第33話 今更ながらの祝勝会

「ちょっと日はあいちゃったけど、春日井君の赤点回避をお祝いしたいと思います」

「勝手に人の部屋に来るなよ……」

「ノックはしたもん」


 確かにノック音はしていた。

 ……俺の返事を待たずして開いたが。些末な問題だとばかりに折本は鼻を鳴らした。


「どっかの誰かが鍵を落とした時点で、そっち優先だったわ。すっかり忘れてた」

「ねぇ、言い方! 悪意ある!」


 俺は苦笑を浮かべ、視線を落としていた本をぱたんと閉じた。栞を挟み、棚に戻す。

 その動作でもって折本の機嫌が治る。

 単純なやつだと俺は苦笑を深めた。


「んで、祝勝会なんて何を……」


 思い返せばノープランだった。

 強いて言うなら、折本・道草両名金はないので出資者は俺になるだろう、ということ。


「持ってきた。ここで食べる?」

「ありがと〜! うん、そうしよ!」

「ちょ! 待てよ。いきなり──」


 だが……その予想は裏切られる。

 ドアの向こう側に道草の姿。トレーを両手で支えているが、足元には危うさがある。

 端的に言えば転びそうだ。


 やっぱり危うい。俺は瞬時に立ち上がり、ひったくるようにしてトレーを奪った。


「……ひとりで運べたから」

「かもな。でも落としてたかもしれない」


 道草は不満げに息を吐いた。

 それを横目で見やりつつ受け取ったトレーを覗けば色鮮やかなケーキが鎮座していた。


 用意周到にジュースと紙コップまで。


 デコレーションは素朴。

 ただし、市販のとは明らかに違う。不格好な苺の並び方に、手作りの温度がある。

 適度に甘い香りが広がった。


「……お前ら、これ」

「ふふん! 私と祈の合作ケーキ!」

「材料は追加で盗んできた」

「そうとも言うね!」


 得意げに胸を張る折本と相変わらず抑揚の薄い調子の道草。──ふむ、なるほど。

 どうりで夕飯後出ていった訳だ。


 戻ってきたかと思えば風呂にも入らず、何やら作業をしている音も聞こえていた。

 このケーキを作っていたらしい。

 短時間でよくもまぁここまで。


 その熱量に驚き、胸の内で少しだけ感嘆を覚えた。……わざわざ作り上げるとは。


「自室でケーキって。床汚れんだろ」

「細かいことを気にする春日井君だなぁ?」

「……リビング、持ってく?」


 俺の本音にふたりが頸を傾げる。

 ただ、俺はかぶりを振った。

 別に汚れたら拭けばいいだけだ。冷静に考えれば、水を差すような発言だった。


「いい。汚れたら折本が拭くから」

「え、私なの?!? ……まぁ、いいけど」

「冗談だ。ほら机出すぞ」


 俺はひとまずトレーを折本に預け、サイドテーブルを自室の隅から引っ張り出す。

 食卓にも満たないひとりサイズ。


 甘い匂いが漂い部屋には雑談が響いた。祝勝会と呼ぶにはささやかな時間だった。

 

