甘味がじゅわりと広がる。我ながら美味しい卵焼きだ。しかも紗雪に食べさせてもらって、幸福感が胸に広がる。恥ずかしいけれど、紗雪の存在が卵焼きを特別な味にしてくれていた。


「ん……おいしい」

「ふふ、よかった」


 紗雪は相変わらずクールな笑みをたたえている。正面からの求婚で顔色一つ変えないのが紗雪だ。あーんするくらいじゃクールな表情は変わらない。私は好きの気持ちに振り回されているというのに。私だって紗雪を照れさせたい。そう思った私は反撃に打って出ることにした。


「紗雪、お返し。あーん」


 今度は私が紗雪にあーんをするのだ。私が照れてばかりなのはいつも受けに回っているからだ。こうして紗雪の心に攻め入れば、氷の牙城は崩れて、真っ赤な顔で照れている紗雪が見られるはずだ。


「あーんっ……うん、おいしいね」


 そう思っていたのに、あーんをしても紗雪の表情はクールなまま変わらない。それどころか、私が差し出したタコさんウインナーをパクリと食べる紗雪が、まるで餌付けされるウサギみたいに可愛くて、こっちがドキドキさせられてしまった。好きな人が美味しそうにご飯を食べる姿が可愛いのは知っていたけど、自分が差し出したものを食べる姿がこんなに可愛いなんて知らなかった。


「風香」

「え、なに?」


 昂る心を落ち着かせるために深呼吸をしていたら、紗雪に肩を叩かれた。そして紗雪の方を向くと、紗雪がまるでひな鳥みたいに大きく口を開けていた。小さな口の中がはっきりと見える。規則正しく並んだ白い歯としっとりとした柔らかそうな舌、長い付き合いの中でもなかなか見ることがない口の中は煽情的で、冷静になろうとしていた心がまた大きく乱れた。


「え、え?」

「……もう食べさせてくれないの?」


 首をこてんと傾げながら、甘えるような声色で紗雪はそう言った。あーんは一回だけだと思っていたけど、紗雪はもっとやって欲しいみたいだ。照れさせるために攻めに転じたはずなのに、いつの間にかいつものように私が攻められている。


 どうにか逆転したいと策を色々考えていたら、紗雪が私の目の前まで顔を寄せた。ふわりと香る花の香りとサファイヤのような青い瞳が、私の考え事を強制的に終わらせて、意識を紗雪に向けさせられた。


「今日は風香に食べさせて欲しいな」


 紗雪の囁きは、あっという間に私の抵抗の意志を砕いた。可愛く甘えてくる紗雪のおねだりを断ることは出来ない。出来るはずがない。だって私は紗雪が大好きだから。


「た、たべさせましゅ! 何回でもあーんしましゅ!」

「ふふっ、ありがとう。大好きだよ、風香」

「う、うぅぅぅ……わ、私もすきぃ……」


 今日もまた完全敗北。紗雪のクールな表情を崩すことができないまま、私は紗雪にメロメロになってしまった。こうなってしまったら私は紗雪の思うがまま。紗雪のお願いを叶えて、お弁当を全部あーんして食べさせた。そしてその次に紗雪が私にあーんをして食べさせてくれた。そんなふうに信じられないくらい非効率的な食べ方をしたから、そんなに量は多くなかったのに、食べ終えたのはお昼休みギリギリだった。


「すぐに帰らないと授業に遅れちゃう!」

「風香、ちょっとこっち向いて」

「え、なに?」


 お弁当を片付けて教室に帰ろうとしたら、紗雪に引き留められた。何かあったのだろうかと振り向くと、柔らかくて温かな感触が頬に触れた。


「いつも私のわがままを聞いてくれてありがとう。大好きだよ」


 紗雪は今日一番の笑顔でそう言うと、彼女の愛情でキャパオーバーした私の手を引いて教室に向かった。紗雪は本当にズルい。こんなことまで一切照れずにできるんだもの。こんなの勝てるわけがないよ。


 幸福と愛情で満たされて溺れた私は、勝利がはるか遠い場所にあることを思い知らされた。

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