第5話 見つかった場合は逃げられない
救出とは、関わることだ。関わるということは、会話をするということでもある。
喫茶店。置かれたコップはひとつのみ。
そこに注がれた水は透き通っており、氷が微かに溶けている。結露がたらりとテーブルの上に触れて広がった。情景描写で現実逃避をしたくなるほどには何を言うべきか迷う。
ウェイトレスは忙しそうにホールを闊歩し、客は楽しげに食事と相対している。
窓の外はもはや薄暗く、スマホには母親からの心配の連絡が届いていた。なんやかんやと言い訳を披露し誤魔化してはみたものの、まだまだ帰れそうな気配もなかった。
「ねぇ、私が見えるの?」
壊れた人形のように頭を傾いだ。
俺はプレッシャーに押し負けて反射的に頬を引き攣らせてしまう。
(……なんて言えば正解なんだよ)
別に助けたくなかった訳じゃない。
助けたいは助けたい。ただそれは俺の役目だったのかと問われれば疑問を禁じ得ない。面倒事に巻き込まれるのは勘弁で、いじめの標的を俺にすり替えられるのはもっと勘弁で、だが実際は超常現象の類だった。
(夢って誰か言ってくんねぇかな)
そんな荒唐無稽な現実をまだ理解しきれていない。夢と言われた方が信じられる。
なにより。
折本は別世界の住人であり、俺が関わるべき相手ではないと断じていたのである。
俺だけが彼女を見えていて、その責任感を勝手に覚えていた。それは否定しない。
ならばこれは必然だったのか。
尾行もどきを敢行し、欄干から転落する折本に腕を伸ばし、あれよあれよと喫茶店に連れ込まれ、置かれたコップは俺の前。
長々と冗長に、それっぽく持論を展開してみたが、簡素に言えば──どうしましょう。
「ねぇ、私が見えてるんでしょ?」
ひとしきりお礼を述べた折本は、これまたひとしきり俺を詰めるモードに入った。
責め立てる色は感じられないが、とにかく答えを知ろうとするような、それでいて逃さない貪欲さの炎が瞳の奥で輝いている。
責めるってほどの攻撃性もなければ、睨まれることも、暴力に訴えられることもない。
ただ訊こうとする。知ろうとする。
折本は自分に起きた原因への説明と納得と理解を求めているのだと俺は判断した。
俺にしか知らない何かがある。
俺にしか分からない何かがある。
そんな望まれた解を俺が彼女に告げることは不可能で、ただ話すのが限界だった。
「……もう何度も答えたろ」
「……だけど不安だし。……本当かなって」
「嘘で演じられる限度は超えてる」
無愛想な応でもってして答えた。
「ね──これ、見える?」
ぽつりと言を漏らしながら、折本は俺のコップを奪うようにして上空に掲げた。
証明の光源がガラスを貫通している。なんら変哲のない、ただの明かりとコップだ。美少女がそれを高らかと持ち上げている構図のほうが一般論に当て嵌めるなら歪だろう。
「おい、角度。角度をつけるな」
言って自分がやや衆目を浴びていることに気づく。そのどれもが訝しげな色である。
もし、もしも、これまた信じ難いことであるが折本が他者から見えないのであれば、俺は虚空に向けて苛立ちを発している男だ。
「最初に謝っとく。──ごめんね」
「お、おいっ、ばかばか! こぼれる、つーか、もうこぼれてる! ちょい待っ」
制止を試みた瞬間、である。
ぴしゃり、と音がした。
甲高く、それでいて空気を裂くような、現実味を帯びた音が妙にクリアに響いた。
透明な水が白木のテーブルに広がる。
俺をそれを見つめた。意味はない。
どこか冷静に受け止めていた。
「ついでにこれも」
「な?! おまッ!」
折本は畳み掛けるように言う。
跳ねた水の上に、しゃなりとした細い指を抜けたコップが乾いた音を立てて落ちた。