「──甘いな。けど、旨い」

「春日井君って味の評価は素直だよね」

「なんか含みがある言い方だなおい」

「べっつに〜? 気の所為だよ?」


 くどくなく口当たりはさらっと。

 されど確かな甘さのある上品なケーキだった。などと、講釈を述べられる舌はない。

 旨かった。それだけは事実。


 調子に乗るので、俺の胸中で留めておくが俺史上で最も旨いケージかもしれない。


「よき」


 道草は恍惚とした表情で舌鼓を打っていた。そういや……極度の甘党だったか。


 一文無し故に、甘味断ちを余儀なくされていたのだろう。一口一口味わっていた。

 しかしまぁ幸せそうな顔である。


 フォークを進めていると、窓の外に、夜気に滲むような星々が散りばめられていた。

 手を止めて、つい感想をぽつり。

 割と星は嫌いではなかった。


 幼少の頃は、大した知識も持ち合わせない餓鬼の癖に望遠鏡をねだったこともある。


「星、よく見えるな」

「へぇ、春日井君ってロマンチスト?」

「……ちげーよ。なんとなくだ」


 折本が意地の悪い笑みを浮かべて、俺の脇腹を指でつつく。こそばゆさが募った。


「星といえば、芹那」


 その名前には聞き覚えがあった。

 簪芹那。ひとつ上の先輩。

 世良ハーレムに与するひとりであり折本や道草とこれまた仲良しとされていた人物。


「急に芹那先輩がどうしたの?」

「前に、よく夜空を見ようって連れ出された。気づいたら山の上だったこともある」


 淡々と告げる道草。


 簪芹那。

 あの濡羽色の髪が頭を過る。

 深窓の令嬢などと噂半分比喩されることもある美人。……破天荒な一面もあるのか。

 

 折本も「あー、芹那先輩らしい」と小さく笑っていた。簪先輩も、もしかしたら。


 消えてしまう日が来るのか?

 たぶん皆脳裏にはあった。

 だが確証のない中言うのは野暮であり、自然と会話は別の方向へと流れていった。


「ねぇ、春日井君」 


 ケーキはホールサイズだった。

 故にまだまだ余っている。最悪俺が男子の胃袋に任せて食い切る結末が待っている。


「んだよ」


 俺が反応すると、折本は鼻の頭を触りながら躊躇うような声音で訥々と呟いた。


「この同居生活も、今週末で終わりだよね」


 唐突に折本が切り出す。

 約束は今週末まで。折本家両親の帰宅で終わり。着々と、時間だけは進んでいる。


「ああ。そうだな」


 胸の奥が妙にざわついた。

 折本や道草の煩わしさが消える──それは間違いなく喜ばしい。騒がしさもない。

 俺が求める平穏だった。


「結構、楽しかったよ。私は」

「……風呂とか自由に入れるしな?」

「それはそう。あとは」


 だが同時に、そこはかとない寂寥感もあった。この時間は二度と戻らないのだろう。

 しかし、感情に浸る理由もない。

 俺と彼女らは知り合いだ。


「春日井君の生活水準が知れたし。私たちが出てっても自炊とかしっかりやるんだよ?」

「……ぜ、善処はする。俺なりにな」

 

 乗り気ではないが、現にこうなっている。ならば手を差し伸べるくらいは、まぁ。

 ただ、別に恋人なんて柄ではない。

 関わり続ける必要もない。

 

「祈、出てく理由がない」

「は?! お前居座るつもりかよ?!」


 道草は、ぽつねんと大胆なことを言いのけた。俺が詳しく問いただしてみれば、


「当然。だって、布団も着替えもある。涼風の家だとゆっくり休むなんて、不可能」

「それはそう、かもしれねぇが」


 まさか出るのを嫌がるとは。


「男女が同じ家なんてダメだから!」

「? それは涼風の考え。祈は、違う」

「どうしたらいい、春日井君……!」

「……俺に聞くなよ」


 考えは平行線。今夜では結論は出なそうな雰囲気だった。幸いにもまだ週の中日。

 談義を交わす時間は余っていた。

 ふと、道草が言葉を挟む。


「──春日井」


 俺は紙コップにジュースを注ぎながら、ちらと視線を向けた。今度は何だろうか。


「明日の放課後、ちょっと付き合って」

「……ああ、そっちの用件か」

「ん。そゆこと」


 さらりと濁して、何事もないようにケーキを口に運ぶ道草。俺も静かに首肯をする。

 折本へのサプライズプレゼント。

 その相談でもあるのだろう。


「ん?! え、私は仲間外れなの?」

「当たりまえ。これは祈と春日井の問題」

「そうだ折本。部外者は入ってくるな」


 折本は「余計に気になるよ!」と堪らず騒いでいたが、答えは告げなかった。


─────


フォロワー様が5000人を突破しました。

温かいご支援を賜り、日々感謝のしようもございません。誠にありがとうございます!


目標の数値でしたので、

これをバネに頑張ってまいります。今後とも、よろしくお願いいたします。 


レビューやサポーター支援など、

逐一目を通しておりますが、一部お礼を伝えきれていない方がいらっしゃいます。


これまた腹切りでお詫びします。

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