第3話


 静寂の中。


 ほんのりと光が浮かび上がる。

 ここはどこだろう?

 最初は分からなかったが、徐々に歩く先に緑が見えて来た。

 見たことがある場所。

 木漏れ日の射し込む緑のトンネルを通って、花に満ちた庭に出る。

 笑い声がした。

 

 ――みんなが船で戻って来たんだ!


 嬉しくて、駆け出していた。

 暗がりから飛び出すと、豊かな花と緑が一面に広がっていて、そこで輪になるようにして彼らがいた。


 ――ジィナイース!


 幼い姿のラファエルもいた。

 小さい頃彼は今よりずっと内向的だったけど、明るい笑顔で手を振っている。

 おじいちゃん。

 大きな動物に寄りかかっていた祖父が両手を広げて待っていてくれた。

 祖父の温かい胸に、思い切り飛び込んでいく。

 周囲の人たちの、優しい笑い声。

 

【ジィナイース】……。


 声が響く。

 最初は分からなかったけれど、

 顔を認識できたのは祖父とラファエルだけだった。

 周囲の人たちの顔は、気配は鮮烈に覚えているのに、表情は朧気だ。

 自分が見ている夢なのだと、その時に分かった。

 

 彼らは幻じゃない。

 側にいたら、一人一人が鮮烈な姿や言葉を持っていた。

 分からないなんてことは絶対にない。

 だからこれは夢だ。

 自分は、彼らを忘れて行っているのだ。


【ジィナイース】……。


 祖父と、ラファエルが呼ぶ。

 彼らがその名を呼ばなくなった時、

 その名前も僕を忘れるのだろう。



【ネーリ】



 急にどこからか、降って来たような声だった。

 少し驚いて、幼い自分を抱えてくれていた祖父の顔を見上げ、ネーリは目を見開いた。 


(……フレディ?)


 天青石の瞳が優しく笑いかけてきている。

 不思議な表情だった。

 彼は出会ってから、今では色々な表情を見せるようになってくれたと思うけれど、

 この表情はあまり見た記憶がない。

 とても優しい顔だ。

 まるで……年の離れた妹に笑いかけてやるような。


【ネーリ・バルネチア】


   【さぁ、恐れずに歩みなさい】


 【貴方を待っていた】

     【水の王】……。

              【なんびとたりとも触れることの出来ない運命】

【わたしと貴方の魂は】



    【この地で出会うことが定められていた】


 ――貴方はだれ?


 初めて、聞き返すことが出来た。

 その不思議な声に。



  【貴方の歩む道は 水の守りにあるただ一つだけ】


        【水の王】 

             【何一つ間違いなどないのです】


 【さあ、導きのままにこの地へ】



 突然、波の音がした。


 押し寄せて来る。大きな波の中に包み込まれる。

 海の幻視。

 光のあるところから、光の届かないところへ。

 深い海の底に、体はゆっくりと降りていく。

 

 花のように色鮮やかな魚たちが、海の底に沈む鈍色の神殿を守る様に回遊していた。


 ネーリの体は、静かに神殿の門の前に降り立った。


 黄金の門に描かれた模様を見た時、

 気づいた。

 見たものを瞬間的に記憶する、ネーリの脳裏で、

 その神殿の門に描かれた複雑な模様と装飾が、一緒であることが分かった。


【シビュラの塔】の、黄金の門と。


 一瞬の光と共に、門が消え、

 先の見通せない神殿の奥の闇が目の前に広がった。

 周囲を回遊していた色とりどりの魚たちが、ゆっくりと神殿の中に入っていく。

 中型の鯨が、光を帯びながら。

 闇の奥。

 ネーリは躊躇った。


【ネーリ】……。


 怯えた心を見透かすように、優しい声が呼ぶ。

 

   【恐れず、こちらへ】


 遠くの闇の底に、何かが光っている。

 青く輝いた、一つの宝玉。

 まるで祭壇のように上がった場所に、静かに輝いている。                   

 あれは、自分を待っているのだ。


 何故かそれが分かった。


 ――あなたは、だれ?


 ネーリはもう一度尋ねた。



【ネーリ】……



 景色が揺らめいた。

 声が遠ざかる。

 また、全てを押し流す波の音が近づいてきた。


    

   【水の王】……

    

      【わたしと貴方の運命は】……




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