喫茶店内に一際大きな音が弾ける。
「ほら、店員さんが来たよ?」
「お客様?! 大丈夫ですかっ」
駆け寄ってきたウェイトレスの視線は俺ひとりをまっすぐ射抜いていた。店員には、折本涼風は見えていない。そんな語気だ。
これで、三度目だ。三度目。
一度目は折本の机と椅子が、痕跡なく消えていた。
二度目は、折本がどんな覚悟の上か、教室で文字を書き記した。
そして三度目は学校以外の場所で起こされた。
その流れから否応なく認めなくてはならないことは──これは、いじめではない。
説明のできない何かが発生していて。
その何かに折本と、俺が巻き込まれているのだろう、と──信じざるを得なかった。
「あ! その、大丈夫……っす。ちょっと手、滑っただけで。布巾だけもらっても」
「私がやったことなのに」
「承知しましたお客様、布巾をいますぐお持ちします。少々お待ちくださいませ」
「私の発言は無視されてるよね」
あくまで俺がすべてをやらかした、ということになっている。周囲からの視線を受け流しながら苦笑の仮面を貼り付けた。
曖昧に誤魔化していると、違和感にふらっとした。
そんな俺を横目に折本はまるで意に介さず言葉を続ける。果たしてどうなっている。
まざまざと見せつけられると、異様に異様がミルフィーユされたかのような層に溺れてしまう。
「君だけなんだよね。見えるの。クラスメイトの春日井君。何がどうなってるの?」
「分かるわけ、ねぇだろ……」
裏から店員が布巾を片手に握りしめているのが見えた。視点はやはり俺で固定だ。
「親も友達も、みーんな私を見えないみたいで、取った行動はすべてなかったことにされた。耳元で叫んでも動揺のひとつもない」
「……そりゃ、うるさいだろうな」
「でしょ? ひぇ! ってなるでしょ? 最初は私の頭がいかれたのかと吐き気がした」
だけど違った、と折本はかぶりを振る。
「歩道橋で見えない私が押された時、もし春日井君がいなければ、たぶん、死んでた」
死んでた、その発言を折本は微かに躊躇いながら紡いだ。いささか重たい内容だ。
「なに、見てたの? 遠くから?」
どう答えるべきか、迷う。
「……俺からも謝らないといけないことがある。まず改めて、俺にだって何が何だか」
そこまでの応酬。テーブルにまでやってきた店員が小さく頭を下げながら問うてきた。
「あの、お客様……? もしかしてお電話中でしたか? 誰かと喋っているのかと」
「い、いや。そういうわけじゃないので大丈夫っす。あ、なんつーか、独り言が趣味っていうか……!? ほんと、大丈夫なんで!」
「独り言が趣味って、ごめん春日井君! 私がついつい話しかけ過ぎたってのもある」
手を合わせ、折本ははにかんだ。
意地の悪さというよりも罪悪感が混ぜ込まれた笑みに近い。
店員が放つ変人を見るかのような視線に俺は耐え、布巾を受け取った。
やがて小走りで業務へと戻っていく店員を認めた後、俺はそっと声を潜める。
「……喫茶店、失敗だったかも?」
「あんたに連れ込まれたが、間違いなく失敗だったよ。つかまだ水しか飲んでねぇ」
ぺらりとメニュー表に目を落とす。
いやに折本はそのメニュー表へ食い付いていたが、もしかして腹でも減っているのか。
メニューを読み込む素振りの裏。
俺は折本に話の続きを告げた。
謝罪すべきことがあって、それを伝えねば蟠りが消えない。
「実は平日の時点で見えてた。だけど、起きてることが虐めなのか、あるいはそうでないのか判別できずにいた」
「つまり? あの黒板に記した文字も読めていた、と。なるほどなるほど──うん」
それはちょっと酷いんじゃない?
折本の言葉はぐさりと俺を抉るような台詞であったが、オブラート寄りの声音。
元来折本の評価は生徒や教師問わず上々で、相対してみれば成程、納得。
俺は平穏主義。
荒事は苦手。
目立つのはもっと嫌。
そんな俺が、最上位カーストの世良と日々いちゃこらしている折本涼風という人間に関わるなど恐ろしさで身震いする。
しかも初見では大規模な虐めそのものだったのだから、俺の行動にも一理を寄せて欲しい。
だが、そんなことをくどくど語っても意味は薄い。逡巡。額に指先を当てて返答。
「……追加で謝れば良いのか?」
「う〜ん、普通話しかけてくれてもよくないかな? めっちゃ泣いたししんど。え、待って、校門前で叫んでたのも見てた?!」
陽キャの情緒の波に流される。
このとっちらかったテンションの波の上をサーフィンする器用さが俺にはない。
確実に折本は平日中は泣き散らかし、死人のような青白さもあって、儚げだった。
そんな女、折本涼風は眼前では平気そうにしているのだからとかく人間とは難しい。
「まあ、一応は。スルーしたけど」
「ひど! 春日井君とは初めて話したけど、意外とクールキャラなんだね? びっくり」
クールキャラ? 捻くれの間違いだ。
「そういうんじゃないと思う、が」
「それ! 話し方とか同級生っぽくない!」
「……男子高校性なんてこんなもんだ」
言いつつも、友人がろくすっぽいないため参考資料がない。折本の発言に分がある。
折本は何が楽しいのか笑い、かと思ったら次には窓の外を眺め、かと思ったら俺に話しかける。そのさまと抑揚が掴み辛かった。
「それで? なんで春日井君は歩道橋の上にいたの? タイミングが良すぎないかな?」
「そうだった。それについても謝る」
少し間を置いて、正直に口にする。
嘘や取り繕う必要もない。折本の視線を受けて、誤魔化すのは不義理なのだと断じた。
格好つけたが隠す理由がない故に。
「あとをつけてたんだ」
「──へ?」
動揺で目を丸くさせる折本。
「春日井君って、ストーカー?!」
「違ぇよ! 違う……ってわけでもない、かも。いや……違うって言いてぇけど!」
躍起に否定すると余計ガチ感がでる。
それにまたもや注目を集めた。
俺は反射的に立ち上がりかけていた身体にブレーキを効かせ、すごすごと腰を降ろす。
ぐだぐだだ。言葉がまとまらない。
自然と折本のペースになっていた。
「最初は気になっただけ。あんなに教室で無視され続けてたからな。違和感あったけど」
「あの、気づいて時点で声かけて?」
「……普通は友達の仕事だろ」
「…………まぁ、確かに?」
やや沈黙。数秒の沈黙。
他人の俺ではなく、まずは折本の友人や教師陣の仕事だろうと割り切ったのな。
「前提として本当に見えないのか、誰も気づいてないのか、それがいじめなのか、幽霊じみたソレなのか──わかんなかったからな」
折本は黙って聞いていた。
稀に首肯と「うんうん」という同調。
「今日見かけたのは偶然だ。ほんとに。んで歩道橋で──あんなことになって、あの瞬間を無視するのは、どーもトラウマになる」
「…………ふーん……なるほどねぇ」
折本はあごに指を当て、思案するふうに目を細めた。そして、不意にくすっと笑う。
「春日井君が犯人? この超常現象の」
折本はたんっと立ち上がり、大袈裟にくるりと回った。そこを配膳ロボットが通る。
人感センサーを備えたロボットは、普通なら折本の熱源を感知して止まるはずなのに、ただ動き、ぶつかる。動き、ぶつかる。
気になって俺が手を伸ばしてみれば、ロボットは「危険です」と優しめの警告音を発してから停止した。俺が手をどかすと「ありがとうございます」とこれまた動き出す。
折本は「ロボットもかぁ」と諦念を絡ませながら項垂れ、力なく元の席に座した。
「誰からも観られなくなって、しかもそのルールの枠外にいる春日井君。疑うよね?」
「俺じゃねぇよ! ……と言いたいところだが、俺があんたの立場なら詰め寄ってるに違いない。……けれど、本当に違う」
俺は控えめに両手を上げた。
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